UNPACKED
ギヨラリョーコ
第1話
「お前みたいなもんにはもう二度と金は貸さねえ」
冷たい視線と一緒に、矢野は中身の詰まったビニール袋を俺の万年床に落とす。
がらん、と鳴ったその中身をのそのそ取り出して見てみると、焼き鳥の缶詰が6個入っていた。ご丁寧に塩とタレで3個づつ。
ふと空腹を思い出した。朝から何も食べていない。食うに値するものは今この部屋にない。
「食うに困ってるなら食うもん買うぐらいはしてやる。でも金は貸さねえ」
「なんで?」
「なんで?じゃねえよ」
万年床に胡座をかく俺を立ったまま見下ろして、矢野は言う。
「お前が貸した金全部パチスロで失くしてくるからに決まってんだろうが」
心当たりは大いにあった。金があると賭けたくなる。手っ取り早く高揚して気持ちよくなりたくなってしまう。
でもそれはそれとして、今は生きていくための金がない。銀行口座は空で、財布には2000円しか入っていなかった。先月のバイト代が入るまであと9日ある。
「金が無いなら働け」
「働いてる」
「じゃあなんで金が無いんだ」
「借金返したら無くなる」
半分嘘だ。返して残った分でパチスロをするので。幾ら使ったのか勘定まではしていない。
「なら尚更人に金を借りるな。悪循環だ。別の方法探せ」
確かにそれはその通りだ。矢野は正しかった。6畳間の、ゴミ出しを怠った汚い部屋の真ん中に立って俺を見下ろす矢野はびっくりするくらい正しくて、俺はこいつがいつからこんなに正しくなったのかを不思議に思う。
大学時代に一限をサボってパチ屋の新台のために一緒に並んだことを思い出す。前日は矢野の家に泊まって、だらだらヤっていたせいで腰が痛いし寝不足だった。明らかに調子の悪い俺に、矢野は気まずそうに缶コーヒーを買って寄越した。夜遅くまでしつこくしたがったのは矢野の方だったから。
ストレートで入学はしたがサボりが祟って留年した俺と、国立大を二浪してから諦めた矢野は、ともに大学で微妙に浮いていた。歳の差がどうのという話ではなく馴染む気があるかどうかの違いだったのだと今にして思う。
浮いていたやつどうしで連んで、だらだらとその場凌ぎ的な気持ちよさで潰してはいけない時間まで潰し、俺は結局大学を辞めた。矢野がいつ真面目になったのか俺は知らない。
まともになった矢野に俺はしばしば金を借りた。矢野以外にも借りたが、矢野が1番待ってくれたのだ。
「別の方法って、1時間1万でお前の相手するとかそういう」
矢野に金で買われるなら別段悪くないと思った。酔うとしつこくなる矢野の相手をするのは、嫌いじゃなかった。
半分冗談だったが、矢野の眉間に皺が寄って、これは失敗したなと思った。
「お前、ふざけんな」
「悪い」
全然悪いと思っていなかったのが、矢野にも伝わったのだろう。何か言いたげな目で俺をじっと睨んで、それからとうとう矢野は出ていった。
俺は腹が減っていたので、矢野が置いていったビニール袋から焼き鳥の缶詰を取り出してプルタブを開ける。
ちょっと考えて、立ち上がって箸を取りに行くのが面倒で手で焼き鳥を摘んだ。
酒が欲しくなる味だな、と思いながら黙々と食べていく。こういうものをつまみにして、だらだら二人で飲むことが昔はよくあった。お互いしか連む相手がいなかったので、何もかもをお互いの間で済ませていた頃の話だ。
まともになった矢野は、そういう諸々を一緒に片付ける相手ができたのだろうか。
缶が空になった時、アパートの外階段を誰かが降りる音がした。もしかして矢野なのか。
引き止められると思って待っていたのか。
部屋を飛び出し、階段を駆け降りる。
アパートに背を向けて歩いているその肩を掴んで振り向かせた。
何を言ったらいいのかわからなかった。お前がまともで俺は寂しいと、言っていいのかわからなかった。
キスをしたのは、初めてだった。
唾液の味で缶詰の後味が上書きされていく。それを深追いする間も無く、唇を噛まれて肩を押される。
矢野も何も言わなかった。何を言ったらいいのか矢野もわからなかったのかもしれない。
けれどその視線が刺すように痛かったから、本当はもう何も言うことがなかったのかもしれない。
矢野は無表情で財布を引っ張り出すと、一万円札を俺に突きつけた。
「やる。もう連絡すんな」
受け取り損ねたそれが地面に落ち切る前に、矢野は踵を返して歩き去っていった。
ぎゅぅっと胃が引き絞られる感覚がする。喉をせり上がるものを逆らわずに吐き出す。胃液の酸っぱさに混じって、さっき食べた鶏肉がアスファルトに糸を引いて落ちた。万札に染みが飛ぶ。
涙は出なかった。あいつに礼を言わなかったことだけを、ただ考えていた。
UNPACKED ギヨラリョーコ @sengoku00dr
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