運命の歯車

 私たちは『ディオゲネス・クラブ』の沈黙の間を通り抜け、隅の階段から階上へ上がった。建物の三階に当たるこのフロアは一転して、縦横に走る廊下でいくつかの部屋に区切られている。私が通されたのは個室の客間で、広さは違えども、部屋の設えは下の広間と同じく豪奢だった。

「ここでは喋って構わんよ」

 ようやくマイクロフトが口を開いてくれたので、私はほっと一息ついた。

 ソファに向かい合って腰かけると、扉が開いて給仕が顔を覗かせた。

「何か注文するかね?」

「食事が出来るんですか?」

「勿論だ。地階の厨房と裏の階段で行き来できるようになっている。飲み物でも食事でも、お望みのものを運んでくれるよ」

 社交クラブでの作法など知らぬ私は、少し戸惑った。

「ここは寛ぐための場所だ。本を読みたければ書庫もある。玉突きをしたければ撞球室もある。チェス、カードゲーム、何をしても構わん。ルールさえ守ればね」

「喋ってはならないということですか?」

「下の部屋ではね」

 マイクロフトは茶目っぽく片目を瞑って見せた。

「何も遠慮することはない。君はクラブの正規のメンバーだ。家にいるときと同じ様にすればよいのだよ」

「では、紅茶を頂きます」

 マイクロフトは何とも言えぬ悲しげな顔で、二人分のお茶を注文した。もしかすると、私と一緒に食事をするつもりで待ってくれていたのかも知れない。少し申し訳ない気もしたが、私には食事よりも前に聞きたいことがあった。

「僕がこのクラブのメンバーというのはどういう意味ですか?」

 給仕が出て行くと、私は尋ねた。

「入会した覚えはないのですが・・・」

「君の父上はこの『ディオゲネス・クラブ』のメンバーだった。ガレット家の跡継ぎである君が、メンバーシップを受け継いだということだ」

 別にありがたいとも思わなかったが、ここ最近私の身に起こった不思議な出来事について、クラブを通じて何らかの手がかりは得られそうだ。

「父がここの会員だった?」

「いかにも」

 マイクロフトは大きく頷いた。

「君の父上にはお気の毒なことをした。心からお悔やみを申し上げるよ」

 それがまるで自分の責任ででもあるかのような彼の口ぶりに、私はふと疑問を抱いた。マイクロフトは父の死の背後に潜む謎をどれくらい知っているのだろうか。

「あなたはフリーメイスンなのですか?このクラブは組織によって運営されているのですか?」

 悔やみの言葉を述べる相手に対して失礼な言い草だと分かっていたが、私の心には警戒が先に立った。

 柔和だったマイクロフトの表情が暗い翳りを帯びた。

「フリーメイスンに対して、あまりよい印象を持っていないようだね」

 私はマイクロフトを見つめたまま、次の言葉を待った。その言葉次第では、ようやく繋がりかけた過去との縁も断たねばならない。

 マイクロフトは猛禽を思わせる鋭い目で私を見た。

「ディオゲネス・クラブは・・・・・、フリーメイスンとは何の関わりもない。無論、テンプル騎士団ともね」

 この言葉を鵜呑みには出来ない。その口ぶりから、彼は明らかにメイスン、もしくはテンプル騎士団と我がガレット家との関わりを知っている。

「では、あなたと父はどんな関係だったのですか?父は息を引き取る間際にあなたの名前を言い残しました。偶然このクラブで知り合っただけ、なんてことはないですよね?」

 マイクロフトはソファの背にもたれかかり、ふーっと大きく息をついた。そして、片方の肘掛に体を寄せて足を組むと、じろりと私を睨んだ。

「今から話すことはくれぐれも内密に願いたい・・・」

 と前置きして、なお言い渋るように、マイクロフトはちらりと扉のほうへ目をやった。

「お茶はまだかな」

 私も喉がからからだった。手にはじっとりと汗をかいている。

 気詰まりな沈黙が部屋を支配した。お茶は運ばれてこなかった。

 やがて観念したようにマイクロフトは私に視線を戻した。

「私はイギリス政府に仕える身だ。女王陛下の僕をもって任じている・・・、と言いたいところだが、実のところ、取るに足らぬ下級官吏に過ぎない。まあ、そんな私でも、時として国家機密を預かることがある」

 マイクロフトはそこで言葉を切り、私の反応を窺った。

 私はごくりと唾を飲み込んだ。

 ここから先の話は聞くべきではないかも知れない。

 私たちはソファに座って向かい合ったまま沈黙した。これでは下の部屋にいるのと同じだ。ただ、この部屋の静けさは決して心地よいものではなかった。


 トントン。


 張り詰めた空気を破るノックの音に、二人ともほっと小さな溜息を漏らした。

 給仕はテーブルの上に手際よくティーセットを並べると、それぞれのカップにお茶を注ぎ、私たちの様子を気にとめるでもなくすたすたと部屋を出て行った。クラブに集まる変わり者の扱いには慣れている、といった顔だ。

 マイクロフトと私はカップに手を伸ばすと、互いが鏡に映った像のごとく同じ仕種で、熱いお茶を啜った。端から見れば少々滑稽な一幕だったろう。しかし、当の二人には何ら可笑し味を見出す余裕もなかった。

「ええと・・・、どこまで話したかな」

 マイクロフトがぎこちなく口火を切った。

「国家機密に関わる仕事をされている・・・と」

「ああ、そうだった。マーカス・ガレット君」

 マイクロフトの猛禽の目が私を射た。

「正直、君という人物を私はよく知らない。顔を合わせるのは今夜が初めてだからね。だから、君の父上を通して君という人間を推し量るしかない。君の父上は信頼に値する立派な人だった。どうか息子の君もそうであってほしいと思う」

 これほど念を押すとなると、今から語られることは余程重大な秘密に違いない。やはり、聞くべきではないかも知れない。しかし、席を立てという心の声に反して、私の体はソファに貼り付いて動かなかった。

 一つ咳払いをすると、マイクロフトは話し始めた。

「ここ数年、政府の情報網にある人物の名前が頻繁に現れるようになった」

「ある人物?」

「とらえどころのない御仁でね。たくさんの偽名を使っているが、それらは間違いなくある一人の人物を指しているのだ。我々が彼に目をつけたのは、国家の安全保障上の問題からだ。その人物を追ってゆく中で浮上したのが君の父上の名前だ」

「父の・・・?」

 父は大英帝国の一貴族として、ヴィクトリア女王の禄を食んでいた身だ。国家の安全を脅かすような行為は、自らの首を絞めるに等しい。まさか国家への反逆を企てていたなどとは考え難いが、しかし、そこに影を落とすのが、テンプル騎士団の謎だ。大陸での迫害を逃れてスコットランドに庇護を求めた彼らの、現王家との関係は如何なるものだったのだろう。

「ガレット家がテンプル騎士団の流れを汲む家系であることは承知している。テンプル騎士団がフリーメイスンを積極的に支援していることも・・・」

 マイクロフトの言葉は気味が悪いほど正確に私の思考を追ってくる。

 その洞察の鋭さは『教授』を思い起こさせる。

「しかし、目下フリーメイスンが何を企図しているかは、我々の興味の埒外だ。我々が問題にしているのはフリーメイスンを隠れ蓑に結成された『ネクロポリス』という組織だ」

「ネクロポリス・・・?」

「そう。こちらは歴とした犯罪結社だ。その頭目と目されるのが先刻言及した人物なのだが、これが古今稀に見る頭脳の持ち主でね。フリーメイスンのネットワークを巧みに利用して、自らが立ち上げた地下組織『ネクロポリス』を急激に巨大化させている。わが国のみならず、最近ヨーロッパで頻発する政治がらみの犯罪は、ほとんど彼が裏で糸を引いている」

「その人物は無政府主義者(アナーキスト)だと?」

「ううむ・・・」

 マイクロフトは首を捻った。

「今のところその目的は定かではないが、かなり極端な思想の持ち主であることは間違いない。いずれにせよ、『ネクロポリス』は我が大英帝国はおろか、ヨーロッパ全体の脅威となりつつある。我々としては、これ以上組織の増大を看過することは出来ない」

 先にグラハム子爵から得た情報から、この『ネクロポリス』なる組織の頭目と目される人物が誰であるかは、容易に察せられた。

『教授』には確かに、無政府主義者(アナーキスト)を思わせる一面がある。少々常軌を逸した思想の持ち主だ。加えて、知性において他の追随を許さないという点でも一致する。しかし、マイクロフトが述べる人物像と私が直に知っている『教授』には決定的な違いがある。彼らは『教授』を世界秩序を乱す危険因子と捉えているが、私の目には『教授』が彼らの想像のさらに上を行っているように見えるのだ。『教授』は単なる無政府主義者(アナーキスト)や虚無主義者(ニヒリスト)の類ではない。くしくもグラハムが『教授』を『新世界の王様』と評したように、教授は世界の秩序を乱そうとしているのではなく、この不完全な世界に新しい秩序を打ち立てようとしているのではないだろうか。さらに言えば、それは『教授』が一から編み出したものではなく、フリーメイスンが伝え守ってきた古代の叡智から学び取ったもので、『教授』がそこに何を見出そうとしているかは謎だ。『教授』自身にもまだ見えていないものがあるのかも知れない。

「そんなに危険な人物なら、何故逮捕しないのですか?」

 私はそれとなく探りを入れた。まだ私自身の旗幟(きし)を明らかにする時ではない。

「とにかく抜け目のない男でね。なかなか尻尾をつかませんのだよ」

「そこで父を籠絡した」

 籠絡という言葉に私の非難を読み取ったのだろう。マイクロフトはまた射るような目で私を見た。

「誰のことを話しているか、分かっているようだね。ならば、話は早い。率直に言おう。我々が追っている人物の名は、ジェイムズ・モリアーティだ」

 私は眉を持ち上げた。

 それは私が『教授』として知っている人物の名前ではなかった。偽名をいくつも使っているという話が本当なら、名前自体にたいした意味はないが・・・。

「君たちが『教授』と呼んでいる人物だ」

「色々とご存知のようですね」

「今回、君をここへ招待するに当たっても、『教授』の耳に入らぬよう細心の注意を払った」

「差出人の分からない招待状に応じるのは、勇気が要りましたよ」

 嫌味のひとつも言わねば、気がすまなかった。

「君には私の立場を理解してもらわねばならない」

 私の態度を反抗的と取ったのだろう。マイクロフトの口調が高圧的になった。

「僕の立場も理解してもらいたいですね」

「まあ、そう構えず、腹を割って話をしようじゃないか」

 マイクロフトは肩を竦めて私の言葉をいなした。

「そう、我々は君の父上を籠絡した。君の言葉を借りるならばね。

 当初、父上は『教授』の協力者として当局のリストに挙がった。だが、調べが進むうちに、父上は『教授』の正体も目的も知らず、ただその立場を利用されているだけだと判明した」

「フリーメイスンとしての立場を?」

「そうだ。『教授』がフリーメイスンという組織を利用する為に君の父上に近づいたことは間違いない」

 私は、おやと思った。

 教授の話では、二人の馴れ初めは父が数学者である教授に取材を申し込んだことだったはずだ。

 どちらが本当かは分からないが、『教授』とマイクロフトの話に齟齬が生じるのは当然だ。お互い、立ち位置が違うのだ。問題は私がどちらを信じるか・・・だ。

「父は教授とは距離を置いていたようです」

 マイクロフトは大きく頷いた。

「うむ。父上は我々の忠告に耳を傾けてくれた。賢明な判断だ」

「僕にも同じようにしろ、と?」

「君に父上と同じ聡明さがあるなら・・・」

 マイクロフトは自分の描いた既定路線に私を乗せようとしている。

 しかし、私としては、まだ自分の旗幟は明かせない。もう少し情報を聞き出すまでは・・・。

「あなた方は教授を危険視しておられるようですが、ホームズさん、あなたは彼が悪だと言い切れますか。教授が私利私欲のために社会に害をなそうとしていると考える根拠は何ですか?」

「よいかね。これは善悪の問題ではないのだ。彼の倫理観や道徳観は我々の関知するところではない。問題は彼の行動が我が国の安全上の脅威になっているという事実だ」

「例えば?」

 私の追及にマイクロフトは渋い顔をした。国家機密を預かる立場上、詳しい話はできないのだろう。

「最近では・・・」

 それでも、マイクロフトは話し始めた。

「教授の干渉のおかげで、我々は極東アジアにおける植民地政策に二、三の変更を余儀なくされた。大航海時代以降拡大を続けてきたヨーロッパ世界にとって最後の辺境とされるかの地を支配できるかどうかは、今後の世界情勢を占う上で極めて重要なポイントとなる。歴史の転換点と言っても過言ではない」

「教授の干渉が大英帝国の不利に働いた、と?」

「うむ。まあ、そういうことだ」

 マイクロフトは仏頂面で頷いた。

「つまり、ある国にとっては有利に働いたということだ。このことが何を意味するか分かるかね?」

「教授が敵対国に祖国を売ったということですか?」

「チッチッチ」

 マイクロフトは舌を鳴らしながら指を振った。

「これは脅迫だよ。今や世界を席巻するわが大英帝国に対する大胆極まりない脅迫だ」

「どういう意味ですか?」

「彼・・・『教授』は、自分の思惑一つでヨーロッパ列国のパワーバランスを操作できることを証明したのだ」


『教授』はヨーロッパ世界の地図を描き変えようとしている。


 荒唐無稽に思われたグラハムの言葉が、今、俄かに現実味を帯び始めた。

 大英帝国の一市民としては不敬かも知れないが、私はこの事実に、不安よりもむしろ胸のすく爽快感を覚えた。

『教授』は世界に新秩序をもたらす不世出の大賢者かも知れない。

「『教授』がヨーロッパ列国の帝国主義に警鐘を鳴らしているとは考えられませんか?」

 私は弾むような調子で尋ねた。

『教授』の側に立つ自分は、国家権力を代表するマイクロフトよりも優位にある。

 そこまでのやり取りで、私は身をもってそう感じていた。

「言葉に気を付けたまえ。君が話している相手は政府側の人間だ。自国の政策を非難するようなことを口にすれば、自分自身の立場を危うくするよ」

 マイクロフトの声が暗い翳りを帯びた。

 そんな脅しに屈する私ではなかった。いや、むしろ大いに自分の意見を開陳し、相手を論破したいと思った。

 正しいのは『教授』のほうだ、と。

「自国の繁栄をのみ願って、世界に秩序をもたらすことは出来ません。歴史を振り返ればそれは明らかです。自国の領土を拡大する為に列国は戦争を繰り返してきました。拡大戦略を取ることで今日に至る発展を遂げてきたのです。しかし、その影には数知れぬ無辜の民の犠牲があった。我が国を始めとするヨーロッパ列国が同じ轍を踏まぬためにも、新たな統治システムの構築が望まれます。口で言うほど簡単なことではないかも知れません。でも、『教授』はこれまで誰も持ち得なかった天与の才によってその難事に立ち向かっている。そうは考えられませんか?」

「私は政治を議論するために君をここへ呼んだのではない」

 学生じみた私の弁舌に辟易したように、マイクロフトは顔を背けた。

 私は構わず続けた。

「要するに、あなた方は『教授』が邪魔なだけでしょう。それも、彼の思想が自国の利益に反するというだけの理由で。どちらがより身勝手かは明白ではありませんか?」

 彼らに『教授』を悪と断定する資格はない。

「君の言っていることは理想論だ。群雄割拠の世界情勢において、列国が自国の利益を追求するのは当然だ。ヨーロッパ西端の島国に過ぎぬ我が大英帝国が、海洋国家の勇として、今世界の頂点に立とうとしている。しかし、混沌を極める情勢下、世界がどう転ぶかは誰にも分からん。我が国が世界に覇を唱えるか、群雄の一(いつ)に終わるか、その瀬戸際にあるこの歴史上の大転換期に、悠長に理想論をぶち上げられてはかなわんのだよ」

「でも、教授にはそれを実現する力がある。少なくとも、その可能性を秘めている。その力を認めているからこそ、あなた方は『教授』を煙たがっているのでしょう?」

「ある個人の思想が国家の命運を左右する、などということがあってはならない」

 議論は堂々巡りの体をなしてきた。

「それで、あなた方は僕に何をさせたいのですか?」

「君は『教授』がオックスフォードでの職を追われたことを知っているかね?」

「え?」

 不覚にも、私は問い返してしまった。

 マイクロフトの口元に勝ち誇ったような笑みが浮かんだ。

「どうやら知らなかったようだね。我々も無能ではない。すでにかなりのところまで彼を追い詰めているのだよ。現下このロンドンのどこかに潜伏しているようだが、追跡には専門の者が当たっている。身柄の拘束は時間の問題だ。ただ、大英帝国は世界に範を示すべき法治国家だ。何人たりとも裁判を受けることなく罪の裁きを受けることはない。そこでだ、『教授』の側近として君が見聞きしてきたこれまでの彼の言行を、法廷で証言してもらいたいのだ」

 ここまでの話で私の心が『教授』にあることは分かったはずだ。それでもなお強引に誘いをかけてくるところを見ると、政府方にも相当の焦りがあると見える。

「僕に教授を裏切れ、と?」

「君の身の安全は保証する。今後の身の振り方についても、悪いようにはしない」


 政府の役人の言葉など信じられるものか。


 今の私はそんな心境になっていた。

「証言することなどない、と言ったら?」

「どんな些細なことでも構わんのだ。君の目には無意味に映ることでも、彼を告発する足がかりになる可能性がある」

「そういう意味ではありません。僕は証言するつもりはない、と言ったのです」

 私を見つめるマイクロフトの目が色を失った。そして、彼は失望も露わに首を振った。

「我々の出会いは遅きに失したようだ。君の心はすでに『教授』に囚われてしまっている。父上の印象から、もう少し話の分かる若者かと期待したが・・・」

 マイクロフトの落胆ぶりは見るも気の毒なほどだった。政府役人としての立場上の打算はあったにせよ、きっと彼なりに親身になって話をしてくれたのだろう。

 かつて父が信頼を寄せた相手だけに、その申し出を拒むのは忍びなかった。しかし、教授を裏切ることは、シェリルやモンゴメリを裏切ることだ。すでに彼らとの絆のほうが、私には大切なものになっていた。そして、私には最早後戻りできぬ理由があった。


 人の命をこの手にかけてしまった。


 事故か故意か。最早それは問題ではない。私がグラハムを殺めたことは厳然たる事実だ。その罪の意識は一生私の心を苛むだろう。だが、法の裁きを受けるのはごめんだ。私は自分の父の仇を討った。それが法で許されぬとしたら、私と姉が失ったものは何をもって贖われるのか。もし、もう一度同じ機会が訪れたとしたら、私は躊躇いなく同じことをするだろう。その機会の提供者がシェリルであろうと教授であろうと、私にはその相手を恨むことなど出来ない。

「あなたのお力にはなれないと思います、ホームズさん。では、これで・・・」

 私は席を立ち、マイクロフトに背を向けた。

「申し訳なく思うよ、君の父上に対してね」

 マイクロフトの言葉が私の背に突き刺さった。

 後ろ髪を引かれる思いはあった。姉のことを思えば、私は今ここで振り返り、マイクロフトの手を握るべきところだ。しかし、私は彼を振り返ることなく、後ろ手に扉を閉めた。

 この瞬間、私は父に訣別を告げた。

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