出会いと別れは突然に…
伊崎夢玖
第1話
――バシッ!
「死ぬまで仕事してろっ!」
たった今、付き合っていた彼女にフラれた。
原因は自分にある。
仕事に没頭して、彼女のことを後回しにしたからだ。
それも、一度や二度ではない。
ここひと月ほど、一切連絡をしていなかった。
というより、連絡に気付かなかったというべきか。
いい加減頭にきた彼女が会社に凸ってきて、大勢の人がいる中、俺の左頬に盛大なビンタをかまし、暴言を吐き捨て、去っていった。
(何やってんだろ…俺……)
周りの目が痛い。
この場を離れたいけど、足が動かない。
(……なんか飲みたい気分だな…)
そんな時は行きつけのバーで飲むのが恒例だ。
普段は一滴も酒を飲まない。
そもそもそんなに酒が強いわけでもないし、誰か一緒に飲む相手がいるわけでもない。
ただ今日は酔いたい気分。
そんな感じだった。
言っておくが、別にフラれたことが原因ではない。
強めの酒を引っかけて、帰ってすぐ寝よう。
今起こったのは、悪い夢として処理してしまうに限る。
鉛のように重い足を動かして、ようやく行きつけのバーに到着し、ドアを開ける。
静かな店内にはマスター一人だけだった。
客が誰もいないからといって、繁盛していないわけではない。
知る人ぞ知る穴場中の穴場。
だから、あまり人がいないというだけなのだ。
いつものカウンターの定位置に座る。
「マスター、強めのお酒ください」
「かしこまりました」
沈黙が流れるが嫌な空気ではない。
そこにチリンと鈴の音が鳴った。
いつもならしない音だ。
あたりを見渡すと、小さな黒猫が一匹いた。
「この子、マスターの猫ですか?」
「いえ。迷い猫です」
「へぇー。首輪してるってことは飼い猫かな?」
「そうですね。早く飼い主に見つかるといいのですが…」
なんだか癒される。
猫に癒しを求めるのは心が病んでる証拠とかって、後輩が言ってたっけ?
知らない間に俺の心は病んでいたのか…。
少しショックを受けながらも、黒猫を撫でる手を休めることはない。
その間にマスターが酒を出してくれた。
黒猫を抱きかかえ、膝の上に乗せる。
「かわいいお前との出会いに乾杯」
グラスを掴むと、一気に喉奥に流し込んだ。
一瞬クラッとしたが、まだ酔えない。
一杯だけにするつもりだったが、もう一杯飲むことにした。
「マスター、もう一杯。別の酒で強めなのください」
「かしこまりました」
また沈黙が訪れる。
膝の上で大人しくしていた黒猫が、ふと頭をもたげた。
そして、ピョンと膝から下りると、たまたま入ってきた客と入れ違いで、外へ出て行ってしまった。
「あーぁ……行っちゃった…」
せっかくの運命的な出会いも、気まぐれによって突然の別れが訪れた。
人間も猫も俺を裏切って傷つける。
傷ついた俺を癒してくれるのは酒しかない。
二杯だけ飲んだら帰るつもりだったけど、もう少しここにいよう。
マスターが出してくれた二杯目は一気に煽らず、誰か話し相手を求めて、チビチビと飲み進めた。
出会いと別れは突然に… 伊崎夢玖 @mkmk_69
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