三丁目二番街を走る鶏
秋村 和霞
三丁目二番街を走る鶏
まだ昨夜の酒が抜けきらぬ早朝。どこかで雄鶏が鳴く街の中、私は不満を胸の奥に湛えながら歩いていた。
その日は協会の日曜礼拝で子供たちの讃美歌が披露される日だった。クリスマスを目前に控えたこの時期は教会での行事ごとがめじろ押しで、子供たちの讃美歌もその一環だ。
クリスマスの気分を盛り上げるという意味では、私も子供たちが讃美歌を歌う事に不満はない。例えそれが耳の腐るような下手な讃美歌であってもだ。
しかし、予行練習の為、普段よりも一時間早く子供たちが集まって来る。その子供たちと付き添いの親御さんが寒い思いをしないように、オルガン奏者の私は更に早く教会へ赴き、暖炉に火をくべる役を仰せつかっていた。それが不満の正体だ。
あのでっぷりと肥え太った神父の顔が脳裏をよぎる。クソ、何が慈愛の心を持って早めに来てくれだ。人前でいい面をする為に、私を顎で使いやがって。
更に腹立たしいのは、あの神父に言い返す事の出来ない自分自身だ。教会でのオルガン演奏は、音楽家という職にしがみつく私にとって唯一の安定した仕事だった。言い返して首になれば、私は明日から生きる為のパンを得るために、寒空の下で空き缶を置き、路上で座り込む事になるだろう。
いや、教会を首になったなら、教会の炊き出しに並べばいい。フン、傑作じゃねぇか。
もし私が著名な演奏家であったならば、きっと私はこう言い放っていただろう。どうぞ神父様、ご自分の慈愛の心で暖炉に火をくべてください。
そんな事を考えていると、前方に一羽の鶏が見えた。鶏はどこか目的地があるようで、真っ直ぐに道をこなれた歩調で歩いている。
餌でも探しているのだろうか。しかし、三丁目二番街の十字路で鶏は南に曲がる。そこに躊躇いの様子は無かった。
私は驚いて思わず歩みを止める。鶏といえば、三歩あるけば記憶を失うほどの低能な生き物だったはず。生理的欲求のみで生きているのような鶏が、まるで目的地を持っているかのような仕草を見せた事が不思議でならなかったのだ。
協会への道は十字路の北側である。しかし興味を持った私は、鶏を追いかけ南へと曲がる。
鶏の姿はすぐに見つかった。角から四番目の建物のガラス戸をしきりに嘴で叩いてる。
私はどこかうすら寒い出来事に背筋を凍らせる。その建物は私が昨晩飲んでいた焼き鳥屋だった。
慌てて踵を返し、十字路の北側の通りへと駆けだす。クソ、どうやらまだ酒が抜けきっていないらしい。
私は突拍子もない光景を目の当たりにしたからか、先ほどまで抱えていた不満がどうでも良い事の様に思えてきた。
「……少しは酒を控えるかなぁ」
何か教訓めいたものを感じる私を、眩しい朝日が包み込む。何とも不思議な一日の幕開けだった。
三丁目二番街を走る鶏 秋村 和霞 @nodoka_akimura
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