〈アキラ〉と〈ミポリン〉

倉沢トモエ

〈アキラ〉と〈ミポリン〉

 その町の駅前には喫茶店。

 あの事件も、もう30年も前だということか。まだ平成だった。事件の現場となった喫茶店は、今はコンビニになっているし、この話に登場する駅の伝言板は、とうにない。


〈駅の伝言板〉は、もはや説明が必要だろう。かつては黒板、事件の頃は、ホワイトボードだった。待ち合わせ相手に伝言を残す時などに使う。


「ええ、そうです。書き込んだ時間と、相手に自分だとわかるイニシャルや呼び名を書いて、◯◯で何時まで待ってる、とかですね。携帯もありませんから、そうやって行き違いを防ごうとしていたんです。何時間か経過すると、駅員さんが消します」


 女性はその当時短大生で、たまたまその伝言を目にしたという。


「その日は、前日高校の後輩から電話があって、夕方6時ごろ、伝言板見てくださいね、書けたらお返事も書いてくださいね、と言われていたので見たんです。そうしたら、部活の一同から〈バイトも卒業研究もがんばって〉って書いてあって、嬉しかった。〈ありがとう〉て、書き込みましたよ。

 その時に、その伝言に気づきました。

 それはなぜか、なんてことがないはずなのに直感的に、ていうんですかね、異様に見えて。それで私も覚えていたんだと思います。いやな出会いですね」


 女性が見かけたその伝言は、〈アキラ〉〈ミポリン〉と呼び合うものだという。


「それからも何度か見かけたので気になって。通学やバイトのとき、通りがかるたび観察しました。

 だいたい午後5時頃に〈アキラ〉の伝言があるんですよ。『ミポリン、いつものサ店で待ってるゾ!』みたいな。

 それで、だいたい10分くらいあとの時間に〈ミポリン〉から、『メンゴメンゴ! あたし待たせて罪な女!』みたいに書いてあるんですよ。やり取りになっていて。しかも、週に2、3回は見ました」


 しばらくして女性は、自分がアルバイトをしていた駅前の喫茶店でよく見る男女が、〈アキラ〉〈ミポリン〉と呼び合うことに気がついたそうだ。


「もちろん、黙ってました。今日まで誰にも話してません。そもそも〈アキラ〉なんて普通にたくさんいる名前だし、〈ミポリン〉てことは、〈ミホ〉て名前なんでしょうけど、それだってありふれてます。伝言板の名前が本名であるとも決まってないですし、誰にも話していません」


 二人はやたらと親密振りをまわりにアピールするので、店は少々困っていた。


「〈アキラ🖤〉〈ミポリン🖤〉て、延々呼びあって手を握っていたりですね。

 しかも悪いけど、〈アキラ〉は氷室京介意識してて、〈ミポリン〉は、ワンレンボディコンでした。どちらも似合ってないんですよね」


 今で言うと『残念』、ていうんですかね。


「その〈アキラ〉と〈ミポリン〉は毎回そんなですし、駅の伝言板の〈アキラ〉と〈ミポリン〉も、ずっと同じでした。

 でも、ある時から三人目が喫茶店に来るようになったんですよ」


 しかし、女性はその客が〈三人目〉だとは最初わからなかったという。ジャケットからバッグまで全身シャネル、髪はソバージュ、いかにも当時の女子大生ぽかった。しかも美人。


「その三人目は、ずっと陰のほうの席から〈アキラ〉と〈ミポリン〉を見ている訳です」


 彼女がこの話の登場人物三人目であることはじきにわかった。

 そのソバージュが、たびたび〈アキラ〉と〈ミポリン〉と同席するようになったのである。


「その三人が集まると始まるのは、別れる別れないの話なんですよ。もつれたやつ」


 そして、その日が来たのだと。


 ここで事件を振り返ろう。


 某年某月某日午後6時35分、20代の男女3人が○○駅前喫茶店△で口論の末、女のひとりが刃物のようなものでもうひとりの女を刺す事態となった。


「最初に刃物出したのは、ソバージュなんですよ。『もう嫌。死んでやる』とか言って。

 そしたら〈ミポリン〉のほうが、ケラケラ笑って、そこでソバージュ、いきなり〈ミポリン〉を切りつけたんですよ」


 傷害事件である。女性は店の公衆電話から通報し、その間、店員やほかの客がソバージュと〈ミポリン〉を押さえた。

 出血がひどく、応急処置も、と、騒ぎになった。


「その間、〈アキラ〉は何していたかって?

『許してくれ〈ミポリン〉』て、なにもせずただ号泣ですよ。〈ミポリン〉が気の毒でした。

 ソバージュは『どうして、私じゃないの! どうして、私じゃないの!』て、その横でわめき出すし」


 なんだか、芝居がかった人間ばかりが集まっていたようだ。


「ほんとに、そうですよ。三人とも結局、いちいち芝居がかってるんですよ。だからひかれあってこじれたんでしょうけど。

 それから警察が来て、私は今話したようなことをひととおり話しました。

 話すうち、最初のあの伝言板のことも思い出したんですよね。ああ、あれ書いたのはやっぱりこの〈アキラ〉と〈ミポリン〉だったのかなあ、って」


 伝言板の伝言には、特に理由がなければ返事は書かない。書いたところで相手が読む可能性は少ないからだ。なのに〈ミポリン〉は返事を書いていた。伝言板で遊ぶ女子高生みたいに。


「ふたりのやり取り、そうしてソバージュに見せつけてたんじゃないのかなあ、って、その時は思いました。

 彼女が伝言板見たら、イライラしたんじゃないですかねえ。そして、そのイライラが多分、〈アキラ〉と〈ミポリン〉をかえって燃え上がらせたんじゃないでしょうか。なんだかいやですねえ。店には迷惑でした。

 それきり、その三人のことは知りません。次の日ニュースになったのはテレビで見たかな。テレビってあたりが、すごく昔の話っぽいですね」


 女性は、ひとしきり笑った。


「とはいえ、ここまで話してきたことは全部推測で。伝言板のほうの〈アキラ〉と〈ミポリン〉、店に来ていた方とは別人かもしれなくて」


 というのも女性は事件の翌日、駅の伝言板前を通りがかり、


『ミポリンは、ずっと待ってるゾ!』


 という伝言を一瞬見たのだという。


「そう。傷害事件の被害者が、事件の次の日そんなとこに書けるわけないですよね。入院していたはずです」


 でもその時は。

 もしかしたら〈アキラ〉の伝言もいつものようにあるのかも、と、目をこらしてみたら、


「そのタイミングで、駅員さんに全部消されちゃいました」


 以後、〈アキラ〉と〈ミポリン〉の伝言を見かけなくなったという。


「まあ、どうってことない話でごめんなさい。

 でもなんだか、今でも時々思い出すんですよ」


 言って女性は、メンソールのタバコに火をつけた。

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〈アキラ〉と〈ミポリン〉 倉沢トモエ @kisaragi_01

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