迷い家
第1話
新たな伝承を求め、九曜と雪上はとある山奥の集落へと向かっていた。
「九曜さん、迷い家なんて本当にあるんですかね?」
迷い家は、訪れた者に富をもたらすと言い伝えがある。
遠野物語で有名だが、形や名前を変え、遠野以外の地方にも同じような伝承が伝わってところもある様だ。
今回は同じ様な民話が伝わるM集落を目指す。
「ヘンゼルとグレーテルもそれに近いものがあると思わないか?」
東洋からいきなり西洋の物語に会話が大きな飛躍をし、雪上は思わず首を傾げた。
「ヘンゼルとグレーテルですか……」
確かに二人の子供が道に迷ってお菓子の家(迷い家)を見つけると言う発想は同じような気もするが。
「アレは西洋の話ですよ」
「まあ、そうだが物語の構成としては似た様な部分があると思うのだけどな」
九曜の話を聞き流しながら、雪上はひたすら前を見て歩みを進める。
しばらく歩いて、ようやく視界がひらけたところ、久しぶりに見る民家を見つけた。
しかし、今回のフィールドワークはなかなか難航しそうだと雪上は思った。
なぜなら、集落は一軒、一軒の間、それなりの距離があり閑散とした地域の様で、なかなか人の気配は見当たらない。
雪上と九曜は調査に訪れる時、わかる範囲での下調べは行うのだが、実際に現地へ赴き、地元の方に直接話を聞き、情報を揃えて行くのと言うのがいつもの方法だ。
ここではその方法が使えないとなると調査が難航する気配がある。
それでもきょろきょろと見回しながら歩いていると、ちょうど家から出て来たおばあさんが見えたので、九曜と雪上は走り寄って捕まえることが出来た。
「すみません」
「はあ?」
少し間の抜けた返事でこちらを振り返ると雪上と九曜を上から下まで何度か眺める。
「あんたらは?」
「S大の学生で九曜と言います」
おばあさんは、学生と言う単語は聞き取れなかったらしい。九曜を他の漢字に聞き間違えたのか、投げ銭をされ、合掌された。
もう何も言う気もおきなくなった。
その渦中にいる九曜はかなり冷静だった。
「おばあさん。お金はお返しします。S大の学生です。この辺りに伝わる迷い家の伝承について調べているのですが、何かご存知ないでしょうか?」
お祖母さんは、はあ、と言いながらも九曜の質問はそっちのけで、今度は雪上をじっと見た。
雪上は流石に首を傾げた。
「あんた、キレーな顔しとるね」
そう言ってニコニコとほほ笑む。
「…………ありがとうございます」
「彼は、雪上。私は九曜と言います」
「くよう? あんたら新手の新興宗教かい? 悪いけど家はそう言うのは間に合っているんだ」
雪上はこの不毛なやり取りに段々、げんなりとした。
「漢数字の”九”に曜日の”曜”で九曜です。僕らは新興宗教ではありません。S大の学生です」
「はあ、」
「この地方に伝わる民話で、迷い家について調べているのですが、この辺りで、古くからある家などはありますか? ぜひ直接お話を聞きたいと思っているのですが」
「ああ、白木さん。なら昔からあるね。ご先祖が一度、迷い家に行ったと言い伝えられていたなぁ」
『白木』とかかれた表札を見つけ、「ここですかね?」と九曜を振り返る。
古くからある家柄だと聞いて来たのでどんな立派な屋敷だろうとわくわくとしていたのだが、目の前にあるのは、今にも崩れ落ちそうな程、くたびれた家だった。
最近は、山奥の集落でも住宅の建て替えが進んでいると見え、新しい色壁や軒が見られるが、目の前の家は土壁はひび割れ、剥がれ落ちた瓦屋根が寒そうな家屋が目に映る。
「ごめんください」
呼び鈴だけのインターフォンを押し、九曜は大きく呼びかけた。
「はい」
やや少し間があって、女性が顔を覗かせる。
ざっくりとしたセーターにジーンズ。ボブカット。
年齢は九曜と同じくらいだろうかと雪上は女性の見た目から判断した。
「こんにちは。白木さんのお宅で間違いございませんか?」
「はい。そうですが」
女性は九曜と雪上を交互に訝し気に見る。
「九曜といいます。こっは雪上です」
名前を紹介され、雪上は条件反射的に頭を下げた。
「私ども、S大の民族信仰学を専攻しておりまして、地方に伝わる民話についての調査を行っております。差支えなければ、少しお話を伺ってもよろしいでしょうか」
九曜は自分たちのことをそう紹介して、話に間違いがないことを伝えるためにS大に自らの学生書を提示した。女性は一寸それをみると、頷いた。
「そうでしたか」
「集落の方から、白木さんの家がこの辺りで古くからある家柄だと伺いました。『迷い家』について調べておりまして、何かお話を伺い出来ればと」
「なるほど。お力になれることがあるかは、わかりませんが、どうぞ」
女性はそう言って扉を大きく開け放った。
上がり框が高く、昔ながらの家のつくりだと思った。
まるで田舎の祖父母の家にでも来た様な。
雪上の祖父母は大都会のマンション住まいなので、そもそもそんな経験はしたことがないけれど。
なぜかふと幼い頃の記憶――夏休みなどの長い休みに田舎の祖父母の所に行くと言っていた昔のクラスメイトを羨ましく思った気持ちがよみがえる。
田舎に帰ると言うのはこんな気持ちなのだろうか。そう思った。
床は板張りで、歩くと独特のきしみがする。
「祖父がおりますので、私よりも直接、祖父に話を聞いた方がいいかもしれません」
そう言って案内してくれた一室では、こたつに足をいれ、テレビをみる老人がいた。
「おじいちゃん」
その声に老人はこちらを振り返ると、雪上と九曜を視界に入れ、奇怪な表情を見せた。
文句を言われる前にここまで案内してくれた孫娘が口を開く。
「二人はS大の学生さんで、この集落に伝わる民話について調べているそうなの」
お茶を用意してきますので、と言ったのを引き止め、お構いなくと言う九曜の押し問答があって、それを振り切って孫娘はお茶の用意に部屋を出て行った。
九曜と雪上はこたつの前に出された座布団にちょこんと座った。
白木老人はテレビのボリュームを少し下げ、こちらを向く。
「こんな田舎まで大変だったでしょう」
「いえ、こういったフィールドワークは日常茶飯事で行っていますので。それよりこちらこそ、急な訪問にも関わらず迎えてくださってご主人や孫娘様に感謝いたします」
九曜は恭しいく礼をしたので、それに習って雪上もちょこんと頭を下げる。
講義のない日は調べものやフィールドワークに駆り出され、もっと適当に過ごす予定だった、大学生活は研究生活となり息つく暇もないほどだったので、九曜の言葉に嘘はない。
「孫娘の、亜沙美も昔、S大に通っていてね。これも何かの縁なんだろう」
「そうだったんですね。じゃあ、我々は亜沙美先輩の後輩になりますね」
九曜の言葉に白木老人は目じりを下げたと思ったら、すぐに表情を一変し、哀しそうに遠くを見た。
「亜沙美にはもっと華やかな未来があったはずなのに、こんな田舎に若い彼女を繋ぎとめて……本当に……」
そう言っている最中に、渦中の本人がお盆をもって部屋に入って来たので、話は自然と中座した。
亜沙美はその微妙な空気を察知して、何があったのかを尋ねたが、亜沙美がS大出身だと伺った。とだけ言い、それが以外のことは特に何も言わなかった。
「白木家のご先祖様に迷い家に行かれたと言う伝承があると聞いてこちらに来たのですが」
白木老人はふむふむと頷く。
「ええ、小さいころその話を聞いた記憶があります。何代前の先祖だったかまではもうちょっと覚えていませんが、迷い家で施しを受けたと聞いています」
「ほどこし、と言いますと?」
「この辺りは、今は林業を営む家が多いと思うのですが、過去は農村地帯だったのです。年によっては食料難にあったそうで、あまり農業に適するとは言えませんからね……ともかく、食糧難にあった先祖の、白木伝衛門さんと言う人が、わずかでも食べ物を求めて山に入りまして」
「なるほど。それで山奥に迷い家を見つけ、食料を持ち帰ったと言うことですね?」
「そうみたいです。食料と言いますか、その家で黄金の椀を見つけた様で。これが摩訶不思議なもので、椀を二回手でたたくと溢れんばかりの小豆が椀の中に満ちるのだとか。それを食べて飢えを凌ぐことが出来たと話に聞いています」
亜沙美は盆に、香りのいいお茶と、あんころ餅をのせ、振る舞った。
雪上は小さくいただきますと言い、マスクをつまみ上げ、少しだけ隙間をつくりそこにあんころ餅を放り込んだ。素朴な香りと甘さが口に残る。
九曜はいただきます。そう口にしながらも、まじまじとあんころ餅を見ている。と、言うよりも、観察している。
「これは、その黄金の椀から出て来た小豆なのですか?」
「まさか」
亜沙美は笑いながら首を振った。
「仁衛門さんが裕福になって、その黄金の椀は、やはり勝手に人様の家から持ち出したものなので、返さなければいけないと思っていたのです。生活が落ち着いたころ、何度も山に入っては記憶にある家を探し出して返そうとしたんだが、ついに見つからず、仁衛門さんの記憶で迷い家のあった場所に祠を立てて、そこに奉納――埋めたと、今でも祠だけが残っています」
だから、この家にはもう、黄金の椀はないのだと白木老人は説明した。
「大変失礼な言い方でしたら申し訳ないのですが、その祠を掘り返してみたことはありますか?」
白木老人と亜沙美は顔を見合わせるとお互いに首を横に振った。
「そんな事をしようと思ったことなんか、なかったかな」と、亜沙美。
「先祖代々の掟であの祠は掘り返さない様にと言われているんだ」と、白木老人。
もしかしたら、白木老人は掘り返そうとして怒られたことがあったのかしらと雪上は思ったりした。
「そうなのおじいちゃん? その話は知らなかったわ。でもそう言われると何だか気になるわね」
亜沙美のあっけらかんとした言い方に、「やったらだめだぞ」とむっとした表情に白木老人が顔をしかめるやり取りが、なんだか微笑ましいと思った。
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