Welcome to Meiji Era

常陸乃ひかる

Moved in 1906

『出会い、別れ、再会』

 三つは干渉かんしょうし合っています。

 が、『彼女』に会えない理由には直結しません。

 なぜならもう現世に居ないのですから。

 もし生きていたら140歳を超えた妖怪でしょうね。



 眼のめるのを、身体からだの重さで実感する。ゆっくりと上半身をおこすと、其処そこは見知らぬ仏間ぶつまだった。

 男は意識の朦朧もうろうとするのをこらえ、もぞもぞと蒲団ふとんを出て、畳を這いながら障子をると、囲炉裏いろりでぷうぷう湯気を吹く鉄瓶の向こうに土間があり、一段下がった其処には素足に草鞋わらじを履いた着物姿の女があった。

 流行はやり乗遅のりおれた末の異世界転生ファンタジーが叶ったわけではなさそうだ。あゝ、先週の残業が源因げんいん相違ちがいない。これは夢だと思って受入うけいれていれば、畢竟ひっきょう現実に戻るはずだ。

 男はほとんどどが億劫になって、考えるのをめた。


「おや御早おはようございます。御目覚めになりましたか」

 男の存在に気づくなり、束髪そくはつの女性は手を止め、

「河原で倒れていた時は土左衛門どざえもんかと思いましてよ。貴方、御名前は?」

 着物の上に着けた白いエプロンで手を拭きながら、くすりと笑って男へ近づいてきた。困惑しながら記憶を辿ったが、旅行先の橋から浅瀬へ落ちてゆき――其処そこで記憶がぶつりと切れている。

「わっちは、みの――っ、七海ななみです」

 男は名乗りながら、整った目鼻立ちを見据えた。途端、何かが湧き上がるのを覚えて、さっと目を逸らしてしまった。首を傾げる女は、困ったように微笑んでいる。


「――おぉ、起きたか! 御客人、身体はもういのか?」

 もやかかったような心持こころもちを、綺麗サッパリ払ってくれたのは、景気の善い大きな声だった。

「御父様。の方はまだ病みあがりです。大きな声は控えなすって」

「そううなって! 客人も無事みたいだしずは朝飯にしよう! おハナ、準備をしておくれ」

 散切り頭に鼻下のひげ着流きながし姿の主人は、まるで明治時代を象徴するような様相ルックスの、体の大きい男だった。


 囲炉裏ばたに座り、三人は食事を前に手を合わせた。

七海君ななみくんはなぜあんなところに? 洋服を見る限り、割と裕福そうだが」

 主人は豪快に飯を掻込かっこむ。

「説明しにくい……。お聞きしたいんですが、日露にちろ戦争ってもう終わりました?」

 七海は混乱したまま、ピントをあわせやすい史実を尋ねた。『〇〇村』のような観光地でなければ、やはり現代とは思えなかったのだ。

「ついこないだ終戦されたではありませんか」

「ポーツマスのあとか……。では総理大臣は誰です?」

「ほんにまあ、寝惚ねぼけるのも大概になすって。『伊藤いとう博文ひろぶみ』の名をお忘れに?」

 なるほどと七海は頷いた。暗殺される前――明治四十年前後だろう。

 露西亜ロシアとの戦争で大量の犠牲者を出しながらも勝利したが、国は借金を背負い、国民には何も残らなかった。何かと露西亜は歴史に登場し、悪名を残してゆく。

 とはいえ、露西亜だけが悪者と云ってしまうのは違う気がするが。

「……陛下へいかが指揮をり日本は勝利したが、斯様かようなこと二度とめてほしい。戦争に勝ってい気になってるのは一部の人間だけ」

「えぇ、一般人は損しかしません。日本が一番だと思ってる国粋こくすい主義が勘違いしてるだけ。偏ったイデオロギーを未来に伝えるのはどうなんだか」

 此の家は長屋ではなく、すべての部屋とまではいかないが、電気を引いているようなので貧困層――いや、庶民にも到底見えない。

「まあ……わっちは未来から来たと思ってください」

 主人の質問を善い加減に答え、白米、佃煮つくだに法蓮草ほうれんそうの味噌汁――一汁一菜いちじゅういっさい有難ありがたくいただきながら、その暮しを間近で感じた。明治を象徴する牛鍋なんて物はず食べる訳がない。

「はははっ! 七海君は可笑おかしい奴だな! よし気に入った、斯様かような状況だし、うちには好きなだけ居てくれ! どうせ二人暮しで部屋を持て余してんだ」

「もう……御父様、好きなだけなんて――」

「おハナも『殿方とのがた』と触合ふれあう善い機会だろう」

「もう! 大概になすって!」

 さて、これからどうするべきか。七海は身の振り方を考えた。


 ――けれど、現代へ帰る手立てだてがわからぬまま幾日を過ごした。

 ハナの家は、江戸の頃から町の旦那衆だったようで、私財で文化を守ったり、地域を活性させたり、職人に機会チャンスを与えたりしていたという。

 ハナの母は若いうちに病死しているようで、七海は彼女の家事を進んで手伝おうとした。が、「殿方に斯様なこと――」と断られてしまうのが常だった。


 る時。

 ハナが家事の合間に、椽側えんがわに出て絵を描いていた。後ろから近寄り「お上手ですね」と声をかけると、「いやですわ恥ずかしい」と、それを隠してしまった。

「わっちにはそういう才能がないので」

わたしはもう廿歳はたちになりますが……めあぐねておりまして、気晴らしにこうして絵を」

「ハナさんはもっと自信を持ったら良いのに。そうだ、良ければわっちがモデルになりますよ? 世話になりっぱなしってのも悪いし」

「七海様がおっしゃるのならよろこんで」

 そうして七海は、広縁ひろえんに置いた椅子にじっと座り、鼻先を掠める春分の暖かい香りへ身を寄せるように、日日ひびを過ごした。


 近代の生活に慣れ始めた頃。ハナと散歩をする機会がやってきた。

 七海はワイシャツとズボンを着衣し、左手には、る旅行先で出逢った人物から譲り受けた杖を握り、外へ出た。

「足が悪いのですか?」

「これは友人の形見……お守りです」

 二人は絶妙な距離を取りながら、見覚えのある小さな石橋に差しかかった。七海はこけむした欄干らんかんに手をついて、さらさら流れる小川を見下ろしていると、

「七海様、あの……」と、ハナはもじもじしながら話を切出きりだしてきた。手すりを背にして七海は、「なんでしょう」と笑顔を返す。

「どなたかと懇意こんいになったことは御座いますか? 斯様かようなこと、女が聞くなどはしたないとお思いでしょう。ですが気になって……」

「多少は恋もしましたよ」

 七海はもう三十に近い。それ相応の返答をし、

「その中のひとりがハナさんです。そう言えば信じてくれます?」

 ほどなく本心を、ぼそっとつぶやいた。七海はたった数日の生活の中で、ハナに対して明確な好意を抱いていたのだ。

「何を莫迦ばかなことをおっしゃいます。それに……貴方は未来から来たのでしょう?」

「未来人は信じるんですね」

わたしには冗談に聞こえませぬ。ほんに貴方は……? そ、そうであれば知りたいことが御座います。この国はどうなりますか? 妾の胸に留めておきますゆえ――」

「わっちが答えたところで未来は変わりません。でもこの時代の活力を見てたら、まだなんとかなる気がしてきました。まあ、わっちは英語覚えて海外に逃げますけど」

「……あははっ! ほんに七海様は可笑しいったら!」


 一拍。

 ハナが襟を正した。そしてふと、

「実は先日、艶書えんしょが送られてきたのです。近近ちかぢか、妾はそれがしも知らぬまま、見知らぬ家へ縁付えんづくでしょう。不安……なのです」

 現代とはまるで異なる腹中ふくちゅうを口にした。

「けれど貴方のことば、ほんに嬉しかった! 御願おねがいでございます、貴方は……貴方の時代で往生なすって。妾もこの時代で天寿を全ういたします。どうか妾のことは……忘れてくださいませ」

「フラれちゃいましたね――」

 云い終るよりも早く、異性の手を握ったこともない生娘きむすめが身を寄せてきた。彼女は顔を紅潮させ、「御喋舌おしゃべりが過ぎました」と涙ぐんでいた。そんな姿に圧倒された七海は全身の力を失っていた。

 が、ハナは身を寄せる力加減もわからなかったのだろう。急に体重を乗せられた七海は足を取られ、橋の欄干を背にしていたせいで、重心が後方へと傾いてしまった。

「やばっ……!」

「危いっ――!」

 ハナは咄嗟に、七海が左手に持っていた黒漆くろうるしの杖に手を伸ばした。間違いなく彼女の右手は、杖を掴んでくれていた。が、不運にもその友人の形見は、ただの杖ではなく仕込刀だったのだ。

 ハナが杖の持ち手を握ったことにより、鞘走るように刀身は別れ、真っ青になった彼女の顔が離れていった。赤くなったり青くなったり、忙しい女性である。

 七海は何かを悟ったように、鞘を握ったまま橋の下へと落ちていった。

 ゆっくりと、暖かい春の風を感じながら。

 街道をのんびり歩くくらいの心持で、ゆっくりと――


 やけに水音が近い。

「いてっ……あれ、わっち……」

 目を開けると橋の下の浅瀬で、ワイシャツの一部と、ズボンの足元を濡らしていた。近くには、友人の形見の鞘だけが転がっている。それを拾ってフラフラと立ち上がり、覚えのある道を辿り、町の一角へやってきた。その中の一軒の家へ吸い寄せられるように向かいチャイムを鳴らした。

 家から出てきたのは年老いた女性だった。七海は急な訪問を詫び、ハナという名前を語り、黒漆の鞘を見せた。

「もしかして七海さんの子孫ですか?」

 すると女性はその顔を見るなり、自ら本題に入ってくれたのだ。


 家に上げてもらった七海は、見覚えのある間取りの一室で事情を聞いた。この女性の曾祖母そうそぼがハナという名で、絵の道に進んだ才女だという。

 ほどなく見せてくれたのは、縁側で描いてもらった七海の横顔だった。二十号ほどの小さな日本画だが、立派な額に入れられている。

 懐旧を覚えつつ、女性が七海を『子孫』と言った理由を理解した。七海も本題のように、「この鞘に見合う刀、ありませんか?」と杖の片割れを見せた。

「もしかして……」

 女性は家の奥へゆくと、刀袋かたなぶくろを持って戻ってきて、中から白鞘しらさやを取り出した。

「大事に管理しておりました。宜しければあなたの手で戻してくださいますか」

 言われるままゆっくり抜くと、刀身は錆びずに輝いていた。杖のグリップにあたるつかも新調されており、時を越えて黒漆の鞘にぴったりと収まってくれた。黒白のコントラストを笑いながら、七海は「受け取ってください」と女性へ差し出した。

「ひいお婆ちゃんも喜ぶと思います」


 たとえ夢物語でも、自分の心で生き続ければ良いのだ。浮世にはそういう出会いと別れと――ちょっとだけの再会があるのだから。

 流れる川も、咽ぶ姿も、美濃和みのわ七海ななみは決して忘れないだろう。


                                   了

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