新緑の追憶

冨平新

新緑の追憶【KAC20227参加作品】


 「亜沙美あさみが離婚したんだって」


 タワマンの自室でくつろいでいると、

 学生時代の友人の高橋勇太たかはしゆうたから

電話がかかってきて、そう聞いた。

 


 僕はしばらく無言だった。


 「もしもーし・・・孝太郎こうたろう

おいっ、聞いてるかー?」

 「あ、ごめん、連絡ありがと。

今度かけなおす。じゃ」


 知らせてくれたことへの礼が、

僕の精一杯だった。


◇ ◇ ◇


 山本亜沙美やまもとあさみ

 出会った当時は、仲間亜沙美なかまあさみ

 学生時代、部活の1年後輩だった。

 

 僕は、高校生の時から吹奏楽部で

ホルンを吹いていたので、

2浪して入った大学でも

吹奏楽部で吹くと決めていた。


 2年生の時、

一際ひときわ可愛い新入生女子が入部してきた。

 それが、当時の仲間亜沙美であった。


 亜沙美は沖縄出身で、

イントネーションを気にしていたようだったが、

そのことで虐められたり、

はずされたりすることはなかった。


 持ち前の、明るく天真爛漫てんしんらんまんな性格と、

可愛らしい茶色のツインテールが目立つ、

可愛い、という形容詞しか

咄嗟とっさに思いつかないような風貌ふうぼうだった。


 「佐藤さん」

 亜沙美は、僕のことを

『苗字』と『さん付け』で呼んだ。


 僕は、自分が赤面したことに気づいたが、

隠しようがない。


 「今日のパート練、何時までですか?」

 今日は合奏は無く、

各パートごとに練習をする日だ。

 「ああ、6時までだよ」

 「わかりました。ありがとうございます」


 どうやら、携帯電話で、

バイト先に連絡するらしい。

 亜沙美が、路地裏のカフェ

『Luxe(ルークス)』で

働き始めたことは知っていた。


 亜沙美は、何かあると、

僕にばかり話しかけてきた。


 友人の藤原美憂ふじわらみゆうが高校の時から

トランペットをやっているから、

と、同じ下宿の亜沙美を誘って入部したらしく、

やりたい楽器がわからなかった亜沙美は、

僕と同じ楽器、ホルンを選択した。



 夏休み直前の、部活の飲み会でのことだった。

 亜沙美は、白いミニスカートを履いてきた。

 ドキッとした。


 僕は酒が強かったが、

亜沙美は弱いくせに、男子から次々としゃくを受け、

ゆでだこの様になっていた。


 「さ・・・とう・・・さんっ!」

 高橋としゃべっていたのに、いきなり僕の横に来て

僕の腕を叩いてきた。

 「聞いて下さいよぉ~」

 

 僕は、あらわになりかけている太ももを見ないように、

可愛すぎるゆでだこだけを見て話を聞いた。


 どうやら、バイト先でミスをして、

店長に叱られたらしい。


 「そのぐらい、常識でしょって言われて~。

おこられちった・・・てへっ・・・

ねぇ佐藤さーん・・・常識って、なんですかー?」

 ゆでだこの目から、涙が流れていた。


◇ ◇ ◇


 僕は3年間、

亜沙美と吹奏楽部で活動することが出来た。


 亜沙美には彼氏はいなかったが、

僕とは男女の付き合いではなかった。


 他者から謙虚けんきょに学び、

一生懸命ついて来ようとする

亜沙美との将来を、僕は毎日のように妄想した。


 この女性となら、一緒に楽しく生きて行けるだろう。

 毎日、こんなに明るくて、

可愛い女性と人生を歩むことができたのなら、

これ以上の幸せはないだろう。

 この女性のためなら、どんなことでもできるだろう。

 身を捧げるようにして働いて、

幸せなひと時をたくさん体験し、

僕たちの幸せな記念写真をたくさん撮って飾りたい。


 僕が亜沙美を好きだったことに、高橋は気づいていた。


◇ ◇ ◇


 4年生になり、最後の定期演奏会の日。

 いよいよ、引退のときを迎えた。


 ワーグナーの

『タンホイザー序曲』の演奏が終わった。

 感無量かんむりょうだった。

 会場から沸き起こる拍手喝采はくしゅかっさい

 込み上げてくる感涙を、僕は素直に流した。

 僕だけじゃなく、男子も女子も、

みんな、泣いていた。

 みんなが一つになって、涙を流して、

これまでの努力を労い、定演の成功を祝った。



 定演の打ち上げ後、

僕は亜沙美に、真正面から告白した。

 「結婚を前提に、お付き合いしてください」

 「・・・佐藤さんは、

・・・お兄ちゃんのような存在だから」


 下宿に戻り、僕は布団で口を強く抑えて号泣した。


◇ ◇ ◇


 数年後、

吹奏楽部のメンバーの結婚式が断続的にあったが、

亜沙美は沖縄に戻ってしまったので

東京に来ることはなかった。


 僕はしばらくの間、亜沙美を引きずり、

沖縄で元気に暮らしていることを祈っていた。



 僕が32歳になった時、

亜沙美が高知県の男性と結婚して、

山本亜沙美になった、と高橋から聞いた。

 亜沙美は29歳だった。

 30歳になる前に絶対に結婚したい!

と学生時代に言っていたことを思い出した。

 

◇ ◇ ◇


 僕は、亜沙美を忘れるために

心機一転、仕事に打ち込むことを決意した。


 『アルバ』という民間会社に勤めている僕は、

大手企業との合同プレゼンで成功し、

大量の注文を受けるに至った。


 「佐藤君、君がこんなにデキる男だったとは!

君が入社してくれたことは、

この会社にとって良き出会いだったと言えよう。

これからも、よろしく頼むな」

と上司におめの言葉を頂いた。

 

 ついに、『救世主』というあだ名が付けられた。


 僕はどんどん出世していき、

10年後には代表取締役の1人になり、

給与、ボーナス、役員手当で経済的に

とてつもなく潤ってきたので、

タワーマンションをローンで購入した。


◇ ◇ ◇


 タワマンの20階に住み始めて2年。

 僕は独身のまま46歳になっていた。


 高知の山本という男性と亜沙美が離婚した、

という高橋の連絡を受けて、

頭がボーっとしたので、次の日曜日、

あらためて高橋に連絡した。

 亜沙美は4人の子供をもうけたが、

4人とも旦那に預けて離婚したらしい。

 

◇ ◇ ◇


 亜沙美が離婚したことを聞いてから

1年が過ぎた頃。

 僕がタワマンの自室でくつろいでいると・・・


 チャリラリシャラリーン・・・


 「もしもし」

 「佐藤さん?お久しぶりです。仲間です」

 「・・・仲間?・・・」


 亜沙美だ。


 「そうです!佐藤さん、お元気ですか?」

 「あ、ああ、お久しぶり・・・」


 今更、何の用だ。

 僕は、少しイラっとした。


 「高橋さんに電話番号聞いちゃったんです。

どうしても、もう一度、佐藤さんに会いたくて。

まだ、独身だって聞いて・・・」


 東京で開催される

『スカポンタス』というグループの

ライブのチケットが取れたから上京する、

ライブの翌日に会いたい、と誘ってきたのだった。


◇ ◇ ◇


 わかりやすく、渋谷駅のハチ公前で

午後2時に待ち合わせをした。

 念のため、亜沙美の連絡先も聞いておいた。


 10分ほど早く着いてしまったが、

亜沙美の方が早く、僕を待ってくれていた。


 ツインテールでこそなかったが、

アラフォーとは思えないほど、

亜沙美は若く見えた。

 

 「佐藤さん!わあ!懐かしい!

元気でしたか?

これからなんですけど、久しぶりに

大学キャンパスに行ってみませんか?」


◇ ◇ ◇


 「私、これから佐藤さんと、

知り合いからはじめ・・・」

 「ごめん、仲間さん。

もう僕の心の中に君はいない。


僕と別れて、というか、

会えなくなってもう23年ぐらい、

君が結婚してから、もう14年か?」

 「15年」

 「ごめん。君とは、始められない。

君とは、2度とない」


 亜沙美の目に、涙がまり始めた。

 やや上向き加減になって鼻をすすったが、

涙はこぼれ落ちた。


 「前を向こう。

僕らはもう、あの頃の僕らじゃない。

大人になって、成長して、

あの頃の心ではなくなっているんだよ。


君が今更、何を求めて僕に再び始めよう、

と声をかけてきているのかわからないが、

僕は、あの別れの時、

一人で生きてゆくことを、固く心に決め、

二度と揺るがない礎を築いて、

そこに足をつけて立ち、歩いてきた。


25年前の愛は、僕の心の中には、

もうひとかけらも残っていないんだ」


 亜沙美は、下を向いて鼻をかみながら、

じっと僕の話を聞いていた。


 僕は、何も悲しくはなかった。 

 亜沙美が物質的な、

人間の『飾り』を欲しがるような女性だ

と気づいたのだ。

 僕は、自分とは相性が合わないと判断した。

 それ以来、僕の心の中の亜沙美という『さび』が、

一粒たりとも残らないほど、

僕の心の中の、僕と亜沙美は、完全に別れたのだった。



 久しぶりに訪れたキャンパスは、

みずみずしい新緑しんりょくあざやかであった。

 しかし僕にとっては、懐かしいというよりも、

初めて目にした光景の様だった。

 

 キャンパスの新緑の追憶は、

もうすでに消えた後だ。


(完)


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新緑の追憶 冨平新 @hudairashin

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