△▼△▼山のそば屋 △▼△▼

異端者

『山のそば屋』本文

 そのそば屋はとある山の中腹にあった。

 街から離れているので元から客は少なく、夜中になるとそれ以上に客が来ないというのに交代で明け方まで営業しているという奇妙なそば屋だった。

 そんなそば屋に、今日も夜遅くにやってくる――。


「いらっしゃい!」

 年老いた店の大将は、入ってきた客にそう声を掛けた。

 客はその声の大きさに一瞬びくりとした。

 その客はまだ十代半ばと言っても通じそうな青年だった。もっとも、ここに来るには車かバイクがまず必要なので、運転免許が取れない歳ではないだろう。

「どこでも空いてますので、お好きな席にどうぞ!」

 大将がそう言うと、客は離れたテーブル席に座った。

「お客さん、何に致しましょう?」

 店員の男がメニューを差し出す。その間、大将は黙って客を見ていた。

 客の表情はどんよりと暗い。店の照明は煌々と輝いているのに、そこだけ大きな影ができているようだ。

「えと……あの……」

 客は口ごもってなかなか言葉が出てこないようだった。

「急がなくても構いませんよ。どうせこんな夜中に他のお客さんなんて来ませんから」

 大将が安心させるように言った。

「そうですか。すいません、もう少し待ってください」

 客は少し落ち着いたようだった。

「馬鹿。あんまり急かすようにするんじゃない」

 大将は客から見えない厨房の奥で店員にそう言った。

「すいません、つい…………でも、あのお客さん、やっぱりアレですよね」

「ああ、間違いないだろうな」

「じゃあ、ボランティアの人に連絡を――」

「ああ、どうせ間に合わないだろうがしておいてくれ」

 ――そんなことする必要ないんじゃないだろうか?

 大将はそう思ったが、口には出さなかった。

「すいません……あの……温かいかけそばを一つ」

 客の生気のない声が聞こえてきた。

「はいはい、温かいかけそばね! 少々お待ちを!」

 大将は威勢よく返す。

 大将は手際よく麺をゆでると、椀に入れてつゆを注いで刻んだネギをかける。

 あっという間にかけそばが完成し、店員がそれを客の席に運んだ。

「頂きます」

 客はそう言うと黙々とそばを食べた。それは今食べている物を最大限に味わおうとしているようでもあった。

 食べ終えると、レジの前で店員に代金を払った。

「ご馳走様でした。……美味しかったです」

「ありがとうございます! また来てください!」

 大将はそう言ったが、この客が店に二度と来ることはないと確信していた。


 自殺山――この山がそう呼ばれるようになったのは、ある有名女優の首吊り死体が発見されてからだ。それから、年々近隣の自殺者はこの山を選ぶようになった。

 今ではすっかり自殺の名所となり、隣の県どころか遠く離れたところからもやってくる。もはや原因となった女優のことすら知らない世代までやってくるが、そうなってしまえば理由などもうどうでもよいらしかった。

 大将が無理をして明け方まで店を開けているのは、そういう人間のためだった。

 最初、自殺に来た人間が自分のそば一杯で少しでも落ち着いて考え直してくれれば――そう思っていたが、近頃はそう思わなくなっていた。

 そもそもそれ自体、自分のおごりではないか。自分はただ、死ぬ前の人間に美味いそばを食べさせてやればそれでいいではないか。

 近頃は親ガチャだのなんだのと言われるが、人は自分の生まれてくる境遇を選ぶことはできない。ならばせめて、いつどこで死ぬかぐらい選ばせてやってもいいのではないか。


 自殺防止ボランティアの人が駆けつけて、店員に客の特徴を聞いていた。

 大将はそんな無粋なことはやめて死なせてやれと言いたくなったが、言えなかった。

 生きているうちにあと何度、そんな人間と出会って別れるのだろうか――ふいにそう思った。

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