【KAC20227】愛しのカタリーナ

井澤文明

出会いと別れ

出会いと別れ


「もう会うこともないでしょう、さようなら」


 信号待ちをしていると、職場の後輩が突然、彼女の隣に立っていた初対面の女性に言い放った。

 女性は口をポカンと開けたまま、硬直する。きっと僕も同じ顔をしていることだろう。


「すいません、ちょっとした実験をしてるんです。驚かせて、ごめんなさい」


 歩道の信号が青に変わる。女性は引き攣った顔で、そそくさと去って行った。

 周りの人々は後輩の奇妙な行動に眉一つ動かしておらず、そこがなんともニューヨークらしいと勝手に感心する。


「今度はどんな実験をしてるんだ?」


 僕はため息を吐き、横断歩道を歩く。


「出会いもあれば別れもある、っていう言い回し? が、あるじゃないですか。人と出会うと、いつかその人との別れを経験する、みたいな」

「ああ、あるな」

「その逆はあるのかな、と疑問に思って」

「逆?」


 後輩は頷く。

 僕らは話を続けながら、職場の向かいにあるレストラン・カタリーナを目指す。


「人と出会うと、いずれ別れるのなら、別れてから出会うこともあるのかな、と」


 冗談かと思うような思考だが、この後輩はいつもこうだ。人が思い付きもしないようなことを考え、試そうとする。


「そもそも『別れ』は、元々一緒だったものが離れ離れになることだろう? 元々一緒なら、それはつまり『別れる』前にすでに『出会っている』。そう考えると、別れてから出会うことは無理だ」

「ああ、なるほど。そうですね、すいません」


 謝罪の言葉は言っているが、そう言う顔は全く反省の色を見せていない。


「じゃあ、さっきの私の行動はどうです? あの女性に別れの言葉を告げて、それから交流をしました。出会うことを同じ場所にいて意思疎通を図ることと定義したら、『別れてから出会う』が成り立つのでは?」


 僕はまた、大きなため息を吐く。そしてレストランの前に立つ。しかしレストランは閉まっていた。


「あれ? 諸事情でしばらく休業するみたいです」


 扉に貼られた貼り紙を見て、後輩は言う。

 僕は大袈裟に咳払いをする。


「さっきの話だけど」


 後輩はくるりと振り返り、僕の顔を見上げた。


「君のあの行動は『別れる』とは言えないと思う。言葉こそは喧嘩別れしている人のようだったけど、その言葉の意味に、並べられている言葉と同様の意味は含まれていなかった」

「『さようなら』と言いながら、意味は『こんにちは』だった、みたいなことですか?」

「そんな感じ」


 僕の言葉をゆっくり噛み砕こうと、後輩は自分一人の思考の海に沈んでいく。「別れてから出会うことは可能なのか」を立証できるような方法を探しているようだ。

 僕の「別れてから出会うことはできない」という結論に納得していないようだったが、根気強く考え続ける所が彼女の長所とも言える。


「昼は適当にそこら辺のカフェでいい?」

「この間、新しくパン屋ができたんで、そこ行きましょう」

「オッケー。じゃあ、そこにしよう」


 目的地は今いる所の反対側にあるようで、僕らはそこに向かって歩き始めた。


「あれ、なんかある」


 辺りに緑が増え始めた時、後輩は急に立ち止まって、目の前にある茂みに目を凝らしていると、そこから少し汚れたクマのぬいぐるみを拾い上げた。


「よく見つけたな」

「運命の出会いなのかもですよ」


 ぬいぐるみに付いた汚れを払い落とし、持ち主を探す手掛かりになりそうな物を僕らは探す。


「なんか、名前が書いてあります。───カタリーナ? 持ち主の名前でしょうか」

「かもな。見つけやすい所に置いとくか?」


 僕らは辺りを見渡す。左手に車道があり、特に物を置けるような場所が見当たらなかった。


「カタリーナ!! カタリーナ!!!」


 叫ぶように名前を呼ぶ声がした。遠くから男女が駆け寄ってくる。夫婦のようだった。


「あれ、店長とさっきの女の人だ」


 後輩の言う通り、こちらに向かって来ていたのは、休業中のレストランの店長と先程(後輩が)迷惑をかけた女性だ。


「あなたたちは……」


 思い掛けない出逢いに店長は驚いていたようで、目を大きく見開いて僕らを見た。一方、女性は後輩から手渡されたぬいぐるみを抱きしめて涙を流している。

 店長は泣くのを必死に堪えている様子で、ゆっくりと言葉を溢した。


「この間、交通事故で亡くなった娘のものなんです。どこを探してもなくて、私たちも途方に暮れて諦めていて……見つけてくれて、本当に、ありがとうございます」


 レストラン・カタリーナの店長夫婦と僕らは、その後、静かに言葉を交わし、しばらく慰め合ってから、それぞれの道へと別れた。

 腕時計を見ると、昼食休憩は既に終わっている。

 夫婦が去って行った道をぼんやりと見つめながら、後輩はポツリと言う。


「出会って、別れて、それからまた出会う、っていうのを繰り返してるのかもしれませんね、人生って」

「ああ、そうだな」

「先輩の言うように、別れてから出会うのは無理そうです」

「さっきも言っただろうけど、『別れる』の定義がそもそも『出会っている』ことを前提としてるからな」


 僕らは、ほっと小さく息を吐いてから、大急ぎで職場に戻った。今日は昼食抜きでやり過ごすしかなさそうだ。

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