復讐

 この場の始末を任された私は、ずしりと重い拳銃を握り締め、鈍色(にびいろ)の銃口をグラハムに向けた。

 私の手に握られた拳銃を見つめるグラハムの額に汗が浮かんだ。

「おめえ、何か教授の不興を買うようなことをしたろ。身に覚えがあるはずだ」

 責任を転嫁し、肩の荷を下ろしたモンゴメリは、世間話でもするようにグラハムに問いかけた。

「ま、待て。私は何もしていない」

 グラハムは私を宥めようとでもいうのか、両手を前に差し出した。

「そんなはずはねえなあ」

 モンゴメリはまるっきり傍観者を決め込んで、いかにも気楽に言った。

「私を信頼していなければ、教授がこの洞窟の秘密を私に明かすはずがないだろう?」

「この場所の秘密なら俺も知っているぜ」

 モンゴメリは部屋の隅へ行き、例のごとく壁を探り始めた。

「おい、じいさん。灯りを持ってきてくれ」

 彼がトンネルの向こうに呼びかけると、オズワルド老がひょっこりと姿を現した。そして、手燭に火を灯してモンゴメリの傍らに寄った。

 二人は壁面の石組みを入念に調べてゆく。そして、何か印のついた石を見つけると、モンゴメリはその石をぐいと押した。

 石組みの中で石が回転すると、モンゴメリとオズワルドが立っている辺りの床が、壁ごとぐるりと一回転し、二人は壁の向こうに消えた。

 しかし、壁はすぐにまた回転し、二人はこちら側に戻ってきた。

「重さの均衡を利用した仕掛けだ。よくできてやがる」

 モンゴメリは感心したように言い、私たちに壁の近くに寄るように手招きした。

 私はグラハムに銃口を向けたまま、そちらへ行くように促した。

 モンゴメリがもう一度石を動かすと床が回転し、一瞬の後、私たちは壁の向こう側の隠し部屋に立っていた。

 オズワルド老の手燭が狭い部屋をぼうっと照らし出した。

 部屋の中央に大きな石棺が横たわっていた。それ以外には何もない。石棺の蓋にはテンプル騎士団の象徴(シンボル)である十字の剣が彫刻されている。

 私たちはその石棺を囲んで立った。

「この棺を開けろってことだよな?」

 モンゴメリが一同の顔を見回し、誰にともなくつぶやいた。

 不気味な石棺を見下ろしたまま、誰も顔を上げようとしなかった。

「化けて出るなよ、ご先祖さん。おい、グラハム、そっちの角を押せ」

 ごくりと唾を飲み込み、モンゴメリはグラハムに命じた。

 私は銃を握り締め、グラハムに狙いをつけていた。

 二人は長方形の短い辺の両角に立ち、石棺の蓋を横に押した。

 

 ズズ・・・。


 隙間から砂粒がこぼれ落ち、重い石蓋が横にずれた。

 オズワルドの掲げる手燭が石棺の中に光を落とす。

 かつて騎士だった者の干からびた遺体が収められているかと思いきや、現れたのは蝋燭の明かりを受けて煌く金銀宝石の山だった。

 私たちは石棺一杯に詰められた財宝を、呆気にとられて眺めた。

「こんな宝の山ぁ、見たこともねえぜ」

 世界を股にかけてきたと豪語するモンゴメリさえ、その眺めに圧倒されている。

「テンプル騎士団の財宝だ」

 グラハムが呟いた。

「迫害を逃れて大陸を脱出した時に持ち出したものだろう。テンプル騎士団再興の資金としてここに蓄えていたんだ」

 そう聞くと、美しい宝玉や金銀細工の宝飾品が私には忌まわしいものにしか見えなかった。

「俺たちのご先祖はこの地に自分たちの王国を築こうとしていた。兵どもが夢の跡ってわけか・・・」

 感慨深げにモンゴメリが呟く。

「これは一人の人間が手にすべきものではない。ましてや、テンプル騎士団と無関係の者に手をつける権利などない」

 グラハムは、まるでその宝が自分のものであるかのように主張した。

「おい、口の利き方に気をつけろよ。てめえ、誰のおかげでこいつを発見できたと思ってやがる」

 低く唸るような口調で、モンゴメリは釘をさした。

「教授が謎を解かなきゃ、こいつはずっとここに眠ったままだったんだぜ」

「君は自分の血筋に対する誇りを失ってしまったのか」

 グラハムは非難がましく反駁した。

「血筋だと?教授がいなきゃ、俺は自分の素性さえ知らずに生きていたろうぜ。いや、とっくの昔にどっかで野たれ死んでいたに違いねえ。とうの昔に死んじまったご先祖さんがてめえに何をしてくれるってんだ」

「その名のおかげで君は救われたんだろう?」

「てめえ、一体誰の味方だ?」

 グラハムを難詰するモンゴメリの顔に、はっと奇妙な表情が浮かんだ。

「おめえ、まさか・・・、教授を裏切るつもりじゃねえだろうな」

 グラハムは肯定も否定もしなかった。ただ冷ややかにモンゴメリを見つめ返している。

 棺越しに二人の視線が絡み合い、見えない火花を散らせた。

 私には事態が飲み込めなかった。

「裏切る?」

 グラハムは口元に冷たい笑みを浮かべた。

「私は最初から組織の味方だ。生まれも育ちも生粋のテンプル騎士だ。裏切り者呼ばわりされる覚えはない。それを言うなら、『彼』のほうこそが裏切り者だ」

「何だと?」

 モンゴメリは棺を回り込み、グラハムに詰め寄った。

「おっと。無抵抗の人間を殴る気か?」

 グラハムはわざとらしく私の構える拳銃を見やり、モンゴメリに視線を戻した。

 モンゴメリは奥歯を噛みしめ、振り上げた拳を下ろした。

 明らかに不利な立場にある者に手をかけることは、腕っ節一つで生きてきた男の沽券に関わる。

 モンゴメリの顔に表れた憤怒はこの男の美学を物語っている。

 

 危険な男だ。


 私はグラハムという男の恐ろしさを目の当たりにする思いがした。瞬時に相手の性癖を読み取り、たった一言で屈服せしめる。その状況把握の的確さと一瞬で場を支配してしまう対応力に、私は舌を巻いた。実際に戦えば、巨漢のモンゴメリとて一筋縄では行くまい。一対一の決闘で父を打ち負かしたというその細身の体には見た目以上の膂力と胆力が秘められているはずだ。そんな男が、利なしと見るや、まるで卑怯者のような台詞を吐いて戦いを回避した。私はそこに言い知れぬ不気味さを覚えた。


 生かしてはおけない。


 私の心の中で誰かが囁いた。

 この男は言葉巧みに家宅の女であった母を騙し、あまつさえ、父の命をも奪った。私の家族を崩壊させた張本人だ。

「てめえ、『教授』にさんざ世話になった身で、よくそんな口がきけるな」

 憤懣やるかたないモンゴメリは、グラハムを詰った。

「世話になった?」

 グラハムは鼻で笑った。

「『彼』はテンプル騎士ではない。私に言わせれば、フリーメイスンを名乗るのもおこがましい、どこの馬の骨とも知れぬよそ者だ。私たちとは生まれが違うのだよ」

「反吐が出るぜ。人を見下したエリート意識ってやつにはな。じゃあ、聞くがな、エリートのお坊ちゃまよ、そんなお前がなぜ『教授』の命令に従う?」

 グラハムはしばし考える風をした。

「その必要があったからだ」

 やがて繰り出されたその答えの意味が私には分からなかった。しかし、モンゴメリの顔にはすぐに理解の色が広がった。

「てめえ、教授をスパイしてやがったのか・・・?」

 グラハムは肩をすくめた。

「今も言ったが、『彼』はもともとフリーメイスンとは何の関係もない部外者だ。新参者の部外者が、たった十数年の間に組織の位階を上り詰めて行く。これは組織にとって前代未聞の椿事だ。しかも、『彼』の手によって、長らく守られてきた秘密が次々と解き明かされてゆく。組織がこれを放っておくはずがないだろう。『彼』は秩序を乱す不穏分子とみなされたのだ」

「そこでスパイとしてお前が送り込まれた。教授に恭順するふりをして、ずっと騙してやがったな」

 グラハムは、その能面のような表情を毛ほども崩さない。

「だが、なぜだ?教授は組織に不利益を働いたわけじゃないだろう」

「ふん。フリーメイスンはそんな生やさしい組織ではないのだよ。誰しも触れられたくない秘密というものがある。それは組織とて同じだ。組織が秘密を守ってきたことには、それなりの意味がある。確かに、位階を進んだ者にはそれぞれの位階に応じた秘密が明かされる。だが、それは秘密を自由にしてよいということではない。禁忌を犯した者は排除されねばならない」

「排除されねばならない・・・か。組織の論理ってやつだ。気に喰わねえ」

 モンゴメリは吐いて捨てるように言い、それからにやりと笑った。

「それでも、上を行ったのは『教授』の方だったな。『教授』はとっくにご存知だったようだぜ、お前さんの正体をな」

 グラハムは片方の眉をぴくりと動かした。

「俺たちをここで鉢合わせさせたってことはだ・・・」

 モンゴメリは続けた。

「お前はもう用済みってわけだ。なあ、マーカス」

「・・・・・」

 私は拳銃を握り締める自分の手を見つめた。この手に今、グラハム子爵という一人の人間の命が握られている。これまで拳銃など握ったことのない私のこの手に・・・。氷室のように寒い地下の密室で、私は全身にびっしょりと汗をかいていた。

 教授は私を処刑者としてここへ送り込んだのか。だとしたら、私ほどその役にふさわしい人間は他にいるまい。しかし・・・。

 私は自問した。


 こんな形で人の命を奪うことが許されるのか。たとえ相手が父親の仇だとしても・・・。


 私がほんの少し指先に力を込めれば、一人の男の生命がそこで終わる。その事実を前に、私の心は激しくかき乱された。いや、ほとんど恐慌をきたしていた。

「一つ聞きたい」

 口をついて出たのは、しかし、乱れた心とは裏腹の落ち着いた声だった。

「父の殺害に『教授』は関わっているのか?」

 それは真実を求めての問いではなかった。この場を切り抜ける為なら、グラハムは何とでも言うだろう。引き金を引くか、引かないか、その決断を先延ばしにするための、それは問いだった。

 見ると、グラハムは額に汗を滲ませ、じっと私を見つめている。どう答えれば私が銃を下ろすか計算している。彼の頭にあるのはただそれだけだ。

 息詰まる沈黙の後、ようやくグラハムは口を開いた。

「真実を知りたければ、その銃を下ろせ」

 私は拳銃を両手で握り直し、目線の高さまで持ち上げた。この期に及んで駆け引きをするつもりはない。

「答えろ」

 グラハムは大きく息を吸い、わなわなと唇を振るわせた。

「そうだ。私は教授の命令を受けて、君の父上を殺害した」

「うそだ。お前に決闘を申し込んだのは父のほうだったはずだ」

「全て仕組まれていたのだよ。母上のことも含めてね。君の父上はうまく乗せられたのだ」

「教授は父に恩があった。そんなことをするはずがない」

「恩・・・?」

 グラハムは首を傾げ、しばし考え込んだ。

「確かに、教授をフリーメイスンに引き入れたのは君の父上だ。教授が組織上位の位階を得るに当たっても相当の尽力をしたと聞いている。しかし、君の父上は気付いたのだよ。教授の正体にね」

「教授の正体・・・?」

「教授が組織にとって有用な人物であるどころか、自分の野望のために組織を利用しているだけだということに・・・」

「耳を貸すなよ。こいつは自分が助かりたいだけだ」

 モンゴメリが私のそばに来て耳打ちした。

 しかし、私は知りたかった。グラハムから聞き出せることがあるなら、全て聞いておきたかった。それが真実かどうかを判断するのは後だ。

「お前は知っているのか、教授の目的を?」

「まったく、厄介な御仁でね、あの『教授』という人は。古今類を見ない傑物だよ。組織も手を焼いている」

「もったいぶらずに早く言え」

「フリーメイスンという組織は、ロッジと呼ばれる地域や志を同じくする者たちの個々の独立した下部組織から構成されている。厳密に言えば、組織というよりも、明確な母体を持たない一つの大きな体系だ。それら個々の組織がフリーメイスンの名の下、古来受け継がれてきた秘密を共有し、互いに連携している。テンプル騎士団がこの体系に大きな影響を与えたことは確かだが、大きな流れの中で見れば、それとても歴史の一つの転換点に過ぎない」

「テンプル騎士団はフリーメイスンの中核ではない、と?」

「今も言った通り、フリーメイスンに母体は存在しない。共通の思想によって統一されているわけでもない。彼らが共有しているのは、典礼や儀式、個々の地位を明白にする為の位階だ。フリーメイスンという体系を保つ為の枠組みと言ってもよいだろう」

「じゃあ、何か特別な目的を持った組織ではないということか」

「フリーメイスンに目的があるとするなら、それは古来の秘密を守り抜いてゆくことだ。それらの秘密は、時代の必要に応じて開陳される。建築技術しかり、当世はやりの科学しかり・・・」

「では、新しい技術や知識は過去からの借り物だというのか。我々が新しいと思っていることを、過去の人間は全て知っていた、と?」

「全てではないにせよ、現代の人間が知る以上のことを過去の人々は既に知っていた、ということはあり得る」

 教授も同じことを言っていた。現代文明が過去の文明よりも優れていると考えるのは現代人の驕りだ、と。

 グラハムは続けた。

「とにかく、フリーメイスンとは、過去の叡智を未来に伝えてゆく一つの体系なのだ。その体系を維持するために個々のロッジが存在し、それぞれのロッジはフリーメイスンという価値を共有することによって互いに結びついている。その結びつきが網の目のようなネットワークを構築し、ヨーロッパ全土、果ては新大陸にまで及んでいる。フリーメイスンが国家という枠組みを超えた地下組織とみなされる所以だ。

 そして、そこに目をつけたのが、君たちが頭と仰ぐ『教授』だ。彼はフリーメイスンの構築したネットワークを組織化し、自らの王国を築こうとしている。まさに人々が想像するような秘密結社を創りあげているのだ。だが、それはフリーメイスンの本来の有り方とは異なる。今ほども言ったが、フリーメイスンは体系(システム)であって、組織(カンパニー)ではない。世間はその点を誤解しているが、『教授』はまさにそこに目をつけたのだ。目に見えないネットワークを組織として構築し、世に現出せしめる。まさに天才的な発想だ。しかも、彼はそれを具現化する実行力を持っている。当世随一の危険人物だよ、あの『教授』という御仁は。

 だが、自分たちが守ってきた体系の私物化をテンプル騎士団が許すはずはない。体系の中に紛れ込んだ危険因子は取り除かねばならない。我々がやろうとしているのはまさにその仕事だよ」

「その秘密結社を創りあげて、教授は何をしようとしているのだろう?」

「さあね。政治結社にせよ、犯罪組織にせよ、国家の枠組みにとらわれない新たな支配体系を築こうとしていることは確かだ」

「それで?」

「要するに王様になりたいのさ。それ以上のことは私の想像の埒外だ」

 確かに、世俗の人間が抱きうる望みと言えば、せいぜいそんなところだろう。だが、『教授』はそのような俗物とは違う。あの教授に限っては・・・。

 私の瞼に、ストーブもない寒々とした研究室に佇む教授の姿が浮かんだ。かと思えば、郊外に瀟洒な邸宅を構え、何人もの召使に傅(かしず)かれて暮らしている。

 教授にとって世俗の欲など大した問題ではないだろう。その気になれば、大抵の望みは叶えられる。王様になることさえも、教授にとっては世俗的な願いでしかないに違いない。あの人は、そんな俗世とはかけ離れた、はるかに高い次元で生きている。普段教授と直に接している私には、確信にも近いそんな印象があった。

「面白え。だったらなおのこと俺は教授について行くぜ。教授を王様にしてやろうじゃねえか。なあ、マーカス」

 威勢のよいモンゴメリの発破に、思わず頬が緩んだ。

 俗物の権化のような彼が微笑ましくもあり、また羨ましくもあった。彼のように単純に物事を割り切れたら、この世界を生きることはさぞかし痛快だろう。いや、敢えてそう生きることが彼の信条なのかも知れない。清々しい生き方だ。

「何がおかしいんでえ?」

「いや。だんだんあんたのことが好きになってきたよ」

 皮肉ではなく、私は心からそう言った。

「ふん。おかしな野郎だぜ」

 モンゴメリは不可解げに首を傾げた。

「ところで、こいつの始末はどうつけるつもりだい」

 モンゴメリはグラハムのほうに向かって顎をしゃくった。

「まだ聞きたいことが残っている」

「何をでえ?」

「何故父は殺されねばならなかったのか」

 モンゴメリは溜息をついた。

「お前の親父がどんな風に死んだかは知らねえ。だが、こいつに殺されたことは間違いねえんだろ?だったら、こいつから何を聞きだせるって言うんだ。自分の都合のいいように話を捻じ曲げるに決まってるぜ」

 私たちのやり取りを眺めていたグラハムの口元に不敵な笑みが浮かんだ。

「信じようが信じまいが、私の言っていることは真実だ。君たちが崇めるあの『教授』という人物はヨーロッパ地下世界の巨魁として頭角を現しつつある。放っておけば、いずれ地下に留まらずヨーロッパ全土の地図を塗り替えるほどのことをやってのけるだろう。彼にとって君たちや私はただの手駒に過ぎない。フリーメイスンを相手に互角に立ち回るほどの男にとって、我々のごとき小物を手玉に取るのはわけもないことだ。

 マーカス・ガレット。現に君はガレット家の秘密を教授に奪われたのではないかね?」

 グラハムの指摘は私の心に突き刺さった。

 奪われた?

 テンプル騎士団の目から見れば、そういうことになるだろう。

 しかし、私は騎士団に与することを拒否した身だ。たとえそれが父祖伝来の慣例であったとしても、私には受け容れることができなかった。むしろ私は学究の徒としての『教授』の姿勢に共感し、自ら進んで秘密を伝えたのだ。グラハムの言うとおり、教授が地下世界の大物で、その目的がどこか別のところにあるとしても、私は自分の決断を後悔はしない。結局のところ、私はテンプル騎士団という血統の呪縛から逃れたかったのだから。

 ただ、父祖伝来の慣習から父が私にしたことと、父の死は切り離して考えねばならない。

 父を殺した相手には必ず償いをさせなければならない。

「私も同じだ」

 グラハムは話を続けた。

「最初は『教授』を信じ、口車に乗せられて、まんまと我家の秘密を漏らしてしまった。さらに私は教授の手先として働き、組織に甚大な被害を与えてしまった。その頃には教授の一派は、組織が看過できぬほど巨大化していた。その動きを封じるために、組織が動き出したのだ。テンプル騎士団として依頼を受けた私は、以来教授の動きを監視し、組織に報告をしてきた」

「吐きやがったな、このスパイ野郎」

 モンゴメリが吐き捨てるように言った。

「私は本来の使命に目覚めただけだ。私が忠義を尽くすべき相手は『教授』ではなく、我が父祖たるテンプル騎士団だと気付いたのだ。君の父上も・・・」

 グラハムは私のほうへ向き直った。

「『教授』の動きがおかしいことに気付いていた。それで、教授とは距離を置くようになった。君が教授のいるオックスフォードに進学を決めたことには心を痛めておられたと聞いている」

 グラハムが私の家庭の内情を知っていることに不気味さを覚える一方で、その情報を彼にもたらしたのが他ならぬ母であろうことを思うと、私の心に憎悪が募った。

 グラハムに対するのと同じくらい、母に対して・・・。

「じゃあ、お前と父は同じ組織の側にいたということじゃないか。なぜ、その二人が殺し合わなければならなかったんだ?」

「君の父上は私が教授の命令で動いていると思っていた。事実その通りなのだが、彼は私の立場を理解していなかった。組織のスパイとして動く私の立場を・・・」

「それを父に教えることも出来たはずだ」

「それはできなかった。教授の計画では、君の父上の死はすでに織り込み済みだった。教授を欺き続ける為には、教授の命令に従うしかなかったのだ」

 私を懐柔しようとでもいうのか、グラハムは憐れっぽく言った。

「じゃあ、母を誑かしたのも教授の命令だったというのか?」

「そうだ。だが、聞いてくれ。今、私は真剣に恋をしている。デイジーは私の大切な人だ」

 母の名を呼び捨てにされ、私は度を失った。


 人のものを奪っておいて・・・、人の家庭を壊しておいて・・・、よくもぬけぬけと・・・。


「騙されるなよ。こいつは生まれつきのペテン師だぜ」

 モンゴメリの警告は必要なかった。

 私は銃を持ち上げ、グラハムの眉間に照準を合わせた。

 年下の私が見ても、あどけなさすら感じさせる端正な顔立ち。甘い言葉で囁きかけられれば、その魅力に抗える女は少ないだろう。天使の仮面の裏に潜む悪魔の素顔を見抜ける女はいないだろう。いや、女とは男のそんなところに惹かれるものなのかも知れない。

 跪いて命乞いをするかと思いきや、グラハムは目を据えて値踏みをするようにじっと私を見つめている。今しがた私を懐柔しようとした男の顔には見えなかった。この男の行動は計算され尽くしている。一つ一つの仕種、表情の作り方にいたるまで・・・。

 今、この場を支配しているのが銃を突きつけている自分なのか、それともグラハムなのか、私は確信が持てなくなった。


 強敵だ。


 私は今さらながら自分が相手にしている男の恐ろしさを思い知った。

 この男に向けた銃の引き金を、私は引くことができるだろうか。

「教授のところにシンクレア家のお嬢さんがいるだろう?」

 グラハムは不意に話題を転じた。その目は抜け目なく私の反応を窺っている。

 シェリルの名を出されて、私の頭はさらに混乱した。

「彼女も君や私と同じだ。教授に騙されて家伝の秘密を盗み取られた」

「図々しい野郎だぜ。自分からその話を持ち出すとはな」

 モンゴメリが割って入った。

「気をつけろ、マーカス。シェリルの家を没落させたそもそもの原因はこいつだ。何でその話を持ち出したのか、魂胆が読めねえ」

「どういうことだ?」

 混乱する頭に整理をつけようと、私はモンゴメリに向かって尋ねた。

「シェリルの親父さんが賭け事にのめりこんで、身代棒に振ったって話は聞いてるよな?」

 私は頷いた。

 陰口を叩いているようで気が咎めたが、聞いておかねばならない。

「その賭け事の相手がこのグラハムって男だ。いっぱしの伊達男を気取っちゃいるが、こいつの本性は詐欺師まがいの賭け事師(ギャンブラー)だ。その上、名うての女たらしときてやがる。博打だろうと女だろうと、一旦目をつけた獲物は決して逃さねえ。シンクレア家の身代を巻き上げたのは、間違いなくこいつだ。だが、教授の命令でやったってのは嘘だ」

「果たしてそうかな?確かめてみるがいい。シェリルもまた、家伝の秘密を教授に聞き出されているはずだ。それこそ、私の身代を賭けてもいい」

 人を喰った台詞を吐くグラハムの目は冷たかった。

「そうじゃねえ。教授はシェリルを救ったんだ」

 モンゴメリは反駁した。

「このグラハムって男は、シェリルの親父さんから財産を巻き上げただけじゃねえ。娘のシェリルまで博打の種にした挙句、女衒に売り飛ばしやがった。

 虫も殺さねえ様な顔をして、酷い野郎だ。悪魔だぜ。

 女衒からシェリルを身請けしたのが、教授だ。シェリルにとっちゃ教授こそが恩人なんだ。だからシェリルは教授のそばを離れねえんだよ。親父さんが死んじまった後は、親みてえなもんさ」

「ふっ・・・」

 グラハムは鼻で笑った。

「賭け事というのは当事者の合意の上で成り立つものだ。負けた人間が悪いのだよ。いかさま師呼ばわりは心外だね」

「おめえはいかさま師そのものだよ」

 モンゴメリはにべもなく決め付けた。

「まあ、百歩譲ってその話が本当だとしよう。しかし、君は・・・」

 グラハムは私の方を見た。

「君はあの『教授』という人間を信じることができるかね。彼が構想する組織(カンパニー)の手駒として利用されているだけではないと言い切れるかね」

 不覚にも私はグラハムから視線を逸らした。


 この男を許すわけには行かない。だが・・・。


 銃を持つ私の手が震えた。

 私はその震えを止めることができなかった。最早目の前に立つグラハムに照準を合わせることさえ困難だった。

「教授も人選を誤ったな。この坊やに人殺しは無理だよ。可哀そうに、震えてるじゃないか」

 勝負はついた。

 グラハムの言葉はそんな確信に満ちていた。

 彼は何気ない仕種で懐に手を伸ばした。

「おい、動くんじゃねえ」

 モンゴメリの声に頓着する気振りも見せず、グラハムは上着の内側からナイフを取り出した。


 一瞬の間隙。


 気を呑まれたわけでもない、束の間、二人の間を隔てる棺を回り込むグラハムを、私は呆けたように眺めていた。

 時間にすれば、ほんの数秒、私の頭の中に様々な思いが渦巻いた。


 父のこと。

 テンプル騎士団のこと。

 母のこと。

 姉のこと。

 シェリルのこと。

 そして、『教授』のこと。


「撃て」


 モンゴメリの声が響いた時、ナイフを握ったグラハムが私の目の前に迫っていた。

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