「名字さん」だったあの頃にはもう戻れないけれど

fujimiya(藤宮彩貴)

『あいつ、同窓会に来るってよ』

『あいつ、同窓会に来るってよ』


 俺は、高校時代の友人からそんなメッセージをもらった。


 高校を卒業して一年が経つ。地元の国立大学に進学した俺は、テストやらレポート提出が終わり、進級できそうでほっとしている三月下旬をのんびりだらりと過ごしてた。

 進学したやつらの状況も同じようなものらしく、なんとなく『同窓会でもしないか』という流れになった。こういうの、俺は仕切れる人間ではないので賛成はしたが同意するだけで、流れてくるメッセージに『了解』の二文字を飛ばすだけだった。


 そんな中で受け取ったのが、冒頭の一文。


『あいつ』……佐藤由紀子。


 佐藤由紀子と俺は、高校時代そこそこ仲が良かった。一緒にいる時間もそこそこ長かった。縁があると感じたのは、同じ名字だったことだ。親戚ではないけれど、あいつは佐藤で俺も佐藤。ありふれた名字なので過去にもこんなケースはあったのに、やけに気が合ったせいかクラスでは夫婦扱いされていた。付き合ってもいないのに。


 あいつは田舎の女子高校生のくせに小顔でかわいくて背も高かった。狙っていた男子は多かった。けれど、あいつはそういう筋の話を全部断っていた。

 はっきり言って俺だって、いいなと思っていた。きっかけがあったら告白したかったのに、それまでの関係を壊したくなくて。

 結局、告白する勇気はなく、一緒に帰ったり試験勉強をするだけで、『そのとき』は訪れないまま卒業を迎えた。ラブでもコメでもなかった。

 もしかして、俺の告白を待っているからほかの男の誘いを受けないのかと妄想することもあったものの、その甘い考えは卒業式の当日に霧散することになる。


 佐藤由紀子が上京進学することは聞いていたので、これで終わりたくないという気持ちと終わりだなと諦観する二通りの自分がいた。

 だけど、卒業式の日。校門の前に黒い高級車が乗りつけられたんだ。運転手は佐藤由紀子のマネージャーを名乗った。

 あいつ、上京進学は表向きの理由で、ほんとうは芸能界デビューを狙っていたらしい。


 そんなこと、誰も知らなかった。

 校内が、めちゃくちゃざわざわした。


 見た目の良さのわりにはおとなしくて目立つ女子じゃなかったし、実は芸能界そんなこと入りを考えてたんだ? っていう、驚きが走った。本人は『横浜に住んでいる兄が勝手にオーディションに応募して~』と、理由を話したが満更でもなさそうな表情を浮かべていた。

 卒業しても連絡を取り合おうなんて、あらかじめ用意していたことばは交わせなかった。


 あいつは愛らしい容姿とちょっととぼけたノリで、たちまち人気グループの主要メンバー、つまりアイドルになった。田舎出身のギャップが良かった。完璧過ぎないところも受けた。

 もちろん、歌もダンスもトークも、歩き方も姿勢も笑顔も、すべて基本から学んだと思う。努力を押し出さない庶民派なところがよかった。

 俺もあいつを全力で応援するべく、バイトで稼いだお金を使った……貢いだと言っていいレベルで。


 なんで今さら人気アイドルが高校の同窓会に来る気になったのか、と不思議に思ってグループのツアーの日程を調べたら、あさって、隣の県で公演が組まれていた。このチケットは外れて入手できなかったから忘れていた。里帰り兼仕事のついで、といったところだろうか。


「どんな顔をすればいいんだ」


 なにを言おう。あいつは皆に囲まれて質問責めを受けるだろう。ここ、地元は田舎だ。東京のこと、芸能界のこと、聞きたいことは山のようにある。俺のことなんか目に入らないかもしれない。


 見た目も周囲の環境も一変したあいつだけど、中身は変わらないでいてほしい。


 ***


 同窓会当日。

 散々悩んだ挙句、俺はお出かけ用の勝負ジャケットを着た。

 袖を通す機会がほとんどないこの服、クロゼットの中から引っ張り出したら埃をかぶっていたのであわてて干した。日光に当ててファブったし、たぶんだいじょうぶ。かしこまりすぎるとたぶん浮くので、下は普通にジーンズ(小綺麗な)を合わせた。靴もスニーカー(しつこいけど小綺麗な)。


 同窓会の会場……は、ふつうのカフェだ。俺たちはまだ二十歳前だし、こんな辺鄙な田舎にあるにはおしゃれすぎるぐらいのウッディーなカフェ。観葉植物がたくさん置いてあって、天井の照明のところには羽根がぐるぐる回っている。窓も広くて、景色は畑だけどカフェ越しに眺めると、のどかな田園風景にも見えなくもない。つまり、俺たちにとっては考える限り最良な場所である。


 あいつはまだ来ていなかった。開始時間には二十分早い。俺の到着が早すぎた。それでも何人かはすでに揃っていて、まあそいつらはほぼ今日の幹事なのだが、少し会話を挟みつつ手伝ったりして過ごす。

 だいたいのメンツが一年ぶりなので、印象が変わったヤツもいる。髪を染めたりパーマをかけたり。ピアス。派手めな服。濃い化粧。元気そうなのがなによりだ。

 会話の先は、自然とあいつのことになる。皆、知りたがっている。俺だって、テレビやネット越しの情報しか持っていない。


 今日集まったのは、クラス四十人中二十六人。なかなかの数字だと思う。あいつが来ると分かってから一気に十人ほど増えたのはご愛嬌。野次馬だな、皆。

 時間になっても、あいつは来なかった。開始時間にはあいつ以外の二十五人が集まっていたというのに。幹事が時計と入口のドアをチラチラと何度も確認するけれど、観念したように再会のあいさつと乾杯になった。


 まだ若いので、顔を見て声を聞けば一年ぐらい会っていなくても名前を思い出せる。田舎すぎることに飽きて都会へ出ていった者も多い。俺も卒業後は東京か大阪に出たいと考えている。先に田舎脱出を果たした先達の意見が聞けるのはありがたい。


「ごめんね、遅れました!」


 和やかな雰囲気を打ち破ったのは、あいつだった。

 白いセーターに、ブルーグレイの膝下丈スカート。落ち着いた清楚なお嬢さまスタイル。制服姿しか見たことがなかったので、新鮮。かわいい。思わず、ヨダレが垂れそうになった。


 でも、気になることがあった。背後にオトナを多数、従えている。


「今、ツアーで各地を回っていて。もしよかったら、同窓会の様子を公演で流したいんだけど、どうかな」


 突然の提案に、特に幹事がいやな顔をした。前もって言ってくれたらいいのに、と書いてあった。幹事は参加者とお店に確認を取る。まあ、いやだと言う者は出なかった。希望すれば明日の公演のチケットがもらえるそうなので。


 瞬く間に、あいつは同窓会の中心に立った。あっという間に雰囲気を掌握した。


 ……なんかむかつく。

 俺は壁際でコーラを飲んでいる。


 かわいいし、丁寧だし、厭味がないし。文句のつけようがない。一年前はそんなキャラじゃなかったのに。アイドルって違うんだな。凡人は一般人とか、よく言われるが、なんだあの『一般』って失礼だろ。

 とはいえ、そんなことを言い出せる雰囲気でもなく。

 同窓会は和やかに、あいつ中心に回っている。僻みっぽくなったな俺の思考。外の空気を吸うことに決めた。


 もう、このまま帰ってもいいかなと、ぼんやりと夜空の星を眺めて思いはじめていたころ。


「克也くん」


 名乗ってなかった。

 俺は佐藤克也という。あいつが呼びかけてくれたのが新鮮に感じた。

 質問攻めを躱し、俺のところへ来てくれた。込み上げてくる嬉しさを必死に押し隠す。


「……久しぶり。『佐藤』サン」

「あ。やだなあ、そんな呼び方してくれるなんて。私、知ってた。たくさん応援してくれたよね。人気投票とか、ライブとか握手会も。ありがとう」


 わ、分かってくれていたのか? その他大勢の中にいる俺なのに気がついてくれていたんだ??

 感謝を伝える唇が、艶めいている。


「詳しいことを打ち明けないで上京したのに、すごくうれしかった。『名字さん』だった克也くんが私に勇気をくれたよ?」


 おいおい、男に向かって、上目遣いで、ほほ笑むなんて反則技だろうが。


「おんなじ名字ってだけで気が合うなんてありえないって考えていたのに、克也くんは私の先入観を拭ってくれた。『佐藤』なんてよくある名字を、受け入れてくれたことに感動したの。結婚したら、平凡な名字はやだなって思っていたのに」


 恥じらう姿もかわいいかった。変な汗が吹き出した。

 自分の名字が好きというわけではない。一生モノの名字になるはずだ、好意を持てるように開き直った、それだけだった。


「私、同じ名字だからって諦めないことにした。ずっと、佐藤でもいいかなって」


 ……え?


「克也くん、ありがとう。あなたと過ごした時間のおかげで、同じ名字でもうまくやっていけるってこと、学んだよ。楽しかった」


 ……え、ええ?


「皆にはまだ内緒だけど、克也くんだけには伝えておくね。佐藤陽一さん……私の夫なの」


 ……え、え、ええ?


 驚き戸惑う俺の前に、万事控えめに振舞っていたマネージャーさんなる人物が俺の前に姿をあらわした。おっさんだ。ぼさっとした髪、背は高いけれど恰好はよくない。


「私のマネージャーさんなんだけど、偶然、同じ名字で。田舎娘だった私を根気よく指導してくれて。アイドルは楽しかったけど、これからは家庭の妻でいたい。明日のライブで発表するつもり。芸能界は引退します」


 一年ぶりの再会だったのに、あいつと俺は乾いた会話を交わすだけしかできなかった。

 俺と『名字さん』の仲だったことが、今のあいつの力になったことは素直に嬉しいけれど、そっちの道へ進むとは。


 人前なので、あいつはマネージャーなる佐藤氏とは距離を保っているけれど、目と目で合図すること複数回。見ていられなかった。

 ……去年、告白できていたらこんな結末にはならなかったのに。


 俺を慰めてくれるのは、夜空の星だけだった。

 浅い春の、冷たい風に包まれて歩いて帰る俺。


(了)





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