第3話

 寺の境内はどんよりと重苦しい気配が漂っていると聡い雪上はすぐに察知する。

「葬式が行われているのでは?」

 むせかえる程、濃い線香のにおいがする。

 黒い喪服姿の人も幾人か通り過ぎるので、九曜が呼び止めて話を聞くと、亡くなったのはこの寺の住職だと言う。

「大変ですよ。そもそもこのお寺はあの住職さん一人で切り盛りしていたんですから。葬式一つ執り行うにしても、同じ宗派の他のお寺さんからわざわざ来てもらってとか……色々、こっちでやらなきゃいけないから」

 忙しい中、立ち止まり答えてくれたのはこのお寺の檀家総代だと言う老年の男性だった。せっかくここまで来たが、自分たちの調査に関して話を聞けるような状況ではないことは雪上にも理解でき、このまま帰った方がいいのでは思ったが、九曜はめげずに総代さんに更に問いかける。

「住職さんにご家族の方は?」

 総代さんは首を横に振った。

「はあ、せっかくここまで来たのに」

 九曜はあからさまに落ち込む。その九曜を見ている総代さんは期待の眼差しを向けていたので、恐らくまた大きな勘違いしているのだろうと思う。

「僕らはS大学の学生で、この辺りに伝わる伝承についてフィールドワークに来まして」

 雪上がそう言うと、今度は総代さんがあからさまに落ち込み溜息をつかれた。

 いたたまれない雰囲気になってしまったので、「お参りだけでも」と言って、本堂の中に案内を頼んだ。


「こちらです」

 ちょうど、本堂につながる障子を開けようと総代が手をかけた時、

「僕のお父ちゃんは人殺しなんかじゃない」

 響く声に振り返ると五歳くらいの小さな少年が、目に涙をためて、彼の精一杯で総代さんを睨みつけた。

「君は?」

 雪上はひざをつき、少年と目線を合わせそう聞いた。

「拓斗。四歳」

 はきはきと答える少年に偉いね。そんな意味をこめて、ポケットに入れたチョコレートを差し出した。

「これ、向こうに行きなさい」

 総代さんが諭すように行ったので、少年はじとり目をしたが、素直に走って廊下の向こうに行った。

「あの少年は?」

 小さな子供の口から殺人などと言う言葉が出てくるとは思わなかった。

 総代は顔を顰める。

「実は……亡くなった住職を殺した犯人として捕らえられているのがあの少年の父親なのです」

「一体、何があったのですか?」

「あの少年の父親はよく癇癪を起すことで有名で、あの子の夫婦は色々と折り合いが悪く、住職さんが殺された日の夜も外に怒声が響く様な喧嘩をしていたと」

「喧嘩の内容は?」

「さあ、そこまでは。他人様の家のことですし」

まあ、最もだと思うが。

「なぜ、彼の父親に疑いが?」

「父親は癇癪を起し、喧嘩をすると、決まって家を飛び出していきましてね、ふらふらと徘徊して家族が寝静まった頃にまたふらりと家に戻ると言う話でして」

「じゃあ、その徘徊していた時間と住職の死が重なったという訳だ」

 九曜はそう言ってふむふむと頷いて、思いついた様にまた総代さんを見た。

 雪上は気付かれない様にため息をはく。

 嫌な予感がした。

 雪上は事なかれ主義だ。他人の厄介事に首を突っ込むのが苦手で、見て見ぬふりをする方が楽だからいつもそうしているのだが、隣の九曜はそうではないらしい。

「動機は?」

「さあ、ただ癇癪持ちの男だし、酒を飲んでいたのなら喧嘩の勢いというのもあるだろう」

「それで、犯人だと検挙された」

 ちらりと隣の九曜を見る。納得の行かないのか貧乏ゆすりが始まっていた。

「そこまでは……ただ父親は絶対に自分はやっていないと言いはっているようで」

 総代は、やれやれとばかりにそう続けたが、九曜は腕を組んでだんまりと考えこんでいる様子だったので、雪上が相槌をうち、その理由を尋ねた。

「そこまで本人が強く言う根拠は?」

「自分にはアリバイがあると言う」

「アリバイですか?」

「警察が言うには、住職が殺害されたのは、夜の十一時ごろだと言う。その時父親は、喧嘩して家を飛び出し徘徊――どうも徘徊の先は隣町の白じいの家で、二人で酒を飲んでいたと言う」

 総代は白じいと言う人は呑兵衛だが、人好きするタイプの隣町の古くからのその集落で暮らす人で、総代さんも何度も会ったことがあるが、今は体調を壊して娘に世話をされていると説明を付け加えた。

「酒を?」

「ああ。だから絶対に自分じゃないと」

「その白じいと言う人と何時まで酒をのんで、それから何時くらいに家に戻られたのですか?」

「本人が言うには、深夜零時までのんで、それから家に戻ったと」

「しかし、証言が本人だけでは……ご家族もそう仰られているのですか?」

「奥さんも、その辺りの証言は一致しているようで、夜の十時ごろ喧嘩して、そのまま出て行って、返って来たのは確かに零時過ぎごろだったと言っています」

「その白じいと言う人はなんと言っているのですか?」

「それが……亡くなってしまったのです。死人に口なしと言いますか、だから誰も立証はできないのです」

 総代さんはふうと息を吐いた。

 頼みの綱のアリバイを立証してくれる人物もいない。警察や近隣住民からは、どうせ奥さんと喧嘩して、フラフラとしていた所、住職に会ってカッとなり言い合いになった結果殺したのだろう。そう噂される。

 でも、もし本当にあの少年の父親がやっていないとしたら――彼は冤罪で捕まっていることになる。

「住職とその父親はもともと折り合いが悪かったのですか?」

 総代さんは首を傾げた。

「さあ、誰にたいしても喧嘩ごしでしたから。ただ私個人として思うに、きっと何かあったのだと思いますね。そう考えると、尚更住職が気の毒でなりません」

 父親に対しての興味関心は全く無いと言う様な感じだった。しかし、先ほどの少年が消えて行った方を見て、眉が八の字になる。

「そんな、評判の決していいとは言えない男ではありますが、息子にだけには絶対に手をあげず、休日などは一緒に遊んであげると言った優しい父親だっただけに、あの子にとっては不憫で」

 それだけはやりきれないと嘆く。

 表立って父親の事を悪者に出来ないのは、そう言った事情があるのだと知った。

 黙って聞いていた九曜が立ち上がる。

「隣町の白じいと言う人の所に行ってみたいのだが、場所は?」

 総代は今度は親切に、簡単に地図を紙に書き示してくれた。

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