出会って、別れて、泣いてしまう

川木

出会って、別れて、泣いてしまう

 出合いがあるから別れがある。なんてことを言ったのが誰かは知らないけど、まさにその通りだと私が実感したのは小学五年生の時だ。

 家族が死んでしまった。お墓参りに行く予定だったけど、私だけ体調が悪かったので残った。それはよかったのか悪かったのか、私に判断がつかない。だけどとにかく私以外のみんな、両親と兄の三人でお墓参りに向かい、事故に遭って死んだ。

 私は泣いて泣いて泣いて、泣きながら誓った。


 こんなにも辛い思いをもう二度としたくない。大切な人をつくるから、人と出会ってしまうから、別れがきて、別れが辛いのだ。

 ならもう、誰とも出会いたくない。誰とも仲良くなりたくない。誰のことも大切に思いたくない。

 私は一人で生きるんだ。そう決めた。


 祖母に引き取られた私は出来るだけ心を閉ざした。それでも、やっぱり血の繋がった祖母のことは邪険にはできなくて、私が社会人になる前に死んでしまった時は、やっぱりまた泣いてしまった。

 だけどそれでも、もうこれで終わりなのだと少し楽になった。祖母が死んだのは悲しかったけど、私が死ぬまで生きててもらうなんてどうせ無理だったのだから。いつか訪れる苦しみが今だっただけだ。

 そしてもう、二度とこんな苦しみはない。自分をそう慰めて、私は生きてきた。


 この世にひとりぼっちになった私は、気楽に生きていた。


「だから、悪いけど友達にもなれない」

「……明(あき)さんは間違ってます」


 会社の同僚である真野祈(まのいのり)さんは、私の長い自分語りをそうぶった切った。


「私が嫌いなら、それでもいいです。でも、ひとりぼっちになんてどうやったってなれません。出会わずに生きていくなんて、不可能です。だって、実際に私と出会ってるじゃないですか」

「それはさすがに、親しくならなければ、傷つかない程度になら仕方ないけど」

「じゃあ聞きますけど、私が今、この店を飛び出して事故にあって死んだとして、ほんの少しも悲しくなりませんか? 傷つきませんか?」


 めちゃくちゃだ。そもそも、私と彼女はただの同僚でしかない。残業の後の食事も断ったのに、強引に連れてきて、一方的に告白してきて、友達すら断ったらしつこく理由を聞いてきて、だから説明したのに。

 だけど自分でもわかっている。そんなめちゃくちゃな彼女ですら、私は死んだら悲しくなってしまう。去年、仕事での取引相手で電話ですら直接離したことがない、ただ間接的に名前を知っている、それだけの相手でも亡くなったと聞いてとてもショックを受けた。そんな自分に、自分でも驚いた。

 私は弱すぎる。でもだからこそ、親しい人をつくりたくないのだ。自分を守って何が悪い。私は私が可愛いから、傷つきたくないのだ。


「悲しいよ、だから、これ以上悲しくならないよう、仲良くなりたくないの」

「それが間違ってるんです。別れに傷つくのは当たり前ですけど、それがすっごく苦しいのは、他にないからです。生きていたって友人と疎遠になったり恋人同士だって別れるのは珍しいことなんかじゃありません。どうせ辛いんです、だからこそ、たくさんの人と仲良くなってたくさん楽しんで、誰かと別れても平気なように備えるべきなんです」

「め、めちゃくちゃだよ」

「そんなことありません。それに、ずっと一人で生きているより一緒の方が絶対楽しいです。私が、あなたを幸せにします。だから一緒にいてください」

「えぇ……ほんとに、やめてほしいんだけど」

「いいえ! やめません!」


 言いたいことはわかったけど、それは彼女の理屈だ。たくさん傷つけばなれるのかもしれない。唯一無二の家族はもういないのだから、友人ならたくさんいれば一人二人死んだって、あれほど傷つかないのかもしれない。

 だけどそんなのわからないではないか。何回傷ついてもなれなくて、何度だってまた昔みたいに、もう死んでしまいたいと思うくらい悲しくて辛くなるのかもしれないではないか。


 なのに、祈さんはやめなかった。


「おはようございます! 今日もいい天気ですね」

「お昼、いっつもお弁当つくってますよね。私もお弁当にしてきました。一緒に食べましょう」

「お疲れ様でーす。帰りましょうか」


 会社にいる時も行き帰りも強引に私に可能な限り付きまとった。元々私は押しが弱い。強引に背を押されると従ってしまう。まして好意を示されて嫌な気分ではない。


「お、おはよう。そうだね」

「……よかったら、教えようか?」

「お疲れ様。帰ろっか」


 結局、私は祈さんを好きになってしまった。この人が死んだら、絶対に泣いてしまうってくらいに。もうそうなれば、これ以上祈さんを拒否したって意味がない。彼女の言う通り、できるだけ楽しんだ方がましだ。


 彼女が告白してきて、三か月もたてば私は祈さんと一緒に過ごすことが当たり前になっていた。

 一度夕食時に酔っ払った私を心配して家まで送ってもらってから、当然の様に一方的に何時に行くと宣言して家に押しかけてくるようになった祈りさんは今日も私の家にいて、だけど私もそれが当然みたいに思えて、おかしくって笑ってしまった。


「ん? どうしました? 今のシーンそんなに面白いですか?」


 祈さんお勧めで借りてきてくれて画面から流れる海外ドラマは、私にはまだ人物の区別がうまくついてなくて、よくわからない。だけど祈さんと一緒に見るならと、私は当たり前みたいに見ていたし、家に訪ねると宣言された時も普通にOKの返事をしていた。

 もうとっくに、手遅れだったと自覚して、祈さんに申し訳なくなった。


 だから今更だけど、ちゃんとお礼を言いたくなった。間違いなく、祈さんが来てくれるより前より、私は楽しい日々を過ごしているから。


「祈さん……その、今まで冷たくしてごめんね。今更だけどこれからも、仲良くして、ね?」

「え? えっ、いいの!? 嬉しい! 明さん大好き!」

「ん!?」


 ぱっと笑顔になった祈さんに隣から抱き着かれ、普通にキスされた。いや、そう言うことではなかったのだけど、まあ、そう言うことになってしまった。

 確かに元々は告白されていて、とっくに友人みたいになっていたのに改めて言うから勘違いさせたのは私のせいもある。それに、その、キスをされて抱きしめられて、嬉しそうにされて、私もまんざらではなかったと、後から自覚させられてしまったから。


 だけどどうしても疑問が残る。そもそも親しくなかったのに告白してきたのも、自分勝手な理屈で友人すら拒絶したのに諦めなかったのも、不思議で仕方ない。

 そんな風にされる付き合いではなかったし、私にそんな価値があるとも思わない。だから恋人となってしばらくして、祈さんが当たり前みたいに私の家にお泊り用品を置いていくようになってから勇気をだして尋ねてみた。


「ねぇ……そもそも、どうして私だったの? 私なんて、めんどくさくて、自己中で、冷たい人間だよ」

「本気で言ってます? ただの同僚の私に、当たり前に手を差し伸べてくれて、困っている時いつも優しくしてくれたじゃないですか。もちろん、誰にでもそうしてたのは知ってますけど。誰だって、あなたを好きにならずにいられませんよ」

「…………いや、ほんとに困ってるみたいだから、手伝ったりした記憶しかないんだけど」


 ものすごい言われようだけど、大したことをした覚えはない。忘れ物をして困ってそうだから声をかけたり、追い込まれて一人で残業をするみたいだから手伝ったり、本当にちょっとしたことだ。

 誰だってそのくらいはするはずだ。少なくとも私はそうされてきたし、そうしてきた。仲良くなりたくはないけど、嫌われたいわけじゃないし、社会人として最低限のやり取りはしなければならないから。


 だけどどうやら祈さんにとってはそうではないみたいで、呆れた顔をされた。


「はぁ……明さんは優しすぎるんです。だから、悲しいことに、傷つきすぎてしまうんです。自己中なんかじゃなくて、まして、冷たいことなんてありません。だって、いつだって私を本気で拒絶したこともないじゃないですか」

「……」


 あの、いや、普通に本気で拒絶はしていたのだけど。だから普通に今まで、祈さん以外は友人も作らないことに成功していたし。


「いいですか? 別れはありますし、辛いですけど、出会いを恐れないでください。だってそのおかげで、私たちは出会えたし、今、幸せでしょう?」

「……うん、そうだね」


 とても幸せだった。だけどそれも、長くは続かなかった。


 ある日、突然祈さんから別れを切り出された。携帯でそう告げられ、連絡を拒否された。翌日会社で捕まえようとしたら、数日前に退社していることを知らされた。部署移動していたので気が付かなかった。


「……ふざけるなよ」


 私は、泣かなかった。突然の別れは、涙ではなく、私に怒りをもたらした。

 すぐに方々に問い合わせた。人と深く接したくないなんて言っている場合ではなかった。祈さんと親しかった同僚、隣の席の人、近所の人、一緒にいる時に声をかけてきた知り合いの人、色んな人を探して自分から声をかけた。同時に興信所にも依頼した。そうしたら、そう時間はかからず祈さんは見つかった。

 彼女を訪ねた私に、祈さんは少し驚いて、それから笑った。


「明さんは、やっぱり優しくて、泣き虫ですね」


 祈さんは病気だった。私より年下だから、死ぬまで一緒にいるって言ったくせに。

 久しぶりに顔をあわせたのに、顔が見えないくらい、涙があふれた。ベッド脇になんとか座っても、声がだせない。そんな情けない私を、祈さんはよしよしと慰めてくれた。


「ごめんなさい。嫌いなんて嘘ついて。でも、さすがに私まで死別しちゃったら、明さん、今度こそ立ち直れないかなって、思うじゃないですか……私は明さんに、誰かといる喜びを教えたかったのに」

「馬鹿……思い上がりも、はなはだしいっ。私は、祈さんがいなくたって平気だし、祈さんがいなくなったって、もう……一人になんかならない!」


 悲しみの上に、怒りがあった。自分自身への怒り。祈さんが私に黙って一人で死のうとしたのは、私のせいだ。私が弱かったから。

 だから、強くならなければならない。私は怒りのままそう吠えた。


「……そうだったら、嬉しいです」


 祈さんは寂しそうに笑った。

 私はそれから彼女に付き添った。彼女を安心させる為、会社の人達もお見舞いに一度連れてきた。安心したと言うと同時に、嫉妬してしまって謝る祈さんに、私は抱きしめて愛を伝える事しかできなかった。


「明さん……愛してます。愛してるから、私のことは、忘れてください。そして、他の誰かを愛してください」

「馬鹿にしないで。私は祈さんを忘れないし、ずっと愛し続けるし、それでいて、他の誰かも愛するよ」


 私は祈さんの手をとってそう約束する。


「もう、出会ったことをなかったことにはしない。別れても、心まで別れない。祈さんが教えてくれたように、出会いを恐れないで、幸せになるから。だから、安心して」


 そう言えば、祈さんは微笑んでくれた。それが最後の会話になった。それから碌に会話ができないくらい、祈さんは悪くなって、そして亡くなった。

 あんなに覚悟して、準備して、それでも泣いた。心がつらくて、胸が苦しくて、それでも、死にたいとは思わなかった。


「祈りさん、行ってきます」


 私は毎日、祈さんの写真に声をかけて家をでる。もう二度と、出会うことを恐れないように、出会えた幸福を忘れないように。


「おはようございます」

「おはよう、昨日も言ったけど今日から入る新人だ。先に紹介しよう。彼女が君の教育係だよ」

「は、初めまして! 井上栄子です!」


 会社に行くと、初々しい女の子がそう緊張で赤くなりながら頭を下げた。


「初めまして。足立明です。これからよろしくね」

「は、はい!」


 また、新しい出会いがある。この子と私はどんな関係になるだろう。ただの先輩と後輩か、それとも友人にだってなれるのか。

 わからないけど、どうなったって、きっと一人きりの時よりにぎやかになるに違いない。


「あ、明さん。ちょっと、いいかな?」

「あ、先輩。どうしました?」

「んー、あの、さ。よかったら、お昼、一緒に食べない?」

「あー、ずるい! 私も行きたいでーす」

「ちょっと、私が誘ったんだけど!」

「えっと、誘ってくれて、ありがとうございます。是非、ご一緒させてください」

「あ、うん!」


 祈さんの生きられなかった明日を、出会いと幸福に満ちた明日を、私は生きていく。

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