さよならの瞬間、一番近くて

吉岡梅

第1話

よこちゃんが泣いている。

両手で顔を覆って、

声を殺して。

男の人でもこんな泣き方するんだ。

いや、

男の人だからなのかな。


背中を丸めて、

チーたらの乗ってる炬燵に肘をついて、

小刻みに肩を震わせる。

これでお別れなんて、

かわいそう。


私の半分は、

胃がきゅっとするほどかわいそうだと思い、

もう半分は、

観察してる。


半分の私は思う。

今、私が横ちゃんを慰めたら、

私と横ちゃんは、

付き合うことになるんだろうな、と。


##


横ちゃんと初めて会ったのは、

パチンコ屋。


スロ打ちながら、

お昼どうしよっか。

職場関係の人と鉢合わせないお店はどこかな、

って考えてると、

誰かが「なんでだよ」って呟いた。


隣を見ると、

男子が呆然とスロを見つめて、

天を仰いで、

両手で顔を覆って、

ため息を吐いた。


わかる。わかるよ。

にやけをこらえていると、

男子はポケットから

封筒を出した。

その封筒には、

「家賃」って書いてあった。


「ほんとに?」

思わず声がでてしまい、

男子がこっちを向いた。

「さすがに?」

と言うと、男子は、

「だよな」

と言って、

封筒をポケットにしまった。


2人で苦笑いして、

一緒にお昼を食べに行ったのが、

横ちゃん。


##


横ちゃんは、

すぐにビデオ通話をしたがる。


掃除が苦手なんだろうなっていう部屋の中で、

ニコニコ笑って楽しそうに話す。


友達の話とか、

職場の先輩のグチとか。

お互いの部屋で一緒のTVを見て、

その感想を言い合ったりとか。


いっそ横ちゃんの部屋行こうか?

って言ったら、

「めんどくさいし、汚い部屋に呼ぶのはしのびない」

って、きっぱり断られた。


だったら私の部屋でも、

と、思ったけど、

私の部屋も御覧の通り

なかなかなので、

ビデオ通話くらいがちょうどいい。


ひとしきり喋ったあと、

横ちゃんは、

「うぃーまたー」

って言って通話を切る。


この瞬間、私はいつも、

どきりとする。


横ちゃんは、

軽く右手を上げて、

そのままその手を

ぐっとこちらに伸ばしてくる。


少し前のめりになって、

私に触れようとするみたいに、

ぐっと。


近づいてくる。

触れられる。

その瞬間のイメージで、

首筋がちょっと、

ぞくぞくする。

思わずきゅっと肩がすくんで、

耳が後ろに引っ付くみたいなくすぐったさ。


でも、

横ちゃんの手は、

真っすぐにビデオ通話の停止ボタンを押して、

そしてスマホの画面から横ちゃんが消える。


毎回毎回、

さよならの瞬間、

いつも横ちゃんが、

一番近い。


だから私はいつも、

この瞬間にどきりとする。


そして私も、

うぃー、って呟いて、

寝る準備をする。


##


横ちゃんはお酒が好きで、

たまに一緒に飲みに行った。


2人で行く時もあれば、

合コンみたいにするときも。

その時連れてった加奈かなが、

横ちゃんのカノジョ。


加奈は歯科技工士で、

きりっとした美人。


衛生士の私と違って、

技術もあって、

しっかりしていて、

なんていうか、

素敵。


だから最初、

横ちゃんと付き合うって聞いた時、

びっくりした。

だって、

釣り合わないと思ったから。


横ちゃんは下で、

加奈は上。

そんなイメージだったから。


加奈と付き合いだして、

横ちゃんは変わった。


スト缶も飲む量が減ったし、

パチンコ屋で会う回数も減った。


服装もシュッとして、

髪も髭も綺麗になった。


部屋は相変わらずだったけど。


「変わるもんだね」

って言うと、

「変われるもんだなあ。一番びっくりしてんのは俺」

って、しみじみ言った。

「すごいね、愛」

そう言うと横ちゃんは、

「な」

って苦笑いした。


出会った頃の横ちゃんは、

だらしなかった横ちゃんは、

少し遠くに行ってしまった。


でも、

「あーもういいだろ。んじゃこの辺で。うぃー」

って、

手を伸ばしてきた。


また近づいてきて、

ぞくぞくっとして、

きゅってなって、

うぃーって呟いて、

今日もおやすみ。


##


そして今、

横ちゃんが泣いている。


加奈を紹介したのが私だから、

ちゃんと言っておきたいって。

そう言ってたのに、

全然ちゃんと言えないまま。


「俺、本当に好きだったんだけど」


そこまで言って、

天を仰いで、

両手で顔を覆った。

まるで初めてパチンコ屋で会った時みたい。

半分の私は観察する。


横ちゃんは泣いた。

声を殺して、肩を震わせて。

かわいそうで、

声をかけたくなる。


辛いね。

悲しいよね。

もう今日は泣こう。

飲もう。

それで明日スロット打とう。


でも半分の私は、

それを止める。


今声をかけたら、

慰めたら、

横ちゃんはきっと、

私を好きになる。

2人は付き合うことになる。

それはだめ。


加奈に会い辛くなるとかじゃない。


横ちゃんは、

私だ。


だらしなくて、

泣き虫で、

誰かにすぐ寄りかかりたくて、

自分に甘くて、

自分が嫌いで。


そんな横ちゃんが、

加奈に会って、

変わった。

変われた。


だから声をかけちゃいけない。

すくなくとも今は。

それは私にはできない。

そんなちゃんとしてない。


だって、

好きになってしまうから。

甘えてしまうから。


もうちょっと、

きついけど、

もうちょっと時間が経ったら、

辛かったねって、

笑ってあげたい。


それぐらいじゃないと、

私たちは駄目なんだと思う。


だから私は、

半分の私を押さえつけて言う。

「うん」

って。

「うん。ちゃんと聞いたよ」

って。

「ありがとう」

って。


スマホの中の横ちゃんが、

顔を覆ったまま頷く。

「今日はもう切るね。またね」

そう言って私は、

右手を軽く上げて、

まっすぐ前へ伸ばす。


横ちゃんに向かって、

まっすぐ、前に。


横ちゃんが顔を上げた。

目は涙でぐしょぐしょ。

その眼で私をまっすぐ見る。


わかってるよ。

そして私は、

ボタンを押す。


私は思う。


頑張らなくちゃ。

私を好きにならなくちゃ。

そして、

横ちゃんに伝えなくちゃ。

私たちは、

いけるはずって、


さよならの瞬間、

いつだって横ちゃんは一番近い。

本当にどうしようもなく、

どうしようもない。


私は、

うぃー、と呟いて、

ぐっと前を見つめた。



―了―

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さよならの瞬間、一番近くて 吉岡梅 @uomasa

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