隣の席に座った人から聞いた話
秋空 脱兎
せめて手向けになっていますように
「私、明日引っ越すのよ」
ここは、駅前のハンバーガーショップ。
注文した新商品のハンバーガーを食べていると、隣の席に座った女性が、いきなりそんな事を言ってきた。
「は、はあ……?」
突然与えられた情報を口の中のハンバーガーごと咀嚼して飲み込んで、どうにか出た言葉がそれだった。
「む、何よその反応」
「いやだって、見ず知らずの人にいきなりそんな事言われても、反応に困りますよ」
「へえ、そういうものなの?」
「少なくともボクは……」
「そっか」
女性はそう言って、フライドポテトを二つ纏めて口に放り込み、Mサイズの何らかの飲み物を飲んだ。
「あの、どうしていきなりボクに話しかけてきたんですか?」
「うん? 特に理由はないよ。たまたま偶然、隣の席にいたから」
「さ、左様ですか」
「そうよ」
そこで会話が途切れた。ボクは手持無沙汰になり、ハンバーガーを食べる事を再開した。食べながらちらりと女性を見ると、フライドポテトをつまんでいた。
女性はボクの視線に気付くと、食べる手を止め、
「……私ね」
「え?」
「私、逃げるの。この街から」
「どうして?」
女性は考えるような素振りを見せて、フライドポテトを三つ食べて飲み込んで、
「色々あるのよ。最悪な家族共から遠ざかりたいとか、この街にはやりたい仕事がないとか、顔も合わせたくない連中が他にも大勢いるとか、色々……」
「どこまで、逃げるんですか?」
「東京の方まで」
「東京……」
「本当は逃げてからしばらくは休みたいのだけど、少ししかお金ないから、すぐに仕事見つけなきゃ。電話番号もメルアドも新しいの用意しなきゃだし……やれる事でやらなきゃいけない事、沢山あるな……」
「……えっと、どう声をかければいいのか、正解が解んないですけど、上手く行くといいですね」
「ありがと」
その後、特に会話はなかった。
先に食べ終わったのは彼女で、先に出て行ったのはボクだった。
頑張れとは、最後まで言わなかったし、言えなかった。見ず知らずの他人に、現実を何とかしようと藻掻いている人間に、そんな言葉は酷な気がしたからだ。
だが、上手く行く事を願うくらいなら。
隣の席に座った人から聞いた話 秋空 脱兎 @ameh
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます