第3話

雪上と九曜の二人がかりで亜沙美を白木の家まで運びこんだ。

白木老人は一人、おろおろとした様子で亜沙美の肩をさすったり、声をかけていた。

幸い、致命傷になりそうな傷は見当たらず、程なくして亜沙美も意識を取りもどした。それを見た白木老人はほっとした反面、ぎりっと雪上と九曜に鋭い視線を走らせ、

「こいつらに落とされたのか」そう怒鳴った。

亜沙美は頭をかかえ、「頭が痛くなりそうだから、大きな声は出さないで」と嘆く。

「すまん……」

しゅんと白木老人は身を縮こませる。

白木家のキッチンの棚からガラスのコップを取り出し、水を入れたものを亜沙美に手渡した。

雪上は勝手かと思ったが、今の白木老人はそこまで気が回らないだろうとも思ったから。

亜沙美は、ありがとう。と言って、コップを受け取ると一口飲み、その後、急に忘れていた喉の渇きを思い出した様に一気に水を体に流し込んだ。

「違うのよ。私が誤って落ちたの。だってまさかあんな仕掛けがあるだなんて思わなかったから」

「石碑の下にあった、あの空洞ですね?」

雪上の言葉に亜沙美は頷いた。

「おじいちゃんは知っていた?」

白木老人は急に話を振られ、少し逡巡した後に首を横に振った。

「いや、小さいころに、遊び半分で近づくなと言われてからは、近づいていない。祠の中に入ったのも、今日、半世紀振りぐらいだろうか――本当に知らなかった」

「つまり、アレが黄金の椀の正体ですよ」

九曜の言葉に皆が一斉に振り返る。

「九曜君?」

亜沙美が説明を促した。

「まあ、推測ですけどね。ご先祖の白木仁衛門は食料難にあった時に、親戚から秘密裏にもらい受け、貯蔵していた小豆を少しずつ小出しに食べていたのではないかと。近くの集落に親戚がいて、そこでは小豆を作っていると聞きました」

「ああ、それは間違いない……しかし」

「つまり、その親戚の方と白木伝衛門さん。だけではなく、他にも多くのご先祖の方が関わっていたのかもしれません……ここからは私の推測したことなのでもし不快に思われたら聞き流して欲しいのですが。多分、――昔の日本の農民は年貢を領主におさめていました。この辺りは、あまり作物を育てるのに向いていない土地だと聞きます。ですから、まともに領主に年貢を納めていては、毎年食料難になるくらいだったのでしょう。それでも土地を捨てて出ていくと言う選択肢はなかった。そうなると考えられるのは、畑の大きさか、もしくは収穫の量を少なく報告し、なんとか耐え凌げられるだけの食物を秘密裏に」

「なるほど。ちょろまかした分を、あの祠の下に隠していたと言うことね?」

亜沙美が九曜の言葉を遮って、楽しそうにそう言った。

雪上も亜沙美の言葉に納得して頷いたが、白木老人だけが、首を傾げていた。

「うーん。仮説としては面白いと思うが、しかし、そんなにうまく誤魔化せるものだろうか? 下手をしたら親族一同が打首になる可能性だってあるかもしれんだろう?」

白木老人の反対意見は確かにそう思われた。九曜もその言葉に素直に頷いている。

「ご主人が仰ることは最もだと思います。あくまでも私がたてた仮説ですので、実際にどうやってちょろまかしていたのか。と言う部分まではわかりません。ですが、そう考えるのが一番現実的かなと思ったものですから」

「なるほど。じゃあ、黄金の椀と言うのは?」

亜沙美は話をしながら、大分調子が戻ったのか、率先して九曜に質問を投げかけている。

「私の仮説から言うと、黄金の椀と言うもの恐らく、作り話でしょう。現実問題として、そんなお椀が存在するとは思えませんからね」

雪上は少しだけ視線を反らした。

――本当にあると思いますか。

真面目な顔で、雪上にそい問いかけた自分から目を背ける様に。

「食料難に陥った時に、白木家にだけ小豆があったのは、本当はちょろまかしていた分から少しだけ今食べる分を持って来ただけだけど、それを集落の人に知られると、それこそおじいちゃんが言った様に親族一同打首。なんてことにもなってしまうからそれを隠すためのアイテムだったと言う訳ね」

「はい。他の集落の人には、小豆をたんまり持っていると言うことを知られたくなかった。それで黄金の椀と言う作り話をしたのだろうと思いますね」

「でも、なぜ小豆だったのかしら?」

「この辺りで収穫出来る作物なら、逆に他の住民から勘繰られてしまいます。白木さんのご親戚に小豆を作られている可能性がある方がいると聞きました。お互いに余剰に収穫したものを交換して保管していたのでしょう。その方が勘ぐられる必要もありませんから」

まあ、その当時生きていた訳ではないから、全て推測でしかないのですがね。

九曜はそう付け足した。



「九曜さん、雪上さん。さっきはお二人を疑ってしまってすまなかった。亜沙美の姿が見えなくて、パニックになってしまって」

白木老人がしょんぼりとそう言うが、雪上は最初から腹を立ててなどいないし、むしろ、こんな怪しげな二人組が急に集落に現れたなら真っ先に疑うのは当然の事だろうと思っていた。

「いえ、元はと言えば、亜沙美さんが祠に落ちてしまうきっかけを作ってしまったのは我々の方ですし。だって、祠の場所など聞かなければ、亜沙美さんはそもそも祠に来られることなどなかったのですから」

すみませんと、九曜が深々と頭を下げるので雪上もそれに習う。

「やめてください。勝手に落ちたのは私なんですから。でも、なんだか学生に戻った気分で楽しかったです。祠の秘密も知れたし。気になさらないで」

祠の大きな穴の中で、倒れている亜沙美の姿を見た時は、流石に雪上も血の気が引いたが、ほとんど回復し、体調も良さそうなのでほっとした。

部屋で、黄金の椀についてディスカッションをしている途中に電話がかかってきて、それは亜沙美が婦人会に姿を見せないので心配した近所のメンバーからの連絡だったらしい。

亜沙美は、母校のS大から後輩が民話の調査に来ているので、急遽行けなくなったと理由を説明して、笑っていた。

大事にならなくてほっとする。

本当に、隣にいる九曜は、なぜだか事件に巻き込まれやすい体質の様で。このままでは雪上も心臓がいくつあっても足りないなと思う。

「では、失礼いたします」

九曜の言葉に続いて、雪上も「失礼します」と言って、踵を返した。

「もしまた、お手伝いできることがあれば声をかけてください」

背中の向こうから亜沙美の声がしたので、会釈をするために振り返る。

雪上はその振り返った先に家が見えた様な気がした。

思わず、驚いて瞬きをすると、もうその家は見えなくなり、亜沙美が向こうで手を振っているのだけが見えた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る