第49話 キャルフリーの行く末

 あたしはヴィヴォルのほうを向いて、そのまま進んだ。すると、あたしについていたオレンジ色に光る球体はパッと消えた。


「手に入れて来たのか?」


 ヴィヴォルがあたしに聞いてきた。


「ええ、手に入れたわよ……」


 あたしはポケットからクリスタルメサーチアを取り出して見せた。


「そいつがクリスタルメサーチアか……なんだか腹が減るな」

「そうよ、この果実は人間や動物のお腹を減らして、食をそそらせる匂いを発生させるの。自分が一番おいしいと思える匂いをね」

「なるほど、そういうことか」

「さあ、さっさとこれをヴィヴォラに届けるわよ。なかにいるわよね?」

「ああ、暇そうにしている」


 あたしたちはヴィヴォラの家の玄関扉を開けて、警戒をしながらなかに入る。そこには、ムリッタが小さなボールを咥えていた。


 ムリッタはヴィヴォラにそのボールを持って行き、彼女はそのボールをつかんで適当に放り投げていた。ムリッタは投げられたボールに駆け寄りそれを口で咥えては、ヴィヴォラのところにまた持って行く。それを繰り返していた。


「ムリッタ」


 あたしはムリッタを呼んだ。ムリッタは咥えたボールを落とすとあたしたちに駆け寄って来た。


「シャルピー、ポノガ、戻ってきてくれたんだー」

「なにやってるの? まったく」

「ムリッタ、おいらたちスゲー大変だったけど、ちゃんと取って来たぜ」

「ぼ、僕、ずーっとボールを拾っては、ヴィヴォラに届けていたんだ、もう、死ぬかと思ったさー」

「もう大丈夫よ」


 あたしたちはヴィヴォラの目の前まで行った。彼女はソファーに片肘を立てて寄り掛かり、あくびをしている。


「ムリッタ、ボールはまだか?」

「ちょっと、取ってきたわよ」


 あたしはヴィヴォラにクリスタルメサーチアを見せつけた。彼女はあたしたちを見ると、少し驚いた表情を作り、笑みを見せる。


「シャルピッシュか、よし、寄こせ」


 ヴィヴォラは手のひらを上にして、あたしに差し出した。あたしは果実をその手のひらに乗せる前に聞いた。


「本当に、姉の体を治してくれるの?」

「ああ、治してやる。だから寄こせ」


 彼女を説得させる唯一の物なのに、渡していいのかしら? でも、渡さないと動いてもらえそうにないわ。本当は渡したくないけど。仕方ないわ。


 あたしはクリスタルメサーチアをヴィヴォラの手のひらに乗せた。

 ヴィヴォラはその果実をまじまじと見ている。それから口に持っていきガリリと食べた。


「ちょっと!」


 あたしはヴィヴォラに飛び掛かろうと踏み出した。すると彼女は手のひらをあたしたちに向けて動きを止めた。


「せわしない娘だな。少し待っておれ……うん、なかなかの美味だ」


 やっと取って来たのに。これで姉を治さなかったら、絶対許さないわ。


 あたしがヴィヴォラをにらんでいると、彼女は小さなため息をひとつ吐いておもむろに立ち上がる。


「わかった、今、魔法を解いてやるから、その姉のところへ案内しろ」


 そう言って、パチンと指を鳴らすとあたしたちを止める金縛りみたいなものは消えた。


「兄、連れていけ」

「ああ」

「あ! ちょっと待って。メイアトリィのところへ寄ってくれる? お姉ちゃんまだ帰ってないかもしれないし」

「ああ、わかった」


 ヴィヴォルは空中に文字を書くと、その空間を殴った。空気の壁が割れたガラスのように崩れた。


「このさきだ」

「やれやれ、なんでわれが兄の尻拭いをしないといけないんだ」


 愚痴をこぼしながら、ヴィヴォラはそのなかに入って行った。ガリリと果実を食べる音が聞こえてくる。あたしたちもそれを追うように入った。


 フォミスピーの森に来てみると、そこはパジワッピーの花の咲いている丘だった。周りは薄暗くなっていた。空を見ると曇が覆い灰色の空になっている。


「曇り? 晴れていたはずだけど……でも、なんか暗いわね」


 あたしが言うと、ヴィヴォルは空を見ながら答えた。


「今は夕方あたりだ。向こうへ行っているあいだも、こっちの時間は経っている」

「ふうん、そう」


 丘にはハートレルとメイアトリィの姿があって、あたしたちを見ている。あたしはそこに駆け寄った。


 メイアトリィは安堵した表情であたしに言った。


「シャルピッシュ、お帰りなさい。求めるものは手に入りましたの?」

「ええ、なんとかね」

「そう、よかったですわ」


 ハートレルはなにも言わず、ただあたしを見ている。すると、あたしの後ろへ目を向けながら身構えた。


「なに者だ!」


 その眼のさきにはヴィヴォラが立っていた。彼女はハートレルをあしらうように笑みを見せながら返した。


「血気盛んな女だ、われはそこのヴィヴォルの妹だ」


 あたしは慌ててあいだに入り、それを止めた。


「ちょっと、ハートレル。彼女はあたしの姉の体を治してくれるために来たの。敵じゃないわ」

「……そうか」


 ハートレルは構えを戻しながら、ヴィヴォラを注意深く見ている。

 あたしはメイアトリィに向き直り聞いた。


「メイアトリィ、まだお姉ちゃんはいる?」

「いいえ、もうお帰りになりましたわ」

「そうなの、じゃあ帰るわ」

「ええ、気をつけて」

「あの、メイアトリィ……」

「なにかしら」


 メイアトリィは首を傾げて微笑みかける。あたしは彼女に感謝というか、湧き上がるなにかを伝えたいのに、その言葉が見つからず下を向いた。


「ううん、なんでもないわ。ペンダントありがとう」

「ええ」


 メイアトリィの温かい表情や優しさが胸のなかに伝わる。それは、あたしがなにも言わなくても伝わっているみたいに。


 あたしはヴィヴォルに目で合図をした。彼は頷くと指さきを上に向けた。


「俺に捕まれ」


 あたしたちはそれぞれヴィヴォルの体に触れた。あたしは彼の背中を、ヴィヴォラは彼の肩を、ポノガはムリッタの背中に、ムリッタはあたしの足につかまった。


「準備はいいか?」

「ええ、いいわ」

「やれやれ、兄の下等な魔法で移動しないといけないなんてな」


 ヴィヴォルは妹の愚痴を無視して、あたしたちを囲うように風の渦を作り出した。それから、雑音が消えて、体がふわっと軽くなった。


「じゃあ、行くぞ」


 そういってヴィヴォルは踏み出した。森を突っ切っていく。


「ふぁーあ、しかし、あのメイアトリィって奴は誰だ?」


 ヴィヴォラは退屈そうにあたしに聞いてきた。


「パジワッピーの花を守り育てている妖精よ」


 彼女はガリリと果実を頬張る。


「パジワッピーの花? なるほど、例の毒の花を栽培している者か」

「毒じゃないわ。幸福の花よ」


 ヴィヴォラはあたしの肩に触れてきた。


「ふーん、そうか、嘘ではなさそうだな」

「なに?」

「お前のこころを読んでやった。姉を治したいと本気で思っていることもな」

「そうよ」


 ヴィヴォラは触れただけでこころが読めるの? これじゃ、嘘なんてつけないじゃない。


 兄より強い魔法を使う妹。ヴィヴォルは以前、魔法は妖精が出していると言っていたわ。じゃあ、妖精はこころを読むこともできるってわけ?。


 まあ、なんにしても敵に回すと厄介ね。


「しかし、なんで兄は透明になるパンを作ったんだ。そんなものを作らなければこんな面倒なことをせずに済んだだろう」

「俺のこころを読んだのか、ヴィヴォラ」


 ヴィヴォラは黙ってニヤつくと兄の回答を待った。


「俺がパンに魔法を掛けたのは、そのパンを食べたやつが半透明や透明になったとき。なんでこうなったのかを考えるからだ。それで、そいつは俺から盗んだパンのことを思い出すはずだ。そして、自分の体を治すために俺のもとを訪れてくる……」


 ヴィヴォルはそこで言葉を切り、あたしたちのほうへ振り向くと話を続けた。


「そいつが俺の目の前に来て、きっとこう言うだろう。この体を治してくれと。そこで俺はこう言う、その代わりになにを俺に返すんだ? と。まあ、もともと俺しか食べられないパンだからな」


 そう言うと、また前に向き直った。


「ふーん、兄も意地が悪いな。それで弱みを握り、そいつから物を奪うっていう寸法か。それで透明になったら自分じゃ治せないから、われのところに頼みに来る。われに人助けをさせるために、そういうことか?」


「それは違うな。他人の物を盗んだ罰だ。それと、普段お前は力は抑えているが、ときどき、その力を使ってやらないと落ちると思ってな」


 他人の物を盗んだ罰? 自分だってハートレルの思い出を盗んでたくせにさ。


 単純になにかを返せばいいってことになると、わざわざ指輪をヴィヴォルのところへ持って行かなくてもよかったのかしら? あたしが森で取れる木の実なんかを持って行って、交渉すればもっと早く姉の体を治すことができたのかも。


「ねえ、ヴィヴォル」

「なんだ?」

「あたしが木の実を持って行っても姉の体を治してくれたの?」

「……さあな」


 もし、木の実との交換で姉の体を治してもらったら、あたしはギグシーブたちに追われることやハニレヴァーヌ城へ行くこともないし、ハニレヴァーヌから腕輪やメイアトリィからペンダントをもらうこともなくなる。別にそれらが欲しかったわけじゃないけど……。


 それに彷徨さまよい人の森へ行かなくていいことになる。そうなるとケモノたちに追われることも、ポヨピオン族やエネギュリ、グレスティーガに会うことも、プグラーストの背に乗って空を飛ぶこともなくなる。それがいいのか悪いのかっていうと……どうかしら。


 遠回りした分だけあたしは貴重な経験を手に入れたのかもしれないわ。


 ……って、なんであたしはそんなことを考えているのかしら。今は姉の体が治ることだけに集中するのよ、シャルピッシュ。


「着いたぞ」


 ヴィヴォルは指を上に回転させて竜巻を止めた。目の前には柵のある石造りの家があった。

 

 帰ってきたわ、あたしと姉の家に。


「ここが、お前の家か……ずいぶんと小さい家だな」


 ヴィヴォラは家を眺めながら言った。


「悪かったわね。小さくて」


 あたしは家の玄関扉を開けてなかに入った。


「お姉ちゃん、帰ったよ」


 そこにはキッチンでなにかを作っている後ろ姿の姉がいた。相変わらずピンク色のパジャマを着ている。その上から白いエプロンを掛けていた。


 姉はあたしの声に振り返った。


「あら、シャルピー、おかえり」

 

 そう言って、こちらにゆっくりと歩いて来る。見えない顔や手があたしを出迎えた。


「今、お夕飯の支度をしていたところなの」

「ふーん。それより、お姉ちゃんの体を治せる人を連れて来たよ」


 あたしは玄関前で待っているヴィヴォルたちを呼んだ。


「じゃあ、入ってきて」


 彼らはあたしたちの家に入ってきた。


「キャル姉、おいらたちまた会いに来たぜー」

「うん、僕たちはキャル姉に会いたかったのさー」


 ポノガとムリッタはバタバタと姉に駆け寄った。


「まあ、ポノガちゃんにムリッタちゃん。わたしも会いたかったわ。うふふ」


 それから、ヴィヴォルとヴィヴォラが入ってきた。


「汚い家だな」


 ヴィヴォラは入ってくるなリ、嫌みをこぼしながらガリリと果実を頬張った。


「あら、新しいお客さんなの?」


 姉はヴィヴォラを見て、ときめいているような素振りで手を胸もとに持っていった。


「お姉ちゃん。あの白い羽の衣装をまとっている人はヴィヴォラっていって、お姉ちゃんの透明な体を治してくれる人だよ」

「まあ、そうなの」


 ヴィヴォラの冷たい目線が姉のほうへ向けられる。


「そいつか? よし娘、そこへ立て」

「え? はい」

 

 姉はヴィヴォラに促されるまま指定の位置に立った。


「じゃあ、始めるぞ」


 ヴィヴォラは片手を上げて、その手のひらを姉に向けた。姉はなにも気構えず、ただ立っていた。


 ヴィヴォラは深呼吸を1回して姉を見て集中した。すると、姉の周りから白い竜巻が起こった。周りにある椅子や食器はガタガタと揺れて姉の体を竜巻が包んだ。


 竜巻は次第に回転が速くなり、そして弾き飛んだ。


 終わったの? 


 ヴィヴォラは無表情のまま手を下ろした。姉を見ると透明のままだった。


「ダメだ、治らん。シャルピッシュ諦めろ」

「うそ、なんで?」

「われの力では治らんくらい、ひどい状態だ。残念だ」

「……そんな」


 もう、お姉ちゃんの顔は見れないってことなの? 一生、透明人間のまま生活をするの? ひどい状態って、もとに戻せないくらい進行してるってこと?


「じゃあな。兄、帰るぞ」


 ヴィヴォラはそういって、きびすを返した。


「おい」


 妹が外へ出ようとしたところをヴィヴォルは止めた。彼は妹に念を送るみたいににらんでいた。それを目にしたヴィヴォラはため息を吐いて、そのままパチンと指を鳴らした。


 すると、姉の体は見る見るうちにもとに戻っていった。透明なコップにミルクティーを注ぐようにゆっくりと足もとから顔に掛けて色が蘇っていく。


「お、お姉ちゃん。戻った」

「やったなーキャル姉ー! おいらキャル姉の姿をずっと見たかったぜー!」

「うん、よかったねー。僕も、キャル姉の表情が見れる日をずっと待ってたさー!」


 姉は自分の両手を交互に見ていた。


「わたしの手が見えるわー」


 驚きと感激の入り混じった顔を見せたあと、姉はヴィヴォラに向かって言った。


「ありがとう、ヴィヴォラさん」

「ふん。兄、帰るぞ」


 ヴィヴォラはそのまま玄関の扉を開けて出て行った。


「じゃあな」


 ヴィヴォルも妹のあとを追うように出て行った。


 お姉ちゃん、治ったんだ。

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