第一章 6
その答えに、メルローズは息を飲み、顔を強張らせる。
「カイ、ロス? まさか……!」
頭の片隅では想像していたものの、実際にアルジャナンの口から事実を伝えられると、メルローズは大きくうろたえた。
「で、でも、なぜアルジャナンの……その身体に?」
あまりの衝撃に、メルローズは舌がうまく動かず、唇が震えた。口の中が乾き、動揺が激しいせいか、必死に喉を上下させてもうまく息ができない。呼吸困難で目眩をもよおす。
それでも瞬きもできないまま、アルジャナンを凝視した。
「俺たちは、この世界では実体を持たない。召喚に応えることはできるが、契約を成立させるためには、寄生するための肉体が必要だ。それも、俺をこの世に繋ぎ止め続けることができるだけの魔力が宿った身体が」
「そんな……! それじゃあ、アルジャナンはどうなってしまったの!?」
魔神を召喚する際に契約料が必要だとは、クラメンスはひとことも言ってはいなかった。魔術師の魔法陣による呼び掛けに応じた魔神は、召喚者を気に入れば契約に応じてくれるし、気に入らなければその場を去るだけだと話していた。まさか魂を奪われるような事態になるなど、クラメンスもアルジャナンも想定していなかったはずだ。
「アルジャナン? それはこの身体の名前か? その魂ならば、まだここに存在している」
魔神カイロスは自分の左胸を親指で示した。
「魂がなければ肉体も朽ち果てていくだけだ。魂を持たない俺が取り憑いてこの身体を支配することができても、この男の魂までもを喰らってしまっては、この生体も長くは持たない。死んだ身体に寄生するなど愚の骨頂だ。そこの魔術師の魂は召喚に応じた駄賃としていただいたが、この男の魂は身体の核として利用させてもらっている」
「利用って、なによそれ! 勝手にお父様の魂を食べたり、アルジャナンの身体を奪ってしまったりして、酷いじゃないの!」
激昂した瞬間、怒りで身体中の血が沸騰しそうになる。
必死の形相で相手ににじり寄り、メルローズは抗議した。
「返して! お父様の魂をいますぐ返して! そして、アルジャナンの身体から出ていって!」
どんっとメルローズはカイロスの胸を両手の拳で強く叩いた。
父親が死んだという現実だけでも受け入れがたいのに、悲願であった魔神の召喚に成功したと思ったらアルジャナンまでいなくなってしまったなど、メルローズにはとうてい納得できることではなかった。
「契約が正統な手続きによって成立している以上、無理な話だ」
面倒臭そうに顔を顰めたカイロスは、冷ややかな眼差しをメルローズに向けると、淡々と言い放った。
「召喚に応じた俺とて、そう簡単には契約を破棄することはできない。この世の条理に縛られているのは、魔術師も俺も同じなのだ」
「どういうこと?」
感情が高ぶり、目には涙が浮かび始めたメルローズが、カイロスを睨み付けた。
「この契約を
「できないわけではない、ということ?」
「当然だ。契約は一方的に行われるものではない。召喚する側と召喚される側、両者の合意があって、成立する」
ただの屁理屈のように聞こえないでもないが、メルローズはかすかな希望が目の前に提示された気がした。
「ただし、召喚者が代償を支払って死亡した場合、契約は破棄されず履行される。これはその証しだ」
カイロスは自分の両腕をメルローズの目の前に突き出した。白い精緻な紋様は、まぎれもなくクラメンスが描いた魔法陣が転写されたものだ。
「ちょっと! なによそれ!」
カイロスの言明に、メルローズは気色ばんだ。
「この印が刻まれたということは、契約は正式な手続きによって成立している」
「アルジャナンは了承していないわ!」
「契約は、契約者と被契約者の合意によって成り立つものだが。この身体が誰のものであるにせよ、契約者は俺にこの身体を与え、契約を履行したのだ」
淡々と理詰めでカイロスはメルローズの抗議をはねつける。
「結局は、アルジャナンの身体を返す気がないってことじゃないの!」
「当然だ。契約は成立しており、俺はこの身体を使用する権利がある。かつて、神々と人との間で結んだ誓約があり、俺たちはそれに準じているだけだ。『
「――知っているわ」
まさかここで『万象の約定』持ち出されるとは予想外だったが、渋々ながらメルローズは認めた。
『万象の約定』とは、かつて神々が人と同じく地上で暮らしていた際、一部の横暴な神々の振る舞いに手を焼いた人々が、神々との間で交わした誓約書だ。正確には『
『万象の書』には、のちに地上から姿を消し地下へと移った神々を招く際の手順を書いた項目もあり、いわばこの世界のあらゆる事象について記したものだといわれている。世界最古とも言われる書物である『万象の書』は、しかし幻の書物とも呼ばれている謎の書物だ。
エルファ家が魔神を召喚する際の魔法陣は、この『万象の約定』に従ったものであることはメルローズも父親から教えられていた。
ただ、当時の人が書き記して地上にもたらされた『万象の約定』そのものはほとんどが散逸している上、残っている部分も古代精霊語で記されているため、現在では解読不能となっている部分が多い。クラメンスは魔神を召喚する部分にのみ翻訳に力を注いでいたため、現在では約定の百分の一も内容を理解していなかったし、同じように魔術を研究している人間でほとんどを理解している者は存在していない。
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