アウトロー

 教授のもとには様々な人間が集まる。老若男女、金持ちから労働者階級の人間まで、中には大陸や遠くアメリカから訪ねて来る者もあった。そんな中で最も私の印象に残っているのが、ルーカス・モンゴメリという男だ。大柄で声が大きく、交易船の船長というわりには教養がなく野卑な感じがした。私から見れば別世界の住人で、敢えて関わり合いたいとは思わぬ類の人間だった。

 彼と出会ったのは、教授のお供をしてリヴァプールを訪れた時だった。

 リヴァプールは一日に何隻もの船が出入りする大きな港町だ。馬車で町を抜けると、建物の間に間に空に聳える幾本もの帆柱(マスト)が垣間見える。目抜き通りには船乗りや港湾労働者、異国の服を纏った商人、税関の役人、酒場の女等、様々な人間が行き交い、潮の香りと相まって港町独特の情緒を漂わせる。沖合いには、入港の順番を待つ船が停泊している。大洋をも越えて渡るその勇壮な姿を目にすれば、いやが上にも冒険心がくすぐられる。

 私たちは船着場に係留された二本マストのスクーナー船のタラップを上り、船上の人となった。

 甲板で私たちを出迎えたのがルーカス・モンゴメリだった。ゆうに六フィートを超える大漢で、肩や胸の盛り上がった筋肉は、上級船員というよりも水夫を思わせる。年の頃は、顔の下半分を覆う髭のせいで少し老けて見えるが、三十をいくつも越えないだろう。交易船の船長としては若い。

 モンゴメリは教授の前に来ると、その風貌に似合わぬ優雅さで深々とお辞儀をした。痩せた教授の前で身を屈める大漢。少々ユーモラスな光景ではあったが、それは彼が教授に臣従していることの証しでもあった。

「教授。お探しのものを見つけてきましたぜ」

 開口一番、モンゴメリは潮にやけた濁声でがなりたてた。

「ほう」

 表情を崩しこそしなかったものの、教授は大きく目を見開き、低い声を漏らした。

「教授の仰った通りでさ。玄室の奥にもう一つ隠し部屋があって、そこの壁の中に埋め込まれてやした。多少土を被ってますが、保存状態はばっちりですぜ。数千年も眠ってたわりにはね。不思議ですなあ。行ったこともねえ場所のことが、どうしてこうも正確にお分かりになるんで・・・?」

「報告は後で聞こう」

 興奮気味にまくし立てるモンゴメリを黙らせると、教授は私と彼を引き合わせた。

「大学で私の助手をしてくれているマーカス・ガレット君だ。こちらは我がヴィクトリア号の指揮を執るルーカス・モンゴメリ船長だ」

 私たちは形ばかりの握手を交わした。

 モンゴメリは若い私のことなど歯牙にもかけず、隣にいたシェリルに目を向けた。

「よう、シェリル。また一段ときれいになったな。どうだい、後で一杯つきあえよ。上等の酒を仕入れてきたんだ」

 あけすけな誘い文句に乗る彼女ではなかったが、顔を見ると頬をほんのりと染め、まんざら悪い気もしないといった風情だ。

 彼女に対するモンゴメリの馴れ馴れしさと、何よりもシェリルが彼の言葉に示した反応が私の癇に障った。こんな男とシェリルが以前からの知り合いだという事実さえ許しがたい。

「ささ、どうぞこちらへ、教授」

 教授の仏頂面に気付くと、モンゴメリは手のひらを返したように腰を屈め、船室へ下りる階段を示した。腰が低いのは教授に対してだけのようだ。

 船内には船材の木とニスのにおいが充満していた。人一人がようやく通れるほどの狭い廊下を進んだ突き当りが船長室だった。船長室とは言っても中は狭く、舷窓から差す明かりは乏しかった。

 モンゴメリは上着のポケットから鍵束を取り出し、船室の隅にうずくまると、鉄で補強された頑丈な木箱の蓋を開けた。そして、巨体に似合わぬ器用な手つきで箱の中身を取り出し、壁際に据えられたテーブルの上に一つ一つ並べていった。

 ランプに火が灯される間に、私たちはテーブルを囲み、並べられた品々を見下ろした。

 金銀の装飾品の類がほとんどだったが、中には大粒の宝石も混じっていた。そして、最後に出てきたのが、干からびた羊皮紙の巻物だった。二重底になった箱の底に仕舞われていたもので、モンゴメリは捧げ持つような慎重な手つきでこれをそっとテーブルの上に置いた。

 教授は他の宝には目もくれず、古びた数巻の巻物を凝視した。

「復元に手間がかかりますな」

 教授は真剣な眼差しで巻物を見つめたまま、モンゴメリの問いかけに返事もしなかった。

 モンゴメリの言葉を借りるならば、数千年の時を超えて甦ったこの巻物は、教授にとって余程大切なものらしかった。どこで発掘されたものであれ、その考古学的価値は計り知れない。しかし、それにしても、教授の執着振りはただごとではない。

「これがどこで発見されたか分かるかね、ガレット君」

 長い沈黙の後、ようやく教授が口を開いた。

「いえ」

 私は頭を振った。考古学の知識など持ち合わせぬ私には想像もつかなかった。

「エジプトのピラミッドだよ」

「ピラミッド?」

 ピラミッドと言えば、フリーメイスンのシンボルにも描かれている。フリーメイスンの秘密を追う教授にとっては重要な研究課題の一つだ。しかし、エジプトでの発掘は現在大英帝国の管理の下に行われている。調査の名の下に多くの埋葬品がイギリス本国に持ち込まれているが、そこで発掘された品々は個人が自由に扱ってよいものではないはずだ。

「勿論、調査は当局の許可を得た上でのものだ」

 当惑の色を浮かべる私を見て、教授は言った。

「多少の反則は犯しているがな」

 モンゴメリが付け加えた。

 教授が咎めるような視線を向けると、モンゴメリは口をつぐんだ。

「まあ、その点は大目に見られるべきだろう。人類の叡智を解き明かすというより大きな目的のためにはね」

「この巻物はフリーメイスンの秘密に関わるものなのですか?」

 私は尋ねた。

「そうだ。学会の馬鹿どもよりも前に私が目にすべきものだ。やつらにはここに記されていることの意味を理解することすら出来ぬだろう。たとえ解読できたとしてもね」

 教授は悦に入った顔で鼻を鳴らした。

「古代エジプトでは物を書きとめる道具としてパピルスという紙が用いられた。しかし、今我々が目にしているのは羊皮紙だ。つまり、この巻物はエジプト以外のどこかからもたらされた可能性があるということだ。どの言語で書かれているにせよ、この中に書かれていることは、フリーメイスンに伝わる複数の情報をより合わせねば解き明かすことはできぬ」

「どんなことが書かれているとお考えですか?」

 確かに、考古学の研究対象としては興味深いものであろう。しかし、太古の人間が書き残したものを解読することにどんな意味があるのか、私には今ひとつぴんとこなかった。

 教授はじろりと目玉を動かして私のほうを見ると、にやりと笑った。

「想像もつかんよ。以前も言ったがね、私はただ知りたいだけだ」

 教授が答えをはぐらかしていることは明らかだったが、私はそれ以上の質問を差し控えた。教授の目的は単なる考古学的知識の追求ではない。その目はさらにその向こうにあるものに向けられている。そんな気がした。

「君はどう思うね、モンゴメリ船長?」

 私の不満を逸らすかのように、教授はモンゴメリに話を振った。

「教授に分からねえものが、あっしに分かるわけがありませんや。あっしの興味があるのは、こっちのほうでさ」

 モンゴメリは巻物の隣に並べられた宝飾品を掌で示し、茶目っ気たっぷりに笑った。

「こちらもピラミッドの中で見つかったものかね?」

「いえ。こいつは現地の闇市で手に入れたもので・・・。少々値は張りましたがね、それでもこっちで売り捌きゃあ、五、六倍の値がつきまさ」

「闇市か。盗掘に遭った物も紛れているだろうな」

「出所は様々でさ。ギリシャやローマから流れてきた品もあって、時代もてんでんばらばら。一応、調べのつく範囲で目録はとってあります。闇市の情報がどこまで信用できるかは疑問ですがね」

「いや、それで結構だ。よくやってくれた」

 モンゴメリの仕事ぶりに満足したように、教授は目を細めた。

「だが、売りに出すなどとんでもないよ。歴史的な価値のある品々だ」

「へい、心得てまさ」

「もう一度確認するが、今回君がピラミッドから持ち出したのはこの巻物だけだね?」

「へい。玄室に至るまでの部分は発掘が済んでおりますので、もう取る物もありません」

「隠し部屋では、他に何も見つからなかったのだね?」

「ええ。何もかも教授の仰った通りで」

「復旧のほうは?」

「ぬかりありません。玄室の奥の石壁が持ち上がる仕組みになってやしてね。梃子の原理で上から吊ってあるんでしょうな。押しても引いてもびくともしませんが、下から持ち上げてやると隠し部屋に続く道が開くんでさ。それでも、大の男五人がかりの仕事ですがね。あのからくりに気付くやつはいませんや」

「隠し部屋のことを当局に知らせていないんですか?」

 私はつい咎めるような口調で言ってしまった。話の筋からすれば、それが当然だと思ったのだ。

 場の空気が凍りついた。

 モンゴメリが私に猜疑の眼差しを向け、それから教授に視線を移した。その目はこう問いかけていた。


 この若造、この場にいさせて大丈夫ですかい?


「ガレット君」

 教授が溜息をつきながら、私に呼びかけた。

「私がどうやって玄室のからくりを見抜いたと思うね?」

「フリーメイスンの情報から・・・でしょうか?」

 真実かどうかは別として、教授の求めている答えは容易に想像がついた。

「その通り」

 教授は満足げに頷いた。

「君の言う当局は大英帝国政府から派遣された現地の代理人だ。そうだね?」

 私は頷いた。

「私は一イギリス国民として、ヴィクトリア女王陛下の忠実なる僕であると自任している。その点は誤解をしないでもらいたい。だが、その一方で、知の探究者として、歴史の狭間に隠された真実を解き明かしたいという思いがある。たかが一国の利害に左右されるようでは、フリーメイスンに伝わる秘密を解き明かすという大事業は果たせない。君にも同じ視点に立って考えてもらいたい。この巻物を当局の手に委ねれば、今度はいつ私の目に触れるか分からぬ。いや、その機会は永遠に訪れぬやも知れぬ。権力者の無知やご都合主義のために歴史の闇に葬られた真実は数多ある。ならば、当局の目に触れる前に、そっと目を通す程度のことは許されて然るべきだ。違うかね?

 玄室の壁のからくりは、いずれ誰かが見破る。今回は私が先んじた。ただそれだけだ。先に謎を解いた者には、先に知る権利がある。当局に報告するのはその後でよい。これを悪と呼びたければ、そう呼ぶがいい。ただし、これは必要悪だよ」

 こうまで言われては、返す言葉がなかった。

 合理性の名の下に一国の利益をも切り捨てる教授を前にしては、若い私の倫理観など芥子粒ほどの役にも立たない。むしろ私自身、教授の言葉を信じたい気にさえなった。

 狭い船室の壁と天井に、テーブルを囲む四人の影が揺らめいていた。


「ところで、モンゴメリ船長。新たな仕事を依頼したいのだが・・・」

 エジプトからもたらされた品々の検分を終えると、教授は切り出した。

「何なりと」

 一航海終えたばかりの疲労など微塵も見せず、モンゴメリは唯々諾々と応じた。この活力こそ、教授が彼を買っている点の一つだろう。その笑顔からは一片の不平も読み取れない。それどころか、自ら進んで教授に使役されているように見える。

「スコットランドへ行ってもらいたい」

「船でですかい?」

「いや、その必要はない」

「陸(おか)の仕事ってわけですな。ちょうど良かった。船は船渠(ドック)に入れようと思ってたとこでさ。あちこちがたが来てるもんでね」

「ガレット君を連れて行きたまえ。彼の出自とも関わりのある仕事だ」

 それを聞いて私は胃の腑が重くなるのを感じた。

 スコットランドは我が父祖の地だ。とりもなおさずそれは、私とテンプル騎士団との関わりを意味する。もがけばもがくほど、逃れられぬ運命の渦に引きずりこまれてゆく。その上、このがさつな海の男と同行しなければならぬとは・・・。

 私は露骨に嫌な顔をしていたに違いない。

 そんな私の背中をバンと叩き、モンゴメリは豪快に笑った。

「わはは・・・。引き受けましたぜ、教授。ま、仲良くやろうぜ、ぼうや」

「ガレット伯爵だ。そう呼んでもらおう」

 言葉を口にした途端、私は顔中が真っ赤になるのを感じた。

 自らの地位をかさに着るなど紳士にあるまじき行為だ。若い私がそんなものを振りかざすのはさぞかし滑稽だろう。しかし、こうもあからさまに子供扱いされては黙っていられない。特にシェリルの前では。

 私の物言いが鼻についたのだろう。モンゴメリはさも馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「ふん、伯爵様かい。肩書きで生きて行けりゃ、世の中苦労はねえや。

 甘ったれの坊ちゃん一人、お預かりしやすぜ、教授。みっちりと世の中の道理ってもんを叩き込んでやりまさ」

 爵位など歯牙にもかけぬ豪胆さを見せる一方で、教授には卑屈なまでにへりくだって見せる。私への当てこすりかと思うと、尚更はらわたが煮えくり返ったが、人間関係の機微を捉えて相手をやりこめる術は向こうが一枚上手だ。

「いつ発ちやすか?」

 私に反撃の隙を与えず、モンゴメリは教授に尋ねた。

「積荷を下ろし次第すぐだ」

「その後の処置は?」

「こちらで手配する。取り決めどおり、儲けの半分が君の取り分だ。船員への分配は君の取り分から賄いたまえ。それでいいね?」

「十分すぎるぐらいで」

「ここにある品々については、別途ボーナスを出そう」

 教授はテーブルの上の巻物と宝飾品を指して言った。

 モンゴメリは王の前に額ずく騎士のように恭しく一礼した。

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