目を塞ぐのでは足りない

里場むすび

目を塞ぐのでは足りない


「今朝、自分の目玉をくり抜くユメを見たんだ」


 黒煙上る商店街の真ん中。栓奇隙せんきすきはナイフを構えた。

 相対するは、スカジャンを羽織った小柄な女子高生。ともすれば、中学生……いや、小学生とすら見紛うほどの背丈、あどけない顔立ち。

 玉虫色の瞳が、栓奇に微笑みかけた。

 しかし栓奇は決して油断しない。

 焼き鳥を食べながら雑談をはじめた——それこそが、少女の『攻撃』なのだと理解しているから。


 少女が焼き鳥の串の先端部に挿さった肉を一つ、食らう。モモ塩だ。

 ごくんと嚥下して、少女は話を続ける。


「どっちの目だったかは忘れちゃったけど……こう、指をまぶたの内側に潜り込ませて……」


 ビキビキビキッ。

 栓奇の右まぶたが内側から盛り上がる。


「少しずつ、少しずつ。押し出すんだ。まあ、本物なら痛みもあったんだろうけれど、ユメだからね。痛みはなかったよ。ああでも、視神経が千切れる音なら聞いたかも」


 ブチッ。ブチッ。ブチッ。

 栓奇はたしかに聞いた。自分の眼窩から、聞いたことのない音が微かに、しかし確かにするのを。


「で、ポトリ——目玉は布団の上に落ちたんだ」


 栓奇の欠けた視界の隅。白い玉が落ちてゆく。それはいつの間にか、二人の間を繋ぐようにしてそこにあった敷き布団の上を転がり、少女のもとへ。

 少女は栓奇の目玉を拾い上げると、焼き鳥の串の持ち手側にそれを挿した。


「ああ。気にしないで。私の悪夢ナイトメアが終われば、この目は何事もなかったかのようにセンパイのところに戻るから。視力も落ちないよ。夢だから」


 そこで、栓奇が声を発した。


「……だが、例外はある。そうだろ? 最近立て続けに起きる、奇妙な連続餓死事件。死者はみな、眼球を両方とも失っていた……あれは、」

「ええハイ。私の仕業です。最近、よく見るんですよ。眼球を失うユメ。だから、眼球を食べるんです。私の目の糧になってもらうんです。なにも見えなくなるのは、イヤですから」


「そうか」


 栓奇は駆け出した。

 今、この瞬間。疑いは確信へと変わった。もはや攻撃を躊躇う理由はない。


 少女は焼き鳥を食べる。2個目。残りは栓奇の眼球を除き、2個。


「5年前、私、事故に遭ったんですよ。全治三ヶ月。足を骨折しました」


 栓奇の足に激痛が走る。もんどり打って倒れた先、少女の足がそこにはあった。


「いまはこの通り、ピンピンしてますけどね。けど、あれは本当に辛かったなあ……あ、足を食べれば良かったんですかね。そうすれば私、大会に出られたのかな……」

「悪夢に、……つ、都合の良い救いを見出すな……」


 肘をついて、栓奇は身を起こそうとする。

 手にナイフはない。先程倒れた拍子に手放してしまった。


「そんなことしたって、なにも良くなりは……しない……」

「でも、希望がほしいんですよ。私は」


 少女が3個目を食べる。眼球まで、あと1個。


「……夏休み、子供会で登山に行ったとき、私は独り置いていかれた。私の足が、遅かったから。突然雨が降り出して、私は寒さに震えながら、岩陰でじっとしていた。足が速ければ、私に体力があれば、あんな思いはしなかった」


 栓奇の頭上に黒雲が生じ、豪雨を降らせる。

 少女の足が急速に遠退いてゆき、気付けば栓奇は、どこかの山の岩陰にいた。身体は寒さに震え、足には力が入らない。

 骨折の痛みは先程より幾分かマシになった。だが、立ち上がれない。


 どれほどの時間が経ったか。やがて、雨が小雨になると、栓奇の前に一人の少年が現れた。顔は暗くてよく見えない。


「■■■■■■■■」


 なんと言っているのかも、よく聞きとれない。

 ただ、その差し出す手の暖かさは確かに分かった。


「——助かった。そう、思いましたか?」


 栓奇の背後で少女が言う。栓奇が振り向くと、少女は最後の鶏もも肉を咀嚼しているところだった。もう、焼き鳥串には栓奇の眼球しか残っていない。


「この悪夢は、ここからが本番です」


 足元が崩れ、土や岩が滑り落ちる。


「土砂崩れに巻き込まれて私は、救助が来るまでの間、彼の死体と過ごしました」


 この世界に、人間は自分一人しかいない……どうしようもない孤独感と絶望が栓奇を苛む。


「これが私の、原点悪夢ファイナルディスティネーション。たとえ心の強いセンパイと言えども、この状況でもまだ、都合のいい希望を見出さずにいられますか? …………って、もう聞こえてませんよね」


 栓奇はもう完全に、原点悪夢に囚われている。

 現実は、少女がこうして生きている以上、救助が来て助けられるのだが……この悪夢は少女が当時味わった絶望を反映させたもの。ゆえに、救いはない。


◆◆◆


 少女は栓奇の眼球が突き刺さった串を回しながら、溜息をついた。


「センパイなら、どうにかしてくれると思ったんですけどねー…………私の悪夢ナイトメア。この、まるで戦場になったかのような無人の商店街。これはセンパイの悪夢ナイトメアのはずですし……」


 悪夢ナイトメアには段階がある。

 寝ている間に見たユメを現実のものとする第一段階。

 現実に起きた・経験した悪夢を部分的に再現する第二段階。

 現実に起きた・経験した悪夢で一つの世界を限定的に構築する第三段階。

 そして悪夢によって味わった絶望を反映させた世界に相手を閉じ込める第四段階——すなわち原点悪夢ファイナルディスティネーション


 周囲のフィールドに影響を及ぼすことができるのは、第三段階以降。

 少女の前で栓奇は第一段階の悪夢も第二段階の悪夢も使っていない以上、栓奇は少女の前に出てくる前に、第一段階と第二段階の発動を完了させていたと見るべきだろう。

 それほどこちらを警戒していた男が、このまま何も。


 少女は落胆とともに、悪夢を完結させにかかる。串に刺さった眼球。それを前歯で軽く噛んで、串から抜かんとする——


「焼き鳥が、お前の希望だったんだな」

「——ッ!?」


視線の先、よろよろと立ち上がる栓奇の姿がそこにはあった。


悪夢ナイトメアの発動には、絶望をかたちづくるには、希望が必要となる……お前の場合は、それが焼き鳥だったわけだ」


 栓奇の口は、焼き鳥を咥えていた。すこし土のついた、モモ塩を。


「なんで、それが……」

「……俺はさ、絶望しているんだ。俺にとってこの世は悪夢みたいなモノなんだ」

「——ッ!」


 この荒れはてた商店街が第三だとするならば、次に発動するのは第四段階……おそらくは、栓奇の原点悪夢ファイナルディスティネーション

(詠唱を開始したということは……やる気だこの人っ!)

 どうして助けが来ないはずの悪夢を乗り越えたのか、それは分からない。栓奇の能力は得体が知れない。


(私は、センパイのことをなんにも知らない……そういうミステリアスなところに、惹かれたんだけど……この人なら、終わらない私の悪夢を止めてくれるかもって……期待していたから……)


 だが、その期待に応えてくれようとしているというのに、少女は焦燥感に駆られていた。

(でも、これは。だめだ。きっとだめ)

 眼球を食らいにかかる。


 しかし、一瞬。遅かった。

「どんなに絶望があっても、少しのささいな違いで絶望は回避できた。どうしようもない絶望は、実のところそう多くない。ゆえにこそ、それは、残酷だ。

 ——だから、俺の悪夢ナイトメアは希望を与える」


 フッ、と。少女の目に写る光景が変わる。

「これは……」

 それは、あり得なかったイフ。

 事故に遭わず、県大会で優勝した中学時代。

 置いてけぼりをくらわなかった、小学生の頃の、子供会での登山。

 そして、雨が降ることも、土砂崩れが起こることもなくなにごともなく家に帰る……そんな安穏のなかに、少女はいた。


 目をくり抜いてでも直視したくなかった、現実かこのない世界に。


◆◆◆


「眠ったか……」


 栓奇は自分の足から痛みが消えゆくのを感じる。少女の手に持つ串に刺さったままの眼球は塵に消え、同時、栓奇の片側の視界が復活する。


「こいつは、目を覚ますかな」


 栓奇の悪夢は希望を見せる。絶望の存在しない世界に対象を閉じ込める。

 ゆえに、自ら絶望を望まない限り、栓奇の世界に囚われた者が目を覚ますことは決してない。


「……まあ、ともかく連絡を入れておくか。第三を解除して——」


 無人の商店街が、もとのかたちにもどる。周囲には何事もなかったかのように、日曜日を謳歌する一般人。

 栓奇は回収したナイフをそっと服の内側に仕舞い、眠った少女をおぶって商店街を出る。

 出口には黒塗りの車と黒服の女が待っていた。


「御苦労様。栓奇くん。彼女が眼球食い?」

「ええ」

「ふうん。あれ? しかも君と同じ高校の子じゃない?」

「なんで分かるんですか」

「ローファー」


 栓奇の目にはローファーの細かな違いなどまるで分からない。


「……まあ、ともかくこいつは預けます」


 栓奇は少女を車の後部座席に座らせ、自分はその隣に腰を下ろした。

 黒服の女性が車を出す。


「まあしかし、この街も物騒になったものよね。腕斬り、陽光嫌い、酒漬け、ワタ詰め……そして今度の眼球食い。悪夢使いナイトメア・サッファーが明らかに増えている」

「まーた、始原の話ですか?」

「おかしいでしょう? この街だけこんなにいるなんて。だからなにか、悪夢使いを増やす何かがあると思うのよ。……あるいは、悪夢使いを増やす悪夢使いがいる、とか」

「…………」

 悪夢とは、人によって千差万別だ。栓奇にとっての悪夢が希望であるように。

「ま、俺の方でもちょっと調べてみますよ……こういう話に強い奴に一人、心当たりがあるんで」

「そう。よろしくね」


 栓奇は隣で眠る少女に目をやる。その寝顔は、悪夢使いにあるまじき安らかなものだった。

 悪夢使いは毎日悪夢を見る。ゆえに、悪夢使いの多くは眠りを嫌う。


(もし。悪夢使いを増やす悪夢使いがいるのだとすれば。それは人間から安眠を奪っているということだ)

(到底、許せる相手ではない)


 そう、栓奇は静かに決意を固めるのだった。


(了)

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目を塞ぐのでは足りない 里場むすび @musmusbi

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