第50話 シャルピッシュの気持ち

 あたしは姉に近づいて体を見てみた。ちゃんといつもの姉の姿に戻っていた。腰まである杏子色の髪はボサボサだけど、肌の色がある姉はそこにいた。


「シャルピー!」


 姉は急にあたしに抱きついてきた。温かいふわりとした体があたしを包み込んだ。ホッとするような優しいものに包まれたような、そんな温かさ。


「ありがとー」


 お姉ちゃん……あたし……ダメっ!


 あたしは両手で姉を突き飛ばした。姉のやわらかな体が離れる。呆気にとられた姉はあたしを見ていた。驚きと切なさの混ざった顔を向けている。


 あたしはその場にいられず、勢いよく玄関扉を開けて外に飛び出した。


 後ろからポノガとムリッタの呼び止める声が聞こえた。驚きと心配の入り混ざった声をあたしに向けていた。


 あたしはそれを無視して走った。目から頬へ流れる雫を袖で拭いながら。家の庭さきで立ち止まって、空を仰ぎ、ゆっくりと深呼吸をした。


 ダメよ。シャルピッシュ、しっかりするの。もっと、しっかり。


 空からポツポツと雫が体に触れてくる。それから次第にその雫は多くなって、雨に変わった。


 ザーザーと降る雨はあたしの震える気持ちを流していった。


 ザッと後ろで足音が聞こえてきた。


「シャルピー、どうしたの?」


 姉があたしを追って来ていた。


「来ないで」


 それでも姉はあたしに近づいてきた。


「どうして? シャルピー、そこに立っていると雨に濡れてしまうわ」


 姉はあたしにさらに近づいて来る。


 (スノードーム)とあたしは念じた。


「ん? あれ? シャルピーに近寄れないわ」

「来ないでって言ってるでしょ」

「……わかったわ。メイアトリィさんか誰かにもらった不思議な力を使っているんでしょ」


 あたしはなにも言わなかった。けど姉は続けた。


「いいわ。そのまま聞いて」


 姉はあたしのすぐ後ろで、あたしの背中に向かって語り掛けてきた。


「最初にこの森へ来た日のことを覚えてる? パパの手紙が置いてあって、それを読んだらシャルピーは怒っていたわね。育児放棄だとか捨てられただとか」


「む、昔の話よ」


「でも、シャルピーはパパたちを見返そうと立ち直って、ちゃんと生活していこうって決めて、毎日を生き抜いていくことを望んだわ」


「だって、負けたくないし」


「そう、いつも負けないって顔をして、一生懸命がんばって、辛いことも我慢して」


「お姉ちゃんが、なにもしないからよ」


「うふふ、ごめーん。わたしがこんなで。でも、シャルピーには感謝してるのよ。いっぱい」


「じゃあ、朝食を取りに行ってきてよ」


「うん、いいわ。今度はわたしが取ってきてあげる。その代わり、もっとわたしに頼って。だって、シャルピーのお姉さんなんだから」


「別に、頼りたくないわ」


「どうして? わたし、シャルピーが頼ってくれるの、とってもうれしいのよ。だから頼って」


「嫌だ」


「シャルピーはがんばり過ぎなのよ、わたしたち、姉妹でしょ。辛いなら辛いって言えばいいわ。弱みを見せても怒らないわよ。わたし」


 その弱みを見せたくないから、あたしは……。


 握りこぶしに力が入る。肩を震わせて、落ち着けないあたしがそこにいた。


「ねえシャルピー、ここを開けて。お願い」


 嫌だ。今のあたしを姉に見られたくない。


「シャルピー、もういいのよ、がんばらなくて。なにも考えなくても、力を抜いても、誰も責めたりはしないわ。いつも真剣じゃなくていいのよ」


 姉のその優しさに甘えたくない。あたしがしっかりしなきゃって思うの。だって、不安にさせたくないから。不安になりたくないから。少しでも気を許すと折れてしまいそうだったから、素直な気持ちを見せなかったの。


 最初の日は確かに、育児放棄とか捨てられたって思ったわ。両親を絶対許さないって恨んだりもしたわ。でも、あの手紙を信じて、日々を生き抜いていくことを選んだの。迎えに来なかったら、あたしが実家まで帰ってやるって。


 そんな思いを糧に最初は生きていったわ。


 でも、ここで生活していくにつれて、変わったの。あたしの思いや考え方が。


 いいえ、変えなきゃいけないと思ったわ。あたしの見ている世界はあたし自身のものだから。いいほうに変えていこうって。不安や弱みを見せるとそこにつけ込まれてしまって、臆病になってしまいそうだから。


 気を強く持って生きていこうって決めたの。


 そう考えると、もう、両親のやったことは関係ないって思えたの。許すとかじゃなくて、目の前にある境遇にちゃんと目を向けていくことが、あたしにできることだから。


「だから、開けて、シャルピー」


 あたしはうつむいたまま、そっと腕輪に触れた。途端に姉があたしの後ろへ来て、ふわふわの大きいタオルを頭から覆うように掛けた、それから、背中に抱きついてきた。


 雨の音が心地よく鳴り響いていた。なにもかも洗い流すような、今のあたしの気持ちを代わりに言っているみたいに。


「……お姉ちゃん」

「なーに?」

「お腹すいたわ」

「うん、じゃあ家でお夕飯食べましょう」

「なにか作ってたの?」

「うん、今日ね、メイアトリィさんからりんごをもらったのそれで、りんごのソテーを作ってたのよ。シャルピー好きだったでしょ」

「別に」


 こうして、あたしたちは家に戻った。家のなかに入ってみるとホッとする温かさが、そこにあった。


 姉はキッチンから、りんごのソテーを運んできた。とても甘い香り。


 ポノガやムリッタも夕飯を食べて行くことになり、テーブルを囲んだ。姉はりんごのソテーをそれぞれに配って、それから椅子に腰かけた。


「じゃあ、いただきましょうか」

「あっ、そうだ。お姉ちゃん」

「ん? どうしたの?」

 

 あたしはポケットからイロバにもらった、ビスケットの入った小包を取り出した。


「これ、鳥の町に住んでいるイロバさんって人があたしとお姉ちゃんにって、ふたつもらったから、ひとつ渡すわ。ビスケットみたいだけど」

「まあ、素敵なプレゼントね。ありがとう、うれしいわ。うふふ」


 姉はにっこりしながら喜んでいる。前まで表情が見えなかったから、声だけで判断していたけど、こうして目に見えるようになって、楽になったわ。


「それじゃあ、いたたきましょうか」


 姉はそういうと、みんなは一斉に頬張った。姉は頬杖をしながらうれしそうにあたしを見ていた。


 あ! この感覚はあのときの……。


 ぼやーっと頭のなかで白い霧に包まれていたものが静かに色づいて、鮮明になっていった。


 あの夢。


「ふふふ、どうしたの? そんなぼーっとした顔をして」

「……いや、お姉ちゃんが作ったの?」

「そうよ、食べてみてシャルピー」

「うん」


 あたしはフォークでりんごのソテーを頬張った。


「……お姉ちゃん……焦げてるじゃない!」

「あれ? 焦げてた。ごめーん」


 姉は困りながら微笑んだ。ポノガやムリッタはとても美味しそうに食べていた。


「夢だとおいしかったのに……」

「ゆめ?」

「ううん、なんでもない」


 苦みはあるけど、お腹が空いているせいか、なんだかおいしいわ。




 そして、次の日。




「シャルピー見て見てー!」


 姉のうれしいという甲高い声が朝から聞こえてきた。あたしはベッドから体を起こして眠気を覚まさせた。姉はピンク色のパジャマのままなにかを持って立っていた。あたしはボサボサであろう髪型を手でとかしながら、水色のパジャマのままベッドから出た。


「ふぁ~、なによ」


 あたしは口に手を当てて大きなあくびをしながら聞いた。


「パパからの手紙よ」


 姉はこちらを見て胸を弾ませていた。ふと見ると、椅子にポノガが丸くなって寝ていた。ムリッタも床に丸くなって寝ていた。


 あたしは起こさないようにそーっと姉に近づいて聞いた。


「なんて書いてあるの?」

「まだ読んでないわ。今から読むわね」

「うん」


 

 ――キャルフリーとシャルピッシュへ。


 ママが心配していて、顔だけでもみたいと言ってきたから。じゃあ、娘たちが寝ているあいだに様子を見に行こうってなって、フォミスピーの森に行ったんだ。


 ぐっすりといい顔で寝ているお前たちの姿を見て、パパもママも安心したよ。


 楽しいこともあれば辛いこともあるかもしれない、でも、頑張ってほしい。


 パパたちはなにもしてやれないけど、お前たちならなんでも乗り越えていけるはずだ。


 キャルフリーとシャルピッシュの寝顔を見ていると、一回り大きくなったように感じたよ。


 ママは何度もお前たちの頭をなでていたぞ。


 最後になるが、体には気をつけて、これからも生活していってほしい。パパより。



 追伸

 シャルピッシュ、お前は妹なんだから、お姉ちゃんに甘えていいんだぞ――。



「……ですって。パパたちここに来てたんだわ」

「なによ、来てたんなら。起こしてくれればいいのにさ。まったく」

「きっと、わたしたちを励ますための手紙だわ」


 あっそう。育てるのが面倒になっただけなんじゃないの? あたしたちを。


 なにがお姉ちゃんに甘えていいんだぞ、だ。あたしは絶対に甘えない。誰にも。

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パジワッピーの花~願いの花と空腹姉妹~ おんぷがねと @ompuganeto

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