第2話
陽が傾いてきたころ、椿家の家のドアをもう一度ノックし「S大の九曜です」と叫んだところ、ようやく玄関の前の灯りがついて家人が顔を覗かせた。
「すみません。今日でしたよね……申し訳ない」
年齢は五十代後半。とても疲れた様子の眼鏡をかけた白髪交じりの男が情けなさそうに会釈した。
事前に名前は聞いていた。
椿雄介――亡くなった椿清三の子息。
「お忙しいのは重々承知ですが、もしお時間が許せば、少し話を伺いたいと思っておりまして」
”お忙しいのは……”の下りの所で、何かを察して雄介は視線を下げた。
「立ち話もなんですので、どうぞお入り下さい。なにもお構いできなくて申し訳ないのですが」
家の中にすすめていただくのを断る理由も無いので、雪上と九曜は顔を見合わせ、「失礼します」と声を揃え玄関の中に足を踏み入れる。
雪上はこの時ふっと、思ってしまった。
もし本当に椿家の父親を殺したのが目の前にいる息子だったとしたならば、雪上と九曜は殺人鬼と一緒にいると言うことになる。
そう考えて、背中をぞわりとざわつく。
隣にいる九曜がいつもと何ら変わりがないのが、少しだけ心強く感じた。
案内された畳の部屋は襖で仕切られ、襖を開けるともっと広い一室になるそうだ。
雪上は畳の部屋はあまり馴染みがなかった。生まれ育った家はずっとフローリングだったし、祖父母の家もバリアフリーでフローリングだ。仏壇がある部屋だけ六畳の畳の部屋だけれど。
九曜は昔ながらの長屋の様なつくりになっているのですね。椿家の家屋についてそう述べた。
「そこまで立派なものではないのです」
雄介は、ちゃぶ台に座布団を置いて、九曜と雪上に勧めるとコンビニエンスストアのビニール袋からコーヒー缶を取り出して、雪上と九曜の前に置いた。
「すみません、本当に今、バタバタとしていて。私もさっき家に帰って来たばかりでして」
最後に自身の分も取り出す。
綺麗に剃られていない髭、疲れ切っている目の様子からも雄介がマトモに生活をすることも大変なほど何かに追われている様子が見て取れた。
本当にこの人が殺人なんて大それたことをしたのだろうか。
「お父様のことですね」
九曜の言葉に、うつむく。
「ええ……その父が死んだ、ことについては?」
「詳しくは聞いていませんが、お父様が普通ではない亡くなり方をしたと」
雄介は息を吐き、少し話を聞いてもらってもいいですか、と切り出す。
「一体何から話せばいいのかわかりませんが、……私が、その日は夜勤で朝、家に帰ってくると父が後頭部をリハビリ用の歩行ステッパーで殴られ、うつ伏せに倒れているのを発見しました……誰にこんなむごいことをされたのか。私はすぐに警察に連絡しました。そしたら、警察は事故か。もしくは私が介護に疲れてかっとなって、父を殺したのではないかと、疑いだして……」
苦しそうな表情で顔を歪める。
雪上はそれに対してなんと言葉を返したらいいのかわからずに、ただ黙ってそこに座っていた。九曜も何も言わずに、黙って雄介を見ていると、呼吸を落ち着かせ、話を再開した。
「今も、警察の任意聴取から帰って来たばかりで……聞かれるのは同じような事に繰り返しで。何度もその時の事実をそのままに話すのですが、全く信じてもらえない様な手ごたえで。まるで、私が根負けをして別の内容の話をするのを待ってるかの様に」
雪上は見ていられなくて、目を下げた。
「なぜ、警察はそれほど執拗に椿さんを疑うのでしょう。何か、有力な証拠でも向こうに抑えられているのですか?」
「わかりません。ただ、私と父の関係はもしかしたら普通とは少し違ったかもしれませんので」
「普通とは少し違った?」
「ええ。戸籍上は親子ですが、本当は……血の繋がりがないんです」
「…………ですが、御父上には変わりないのでしょう」
九曜がそう言った事に対して、雄介はほんの少しだけ二人に対して、気を許した様に見えた。
「ありがとうございます。遠縁の親戚ではあるんです。私の本当の両親は蒸発してしまったようで、物心ついた時には、もうこの家で暮らしていました。だから、あの人を本当と父親だと私自身は思って、生きていたのですが、……世間からみるとそうは思われないこともある様で。まあ、僕らもいつも喧嘩が絶えませんでしたから。でもそれは小さい頃からそうで、父に『言いたいことははっきり言え』と言われて育ったので、思ったことはなんでも口にしてしまうんですね。言いたいことはなんでも言い合う。それが父の人付き合いの方針でした。時には言い争うこともありましたが、それがお互いにストレスをためずに付き合っていく秘訣だとも言っていました。私も確かにそうだと思っていましたので。ただ、歳を重ねた父は、一人で生きていることが身体的にも難しくなって、最近は福祉サービスなども利用しながら、私は父の介護をしておりました。その状況で、父と私が言い合っている様子を見て来た人からは、よくある介護の疲れがたまって、殺害してしまったのではと思われてしまったのかもしれません」
ぴしゃりと閉められた障子のすきまから、線香の香りがたちこめる。
「他に何かトラブルに巻き込まれたとか、そう言ったことはないのですか?」
「全くありません。先程も言った様に、父は若干ですが、身体的に不自由がありましたので、普段、関わっている人間もデイサービスのスタッフや利用者、私。だけですので。ただ帰って来た時にオカシイなと思ったのが、玄関のドアの鍵が開いていたんですよね。私は絶対に仕事に行く時は鍵を施錠するんです。だから、第三者が家に侵入した可能性があると警察には再三伝えたのですが、第三者について心当たりがあるかと言われると……それについてはわからない状況で」
だから真っ先に雄介自身が疑われるのだろうと思った。
九曜はなにやら考え込んでいる様子だったが、雪上は色々な意味で自身の頭の中の許容量を遥かに超えてしまったので、逆に何も考えられなくなってしまっていた。
本当に雄介が殺人を犯していなければ、逮捕され刑罰を受ける必要もないだろうし、他に犯人がいるのであれば、きちんと警察が新たな犯人を見つけるだろうと。
「すみません……私の話ばかりで。お二人は、伝承の中に存在する椿について調査をされるためこちらにいらっしゃったと言う話でしたね?」
雄介は自身の目の前に置いた、缶コーヒーのプルタブを開け、一口飲んだ。
少しだけ目に生気が戻っている様に見えたのは雪上の気のせいだろうか。
「はい……この様な中で、お話を伺うのも……と思ったのですが」
控え目な物言いに、雄介は首を振った。
「いえ、私でお役に立てることであればお話します。本当は父が生きていればもっといい話をお伝え出来たのでしょうが……私もずっと、警察とのやりとりばかりで滅入っていたので。集落では私を腫れ物扱いですからね、逆に話を聞いていただいてありがとうございます」
「そう言っていただけると、助かります。それで……その伝承に残っている椿の花と言うのはもうこの家には残っていないのですね」
「ええ。家の裏手に小さいですが庭がありまして、言い伝えではそこに植わっていたと言われているのですが、我が家の庭には椿は一本もありません。花が咲く様な植物は……今あるのは木蓮だけですね」
葉が落ちたりして、手入れが大変なので今年はがっつり枝を切ろうかと考えていましたと言葉を添えた。
「なぜその椿を切り落としてしまったかと言う話は何か聞いていませんか? その民話の、蝶が箱から舞って出て、翌年から花をつけなくなった理由なども、以前パソコンの画面ごしで話を伺った時は、思い当たる節がないと仰っていましたが、それから何か思い出したことなどはありませんか?」
雄介は首を傾げる。
「わかりませんね。それについては、お二人との通信が終わった後に私からも、生前父に聞いてみたのですが、やはりわからない様でした。もし考えられるとしたら、あまり庭先には好まれない花だったからではないか。なんて言ってましたけど」
「好まれない?」
雪上は思わず、疑問が口をついた。
「若い方はあまり馴染みがないかもしれませんが、昔、武士なんかにはあまり評判の良くない花だったそうですよ」
「武士ですか?」
「椿は花がそのまま落ちるから」
「ああ」
そう言われて雪上はやっと納得が出来た。
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