第5話
「この集落独自の観光協会がありまして、その会計を担当している方が、色々なものの管理を一括して担ってまして。その人に」
「なぜ、この家の方ではなく外部の方に?」
「万が一の場合を含めてですね。リスクは分散しておいた方がいいと。それに私達家族だけでは対応しきれない何かが起こる場合だって想定されますし、他の家でもそうやっているんです。だから、この資料館で何かあった時、私達家族だけが全ての責任を負うのではなく、集落全体として、責任を負って、今後の対応を考えていける様にと」
「なるほどですね。後程、その方についてご紹介していただくことは可能ですか?」
「ええ、ああ、もちろん」
九曜のさりげない押し込みに、青木廉治はなんの疑いもなく頷いた。
「その、もう一つの鍵を持つ会計の女性のことなのですが」
雪上は九曜が何事も無いようにそう言った言葉に疑問を持った。
「なぜ、女性だと?」
雪上がそう指摘した事によって、青木もはっと思ったらしい。
「女性ではないのですか?」
九曜がまるで、昨日の天気の話題でも言う様に当たり前の様子で話しを続けるので、青木廉治それにつられた様子で、「そうです」などと答えた。
「では、そのもう一方の鍵を持つ方が犯人だと、疑われているのですか?」
「はい、警察は彼女が犯人ではないかと睨んでいる様です」
「それは鍵を解錠して脇差を持ち出せるからと言う理由だけですか?」
もしそうだとしたら、かなり安直だ。
「それも、あるのだと思います。まず、凶器を持ち出せなければ犯行は出来ないでしょうから。直接的に殺人を犯してはいなかったとしても、凶器を実際に犯人に渡した、共犯者の可能性もあると」
「それについて、青木さんはどう思われますか?」
「……」
なんとも言いにくそうに、顔を歪める。つまりは、その可能性は否定できないと考えているのと同義と捉えていいのだろうか。
「何か思い当たることがあるのですか?」
九曜がさらに詰め寄った。
「いえ、私は、……娘の父親として、娘を死に至らしめたのだとしたら、心から許せません……ですが、ちょうど娘が亡くなったとされる時間にその人は内輪の会合に出席していた様で、娘を殺害することは不可能だと」
「うーん。それでも、青木さんはその方が何等かの理由で、今回の事件に関わっているのではないかと見ているのですよね?」
青木はふっと視線を反らした。
「…………動機が」
「動機ですか、どの様な? もし伺ってもいいならば」
遺影の女性は、強い風が吹けば、一人で立っているのが困難と思われるほど線が細くどこかもろくて繊細な女性に思われた。雪上にとっては、この事件が殺人事件だと言うならば、逆にそんななよなよとした女性が、何の怨みをかって、他人から殺される必要があるのだろうかと思う。
「実は……」
かなり娘さんにとってセンシティブな話題なのだろう。青木廉治は身を縮こませ、もじもじと考えた後にゆっくりと話を始めた。
「亡くなった娘には恋人がいました。いえ、過去に居たのです。その恋人は娘と別れた後に、その女性と交際しはじめたのです」
「色恋ね」
九曜は眉間に皺を寄せた。
「でも……」
雪上は思わず、そう言葉がついて、飲み込もうと思ったが青木廉治は話を促してくれたので、そのまま続ける。
「話を戻しますが、犯人が部屋に侵入した時、娘さんは、その……全く気がつかなかったのでしょうか?」
雪上は自分の死が迫っているのに、眠っていればそれ程、気が付かないものなのだろうか。話を聞いて、雪上はその辺りについて非常に気になっていた部分だった。
「もともと娘は、……その、精神疾患があって、眠剤を常用していたのです。彼女の遺体を検視した医師によると、その日は彼女が処方されている分量よりも多く眠剤を服用していたと。だから、もしかしたら、犯人に多量に飲まされた可能性があるかもと言う話は伺いました」
「その可能性は本当にあるのですか?」
九曜の質問に、少し逡巡した。
「可能性ですか……正直わかりません。もし無理やり飲まされたとしたならば、娘だってそれなりに抵抗したでしょう。ですが、その様な痕跡はなかったと言うし、私達も外部からの侵入者には全く気が付きませんでした。他に可能性があるとしたら、……そうですね」
「夕食はご家族で召し上がったのですか? どこで外食されたなどは?」
「いえ、その日の夜は家族三人で夕食を食べました。その夕食に混入して……と言うことですか? そうなると、妻や私がとなりますが……断じては私は自分の娘を殺害などは致しません。精神が蝕まれていく様子を見るのは確かに辛かった。でも、それでも耐えられたのは彼女に生きて欲しい願っていたから。妻も同じ気持ちであってくれたと、私は思っていますし、信じています。ですから、その可能性は、私はないと思っていますが」
吐露される青木廉治の娘に対する気持ちには、雪上もどこか胸を打たれるものがあった。
「じゃあ、ある意味こうも言えますね? 殺害された当日、彼女が犯人に気が付かなかったのは、犯人に無理やり眠剤を飲まされて眠っていた訳ではなく、娘さんが自ら眠剤を飲んだ。と言うことが。もしかしたら、精神が不安定で本来の量よりも多く飲んだのかもしれませんし」
「それは、おっしゃるとおりです」
九曜は、もし可能であれば現場を見せて欲しいと申し出た。
雪上は少々ぎょっとした。殺人現場など、本当は見たくもない。ただ、
「もし何か、娘さんの死について気が付ける点があってお手伝いできたらと思っています。これも何かの因果因縁なのかもしれませんし」
そう九曜が言うので、嫌だとは言えない雰囲気だった。青木廉治も、逆にそこまで言われて、断る術も持たず、「こちらへ」と立ち上がったので、それに続いた。
畳の部屋を出て廊下の突き当り。
「娘の部屋は二階になります。かなり昔の建物なので、階段が急です。足元に気を付けて」
青木廉治が戸を開けると、薄闇の中に二階へと続く階段が現れた。
手すりもないので、雪上はゆっくりとのぼる。どちらかと言うと、階段をのぼると言うよりも梯子をのぼる感覚に近い。降りる時の方が細心の注意を払わなければならないなと思った。
「こちらです」
青木廉治は階段をのぼった先、左手の襖を開ける。
中も畳の部屋で、箪笥、机、鏡台が並ぶ。これが女性の部屋なのかと思うほど何もなかった。
眠っていた布団越しに脇差が突き刺さっていたと言うことだったが、もう布団は撤去されていたので見当たらなかったが、畳が一部変色している箇所があり、当時の生々しさが伺えた。
「娘さんはこちらに?」
九曜は、畳のある部分指示した。
「はい」
「頭の向きはどちらです?」
「えっと、こちらの方を」
青木廉治が示したのは、部屋に入って正面の窓の方。つまり、娘さんは入り口側に足をむけて眠っていたことになる。
「いつもその向きに?」
「いえ、……確か、九十度右に回転した状態だったかと思うのですが、もしかしたらその時の気分で変えたのかもしれません」
九曜はなんとなく部屋の中を見回している。特に彼が見ていたのは天井の辺りだ。
入り口から入って右手の壁には箪笥があり、その箪笥の隣辺りには、壁に設置するタイプの扇風機がある。
「入った時、部屋は涼しかったですか? 暑かったですか?」
「そういえば……涼しかったですね。そうだ、そこの扇風機がまわっていたから……」
そう言って青木廉治は少々首を傾げていた。
「窓が開いていたりとかは?」
「窓は鍵がかかっていました。ドアには鍵がありませんが、妻が言うには、最初駆けつけた時は閉まっていたそうです」
ちょうど、その時来客のインターフォンが鳴り、青木廉治は「ちょっとすみません」と言って、せかせかと部屋を出て行った。青木夫人は、手続きやらな何やらで出かけているとのことだった。
「九曜さん」
雪上は、神妙に九曜を見る。
「あの、遺影の女性……見たことがありました」
「君、なんて?」
九曜が珍しく驚いて、雪上を見たので、
「先日、フィールドワークに訪れた際、展示室を出る時振り返ると、その妖刀が展示されたガラスショーケースを見つめる彼女の姿を見掛けたのです。さっき遺影を見て思い出して……警察に話をした方がいいでしょうか?」
別に嘘をついた訳ではない。本当に雪上は知らなかったのだ。
「うーん。そうか……そう言うことか。そうだな、俺は、もう少し展示物を見てこうと思う」
部屋を出ると、九曜はそう言った。
「は? 展示物ですか?」
九曜の言う展示物が一瞬、何を指しているのかわからなかった。雪上の問いかけの回答は? と思ったが、妖刀の事を思い出して、九曜が言うのは青木家の郷土資料館を指すのだと言う結論に至った。
この後に及んで。と、雪上は思ったが、そう言ってもどうしようもないと思う。それにこうなった時の九曜は人の話を聞いてくれない。この事についてはまた後でもう一度聞けばいいと思った。
「わかりました。じゃあ、……自分はこの周辺を少し回ってみます」
部屋を出て、一階にいた青木廉治に声をかけると、二人は一旦別れた。
雪上は少し外の空気を吸いたいと思った。家の中に漂う、どんよりとした空気にあてられたようだったから。
門の外までて、曇天の下、大きく伸びをする。
まだ、春の訪れは感じられない、柚原集落は色のない世界に感じられた。
景観保全地区のため、ほとんどの家屋は昔ながらつくりのものばかりで、雪上はその家屋の正式な建築名称についてはわからない。一見すると、誰も住んでいない様に思われるほど、傷みが激しい部分もある。しかし、壁の沿いに囲炉裏に使用するのだろう。薪が丁寧に積まれており、人の気配がきちんと感じられる。
ただの、観光客ではないこの集落の人が、日々の暮らしを細々でも営んでいる。
それを見ると何か感慨深いものがこみ上げる。
歩きながら、妖刀――吸血鬼と、青木遥香の死の関係性について思った。
もし本当に、その妖刀の呪いによるものだったとしたならば、血を吸う刀が現代にも蘇って、被害者を出したと。そう言った事態になるのだろうか。もしそうだったとしなら、警察はどう判断するのか。それから、今回の伝承については何とまとめたらいいのだろう。まさか、今回の事件について逐一書かなくてはならないのだろうか。
そう考えて、雪上はため息を吐く。
もしくは、青木遥香が妖刀に魅せられたか。確かに、最後にみたあの横顔からそう思われなくもない気がした。
そんな事を考えながら、ひと息つけるくらい、外を見て回って、件の家に戻って来ると、九曜は資料館の一室――妖刀があった部屋でじっと一点を見つめている。
何を見ているのかと思ったが、そこに展示物は一つもない。ただひび割れた壁を見つめているのである。
「九曜さん?」
声をかけたが、よっぽど何かに気を取られているのか、反応はない。何度かよびかけてようやく雪上の方を見た。
「ああ、悪い」
「何かありました?」
あえてそう聞いてみた。珍しく九曜はだんまりと何も答えなかった。
「……もう一人の、鍵を持っている女性に話を聞きにいってみよう」
そう言って、部屋を出て行く。その時は、九曜の後をついて行くことしかできなかった。
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