外伝

逢うは別れの始め也

「待て、撃つな。撃ってはならんぞ」


 まだ元服したばかりの若武者、島津武尚は配下の者たちに射撃を制止するように命じた。


女子おなごや子どもじゃ。撃ってはならぬ」


「ですが武尚様、短筒ピストルを構えておるものもおりますぞ」


「良か。こちらが大人数なんで怯えとっだけじゃ」


 有無を言わせない口調で命じると、配下の者たちは困惑した表情ながら若殿の命に服した。


「私たちをどうする気?それ以上近寄ったら撃つわ」


 金髪碧眼の少女の英語での問いに、武尚は同じ英語で(いささか片言ではあったが)答える。


 年のころは武尚より一つか二つは下といったところだろうか。


「なにもせん。ただ、お前たち、腹が減っとりゃせんか?」


「あなた、英語が話せるの?」


か。異国の言葉を覚えるのは楽しいからな。商人たちに習った」


 事もなげにそう言うと、少女は驚いた顔をする。


「そう…たしかに私たちはお腹が減っているわ。攻めてきたあなた達のせいでね!」


「それはどうかな。元々おまえたちが地元ネイティブの衆アメリカンから土地を取り上げ、追い出したのではないか?」


「それは…でもしょうがないじゃない。私たちだって土地が無ければ生きていけないい!」


 少女の言うことに、武尚は一理あると感じつつも、土地を追い出された者たちの訴えを同時に思い出す。


「言い争いしてもキリがないな。とにかくおとなしく降れ。我らは、みだりにブッダの道にそむくようなことはせん」


「信用できないわ」


「ならばどうする。その短筒で我らと刺し違えるか?」


 少女は重い選択を突き付けられ、背後にいる幼い子供や疲れ果てた女性たちを見る。


「分かったわ。それでも少しでも乱暴をしてみなさい。必ずあなたを殺してやるわ」 


彼女はそう言いながら、ピストルを地面に放りなげる。


「傷ちたもんな手当てを。体力ん無かもんな馬に載せてやれ。俘虜捕虜はけして

傷つけてはならん」


 武尚がそう厳命すると、配下の者たちは黙々とそれに従った。


「若殿はお優しいお方じゃ。それに度胸も知恵もありなさる。だが、いかんせん人物が出来過ぎておられる。兄上に疎まれねばよいが…」


 主君から守役を任されている大久保 左右衛門そうえもんは、皺の目立つ顔に憂慮の色を浮かべている。



 武尚の屋敷は、市俄古しかごの中心街から少し外れた場所にあった。


 この時代の武家も長子相続が基本であるため、日ノ本であれば城内の一室を与えられるだけの「部屋住み」の身分であったかもしれない。


 ただ、この米州あめりかにおいては、基本的に長子以外も小規模ながら屋敷を構えるのが普通であった。

 

 そのうえ、島津家当主島津久徳の次男である武尚は、小勢ながら配下を抱えている。これはいささか異例な措置であった。

 

 久徳は長子相続の原則を崩す気はないと公言しつつ、あえて息子たちに競わせる方針を取っていた。


この広い市俄古の島津所領を治めるにはそれが必要というのが、一応の理屈ではあった。


「相変わらず汗臭いわね。気持ちの良い朝が台無しだわ」

 今日も武尚の屋敷に顔を出したのは、ひと月ほど前に武尚が捕らえた英国移民の少女であった。


「ぺねろか。何の用だ」


 木刀での素振りを続けながら、武尚はぞんざいに応える。


「ペネロペよ!いい加減その変な発音はやめなさい」


 少女は憤懣やるかたない顔で抗議する。


「そう言われてもな。エゲレス人の発音はそう簡単に真似が出来ない。勘弁してくれ」


「……まあいいわ。それにしても、このキモノとかいうの動きにくくて仕方ないわ。他に着るものはないの?」


 彼女が着ているのは紺飛白こんがすりの質素な着物であった。

 帯の付け方が力士の廻しのようになっているのを見て、武尚は思わず苦笑する。


「あいにく洋物、ましてや女物となると入手が難しいのだ。しばらくは屋敷の女たちの者を借りておくのだな」


「まあ、しばらくはこれで我慢してあげる。それで、私たちの扱いはどうなるの?」


地元の衆ネイティブアメリカンに迷惑をかけた者は、処罰を受ける。だが、

お前たちは無関係だろう。島津の所領に住む限りは、島津の法に従ってもらうがな」


「そう言われても、私たちの村は、その地元の衆に還されてしまうのでしょう。私も、母や家族も行くところがないわ」


「では、こうしよう。我が屋敷には女手が足りない。この屋敷でぺねろが働くなら、お前の家族ぐらいの面倒は見よう」


「……分かったわ。どのみちどこかで働こうとは思っていたの。食べるために、仕方なくね。で、どんな仕事をすればいいの?」


「まずは炊事に掃除じゃな。詳しいことは婆様に聞いてくれ」


「ふうん、案外普通なのね。身体でも求められるかと思った」


「そんなものは要らん。その上で、日ノ本言葉日本語を覚えてもらう。そして、俺もぺねろからいんぐりっしゅ英語を習う」


「そんなものって……ゴホン、まあいわ。お互いに言葉を教え合うってことね」


「そういうことじゃ。俺は異国のことを少しでも知っておきたい。そのためにお前を利用する。お前もわしのことを利用すればいい」


「ギブアンドテイクというわけね。気に入ったわ。これからよろしくね、タケヒサ」


「ああ、ぺねろ。よろしく頼む」


 手を差し出された武尚が戸惑っていると、ペネロペは苦笑する。


「これはイギリスの風習。握手ハンドシェイクというのよ。親愛の情を示すために、こうやって手を握り合うの」


「面白い。こういうものをどんどん教えてくれ」


 武尚は邪気のない笑いで、握った手をしげしげと見ている。

 何か気恥ずかしくなったペネロペは、思わず目をそらした。



「蝋燭はきゃんどる、じゃあ畳は?」


「さあ?だって私たちは畳なんて使わないもの」


「なるほど、そういうもんか。まあ、わしらだって畳は贅沢品じゃが」


 筆で英文を書きながら、武尚は思案する顔になる。


「やはり、いんぐりっしゅと日ノ本言葉が相対して書かれたものが欲しいのう。毎度毎度質問するのは面倒じゃ」


「辞書ね。英語で言うディクショナリー。確かにそういうものがあれば便利ね」


「いずれは父上に進言してみるかのう」


「そういえば、あなたはシマヅのプリンスなのよね?」


「ぷりんす……ああ、王子のことじゃな?いや、たしかに島津はこの市俄古を治める大名ではあるが、キングではないのう。説明が難しいが、上には米洲あめりか公方くぼうさま、そして日ノ本の豊臣将軍さま、その上には京のみかど…エンペラーが居られる」


「なんか、複雑ねぇ。私にはよく分からない」


「わしらもよく分かっておるとは言えんな。まあ、島津は下の方、さらにわしは次男坊に過ぎぬということよ」


 そう言って苦笑する武尚に、ペネロペは複雑な顔で応える。


「まあ、たしかに私のような異国の人間と平気でしゃべるくらいだものね」


「だが、そのおかげでぺねろとも会えたし、いんぐりっしゅも勉強できる。悪いことばかりではないな」


 そう言って笑う武尚に、ペネロペもつられて笑う。


「若殿!一大事にござる!」


「どうした、爺。……よい、ぺねろは問題ない。話せ」


「はっ、武吉様御謀反!久徳様は鷹狩に出かけた先の西沢寺にて武吉様の手勢に包囲され、自刃された由」


「馬鹿な、兄上が謀反だと?そんな馬鹿な。いずれ家督を継ぐのは兄上だったのだぞ」


 思わず立ち上がった武尚は絶叫するように答える。


「いずれ、武吉様の手勢はこの屋敷にも押し寄せましょう。すぐに出立の準備を」


「是非に及ばず、か。あい分かった。ぺねろもすぐに荷物をまとめよ。ひとまず逃げるぞ」


 武尚の真剣な顔に、ペネロペは蒼白な顔で頷いた。



「拙者、峰亜浦領主の毛利永康と申す。失礼ながら、島津武尚殿とお見受けいたす」

 わずかな手勢を引き連れ、西へと逃れる武尚たちの前に現れたのは、三千騎はあろうかという騎馬を引き連れた男であった。


「毛利殿、何用でございますか」

 武尚の前に進み出た大久保に対し、永康は慇懃に答える。


「失礼ながら、武尚様はお困りの様子。よろしければ、我が毛利三千騎、お力になりましょうぞ」


「殿、耳を貸してはなりませぬ。毛利殿といえば謀略の上手。何をふっかけられるか」


「よかろう。手勢を貸してくれ毛利殿。おいは父ん敵を討たんなならん」


「はは、それでこそ武尚殿」


「そいで、ないが望みだ」


「我が望むは、新しき天下。武尚殿ならば、この貸しも安きもの」


「良かろう、借っぞ三千騎」


「存分に仇を討ちなさいませ」

 武尚の応諾に、永康は我が意を得たりとばかりに陰惨な笑みを浮かべる。


「馬鹿な!武尚は逃げたのではなかったのか」


 西沢寺より戻った武吉は、閉ざされた市俄古の城門を見て愕然とした。

 市俄古は総構えと呼ばれる、堀と石垣で町を覆う形式の城郭である。

 武吉が抑えている手勢は自らの息がかかったものが二千騎ほど。

 とてもではないが、城壁を堅く閉ざした市俄古を落とせる程の軍勢ではない。


「武吉様、あの旗印は」


 配下の者が指さす背後を見て、武吉は思わず身を震わせる。


「毛利だと?馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な!」


 自らの馬の鞍を籠手で殴りつけながら、武吉は叫んだ。

 一軍の将にあるまじき狂態であった。

 武吉の中から、あの「馬鹿な父」を葬った時の爽快感は、とうに失せていた。

 

 それからの展開は一方的だった

 城壁から鉄砲で撃たれ、背後からは毛利勢に蹴散らされ、二千の兵はすりつぶされるように崩れていった。わずか半刻で武吉の周りは、わずかな手勢のみになっていた。


「武吉様、お覚悟を」


「ええい、俺を舐めるなよ、下郎風情が」


 自ら太刀を引き抜いて周囲の兵を斬り捨てながら、もがくように前進する。


「兄上!」


 そう声をかけられた武吉は吠える。


「武尚、貴様!貴様さえいなければ!」

 そう言うなり、斬りかかった武吉の喉を一瞬で武尚の朱鑓が貫いていた。


「ないごて、謀反など。おいは貴方んおとっじょで良かったどん」


――貴様には分からぬ。何もせぬのに人に好かれ、自然に人の輪の中心にいる貴様にはな。


 そう言おうとした武吉の言葉は、喉の奥からあふれ出た血に止められて消えた。


これが後に幕府を開く男、島津武尚が無数に経験する別れ――その初めであった。  









 







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米洲島津家秘録~あめりか戦国騒乱之記~ 高宮零司 @rei-taka

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