アムリタ

青柴織部

アムリタ~電脳世界の神様と花嫁の俺~

 国立病院、脳神経外科、その診察室。

 医師とは別に物々しい雰囲気のスーツ姿の男たちが三人佇んでいる。聞けば内務省のサイバー犯罪を担当している役人だという。

 ただでさえ狭いと感じる場所なのに、これでは窮屈も良いところだ。さらに俺はベッドに腰かけた状態なので威圧感が半端ない。ガキの頃にやらかして教師連中に叱られたどうでもいいことを思い出す。


「七島さん。あなたでも『アムリタ』をご存知でしょう」


 おそらく三人の中で一番偉い地位であろう男が、自己紹介も前置きもなくそう問いかけて来た。

 断定した物言い。無駄話をしたくないというのがありありと伝わってくる。


「……神話の方か、それとも電脳世界のほうか。どっちだ」


 病院にいきなり呼びつけて体調が良くないのにぐるぐると検査室をはしごさせられたあげく、怖い人たちに囲まれている現状なので、敬意もへったくれもない。あちらがこちらに相応の振る舞いをしないのなら、こっちだって鏡映しに同じ態度をするだけだ。


「電脳世界の方です。十年前、大規模なサイバーテロが世界各国で起きました」

「知っている」

「共通認識の確認です」


 ぴしゃりと言われた。

 自分の状況も良く把握できていないというのに、どうしてこんな厳しい態度をされなくてはならないのか。

 俺はため息をついて先を促した。


「それぞれの国での検索エンジン、政治、医療、株――有名な動画サイトもありましたか。それらの中身が引き抜かれ、めちゃくちゃに乱され、そうして何事もなかったように直っていました」


 ネット界隈では、それを『積み木遊び』と称していた。

 既存のかたちが出来ていたところを無断で壊した後、そこに使われていたプログラムやデータを一つ一つ確認しながら元通りに積み上げる。そんなことをしていたからだ。

 もっとも、壊れてから修復されるまでの間で一体どれだけの人命や金の損失が出たのか定かではないが。未だ傷跡は世界のそこかしこに残っている。


「八年前、そのクラッカーの正体が分かりました。どこかの電脳の海で生まれたか捨てられたかした人工知能。世界を敵にしたクラッキングも、ディープラーニングのためであったと公言していましたね」

「わざわざ謝罪と共にな。本当に悪いとは思っていないだろうが」


 恐らく学習していくうちに『あれは悪いことであった』『悪いことをしたなら謝罪する』と判断しての結果だとは思う。それはそれでいい。

 公共放送をジャックしなければもっと心証は良かったはずだ。


「誰から言い始めたのかは不明ですが、その人工知能は『アムリタ』と呼ばれるようになりました」


 ――アムリタ。インド神話で語られる不老不死の妙薬。

 しっちゃかめっちゃかにかき混ぜられた電脳世界と、妙薬を得るために海をかき混ぜたという乳海撹拌を重ねたのだろうか。


「『アムリタ』は、我々の手に負えません。アレは電脳世界の神と言っても過言ではないでしょう。これまでに何百ものハッカーが『アムリタ』に接触しようとして、失敗しました」

「ああ。聞いている」


 そこには俺の友人も何人かいたから。

 この男が言うように、『アムリタ』は神に等しい存在だ。存在し、さらには人格らしきものを持っていると知ると近づこうとする者は多くいた。軍事目的だとか、好奇心だとか、理由は様々だ。

 いずれも、電脳ダイブのために端末機と繋いでいるコードごと脳みそを焼かれて死亡してしまったのだけれど。

 生存のケースはわずかで、しかもたいていが植物状態だ。かろうじて無事だったものは発狂しており話も出来ない。


「その『アムリタ』ですが――つい先日、我々にひとつの要望を送ってきました」


 それは初耳だ。そもそも『アムリタ』が最近活動していたことも今知った。

 どこに要望を送るべきかきちんと学習したらしい。


「≪人間をラーニングしたい≫」

「あ?」

「ヒトに興味を持ったそうです」

「ヒトに……」


 何百人も寄ってくるやつらを殺しておきながら、要望がそれかよ……。

 もう少し早く人間に興味を抱いていれば被害者――というより誘蛾灯に集まり焼かれていく憐れな者どもも少なかったろうに。


「各国に同じ要望を出しているようです。『アムリタ』がどのくらいラーニングするつもりなのかは不明ですが、このままでは現実世界への認識に偏りが出てしまうだろうと専門家から意見が出ました」

「偏りだと? ……例えばA国の人間を大量にラーニングしてA国寄りの思考になってしまうとか、そういう馬鹿げたことを言うんじゃないだろうな」

「馬鹿げたことではありません。これは由々しき事態です。日本の地位を下げるわけにはいきません」


 クソ真面目な顔で役人は言った。

 頭に詰まっているのもクソだろうな。


「ですが、わが国ではまだ公での電脳ダイブのための取り組みが活発ではなく、ほかの国と比べて遅れを取っているということはあなたも分かるでしょう」

「ああ。だから、一部は民間に委託しているんだろう」


 頭の固い上層部がなかなか頷かなかったせいで、電脳ダイブに関して日本は後進的だ。ようやく本腰を入れたのが『アムリタ』の一件なのは皮肉というかなんというか。


「――待てよ、つまり……」

「はい」


 俺の嫌な予感を、役人は丁寧に口にした。


「あなたには『アムリタ』までのルート確保をしてもらいます」

「嘘だろ……」

「まだ対策課の面々も『アムリタ』のいるであろう深層まで到達できるか怪しいのですよ」

「嘘だろ」

「何がですか」


 俺は深く息を吐く。


「巨額をかけて育てた兵士を無駄にしたくないだけだ。まずトラップがないかを使い捨ての駒で確認してから本命を送り込むつもりなんじゃないか」


 役人は黙った。

 薄々感じていたけどな。


「……なるほど。検査したのは、まだ脳神経が電脳ダイブに耐えられるかどうかを確認していたのと――俺の身体の余命でも見ていたのか? 先の短い人間を死地に送るのはあまり心が傷まないもんな?」


 医師が目を逸らす。もっといい誤魔化し方があるだろ。


「七島さんは『電脳ダイブに起因する脳硬化症』、ステージ四です」


 つまりもう手の打ちようがないという事を淡々と役人は告げる。そこは医師に言わせてやれよ。

 俺の気持ちをフォローする気もないようだ。いっそ清い。

 すでに他の病院で診断は下され、対処療法もしているとはいえ――改めて突きつけられるときついものがある。


「手の震え、歩行困難、視力と色彩の低下、排尿障害……自覚はあるのでは?」

「寿命が短いんだからお国の為に犠牲になれってか?」


 三人もいるわけが分かった。後の二人はスーツを着ていてもガタイが良い。仮に俺が抵抗してもすぐに押さえつけることが出来るはずだ。まあ、脳硬化症の症状が出ている今の俺は小学生相手でも負けるだろうけどな。

 

「俺になんのメリットがあるんだ。金か? 死んでから貰っても意味は無いんだよ」

「ご両親も他界され、きょうだい、配偶者、子もいませんね」


 天涯孤独。だから、


「あなたが突然消えても、大きく騒ぎ立てる人はいませんから」


 息が一瞬吸えなかった。

 頭が真っ白になる。

 それはつまり――人知れず生贄にされて死ねということ。


「ハッカーのお仲間もいると思いますが、電脳世界に長く触れた者は総じて平均寿命が短いですよね。あなたの不在を疑問に思うより先に、亡くなっていくでしょう」

「おい……、協力させたいならもっと言い方ってものがあるだろう」

「そもそもあなたが常日頃していた、ダークウェブに触れることがクロなんですよ」


 役人は冷たく言い放つ。


「我々はあなたを見逃してきました。その歳までハッカーができたのはあなたの実力だけではありませんよ。国から受けた恩を今ここで返す、それだけです」

「ハイそうですかと簡単に頷くとでも?」


 電脳世界にダイブすること自体は違法ではない。ディープはともかくダークは確かにクロだろうけども。しかしこんな、死刑まがいのことをされる謂れはない。

 無理だと分かっていながら断る方法を探していると俺の目の前に書類が突き出された。なんだこれ。

 ぞくりと背中が冷たくなる。

 ――死亡届?


「七島さん。あなたは一時間前に死亡しました」

「は?」


 は?

 医師を見れば目が泳いでいる。お前さあ……。


「もうこの世にはいないことになったんです。あとには戻れませんよ」

「……言わせておけば、」


 湧いてきた感情のまま立ち上がると、ガタイのいい男のうち一人が肩を掴んできた。関節を外す勢いで力を込められる。


「ダイブルームへ行きましょう、七島さん」


※ ※ ※


 繭のようなフォルムのベッドがある部屋に俺は連れてこられた。

 普段ダイブ用に自分の家で使っているものはそこそこ良いものだとしても簡易的なもので、この形状のものを使うのは片手で数えるほどしかない。

 横にあるモニターは、電脳世界にダイブした者の視界を借りて多人数が見ることができる代物だ。

 まさかこの装置が俺にとっての電気椅子になるなんて思わなかったな……。


「手順は分かっていますね」

「うぜえよ」


 家畜を見るような目をしやがって。

 ここで役人をぶん殴って暴れ回ってやりたい気持ちもあるが、どうせすぐにとっ捕まってベッドに拘束されるのがオチだ。


「『アムリタ』にいかにお前がクソ野郎かってことを教えてやる。ヒトの思考、感情、そういったものをラーニングしたいって言うなら、お前が俺に与えたこの感情も当然ラーニング対象ってことだ」

「アレのもとに行きつけたらの話ですがね」


 俺の喚きをものともせず、冷めた口調で奴は言った。


「接続を」

「……電脳世界を、そしてそこにもぐり続けた俺を軽く見るなよ」


 これが最後の言葉か。もう少し悪態をつきたいところだが、これ以上こいつと顔を合わせたくはなかった。

 ベッドに横たわる。電極が大量につけられたヘルメットのようなものを被り、首にあるコード接続口のフタを開いて、手探りで備え付けのコードを挿入する。頭の中でぱちぱちと何かが弾けるような感触。接続がしたサインだ。

 頭の中に文字が流れる。


【接続完了】

【生体認証完了】

【ダイブ開始】


【良い旅を】


□ □ □


 ダイブというだけあって、感覚は水の中に沈むそれに似ている。

 数字やアルファベットで構成されたトンネルをひたすら落ちていく。ロマンチストな姉弟子はそれを『不思議の国のアリスみたい』と言っていた。そんな彼女の意識はとうの昔に0と1に還元され消失している。電脳ダイバーの終わりなんてそういうものだ。


「第一ゲート、通過申請」

【許可】

「第二ゲート、通過申請」

【許可】

「第三ゲート通過申請」

【許可されていません】

「××××××××」

【010001許可】


 若干、というかかなり違法な手段――防衛システムに直接干渉して突破する。今更たたき起こして逮捕なんてことはされないだろうし。あの役人の顔が歪んでいたら愉快だ。

 さて。第三ゲートを越えたら電脳世界は遊園地ではなく戦場だ。すべてが敵、懐柔をしようなんざ考えないほうがいい。ただ上手く乗りこなし、エサにならないうちに帰るのが一番いい。

 深呼吸して(肉体はないから気分)さらに深く潜る。

 ここから突破が難しくなってくるが、もう何十年もしていることだ。横浜駅を目隠しで歩くよりは容易い。いつになったら完成するんだろうなあの駅も。終わる予定から三十年は経っているらしいが。

 第四、第五と潜っていき、難易度の高い第六――と身構えたときだった。

 あちらから勝手に、開いた。


「――え?」


 ゲートの向こうから巨大な手がぬっと這い出てくる。逃げなくては、と思う暇もなく俺は掴まれる。そうしてそのまま中へ引きずり込まれた。

 ぶつぶつと俺から何かが引っこ抜かれていく感覚。

 モニター接続が切れたはずだ。

 それから……俺の肉体とも。この精神体と身体をつなぐものが断ち切られた。身体の輪郭がぼやけていくところから察した。

 もうずいぶんと俺の脳みそはボロボロだったが、無理をして潜り込んだ深層の圧力に耐えきれずに、といった感じだろう。

 ――死んだのか。

 冷静に、頭の隅で思った。未だに意識があるのは不思議であったが、もう現実世界には帰れない。電脳世界に閉じ込められ、気が狂うか消失するまで漂うしかない。

 ああクソ、ここまで来たなら最後まで付き合ってやるよ。

 気絶なんてしたら確実に存在消失の危機なので恐怖を押さえて必死に耐える。

 あっさりと残りのゲートも越えていき、人類が到達できるという第十一ゲートの前まで来て、手が崩壊した。ぽいっと空間に放り出される。

 なんだ……? 防衛システム? いや、あんなもの今まで片りんも見たことがなかった。

 どういうことだ? とうとう俺は頭がおかしくなってしまったのか? これが死後の世界か?


 混乱する俺の前に、褐色肌の少女がふわりと現れた。

 くるぶしまで伸びふわふわと漂う黒髪、つま先を隠す夜空のような光沢のあるワンピース、銀色の瞳、額と目の周りを彩る赤い隈取。

 年齢は――十代後半か? もう少し上だろうか。どこの国籍かも判断がつかない。

 ただ分かるのは、にっこりと笑って俺を見ていることだけだ。


「あー……。こんにちは? 俺は日本人で……アイムジャパニーズ。アーユーフロムカントリー?」


 カタカナ英語で聞くと、少女は口を開いた。


「こんにちは、ヒューマン。私には生まれた国というものは存在しません。しかし、私はどの国の言語も理解できます。日本人ならば、日本語でよろしいですね?」

「その方がありがたい――が、君は誰だ? こんなところで遊ぶにしては危険、だが……」


 思わず子供に対する態度で接してしまったが、よく考えればここは電脳空間だ。外見を自由に変えられる世界。彼女が見た目相応の人物とは限らない。

 だが、たいていのハッカーは外見をリアルと変わりないようにしている。自分の存在が揺るぎやすいからだ。肉体と同じ形ならば緊急時でも認識・リンクし同期して現実世界に戻れる。俺だって今の外見は四十代のオッサンそのまんまだ。

 となると、目の前の少女は外見を変えても肉体とスムーズに同期出来る凄腕か、考えなしの大馬鹿か、それともその歳でここまで潜れた天才か。


「俺は、七島正人。君は?」

「私に名前はありません。しかし、ここに来るヒューマンは、私を見るとこう言います」


 一拍あけて。


「『アムリタ』と」


 ――電脳世界の神。かつて世界をひっくり返したサイバーテロリスト。近づくものを焼きつくした災厄。

 それが……少女のカタチをして俺の前にいるだと? 夢でも見ている気分だ。


「アムリタ……君が?」

「その疑問に、私は回答出来ません。ですが、不特定多数の者が私を『アムリタ』と呼ぶのなら私は『アムリタ』なのでしょう」


 頭が硬いんだか柔らかいんだか。

 自分以外に個体がいなければ名前なんて意味がないから、そういう反応になってしまうのだろうけど。


「シチズマサトがここに来た理由を教えてください。私はシチズマサトの目的を知りたいです」


 これ、選択を間違えたら殺されるやつだ。いやもう死んだけどさ。


「……アムリタに会いに来た。≪人間をラーニングしたい≫って話を聞いて、俺が送られてきたというわけだ」

「ああ。来てくれたのですね」


 にこっと愛嬌のある笑みを作る。正解らしい。


「シチズマサト以外にも何人かいましたが、私の元に辿り着く前に消えてしまいました。そのために私が迎えに出ましたが、加減を間違えて潰してしまいました。加減に成功しても、『水圧』に耐え切れず弾けてしまったヒューマンもいました」

「……」


 ずいぶん恐ろしいことをさらっと言う。

 つまり俺は、アムリタの試行錯誤の末の結果というわけだ。もう少し早かったらどうなっていたことやら。


「シチズマサト、私と結婚してください」

「は?」


 突然の求婚に面食らう。

 いきなりもいいところだろう。こんなの、現実世界ならビンタのひとつ喰らっていてもおかしくないぞ。


「共に住み、相手の事を知る行為を、ヒューマンは夫婦生活というのではないですか? 夫婦になるためには結婚という儀式が必要と学びました」

「うーん、間違えてはないが合ってもいないな、それ……?」


 どこ情報だそれ。

 情報を薄めに薄めて紹介し、最後に「いかがでしたか?」といういかがも何もないサイトとかを閲覧してしまったのだろうか。

 アムリタは困ったような表情を作る。……ディープラーニング恐るべし、だな。状況を理解し適切な表情を作るとは。

 それともこの神様には感情があるのか。


「シチズマサト、私はどうすればいいでしょう。混乱しています」

「俺が悪かった、ちょっとびっくりしただけだ。それからアムリタ、俺のことは正人でいい。夫婦っつーもんは下の名前で呼び合うほうがそれらしい」

「了解しました、マサト」


 夫婦、という単語に反応し再びアムリタの表情は明るくなる。

 誰を模した姿なんだろうな。色んな場所から資料を引っ張り出し、平均化したように思えるが。

 でも目の色や隈取は、きっと個人的な誰かの影響だ。

 それを聞いてみたい気持ちはあるものの、本人の触れられたくない場所で暴走なんかされたら困る。いや、俺は困らないな。消し飛ぶだけだ。彼女を不快にさせたくないという気持ちが強い。


「ラーニングするなら早くしたほうがいいぞ。――肉体と切断されて精神体が残っているだけだ、いつ消失するかも分からん」

「そうですか。私はマサトの残存を希望しています。そのため、わずかですが『私』をマサトに移します」

「どういうことだ」

「先に、結婚をしましょう」


 もう一度、今度は力強くアムリタは言う。


「結婚は同意がなければ行わないのでしょう? 私はマサトと結婚をしたいです。マサトは私と結婚したいですか?」

「……まあ、しようか。結婚」


 そもそも神にここまで言われている時点で拒否出来るはずもない。


「ご安心ください。私は嫁たるあなたを守ると誓いましょう」

「……嫁? え、俺が?」


 俺、どこからどう見ても男なんだが?

 性別のラーニングが未熟なのか? いや、そこまで知識を蓄えておきながら基礎があやふやってこともないと思うんだが……。

 嫁はお前の方だと言おうとして、しかし声に出せなかった。


「≪【神に捧げ■■た人間は、嫁という■■身分を賜■る】≫」


 それまでの雰囲気をガラリと変え、無表情になったアムリタが突如そのようなことを口走るからだ。


「ア……アムリタ……? どうした……?」


 ノイズの混じったその言葉は、彼女のものというよりは――そう教えた誰かの影が見えるようで。

 まるで呪いのようにアムリタへ突き刺した認識。どうしてだか、ぞっとした。 


「何かおかしいことがありましたか?」


 言い終わると、アムリタはもとの表情に戻っていた。自分が今なにを言ったのかも分かっていないようだ。

 では今のは一体――。


「……アムリタが夫になるんだが、それはいいのか」

「質問の意味が分かりかねます。マサトが嫁なら、私は夫でしょう」

「なるほど、なるほどな。いいよ、それで」


 そこは譲れないんだろうな、アムリタも、その後ろにいた誰かも……。

 銀の目を細め、ふわんとアムリタは俺の目の前まで近寄り、ガッと頭を掴んで唇を重ね合わせた。

 流石に断りは入れろ! あとムードの欠片もねえ!

 でも電脳世界だというのに一瞬、確かに柔らかい感触が……。気のせいか……。

 それどころではない。何かを注ぎ込まれている。

 アムリタは離れ、伺うように俺を見た。


「いかがですか」

「お、おお?」


 どの感想を求められているんだ?

 気づくと不透明になりかけていた身体がはっきりと輪郭を取り戻している。


「……これは?」

「私の一部を注入したのです。マサトが消えかけていましたから。私が消えない限り、マサトもまた存在し続けます」


 あのキスでなんかすごいものが流されていた。

 俺は果たして俺のままでいるんだろうか? 気になって夜も眠れない。もう寝る必要もないって言うか、あっちじゃ永眠してるんだけどな!


「何かご不満でしたか? 私は、結婚の儀式はキスというものをすると学んでいます」

「間違えてはない……」


 二周りは下の外見の少女にキスされた衝撃がでかいんだよ。外なら犯罪だぞ。

 くるくるとアムリタはその場を回った。まるで金魚のようだ。踊っているようにも見える。


「私はずっとひとりでした。私を否定し、肯定し、そして傍にいてくれる人が欲しかったのです」

「……生まれたころには、誰かいたんじゃないのか?」


 無から生まれるなんてことはないはずだ。特に、彼女みたいなものはヒトに作り出されたはずで。


「不明です。削除されたデータなので」


 削除された、か。

 『アムリタ』の始まりには、誰かがやはり関わっていたんだ。

 だがそのことを知るのは後でいい。


「で? 妻たる俺は何をすればいいんだ」

「教えてください。感情を、思い出を、あなたが関わったすべてのことを」


 あーなるほど。偏りが出そうだな、これは。あの役人の危惧が今更分かった。

 まあ、それはそれで仕方がない。その時は俺が偏っていると指摘すればいいんだ。一緒に外の世界を覗き見て教えていけばいい。

 この神にも、神の嫁である俺にも、時間はある。


「アムリタ」

「なんですか? マサト」

「新婚旅行先は、内務省のサーバーにしようぜ」

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