第4話

 正直こんな事をして何になるのだろうかと、雪上は考える。

 それとなく、歩きながら九曜に聞くと、『あの少年を助ける手立てになるかもしれないじゃないか』当たり前の様にそう言った。

 本当にそれだけだろうか。

 九曜自身は興味本位からやっているのではないかと思わずにはいられない。

 まあ、確かに犯行時間に白じいと言う人の所に間違いなく居たと言うことが立証できれば、父親は釈放されるのではないかと思う。

 だけどそう簡単に上手くいくものだろうか。本当にアリバイが立証されているのなら、もう警察が調べて釈放されているものだと思うけれど。


 隣町と聞いたからずいぶん遠いのかと思ったが歩いて十分ほどで着いた。

 地図に示された、目の前の家、塀には白黒の縦じまの幕が下げられ、しんと空気が張り詰める。

「ごめん下さい」

 少々足が向きにくい場所でも九曜はそんな事おかまいなしに、進んで行くのだから、強靭的な心臓を持っているのだと雪上は感心した。

「はい」

 忙しく廊下が踏み鳴らされ、がらりと玄関が開かれる。

 中から黒い服の小柄な女性が顔をのぞかせ、九曜と雪上を交互に見た。

「どちら様でしょうか?」

 青黒いクマがふちどる、泣きはらした瞳に力はない。

「僕の友人が白じいさんの知り合いなのですが、本人が今来られない状況なので……お線香だけでもと思って立ち寄らせてもらいました」

 九曜はよどみなくそんな事を言うのだから、こんな出まかせの嘘がぽんぽん出てくることに驚きよりも感心する。あえて否定するよりも話を合わせた方がいいと思い、それっぽい表情を作って雪上も頷いた。

「そうでしたか。どうぞ」

 雪上はなるべく丁寧な振る舞いを心がけて家の中にあがった。

 焼香を済ませると、九曜は改まって白じいの娘だと名乗った女性が向きなおる。

「友人が、お父様が亡くなる直前、最後に一緒に酒を酌み交わすことが出来たのが良い思い出になったと申しておりました」

 雪上は内心ため息をつきたくなる。

 まあ次から次へ、いけしゃあしゃあと出まかせを言えるものだと思う。

 娘は九曜がそう言った事で、二人が誰の知り合いなのかを察した様で、一瞬表情を凍り付かせた。

「いえ……父のこともそうですが、あの、隣町のご家族のお父様の方のことですよね? 色々と大変なことがあった様で……」

 言葉を濁しながら曖昧に答えるも、話題を切り替える様にお茶を持ってきますと言って席を立ち、いそいそと湯気を立てた茶碗を持って雪上と九曜に差し出した。

九曜は迷いなく茶碗を手に取った。

「ありがとうございます。美味しいですね」

口をつけて一気に飲み干すと九曜は、

「僕の友人は普段もこちらへ来ていたのですか?」

 と、話を続けた。

「ええ……夜中に訪れて、父とお酒を飲んでいた様です。私はその時間にはもう床についていたのでよくわかりません。それと……本当は父はドクターからお酒を禁止されていました」

 娘はそう言って曖昧に微笑む。体中から疲労の色が滲んでいるのがよくわかった。

「見て見ぬふりをしていたのですか?」

 言葉だけとると責め立てている様にも聞こえるが、九曜の言い方はとても優しいものだった。

「そう言うことになるのでしょうね。ただ、生い先がもう長くないと宣告されていた父ですから。最後位は好きな事を。そう思った娘心でもあるのです」

 娘は疲れと悲しさと、それから少しだけ清々しさも見えた。

「そうですか。友人と会った時、最後は月明かりに雪割草を見ながら酒を飲みたいなどと話していたようですね……まだ少し花の時期には早かった。そればかりが残念でならないと友人は言っておりました」

 雪上も出された茶をすすった。

 なまぬるい。

 ただ、どこかとても懐かしい香りがした。

 視線を娘に戻すと奇妙な表情を見せた。

「それが少し不思議に思っておまして、その、本当にご友人の方はこちらに来ていたのでしょうか……警察の方からも、その手の質問はされたのですが、私、本当はよくわからなくて。その日の夜は、ぐっすりと眠ってしまっていたようで何も気づきませんでした」

 それならばお手上げ状態だと雪上は思った。

「お酒を二人で時折飲んでいたことはもちろんあったのですよね?」

「はい。父は隠していましたが、酒瓶などが転がっていたこともありましたし、二人で何やら話している声も時折聞こえましたので」

「お二人はひっそりと夜分にお酒を飲まれていた時はどのような会話をされていたのですか?」

「さあ、私はなるべく気付かないフリをしていたので、よくわかりませんが……少し聞こえて来たのは、季節や草花などのとりとめないない話やその、ご家族や奥様との話など……」

 言いにくそうに言葉をにごすので大丈夫だと言うことを示す意味を込めて、九曜は大きく頷いた。

「それは、どの様な?」

「奥様が浮気をしている、絶対に尻尾をつかんで離婚を叩きつけてやる。騒いで最後に息子さんのことをいつも心配されていた様に思います」

そ れじゃあ、やっぱりあの少年の父親が犯人であると確定だと言わんばかりだ。

 激情のまま、家に帰る途中、住職に会って……。雪上はそう考えて、頭を振る。九曜が言う様に、何かあの少年の助けになる様な何かが他にあるかもしれない。そう思って雪上はあまり失礼にならない程度にきょろきょろと家の中に視線を彷徨わせた。「その、娘様が寝てしまったと仰られた日、部屋の中に酒の瓶が転がっていたりとか、宴会があった様子はなかったのですか?」

「私には内緒でやっているので、朝にはすっかり片付いているんですよ。それにお酒もその方が持っていらっしゃるようで……ああ……でも、待って」

 急に思いついた様に立ち上がり、部屋を出て行った。

 どたどたと、家の廊下を走る音が遠ざかったと思ったら、今度は反対に近づいて来る。

「すみません、今思いついて……これ、見てもらえますか?」

 娘が持って来たたのは、一冊のノートだった。

 見た目、使い古したようで、ぱらぱらとページをめくって見せる。数字が羅列しており、雪上には何が何やら全くわからなかった。

「これは?」

 思わず疑問が自身の声について出た。

「すみません、若い方は多分わからないですよね……。父は、肺があまりよろしくなくて、特に眠っている間、時々血中酸素濃度が低くなる時があるのです。部屋に、家庭用の酸素吸入器を置いてあるので、夜苦しい時は自分で数値を図って、酸素を入れる様にしているのです。もちろん、起きていれば私がやるのですが、流石にずっと夜も付きっ切りでは対応しきれないので……」

「それはもう……」

 仕方ないのでは。九曜はなだめる様に相槌を打った。

「それで、実はその……たまに、父とお酒を飲みに来た時に多分、私の代わりに血中酸素濃度を測って酸素吸入をやってくれていたことがあったようなんです。例えば、ここ見てもらえますか? ここだけ字が違いますでしょう?」

 娘が示したページの箇所を見る。

とある日付と時間が23時と書かれ、血中酸素濃度92%。脈拍62。酸素1リットル。と、文言が続く。

 確かに、その部分だけ他に書かれている数字と文字が異なる。

「夜中にただ、お酒を飲みに来るだけではなく、お父様の体調をみて下さっていたのですね」

 九曜の言葉に、娘は頷く。

「ええ。正直、一人では手に負えない部分もあって……お恥ずかしい話ですが。夜中に父に呼ばれて何度も起きるのは結構大変なんです。だから、まあ、隣の集落に住む人で、全く見ず知らずと言う訳でもないので、理由はどうあれ、甘えていた部分も正直ありました」

 雪上はなんとなく頷いた。

 介護をしたことは今まで一度もない。だからその大変さと言うのは、実感がなくよくわからない。しかし、いつかは両親の介護を自分もするべき時が来るのだろうとはどこかでわかっている。

 正直、夜な夜な訪れる不審な男をなぜ追い返さないのかと、不思議に思っていたが、今の話を聞いて納得がいった。

「それで、その例の日にも彼が記録した箇所はあるのでしょうか」

「ええ、確か……」

 娘はページをめくり該当の箇所を見せた。


4/X 22時50分 血中酸素濃度85%、脈拍80、酸素2リットル。


 その部分だけが、他の数字とは筆跡が異なっている。

 娘は神妙な、どこか哀しそうな顔でその筆跡を眺めていた。

「多分、父が酸素吸入器をつけて横になったの確かめてから、いつも家に帰られる様なんです。だから、この日も22時50分過ぎにはこの家を出たのではないでしょうか」

 何か役にたちますか。と瞳が言っている。

「はい。彼が白じいさんのことを最期までちゃんと気遣うことができていたのだと、知る事ができて良かったです」


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