Cumulus cloudsー出会いと別れー

MACK

今度、会う時は


「姫様、あの盗賊が討たれたそうです」


 乳母として、生まれてすぐに母を亡くした王女を育てた侍女が、声を潜めて耳打ちをした。凍り付いた王女の手から刺しかけの刺繍の枠が落ちて、弾んで転がりパタリと倒れる。

 刺繍は好きではなかったけれど、自室の中に閉じ込められて出来る事といえばこれだけだった。だから落ちた刺繍枠を拾う気持ちになれず、椅子に囚われたように座り続ける。

 刺繍の図案は金色の小鳥。神の御使いとして珍重される国の宝。


 王女の心をさらった盗賊と、出会うきっかけになった思い出の鳥。


* * *


「王女よ、勇者達がおまえのために素晴らしい贈り物を用意してくれたよ。ご覧なさい、何と見事なものであろうか!」


 銀の鳥籠の中には美しい金色の鳥。高い空を飛び、人の手で摑まえる事が出来ない賢さと素早さを持つ、国の守り神の化身ともされて心情的にも捕えようと誰もしなかったその鳥が。


 小さな国は、人並みはずれた勇気を持つ勇者と、怪力の戦士、知力の賢者の手によってあっという間に大国となったけれど、富のすべては国の中心の貴族に集約され、国民は貧しく辛い生活を強いられたまま。

 だけども王はその事実を放置して、神のごとき人を超える力を持つ彼らを国につなぎとめるべく美しい王女の心を射止めた者に婚姻を許し国を継がせるとしたのだ。日々、彼らからは珍しい物が贈られるが、王女の心は動かない。力に驕る彼らを素晴らしいと思えなかったし、豪華な物も綺麗な物も、欲しくはないのだ。

 もし一つ選べるなら「自由」が欲しい。叶わぬ夢であったけれど。


 明日には剥製にしてしまうと聞き、王女は何としても鳥を逃がしたいと思い立つ。元々持たない自分は永遠に得られない自由。だからこそ、憐れな小鳥には返してやりたかった。


 深夜、こっそりと部屋を抜け出して小鳥の元へ。もし逃がした事を知られたら王女であってもそれなりの罰を与えられるであろう。けれどもそうせずにはいられなくて。侍女の服を着こんで長い髪を編みこんで、こっそりひっそりと地下を目指す。

 不思議な事に見張りの兵士がいなかった。扉の開いた小部屋を覗いてみれば、イビキをかいて眠る彼らの姿。首を傾げつつ、続けて開けた宝物庫の扉。


 その奥に一つの人影。


 長い黒髪を束ね、闇夜色のマントで身を包む背中。

 息を呑んだ王女の気配に気づき、男が振り返る。長い前髪の隙間から宝石のような緑の瞳が垣間見え、無精髭の散った顎は粗野で荒々しい。


 黒い衣装に黒髪の、緑の瞳の大盗賊の噂を思い出す。あくどい富豪や貴族から金品を奪い、貧しい人々に分け与えているという義賊。勇者より、戦士より、賢者より、国民に英雄視されているから彼らは煙たがり、捕えようと躍起になっているという。

 されど、義賊とはいえ犯罪者。王女は思わず身を固くする。


「こんな所に御用ですか、王女殿下」

「!? 何故、私が王女だと」


 男は足音もなく近づくと怯える娘の手を取った。

 そして騎士よりも騎士らしく優雅に指に口づける。


「働かざるを得ない町娘の手はボロボロだ。傷ひとつない指の持ち主はこの国では限られているな」


 急に働いた事のない自分の手が恥ずかしくなり、王女は赤面して両手を後ろに隠した。その姿に男はくっくっと笑いを嚙み殺す。


「それで何をしに?」

「鳥を……」

「鳥?」

「小鳥を逃がそうと思って……」


 赤面したまま、消え入りそうな小さな声だったけれど、盗賊の耳には届いていたようで、顎に手をあててしばし考える素振りを見せた。


「ここにはいないな。王女とはいえ、勝手な事をすれば罰を受けるのではないか」

「それでも、籠から出してあげたいの」


 世間知らずの純真無垢な箱入り娘。彼女こそ籠の中の鳥であろうにと盗賊は思う。それでもなお優しい娘の心根に、盗賊は心地良さを感じた。


「あんたが手を汚す必要はない。その綺麗な手は綺麗なままにしときな」

「え?」

「小鳥は俺が解き放とう」


 それぐらい余裕だからな、と軽くつけ足しながら存外に少年のような笑顔を見せられて、王女の心臓がトクンと不思議な鼓動を打つ。

 踵を返す盗賊の背に、思わず声をかけてしまったのもやむを得ない。


「もうお別れなの?」

「出会いと別れはいつも一組だ。ここで別れても、何度でも出会い直せばいい」


 そう言ってマントを翻すと、あっという間に夜の闇に溶けた。翌朝、城から小鳥は消えていて、王と勇者達は歯噛みした。


 二人が再び出会ったのは、迷宮の悪魔が作りだした牢の前。囚われの王女を見事救い出したのはあの盗賊。一度目の出会いで憧れを持ち、この二回目で恋をした。


* * *


 王女を助けだした場合の褒賞だったはずの婚姻の約束は王と勇者達に覆され、盗賊は牢に入れられてしまった。再びの別れに嘆く王女の懇願は封殺されて、部屋に閉じ込められた無力な乙女は祈るしかなかったが、願いは届きその夜に盗賊は見事脱獄。王女に安堵の息を吐かせ、国王等に地団太を踏ませたのだ。


 そしてそれは城の者が手引きしたという事でもあって。国民の心は王達からすでに離れてしまっていた証拠だったのかもしれない。


 ついに民衆は叛乱を起こす。裏であの盗賊の影が見え隠れすると勇者達は躍起になっていたけれど成すすべなく、人々は手に武器を取って圧政の国王と傲慢な勇者達を討つべく立ち上がり、今この国は内乱の最中。

 勇者も戦士も賢者も、今は人並み外れた力を失って常人でしかなく、天賦の才にあぐらをかいて努力を怠った彼らは、民衆にとって脅威ではなくなっていた。


――それなのに、あの方は死んでしまったというの?


 王女の部屋にも蜂起した民衆の声が届く。


「姫様、ここも危なくなりました。身を隠しませんと」

「いいえ、私もここで」


 何もしなかった。何もできなかった。


 籠の中の鳥はいつも成すがまま。国民から搾り上げられた税で今まで生きてきたのだ。ここで民衆の手によって果てる事で、わずかでも贖罪となるならば。罪がすすげれば、義賊と呼ばれた彼と同じ場所に行けるかもしれないという切ない思いも去来する。


 覚悟を決めて椅子に座り続ける王女を守るように、乳母である侍女は傍らに控えるが、騒乱の声はもう間近。

 扉が突如開け放たれ、手に武器を携えた民衆が部屋に乱入し、王女は腕を引かれ力なく素直に床に膝をつく。

 長い金の髪を掴み上げられ、躊躇なく首筋に冷たい感触が添えられた。


 ザクリッ。


 反射的に目を閉じたけれど、痛みはなくて恐る恐る目を開くと乱入して来た者達は王女の金の髪の束を手に持ち「王女を討ち取ったぞ」と叫びながら部屋から出て行ったのだ。

 何が起こったのかわからず茫然と、寒く感じる首筋に手を当てる。


「姫様、こちらを」


 差し出されたのは町娘の服。混乱したまま着替え終わると手を引かれて城の外に出た。自棄の思いと、手を引いてくれる乳母の優しい暖かさのはざまで心は揺れながら、城から遠く遠く離れて行く。まるであらかじめ二人が来る事を知っていたかのように現れた辻馬車が、王女と乳母を遠い田舎の町に運んで行った。


「今日から姫様は、わたくしめの娘です。シアとお名乗り下さい」

「はい。えっと……お母様」


 恐る恐る母と呼ぶと、乳母は心底嬉しそうに微笑んで、元王女を抱きしめる。このぬくもりと彼女の思いを知ると盗賊の後を追う事もできず、幼い恋に静かに別れを告げた。


 半年ほどで情勢は落着きを見せて、地方の人望ある領主と民衆の代表で政治をつかさどる形でまとまったと田舎の町に噂が届く。やがで訪れるであろう平穏をなんとなく他人事のようにシアは思った。

 炊事をして洗濯をして、農家の手伝いをしているうちに彼女の手は働き者の手になっていて。


「今なら彼に、堂々と見せられるのだけど」


 洗濯物を干しながら太陽に掌をかざし、頑張る自分の手を見て思いを馳せる。刺繍は嫌いだったけど繕い物は楽しかったし、料理はとても得意になれた。そんな彼女の背後に、母が声をかけて来る。


「シア、あなたに縁談の話が来ているの」

「え……」

「女の幸せは結婚に限らないけれど。共に人生を歩む伴侶がいるのもいいものだから、一度会ってみなさいな。家の裏手にいるから挨拶だけでも」

「……はい」


 もう恋は出来ないと思う。恋心は全部、あの人が持ち去ったから。


 家の裏の小さな丘の大きな木の下に人影が見え、一気に気持ちは落ち込んでいく。母に促され、足取り重く丘に向かったシアだったが、近づくにつれ「まさか」と足が早まった。


 いつか見たシルエット。

 丘を駆け上がり、息を切らすシアの前には黒髪と緑の瞳。髪は短くて無精髭もないせいか若々しく見えるその顔は。


、かな、とりあえずは」


 間違いなく恋しかったあの人の声で。


「な、なんで……?」

「俺はカイン。世間を騒がせた大盗賊は死んだ。時間はかかったが約束していた城という鳥籠から、小鳥を自由にできたようだから」


 木洩れ日に輝くシアの頬に男の手は優しく触れながら続ける。


「王女と盗賊でも、囚われの姫と救出者でもなく、次に出会うならただの男と女であればと」

「王女も亡くなりました。私はただの町娘」


 恋しさのあまり、男の胸に飛び込んでぎゅっと抱きしめた。


「大胆だな」


 くっくっといつかのように笑いを噛み殺しながら、カインは同じ力で抱きしめ返す。


「次の別れはどちらかの死で、という事でいいか」

「はい」


 死が二人を別つとも、生まれ変わって何度でも出会い直せばいい。

 幾度となく出会い直せると、信じられる温もりがそこにあった。


 思い出を積み重ね、三度目の出会いは愛となる。


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