椿

第1話

案の定、今日も今日とてフィールドワークのため九曜と共に、人気のない田舎道を歩いていた。

雪上も流石に慣れたもので、最初はよくあるブランドメーカーのスニーカーを履いていたが、悪路を進む頻度の多さに辟易し、トレッキング用のシューズを購入した。

足首部分までのカットが高いモノをチョイスしたので、多少ハードな道でも安全に歩けるようになったと思う。

ただ、普段使いにはごつごつとしていて向いていないため、大学の通学には使っていない。

帽子にサングラス。バックパックの中には雨具も用意している。

ちょっとした登山なら驚かなくなった。

それだけの装備は持っているが、今歩いているのはアスファルト舗装の道路。

これほどの装備が果たして必要だったのかどうかはわからないが、後程必要になる状況下に陥ることも過去を振り返るとあったので、まあ、仕方がない。

ただ、持ち物が重いため肩が凝るのが難点だ。

九曜は基本的に作務衣の恰好は変わらないが、気温や季節によって中に温かい衣服を着こんだり、バックパックの中にウィンドブレーカーを仕込んでいるのは知っている。

なぜ、それほど作務衣にこだわるのかは知らない。

以前に聞いた時、「楽だから」そう一言いわれただけだった。

今、二人が歩いているA集落には、古刹と言われる妙浄寺と言うお寺がある。

かつて貴族のお姫様の出家を受け入れたと言う逸話が有名なお寺だ。

そのお姫様が出家した後、A集落に植えたと言われている椿が今回の目当てだ。

その椿はピンクと白の二種類色の入り混じった花をつける。

しかし、ある時からその椿は花をぱったりと付けなくなってしまった。

その民話がこちらである。


――昔、その珍しい庭にもつ椿家から椿をお殿様に献上していた。

ある時、村の若いものが運び役を任された。

箱の中に何が入っているかわからず、何も聞かされていなかった、その若い衆は、不思議に思って箱を空けると、色美しい蝶がひらひらと舞い飛んで行った。

それ以来椿の花をつけることはなかった。



「すみません、椿家はここからどうやって行ったらいいですか?」

「すぐそこの家だ」

ちょっと軒先に出ていた老婦人がそう言って指したのは、立ち並ぶ民家の中で何の変哲もない一軒。

本当にここが。――そう疑念を抱きたくなるほど。

表札も出ていないので、人に聞かなければわからなかっただろう。

インターフォンも無い。

九曜は扉をノックする。

「連絡していました、S大の九曜です」

大きな声でそう言ったが返ってくる返事はない。

今回の調査について椿家へ、事前に連絡を取っていた。

実家が、椿家の近所に住んでいると言う学生がいたので、その力を借りたのだ。

事前に連絡を取った際、お姫様が植えた椿がその家にあったことも確認していた。

正確には、過去にあったと。

『先祖が言うには、花が咲かなくなった木をいつまでも植えているのも。と言う話でね。今はもうないんだ』

九曜はそれでもかまわないので、一度訪ねてもいいだろうかと了承を得ての今である。

「今日来ますと、時間も伝えていたんですけどね」

雪上は間違いなく、九曜が電話でそう話していたのをその真横で聞いていた。

「急遽用事が入ったか?」

九曜はきょろきょろとその家を見回したが、人が出てくる気配はなかった。

どうしたものか。

すると、近所の人がもう一度やってきて、「いないでしょう」と言った。

「お留守なんですか?」

九曜は人の良さそうな声と対応を心得ている。

「それが……その家のお父さんが亡くなってね」

「え?」

九曜は先の電話で、椿家の主人と直接やりとりをしている。

「先日電話で話したのですが、その時は、お元気そうでしたが……」

近所のひとは何やら含んだ様子で、周囲をきょろきょろと見回すと、小さな声で、「殺された可能性があるそうだ」と言った。

「さつじん?」

「まさか……犯人は捕まったのですか?」

「それが、……警察は息子が殺した可能があるんだって言うんだ」

怒涛の展開に雪上は思考がついて行かず、失笑が漏れる。


「どうします? 一旦帰りますか?」

先ほど、この家のセンシティブな情報を教えてくれた近所の方には丁重に礼を言った。

ちなみに、九曜と雪上は民話の調査で来ていることを伝え、この家に伝わる椿の伝説を知らないかと聞いたところ、地方からこの集落に嫁いできた身なので、そう言った話はくわしくないと言っていた。

九曜は腕を組んで少し考え、何か思いついた様に顔を上げた。

「せっかく来たのだから、手ぶらで帰るのも……と思うので、隣人の家に聞き込みをしてみよう」

「わかりました」

雪上と九曜は隣接する右側の家の玄関に回りこむ。

最近建て替えられたのだろう。

グレイッシュな色のモダンな住宅だ。

インターフォンを押す。

『はい』

若い女性の声。

「すみません。S大の民族学研究室に所属する学生なんですが、この集落につたわる古い民話について調べています。もしお時間があれば、少しお話を伺えませんか?」

『……ごめんなさい。ちょっと今手が離せなくて……でも、それに私達は行政の行っている地方移住で最近この集落に来たばかりだから、あまりお役には立てないと思うの』

「そうでしたか。すみません。ありがとうございます」

九曜はカメラ越しに丁寧にあいさつをした。

声の感じから、子育て世代の家族が地方に引っ越しをして来たと言うところだろうか。

「向こうの家にも行ってみよう」

九曜は断られても、全く動じることなく椿家の左隣の家を指した。

こちらの家は椿家に負けず劣らずの古民家である。

九曜はインターフォンを押すと、先ほどと同じような文句を述べた。

『なんだって?!』

いきなりインターフォン越しに怒鳴りつけられ、雪上は心臓をきゅうと掴まれた様に縮こまった。

「すみません、S大の……」

『そんなのはわかっている。なんだって隣の家の話を儂がしなきゃならんのだ。帰れ』

ぴしゃりとそう言われ、ぶつりと切れる音が聞こえた。

「ふん」

九曜はただ鼻を鳴らしただけで、くるりと踵を返す。

「少し、時間をつぶして、もう一度椿家に来てみよう」


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