つくね

直木美久

第1話

 いつもの焼き鳥居酒屋。俺はここにこの三年間、週二回は通っている。

 なにせうまい。鳥はどれもジューシーで、シンプルに塩で食べるのもいいが、たれもまた甘く、とろりと鳥に絡み、じつにうまい。弾力のある歯ごたえ、鳥の繊維はほろりとほどけ、柔らかく肉汁が俺の口内に染み出していく。

 たまらない。

 特に、つくね。これがまた絶品である。ふわっふわで、噛めばほんのりしょうがの香りが鼻をくすぐる。俺は敢えて塩で食べるのをお勧めしたい。

 しかしメニューにつくね単体は、ない。

 この店の推しは「とろとろつくね 半熟卵をのせて」なのだ。

 卵を乗せる!

 俺は、固いゆで卵なら食べられるが、半熟たまごは食べられない。

 異常な好き嫌いに子供のころから悩まされている。

 友達の家に行けば、出してもらったケーキが食べられない。キャンディーもグミも、チョコレートも。それで俺は何度か友達を失った。おやつが出る度、いつも体を小さくし、今だけ存在を消せたらどんなにいいかと思っていた。

 だから家族以外との食事は好きではない。

 大人になってしまえば、自分のものを注文すればいいので、ランチはなんとかなる。居酒屋も「小食なので」とかいいながら、他の人に勧めてしまえばそれなりだ。帰ってからがつがつ家で白米をむさぼり食う。それで隠し通してきた。

 しかし、デートとなると、話は別だ。

 俺は複雑な味のものがとにかく食べられない。

 スパゲッティとか、グラタンとか、チャーハンとか。

 素材そのままであれば基本的に行ける。なのでステーキなんかはいい。肉そのものと、焼いた野菜なんて最高だ。あと食べられるものは白米、焼き鳥、サラダにドレッシングも大丈夫。ピザも具の少ないものであれば食べられる。

 とはいえ、女子はパスタが好きだ。マルゲリータしか食べない俺に歴代のどの彼女も不思議顔で、少し仲良くなってから自分の強すぎる好き嫌いを話すと、大抵は笑う。しかし、二か月も付き合えば、俺といると自由に好きなものが食べられないことにストレスを覚える。作ってくれた手料理すら、食べられないのだから。

 結婚も恋愛もあきらめて、三年。

 しかし、今、俺は馴染の焼き鳥屋で、デートをしている。

 相手は五歳年下の滝沢さんとは、半年前に始めた英会話の朝活で知り合った。

 この居酒屋から徒歩三分にある俺の最寄り駅の隣接したビルのカフェで土曜日の朝行われている会で、たまたま英会話スクールを探していた俺は駅の掲示板に貼られている広告を見て興味を持った。

 誰もがフレンドリーで、笑顔で迎えてくれた。滝沢さん以外。

 滝沢さんはいかにもなクールビューティーで、大学時代に交換留学生としてアメリカに二年いたというだけあり、ペラペラだったが、どうして朝活なんて入ったのだろうというほど不愛想だった。

 ただ誰に対してもそんな感じなので、特別自分が嫌われているわけではないことはわかったし、彼女もこの近所に住んでいると知ったので、色々と声を掛けているうちに、好意を持った。

 彼女はどうやら極度の人見知りらしい。英語を勉強するというより、色々な人と会って人見知りの自分を打破するため、朝活にやってきたと、今日、美術館を歩きながら教えてくれた。

 嫌われたくない、と思った。

 経験上、好き嫌いのことを取り繕っても結果、話さないでいるわけにはいかなくなる。今後の関係を気づきたいなら、告白とか、深い付き合いとか、そういうことが始まる前に伝えよう。そう思った。

 彼女は微笑む。

「ここ、前から気になってたんです。嬉しい」

「食べログ評価いいもんね。本当においしいと思うよ」

「そうなんです。でも半地下だし、女一人だとなかなか入りづらいんですよ。中もこじんまりしてて素敵」

 店内は薄暗く、カウンター席が五席。テーブル席がその後ろに三席ほど。それから奥に小さなお座敷が二つあるだけだ。インテリアも和テイストの現代風で、俺も気に入っている。

「まずはビールでいいかな?」

「はい」

「いいよ、好きなの頼んで。全部一本ずつ頼めるから」

 ……とろとろつくね 半熟卵をのせて、以外は。

「この紙に書くんですね。どれも美味しそう。モモ、田代さん、食べます?」

「うん、ありがとう」

「二本。豚アスパラ」

「うん」

「つくね。これは二本一皿ってことですね?」

「つくねなら、メニューにはないんだけど、普通のつくねに塩っていうのもあってね、それが美味しいよ」

「じゃ、両方!」

 やっぱりな。俺はため息をつく。

 とりあえず、一通り頼んで、俺は椅子に座り直し、滝沢さんの目を見つめた。

 今日の滝沢さんはいつものクールビューティーじゃない。控えめではあるが、表情をよく変える。微笑んだり、声を出して笑ったり。

 結婚なんて諦めてた。恋愛もするつもりはなかった。でも、やはり、こうして一緒にいて楽しいと思える相手と、過ごしていく人生にも憧れる。

「滝沢さん、あのね」

「はい」

「実はさ、俺、ものすごい……その、好き嫌いが、すごいんだ」

「…はい」

「半熟卵、食べられないの」

「なんだ、真剣な顔してるから、びっくりしました。大丈夫ですよ。二本くらい、私食べれます」

 ビールが運ばれてくる。滝沢さんは明るい顔で、乾杯、とグラスを掲げるが、俺は膝に手を置いたまま、話し続ける。

「それだけじゃなくて、スパゲッティもグラタンも、丼物も、料理っぽいものが食べられないの。素材が目に見えてて、シンプルな…塩とか、しょうゆとか、ソースとか、そういうのしか食べられないの」

「………それは、なかなか大変そうですね」

 彼女のグラスを上げる手が下がり、テーブルにグラスが置かれる。

 申し訳ないなと思いながら、俺は続けた。

「うん、それもあって、……まぁまだ独身だしね。自分も苦労してるけど、……その、相手にも迷惑というか、いやな思いさせちゃうことが多くて……」

「例えば?」

「行きたいレストランに行けない、とか?おしゃれなカフェとか、俺はケーキも食べられないから。クッキーとコーヒーは大丈夫だけどね」

「じゃぁ、いいじゃないですか」

「ずっとそうだと相手もなんだか悪い気がしちゃうんだって」

「でも、いやなもの無理に食べさせる方が、私は嫌です」

「………そういう風に気にしないでいてもらえるのが、俺も一番だけどさ。……そうだな、他には、パスタ食べに行ってもひたすらマルゲリータしか食べないとか、ピザのない店だと、パンだけとか、パンもなければサラダ?それか……何も乗ってないスパゲティなら食べられるんだけど」

「何も乗ってないのって、美味しいですか?」

 彼女が笑う。

「美味しいってほどじゃないけど、塩かけるとまぁまぁだね。なんてこと外でしたら怒られるからしないけどさ。昔、彼女がうちでパスタ作ってくれた時、ソースだけ残して塩掛けて食べたんだ。説明してあったんだけど、自分はパスタ食べたいし、他の物あなたに作るのは面倒だからって、俺にも作ってくれたんだけどね。…泣かれちゃった」

「アレルギー、ではないんですよね?」

「うん。でも、食べられない。食べてもほんの一口。……なんて言えばいいのか、わからないな。好き嫌い以外の言葉が見つからない。でもチョコとかお菓子なんかも昔からダメなんだ。だから、ちょっと普通の好き嫌いとは、違うと思うんだけど」

「こだわりですかね」

「たぶん」

「私もありますよ。食べ物じゃないけど」

「え?」

「一つのことに集中しちゃうと、全部忘れちゃうんです。食べたり飲んだりも忘れるし、宅急便も受け取れないし。作業中声かけられると切れちゃう。だから会社勤めとかできなくて、在宅で翻訳の仕事をしてるんです。周りの人もわかってくれてて、大体は留守電残してもらって、集中力切れた時にこちらからかけるとか、メールとか。会議も朝一だったらできるし。私、発達障害なんですよ」

「………そっか。全然わからなかった」

「だから自分の世界っていうのがゆずれないものなのはよくわかります。相手のこと大事にしたいって思うんですが、どうにもならなくて。もどかしいです」

「………似てるのかもね。俺のは、一日三回しか起きないことだから、滝沢さんの大変さに比べたら大したことないかもしれないけど」

「私のは、ある意味わかりやすいから、結構なんとかなるものですよ。……理解されないと、辛いですよね」

 店員が焼き鳥を運んできた。

 涙ぐんでいた俺は思わず顔を背け、鼻を鳴らした。

 ため息と一緒に体の中に入っていた様々な感情を吐き出して、向き合った彼女も涙がにじんでいるのか瞳がキラキラと輝いていた。

「大丈夫」

 と彼女が再びグラスを掲げる。

 俺もグラスを取り、かちんと音を鳴らす。

 俺の目の前にある「とろとろつくね 半熟卵をのせて」の黄身は目が覚めるほど明るい色をしていた。

 彼女が手を伸ばして、お皿を取る。

「いただきます!」

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