素敵な出会いと素敵な別れ

惟風

素敵な出会いと素敵な別れ

 そのグリーンのワンピースは、姉が連れてきてくれたセレクトショップの片隅に、ひっそりと吊るされていた。パステルカラーのワンピース。

 洋服に一目惚れをしたのは初めてではないけど、これまでとは段違いに惹かれるものがあった。


「春らしくて良い色じゃない。気になるんなら試着してみたら?」


 手に取ったまま立ち尽くす私の背中を押すように、姉は笑った。

 一瞬、トモ君の顔が思い浮かんだ。いつもはそこで思いとどまるのに、何故か服を売り場に戻すことがためらわれた。

 試着だけなら、良いよね。


 同じ大学に通うトモ君とは、一年ほど前から付き合いだした。

 友達の紹介でなんていうありふれたきっかけで、ありきたりなやり取りをして、当たり前のように彼氏彼女となった。

 そういう仲になる前までは、決断力があって、リードしてくれる頼もしい人のように見えたのに。


「似合ってない」からメイクはダメ

「ビッチに見える」からこの服は着ちゃダメ

「趣味が悪い」からこの音楽は聴いちゃダメ

「頭が悪くなる」からこの映画は観ちゃダメ

「恥ずかしい」からあのコと友達でいちゃダメ


 そうやってジワジワと私に侵食してきた。


 いつの間にか、私の触れるモノは彼の趣味で彼が選んだ、彼の気配を感じるモノだらけになってしまった。

 私だっておかしいとは思ったのだけど、初めてできた恋人に、嫌われることが怖かった。

 流されるままにしていくうちに、私は本当に一人では何もできない人間になってしまった。

 この服を着て良かっただろうか、似合いもしないブスが歩いていると思われていないだろうか。

 受け答えは間違っていないだろうか、空気の読めないバカだと呆れられていないだろうか。

 塞ぎこみがちになった私を見かねてか、姉が買い物に連れ出してくれた。

 外に着ていく服がないよと私が泣くと、大丈夫大丈夫これがとっても似合ってるよとコーディネートしてくれた。

 そして、お気に入りの店があるのと連れてきてくれたのだ。


 ワンピースを試着してみると、まるで私のためにあつらえたようにぴったりだった。スカートの長さ、袖丈、ウエストの切り返し。着心地も良い。


「すごい似合ってるじゃん! これは買いだよ! ていうか私が買ってあげるから!」


 姉に見せると、大絶賛だった。

 鏡を見てみると、自分でもびっくりするくらいに笑顔になっていた。すっぴんで来たはずなのに、チークを入れたように微かに頬が紅潮している。

 くるりと回ってみるとフワッと揺れる布地の軽やかさも嬉しく、気がつくとレジに並んでいた。

 女性の店員さんが、気さくに声をかけてきた。


「このワンピース良いですよねえ! 私も色違いが欲しくてえ、店長にどこで見つけたんですかーまた仕入れてくださいよーって言ったら、どうしても思い出せないってえ」


 手際よく包装しながらニコニコと話してくれる。

 私は早く自分のモノにしたくて、ほとんど上の空でそれを聞いていた。

 トモ君の“息のかかっていない”店での買物なんて、いつぶりだろう。

 何だか解放された気になって、今まで色々我慢してきたことがバカバカしくなってしまった。

 私はこんなにも素敵な服を選ぶことができて、着こなすことができるのに。

 どうして彼の言うことに従ってしまったのだろう。

 それから、ワンピースに合うパンプスとバッグとピアスを買った。「久しぶりに笑ったじゃん」と姉がほとんどお金を出してくれた。

 それが申し訳ないやら嬉しいやらで、泣けてきた。


 翌日。トモ君とのデートの日。

 本当はスカートは禁止だし、モノトーンの服しか着ちゃいけないと言われていたけど。ヒールのある靴なんてもっての外だとも。

 もちろん素敵なワンピースを着て、バッチリメイクをして、胸を張って堂々と会いに行った。

 こんなに似合ってるんだもの、きっとトモ君も許してくれる。もしかしたら惚れ直したとか言われちゃったりして。

 待ち合わせの駅前で私を見るなり、トモ君は「は?」と目を見開いた。

 そして、大きく舌打ちをするとこれみよがしにため息をついた。

 その表情に、さっきまでのウキウキした気持ちがしぼんで、身体が固まるのを感じる。冷や汗が背中を伝う。

 怒らせてしまった。私が、言うことを聞かなかったから。私のせいで。


「きっしょ。……帰るわ」


 とてもとても低い声で吐き捨てると、トモ君はゆっくり歩き出す。

 いつもなら泣いて「ごめんなさい帰らないでお願い許してごめんなさい」ってするところだけど。

 背中を見つめていると、気持ちがスッと冷えていった。追いすがる気になれない。

 今の私がみっともなく取り乱すのは、それこそ似合わないじゃない。


「わかった! もう二度と会わないで良いよ! さよなら!」


 びっくりするくらいハキハキした声が出た。

 トモ君が驚いて振り返る。

 何かを言おうとしたけれど、それを聞く前に、私は反対方向に駆け出した。


「おい! ふざけんなよ!」


 彼の怒鳴る声が背中に刺さるように飛んできて、びくりと立ち止まる。その瞬間、突風が吹いて私とトモ君の間に路駐の自転車が倒れてきた。

 その音に我に返ると、私は今度こそ走った。

 走って走って走って、細い路地に入ってやっと立ち止まる。思わずしゃがみこむ。

 息が切れて胸がドキドキして、いつの間にか涙も出ていた。震える足のつま先がジンジンと痛い。


 怖かった。

 今まで別に暴力をふるわれたりしたことはなかったけど。

 いつも心のどこかで、口答えすると怖い目に合うんじゃないかと思ってしまって、怯えていた。

 でも、今日は勇気が出た。

 無意識にスカート部分を握りしめていて、裾がクシャクシャになっていることに気づく。

 自分を抱き締めるように肩を抱く。

「守ってくれて、ありがとう」

 自然と感謝の言葉が出てきた。

 このワンピースが、私の心を強くしてくれたように思った。

 素敵な服。その素敵な服が似合う私。きっと、私はバカでもブスでもない。みっともなくない。

 自分の「好き」を、信じて良い。

 息を整えて、立ち上がる。もう、震えていなかった。


 姉や友人達は、私がトモ君と別れたと知って喜ぶと同時に、とても心配した。

 支配的で束縛の強い彼が、ずっと従順にしていた私をすんなり手放すはずがない、もしかしたら逆上して危害を加えてくるかもしれないと。

 でも、その心配をよそにそれから私がトモ君と顔を合わせることはなかった。

 何でも、スマホが急に壊れたり何度も事故に遭ったり家が火事になってしまったりと立て続けに不運なことが起こり、私どころじゃなくなったらしい。

 あまりにも不幸が続くのでノイローゼ気味になり、大学も辞めてしまい、ついには消息不明になってしまった。

 最後に彼の姿を見た人によると、ゲッソリとやつれた顔で「みどりのおにがくる」とブツブツ呟いていたとのことだ。







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