再会

 私たちはさらに地下通路の深部へと歩を進めた。奥へ進むにつれ、石組みの通路は少なくなり、大部分が天然の洞窟に取って代わった。洞窟の中で人の手が入っているのは壁の燭台架けと地面に敷かれた石畳だけだったが、そのお陰でいくつにも枝分かれする道を迷わずに進むことができた。

「しっ」

 突然、先頭を歩いていたモンゴメリが足を止め、鼻の先で指を立てた。

 じっと耳をすませると、辺りを押し包む静寂は息が詰まるほどだ。


 ピチョン・・・。


 時折、天井から落ちた滴が地面を打つ。

 前方の暗闇に目を凝らしていたモンゴメリは、つと振り向いて私の体を押し、元来た道を戻るように促した。

 私たちは足音を忍ばせて通路を引き返した。少し戻ったところに左へ逸れる脇道があり、私たちはそちらに入って、洞窟の壁面の窪みに身を隠した。モンゴメリが燭台の灯りを吹き消すと、辺りは漆黒の闇に包まれた。

 モンゴメリが何者かの気配を感じ取り、とっさに身を隠したのは、動物的な本能のなせる業か、それとも幾多の危機を乗り越えてきた経験のなせる業か・・・。いずれにせよ、人界を離れた地下の奥底で、正体も知れぬ相手とばったりと出くわすなどという事態は避けたい。

 私たちは息を殺して待った。


 コツ・・・コツ・・・。


 石畳を踏むかすかな足音が響き、続いて私たちが戻った通路の先にぼうっと明かりが差した。

 誰か他にこの地下迷宮に足を踏み入れた者がいたのだ。礼拝堂の納骨堂から入る道は最近使われた形跡がなかった。つまり、この地下迷宮には他にも入口があるということだ。

 通路の分岐点に現れた人影は、そこで足を止めた。手にした灯りをあちらに照らし、こちらに照らし、進むべき道を決めかねているようだ。しばしの逡巡の後、影は私たちのいる通路に入ってきた。

 私たちが隠れている窪みの前を通る時、その手に持ったランプの明かりに照らされて、闖入者の横顔が私の目に映った。一瞬だがはっきりと・・・。


 あっ。


 私はもう少しで声を漏らすところだった。

 グラハム子爵。

 収穫祭の舞踏会で一度顔を合わせただけの相手だが、見間違えるはずはない。今、この地下迷宮で私の目の前を通り過ぎた男は、憎き父の仇、若き貴公子グラハム子爵その人だった。


 なぜここで彼と出くわすのか。一体この男はここで何をしているのか。


 私の頭は混乱した。

 姉の話から、彼がテンプル騎士団に出自を持つことは承知している。すなわち、彼もまたフリーメイスンだということだ。しかしなぜ、今この時、私たちと同じタイミングで、あの男がこの辺鄙な田舎町の誰も訪れぬ地下迷宮に姿を現したのか。

 とても偶然とは思えない。

 しかし、その説明を求めるより先に、私の心は復讐心に駆られた。向こうは我々の存在に気付いていない。これは父の仇を討つ絶好のチャンスだ。

 私の体はほとんど反射的に動いていた。しかし、モンゴメリの巨体が私の行く手を遮った。彼は私の体を洞窟の壁に押し付け、身動きできなくした。

 グラハムの持つ灯りが遠ざかって行く。


 待て。


 そう叫びそうになる衝動を、私は必死で抑えた。こちらが優位にあるのは、向こうがこちらの存在に気付いていない間だけだ。

 実際にはそう長い間のことではなかったろうが、遠ざかって行くグラハムの影を指を咥えて眺めているのは、私には耐えがたい苦痛だった。歯噛みをしながら見ていると、グラハムはつと立ち止まり、壁の燭台に火を灯した。それまでよりも洞窟の中が少し明るくなった。

 そうか。それとは知らず私たちはここまで来たが、あれが迷わずに洞窟の奥へ進む為の目印なのだ。

 向こうからこちらが見えるのではないかとひやひやしたが、光の中心にいるグラハムからは、私たちのいる窪みは完全な闇に包まれている。音を立てぬ限りこちらの存在に気付かれる心配はない。

 再びグラハムが歩き出し、洞窟のカーブの向こうにその姿が消えた時、初めてモンゴメリの戒めが解け、私はグラハムの後を追った。洞窟の所々に燭台が据えられていて、グラハムはその一つ一つに明かりを灯しながら進んで行く。お陰で後を追う私たちは楽だった。曲がりくねった洞窟の先に彼の姿が見えなくなると、私たちは足音を殺してその分だけ進み、彼が灯してゆく明かりを頼りにその後を追った。洞窟はいくつにも枝分かれしていたが、燭台が正しい道を教えてくれた。

 どれほど進んだであろうか。やがて道はまた石畳の舗装路に変わり、少し行くと洞窟の壁面をくり貫いたアーチ型のトンネルが現れた。

 身をかがめなければくぐれないほどの高さのトンネルにグラハムが姿を消したかと思うと、程なく向こう側が明るくなった。少し広い空間があるらしい。


 ここが私たちの目的の場所だろうか。


 モンゴメリと顔を見合わせると、私は先に立ってトンネルの中に潜り込んだ。

 足音を忍ばせ、数メートル先の出口を目指す。

 向こう側に灯された燭台の炎が、出口から漏れる光を揺らめかせる。

 どうやらトンネルの向こうは石室になっているようだ。中に人の動く気配はない。

 さらに奥へ進む道があるのだろうか。

 私はトンネルの壁面に身を寄せ、中の様子を窺った。

 その時、ふっと明かりが消え、石室は闇に包まれた。


 しまった。


 そう思ったときには、トンネルの背後から届くほんの僅かな光が、私の影を石室の床に浮かび上がらせた。

「そんなところに隠れていないで、出てきたまえ」

 石室の中に声が響く。

 私は従わざるをえなかった。

 真っ暗な石室に足を踏み入れると、私の顎の下に冷たいものが突きつけられた。

「何者だ?」

 グラハムは私の体を壁に押し付け、壁沿いに進むように促した。そして、私の喉元に短剣を突きつけたまま片方の手でマッチを擦り、壁の燭台に火を灯した。

 燭台の蝋燭の明かりをはさんで、私たち二人の顔が闇に浮かんだ。

 私は憎き父の仇の顔を無言で見つめた。

 私の顔を認めたグラハムの顔に、驚きが広がった。

「これはこれは・・・」

 しばし言葉の継ぎ穂を探すように、グラハムはまじまじと私の顔を見つめた。

「意外なところで意外な顔と出会うものだ」

「それはこっちの台詞だ。ここで何をしている?」

 私は短剣を突きつけられていることも忘れ、相手を詰問した。

 グラハムは薄く笑った。

「ふっ。ご挨拶だな。ま、無理もないか・・・。だが・・・」

 グラハムは短剣を水平にし、刃の平らな部分でぐいと私の顎を持ち上げた。

「調子に乗るなよ。今君の命を握っているのは、この私だ」

「そいつはどうかな」

 部屋の入口で声がした。

 ほっとしてそちらを見ると、モンゴメリが拳銃を構えて立っていた。

「スミス&ウェッソン六連装回転式拳銃(リボルバー)。最新式の拳銃だ。こんなものは使いたくねえが、お前さんが相手じゃ、仕方がねえ。なあ、グラハムの旦那」


 え?


「これはまた・・・、本日二度目のサプライズだな。君か、ルーカス」 

 私は目を走らせ、二人の男を見比べた。二人は顔馴染みなのか。

「一人でこんなところへ来たのが運のつきだな。さあ、その坊やを放してやれ。そいつは俺の連れだ」

 グラハムは仰々しく溜息をついた。そして、さも名残惜しげに私の喉元から短剣を離した。

「そいつを捨てるんだ」


 カラン。 


 地下室の石畳に短剣の落ちる音が響く。

 その瞬間、私はグラハムに襲いかかった。

「おっと、動くんじゃねえ、坊や」

 モンゴメリは、今度は私に銃口を向けた。

「あんた、どっちの味方だ?」

 私はグラハムの胸ぐらを掴んだまま言った。

「てめえ、命を助けてやった恩を忘れるなよ」

 モンゴメリはいつになくどすの利いた声で一喝した。

 私はしぶしぶグラハムから手を離した。

 グラハムは私に掴まれていた襟元のついてもいない埃を手で払った。

「まず、状況をはっきりさせてえ。マーカス、おめえ、こっちの旦那を知っているようだが、どういう経緯(いきさつ)だ?」

 モンゴメリが私に向かって尋ねた。

 私はグラハムを睨み据えた。ありったけの憎しみを込めて・・・。

「この男は父の仇だ」

 グラハムは私の視線と言葉を無表情に受け止めた。

「そいつは因果なめぐり合わせだ。ちぃといけねえことを聞いちまったかな」

 モンゴメリは大して感心した風もなく言った。世間じゃよくあることだ、とでも言わんばかりに・・・。

「僕のほうこそ聞きたい。あんた達はどういう関係だ?」

 フリーメイスンが噛んでいることは間違いない。しかし、二人の短いやり取りから、彼らが互いに気を許しているわけではないことも察せられる。

 モンゴメリとグラハムは顔を見合わせ、困惑した表情を浮かべた。自分たちの関係をどう説明したらよいのか分からない。二人ともがそんな顔をしていた。

「俺たちゃ、言うなりゃあ・・・、組織の構成員ってやつだ。な?」

 モンゴメリが答え、グラハムに同意を求めた。

 グラハムは応じなかった。私たち二人の顔を見比べ、自分がどう出るべきか、慎重に考えを巡らせている。下手に答えれば、自分の立場を危うくしかねない、とでも考えているのか。

 彼からすれば、私がこの場にいることが解せないのだろう。

「組織というのはフリーメイスンのことだな?」

「あまり勘ぐるなよ、坊や。俺たちゃ、組織の手足となって働いてりゃいいんだ」

 私の声音に組織に対する不審を読み取ったモンゴメリは、厳しい口調で言った。

「僕は組織に属した覚えはない」

 私は頑なに言った。

「だけど、おめえは教授の命令で動いているだろうが」

「教授は組織とは違う」

「おめえがどう思おうと、教授はフリーメイスンなんだよ。その下で働いてるおめえは、すでに組織の一員だ。違うか?そもそもおめえが背負っているガレットという家名は・・・」

 ここまで言って、モンゴメリははたと口を噤んだ。

 だが、もう遅かった。

「なぜあんたが僕の家のことを知っている?」

 私はすかさず問うた。

「おめえ、本当に知らなかったのか」

 モンゴメリの目にかすかな狼狽が浮かんだ。

「俺のモンゴメリって名字も、シェリルのシンクレア家も元をただせば・・・」


 テンプル騎士団。


 私の脳裏にその忌まわしい名前が浮かんだ。

「でも、あんたは・・・」

 確かモンゴメリは貧しい境涯から身を起こしたのではなかったか。

「俺の家は遠い昔に没落した。だがな、この名前のおかげで俺は救われたのさ。モンゴメリの名を継ぐ俺を、教授が探し出し、身が立つように世話をしてくれた。名前のことはおれ自身も知らないことだった。だから、おれは教授には感謝してもしきれねえ恩がある。あの人のためだったらどんなことだってやるぜ、俺は・・・」

「じゃあ、この男も・・・?」

 私は傍らのグラハムに視線を移した。

「その辺りでやめておきたまえ。この少年は本当に何も知らないようだ」

 何か言いかけるモンゴメリを制し、グラハムは警告した。

「こいつは危険な男だぜ」

 モンゴメリはグラハムを無視して続けた。

「教授の命令を受けているには違いねえが、こいつは・・・、このグラハムってやつは俺たちとは毛色が違う。汚れ仕事専門の下衆野郎だ」

 モンゴメリは育ちのよいグラハムの美しい顔を汚物でも眺めるような目で見つめた。

「おめえの親父がこいつにどんな目に遭わされたかは知らねえが、こいつは他にも汚ねえ仕事に手を染めている」

 私はまた頭が混乱してきた。

 グラハムが教授の命令で動いているとしたら、父の謀殺に教授が関わっているということなのか。

「ちょっと待ってくれ。グラハム子爵、あんたは教授の命令でここへ来たのか?」

 私はグラハムに向かって尋ねた。父の死の真相について直接尋ねる勇気はなかった。

「・・・・・」

 グラハムは私の方を見たが、答えなかった。

「それ以外に考えられねえだろ?」

 横からモンゴメリが言った。

「何故だ?なぜ、教授は僕らに下したのと同じ命令をグラハムに与えたんだ?」

「そんなこと知るかよ」

 モンゴメリは投げやりに答えた。

「わざと僕らを鉢合わせにするため・・・じゃないのか?」

「やけに勘ぐるじゃねえか。何でそんな面倒くせえことをするんだ?」

「・・・・・」

 私の頭に恐ろしい考えが浮かんだ。

 教授は私がグラハムを恨んでいることを知っていた。私の手でグラハムを始末させようとしているのではないか。

 私はモンゴメリと顔を見合わせた。

 彼の頭にも同じ考えが浮かんだようだった。私たち二人は揃ってグラハムに視線を向けた。

 端正なグラハムの顔が追い詰められた獣のような顔になった。

「こいつの始末はお前に任せるぜ」

 モンゴメリは私の手に拳銃を押しつけた。

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