青い目の麗人

 夏が終わり、吹き抜ける柔らかな風に秋の気配が漂い始めた頃・・・。

 私はノッティンガムの実家から、シェフィールドの寄宿学校に戻っていた。寮の窓から芝生の敷き詰められた校庭と、その向こうに広がる赤く色づき始めた森を眺めながら、私は何事もなく過ぎ去った夏に思いを馳せていた。

 私はごく平凡な学生だった。ノッティンガムのガレット家と言えば地元では名の通った名家だったが、英国全土から貴族の子弟が集うハミルトン寄宿学校では、私は取るに足らぬ存在だった。

 明日から新学期が始まる、夏休み最後の一日をどうすごそうかとぼんやりと考えていた。社交室に下りてばか話に興じる友人たちの輪に加わる気にはなれなかった。私には人見知りの気があって、たとえ親しい間柄でも久しぶりに会うとどことなく気兼ねをしてしまうのだ。

 彼らの話の種ときたら、どうせ女の子のことか休みの間に羽目を外したことと相場が決まっている。今慌てて社交室に下りていくほどのこともない。学校に馴染む時間はたっぷりある。

 などと考えているところへ、ドアをノックする音が響いた。

「どうぞ」

 私が告げると、ドアの隙間から学長秘書のエヴァートンが顔を覗かせた。

 入学以来ほとんど言葉も交わしたことのない相手の来訪に驚いていると、

「やあ、マーカス。ここにいたか」

 エヴァートンはにっこりと白い歯を見せて部屋に入ってきた。

 もじゃもじゃ頭に真ん丸い眼鏡をかけたエヴァートンは、物腰の柔らかい好青年だ。

「何か用ですか」

 私はやや他人行儀に尋ねた。物思いにふける時間を邪魔されたくなかった。

「久しぶりに会ったというのにご挨拶だな」

 気の好いエヴァートンは気を悪くした風もなく言った。

「学長がお呼びだよ」

「学長が?なぜ?」

「さあね。行って聞いてみるんだね。すぐ来て欲しいそうだ」

 窓の前の椅子から立ち上がると、私は学長秘書の後について部屋を出た。

 私たちは寮を出て庭の芝生を横切り、学長室のある教室棟へ向かった。

 学長室は他の部屋に比べて設えが豪華だった。壁はマホガニーの板材で覆われ、床には靴音を包み消す分厚い絨毯が敷かれていた。

 エヴァートンが私を通すと、部屋の中央に据えられたソファに腰掛けていた学長と若い女が立ち上がった。

「ガレット君。夏休みはどうだったかね?」

 ソファの向かいの席を手で示しながら、学長は言った。

 学長は四十がらみのきびきびとした紳士だった。教育者というよりはビジネスマンといったタイプで、実際に教壇に立った経験はないという噂だった。曽祖父の代に創始されたハミルトン寄宿学校を受け継ぎ、学校経営に専念している。

「可もなく不可もなく、と言ったところですね」

 十代の不遜さから、私は冷めた口調で答えた。

「こちらは、ミス・フルブライト」

 学長の紹介を受けて、私はその傍らに立つ女性に目を向けた。

 人目を引く美人だった。鼻筋の通った細面の顔にきりっと引き締まった口元には、男をはっとさせずにはおかぬ魅力があった。そして、何よりも印象的なのは、透き通るような青い瞳と流れるような淡い金色の髪だった。ただ、その目はどこか憂いを帯び、微笑を浮かべた時でさえ、そこはかとない悲しみを湛えていた。

 彼女と向かい合った瞬間、私は雷に打たれたようにその場に立ち尽くした。それまでこれほど美しい女性と出会ったことはなかった。

「はじめまして」

 彼女から手を差し出されるまで、私は挨拶をすることも忘れていた。

 どぎまぎと彼女の手を握り返し、勧められたソファに腰掛けた後は、彼女と目を合わせることさえできなかった。彼女の纏う神聖冒すべからざる雰囲気に完全に呑まれていた。

「今日は君の将来についてお話があってこちらへ来られた」

 全員が腰を落ち着けると、学長が切り出した。

「将来?」

「いよいよ君もわが校での最終学年を迎えるわけだが、当然卒業後の進路のことは考えておるだろうね。この夏休みにはご家庭でもそんな話が出たのではないかね?その君の進路について、ミス・フルブライトはある提案をされたいそうだ。非常にありがたい話だ。よく耳を傾けて聞きなさい」

 学長の言葉には、どこか私を誘導しようとしている節があった。

「学長様。彼と二人だけで話をしたいのですが・・・」

 ミス・フルブライトが遠慮がちに告げると、

「ああ、そうでしたな」

 学長はおずおずと立ち上がり、部屋を出て行った。彼女におもねるその態度にはどこか不自然なところがある。事前に何らかの取り決めがあったことを窺わせる。

「今日はさる教授の使いで参りましたの」

 二人きりになると、ミス・フルブライトは少し身を前に乗り出すようにして切り出した。

 私は彼女と正対せざるを得なかった。

 まっすぐに私を見つめる目は、他に視線を逸らすことを許さなかった。

「オックスフォードにお勤めの方ですわ。私は教授の私設秘書を務めています」

 英国きっての名門大学の教授が、一介の高校生に過ぎぬ私に何の用があるのだろう。

「オックスフォードの教授?」

「ええ。その教授が助手のなり手を探しておられるの」

「助手?」

 私にはまだ彼女の話が飲み込めなかった。大学教授の助手など、なり手はいくらでもいるだろう。

「あなたさえその気なら、教授は大学にあなたの籍を設けてもいいと仰っているの」

「よく分からないな。僕はまだ高校も卒業していない身ですよ。大学教授の助手なんて務まりませんよ」

「そうじゃなくて、教授はご自分の手で助手を育てたいとお考えなの」

「それで僕を?」

「オックスフォードと言っても、なかなか教授のお眼鏡にかなう学生は見つからないのよ。有能な助手の候補はね」

「何故僕なんですか?このハミルトンにだって僕よりも優秀な学生はたくさんいますよ」

「そうね」

 彼女は頷いた。

 そうあっさりと首肯されては立つ瀬がない。

「でも、ガレット卿のご子息はあなた一人よ」

 なんだ。そういうことか。

 父親が裏から手を回して、早々に息子の進路を固めてしまおうというわけだ。金と身分に物を言わせて、息子を名門大学へ送り込む。世間ではよくある話なのだろう。だが、私は納得しなかった。そういうやり方はフェアじゃないし、第一、私のプライドが許さなない。

「父の差し金ですか」

 私の口調が少々辛辣だったとしてもやむを得ないだろう。

 ところが予想に反し、ミス・フルブライトは首を振った。

「いいえ。ガレット卿は何もご存じないわ」

「え?でも・・・」

 父の差し金でないとしたら、教授が僕に興味を示した理由は何なのか。

「むしろ、このことはご家族には内密にして頂きたいの」

 なぜ?

「詳しいことは教授がお話しになるわ」

 声にならぬ私の疑問を封じて彼女は言った。

「助手の候補として一度あなたを面接したいと仰っているの。どう?受けてみる気はおありかしら?」

 挑発するような口調だった。

 こう出られては引き下がれない。謎めいた申し出だが、オックスフォードへの進学は大きな魅力だ。ことの経緯を明らかにしたいという思いもあり、私は頷いた。

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