窺窬する謀略 ☆拾

「――そっか。なんで竜がいるのかと思ったら、そういうことだったのね」

「ふん、そりゃこっちのセリフだ。誰が絡んでんのかと思ったら、またお前らかよ」

「何よ、その言い方」


 別に好きで絡んでるわけじゃないんだから、と梨々花りりかが頬を膨らませる。


「にしても、あたしたち妙なところで一緒になるわね。ね、ゆら

「はぁ」


 話を振られた響はどうでもよさそうな反応をする。だが、言われてみればなんだか毎回巻き込まれている気がする。……あれ? 運が悪いどころの話ではないのでは?


 無言の下で虚無になる響である。


 所は嘉神学園生徒会室。場には今回の騒動に奔走した、あるいは関与した者たちが集結し、席について机を囲っていた。


 生徒会役員六名、そして響、梨々花、竜之介の一年生組で計九名。氷輪ひのわ暁鐘あかねももちろんいる。


 時刻は十六時を過ぎたころ。学園祭一般開放の一日目は何事もなく終了し、嘉神生かがみせいたちは今日の分の片付けと明日の準備を始めているはずだ。


この場にいる者は、少し前にこうして集まった。


響と梨々花、そしてかえではつい先ほど学園に帰還したばかりだ。子どもたちの家族への説明は何事もなく完了し、響たちが学園に戻った時にはことはすでに終息しており、学園祭も一般開放がちょうど終了する頃合いとなっていた。


佳澄かすみとまきなを修練場に連れていったあと、玲子から生徒会室に集合との連絡を受けた。そうして響たちが生徒会室に赴くと、そこには五人の生徒会メンバーに混じって竜之介りゅうのすけの姿があった。梨々花が目を丸くして驚き、楓も知らなかったので要一よういちにどういうことかと視線で問うと、事の経緯を説明されて今に至っているというわけだ。

 

「にしても、さすがね。咄嗟にそんな動けるなんて……」

「当然だろ。このぐらいできなきゃ、Aクラスにいる意味がねぇ」


 きっぱり言い切った降魔科一年生筆頭は、すっと響を一瞥した。


「……で、今回もお前が調伏ちょうぶくしたのかよ」


 響はひとつ瞬きをすると、黙然と首を横に振る。


古河こが先輩よ! 本当にすごかったんだから! 先輩のあの鮮やかな身のこなし、竜にも見せてあげたかったな~」


 梨々花が興奮気味に口を挟む。その勢いに軽く眉をひそめた竜之介は、そうかよとだけ言って顔を逸らした。


 そこから生徒会メンバーも含めて互いにこれまでの行動を報告し合っていると、室内にノックが響いた。開いた扉から姿を現したのは鵜飼うかいだった。


「みんな集まっているな」


待たせてすまなかったと空いている席に座りながら詫びる鵜飼に、玲子れいこが首を振った。


「彼らは、降魔士と?」

「ああ、連れて行ってもらったよ」


 今回の件に関与した降魔科生たちは鵜飼の取り調べを受けたあと、香弥市管轄の降魔士に引き渡されることとなった。連絡を受けて到着した降魔士に、鵜飼はつい先ほどまで事情を説明していたのだ。


「それとつい先ほど連絡が入ったんだが、犯人も無事捕まったそうだ」


 すると、安堵の息が各所からこぼれ出た。


「そりゃよかったぜ」

「ずいぶんと迅速な動きじゃったの」

「こういう時に頼りになる降魔士が知り合いにいてな。彼でなければ、取り逃がしていたかもしれない」


 鵜飼のその言葉を聞いて、玲子ははっと目を見開いた。


「その知り合いとは、宇留賀うるがさんですか?」

「ああ、そうだ」

「長らく出向していたと聞きましたが、帰ってこられていたのですね……」

「ちょうど数日前にこっちに来たばかりでな。本当にいいタイミングで来てくれたよ」


 玲子は納得したように頷いた。


「宇留賀さん相手であれば、犯人も降伏せざるを得なかったでしょうね」

「あー、まぁ、そう、なんだが……」


 ふいに鵜飼の歯切れが悪くなった。玲子が不思議そうに首を傾げる。


 そこで、それまで難しい顔で考え込んでいた竜之介が、はっと何かに気づいたように顔を跳ね上げた。


「宇留賀って、もしかして『猫憑ねこづ汰一たいち』のことですか!?」

「え? 猫憑き、って、あの?」

「マジかよ……センセー、そんな有名人と知り合いなのか?」


 驚きの目を向けてくる生徒たちに、鵜飼は苦笑しながらまぁなと頷く。


「出向していたってことは、元々香弥市管轄ってことですか?」

「ああ」


 知らなかった、と驚愕と感心を滲ませる面々を見て、玲子がほのかに笑った。


「宇留賀さんがここを離れたのは三年前だもの。知らないのも無理ないわ」

「会長はよく知ってたな」

「ええ、何度かお会いしたことがあるから」


〝猫憑き〟という言葉が出た途端に場が沸き立つ。あれこれと言葉が飛び交う中、響だけが蚊帳の外だった。


 みなが当然のように知っているその人物のことを、響は一切知らない。だが、響きからして猫が大好きな人なのかなどと適当に思っただけで、特に知ろうとはしなかった。


「その〝猫憑き〟というのは、一体なんだ?」


 相変わらず関心というものが希薄な主と違い、わからないものはわからないときちんと認める素直さを持つ子鹿姿の式神が問いかける。


「とある降魔士の異名です。彼には、妖異がいていまして」


 鵜飼が答えると、暁鐘あかねはこてんと首を傾げた。


「妖異が憑く……? 式神とは違うのか?」

「はい、妖異が憑くというのは――」

「待て、今重要なことではなかろう。話が逸れておるぞ」


 説明しかけた鵜飼を氷輪がふいに遮った。


「妖異憑きの件は二の次だ。話すべきことを話せ」


 鵜飼は瞬きをすると、そうでしたねと苦笑して話を再開する。


「次に降魔科生たちに聴取したことを話そう」


 降魔科生たちが今回の件の片棒を担ぐことになったのは、自身に対して劣等感があったことに起因している。みな己の実力に伸び悩んでおり、この先への不安、もしくは上位クラスの生徒の才能に嫉妬心を抱いていた。


 事の発端は、四月のとある休日に彼らのうちの二名が香弥市街に繰り出していた時、見知らぬ青年がふいに声をかけてきたことだった。彼らはその時に嘉神への不満を話しており、それを偶然聞いて居ても立ってもいられず話しかけたのだと青年は言っていたらしい。


 青年はつば付きの帽子の上にさらにフードを目深に被っており、口元も黒いマスクで覆っていたため、顔のパーツがほとんどわからない、見るからに怪しい出で立ち。何回か会う機会があり、その際は常に同じような格好だったという。


 当然、その時は話しかけられた降魔科生も不審に思った。すぐに離れようとしたが、彼が放った言葉が彼らをその場に縫い留めた。


 きみたちを助けてやれる、と。


 きみたちの力になりたいと熱弁をふるう青年――河西凌吾に、少しだけ興味が湧いてしまった。それが、すべての始まりだった。


 河西から聞かされた計画は、妖異を召喚し、その妖異を弱体化させ、大勢の人間の目の前で調伏してみせる、というものだった。成功すればきみたちの実力は周囲から必ず認められ、称賛されるだろうと言われた。


 最初こそあり得ないと思っていたが、聞いているうちに河西の話がとても魅力的に思えたため、彼らはその計画に乗ることにした。


 そこからは河西の要求どおり、同じ考えを持っている者を見つけて密かに声をかけた。そこには佳澄とまきなも含まれ、青年に引き合わせるとみなその計画に賛同した。そうして仲間を増やしていった結果、最終的に十人になったのだという。


「戯言だ……よくそんなものを信じたな」

「だな。誰もおかしいと思わなかったのか?」

「そう、そこが問題なんだ」


 要一と愛生あきの問いに、鵜飼が聴取していた際の生徒たちの様子を語ってきかせた。


 聴取が進んでいくと、次第に自分たちの思考がおかしいことに気づいていった彼らだったが、どうしてそういう考えになってしまったのかわからない。思い出そうとすると、頭に靄がかかったようなぼんやりとした感覚になるのだと、みな口を揃えて言った。


 そこまで聞いて、真っ先に感づいたのは氷輪だった。金色の双眸そうぼうがきらりと光る。


禁厭まじないの類か」

「おそらくは」


 鵜飼が重々しく頷き、言葉を繋いだ。


「どうやら、降魔科生たちは催眠術に近い暗示をかけられていたようなのです」


 どういったものかは断定はできないが、彼らの様子を見るに少なくとも記憶を操作するようなものではなさそうだった。


 記憶操作の類であるならば、降魔科生たちの話に必ず齟齬そごが生じるはずだが、そういったものは感じられなかった。であれば、男の言葉に従うように、もしくは疑いを一切持たないようにされていたと考えるのが妥当だ。


 そうなると、記憶というより意識に作用する術である可能性が高い。そう言うと、氷輪も頷いた。


「我の考えも同様だ」


 玲子が端正な顔を歪ませた。


「なんて卑劣な……」


 人の気持ちを利用した挙句、尊厳まで踏みにじろうとした極悪な行為だ。けっして許されるものではない。


「ああ、あまりにも人の道を外れている」


 鵜飼の声音にも抑えきれない怒りが滲み出ている。机の上で組んだ両手をぐっと握りつつ、努めて平静に話を続けた。


 降魔科生たちからあらかた話を聞いたあと、鵜飼は意を決して彼らに残酷な真実を告げた。


 弱体化させる術具というのが本当は強化させるものであるということも合わせて、計画を実行し妖異が召喚されたあとに起こったであろう悲劇を。


 そして、青年の計画は彼らを思ってのことではけっしてなく、全部自分の思惑を完遂させるための手段に過ぎなかった。つまり、騙され利用されていたのだということを。


 すべて話し終えると、降魔科生たちは全員顔面蒼白になっていた。ようやく自分たちが引き起こそうとした事の重大さを理解したのだ。ショックが大きすぎて、その場にへたり込んで放心してしまった者や、なんでそんなことに思い至らなかったのだと懺悔し出す者もいた。


 彼らの心中は容易に察せられる。人を救うどころか、危うく大きな被害を生み出してしまうところだったのだ。欲に目が眩んだ彼らの自業自得と言えばそうなのだが、そこにつけ込んで甘言を囁き、禁厭をかけて操り人形とした張本人が諸悪の根源であることに違いはない。


「つーか、その河西ってやつはなんだって嘉神を狙ったんだ?」

「たしかに。数年前にここを退学させられた恨みとは聞いてけど、何があったかまではわからないままだったね」


 怪訝そうに言った愛生の疑問に、和希かずきも同意を示す。すると、思わぬところからあっと声が上がった。


「それって、もしかして降魔術を不正に利用したっていう……?」


 おずおずと言った梨々花に、鵜飼はおやと軽く目を見開いた。


「よく知っていたな」

「前に友達と話してた時に、偶然聞いて」


 友人が多く顔の広い梨々花は、いろんな方面からいろんな話を聞いている。その中で、昔退学者がいたらしいという話をたまたま耳にしたのだ。もっとも、そういう生徒がいたということを聞いただけで、誰も詳細は知らなかったのだが。


 そうかと納得し、鵜飼は改めて話し出した。


「三船の言うとおり、やつは降魔術を不当に使用していたんだ」


 当時の河西が行った所業や吐き捨てたセリフなどを鵜飼が詳細に語ると、生徒会の面々の顔色がみるみる険しいものへと歪んでいった。


「なんだそれは……! 完全に逆恨みではないか!」

「お門違いにもほどがあるな」


 要一が眉尻を決して憤然とし、楓も不快感を露わにしている。


「そいつ、頭イカレてんじゃないのか?」


 愛生の辛辣な物言いに対して誰もつっこまない。みな同じようなことを思っているのが表情から見て取れる。


気色ばんでいる人間たちの中で、氷輪が悠然と尾を揺らしながら口を開いた。


「であれば、そやつの策略についても容易に見当がつくというものよ」


 河西の目的は、嘉神学園を失墜させること。


 強固な結界内に妖異が現れるなどということがあれば、間違いなく大惨事だ。


 しかも、嘉神生だけでなく一般客が多く訪れる学園祭という機会を的確に狙っている。大衆の面前でそんなことが起これば、誤魔化しや隠蔽は一切できない。


 それだけではなく、妖異を呼び出す呪具を仕掛けたのが降魔科生だという事実も、すぐに知れ渡ることとなったはずだ。


 度重なる不祥事は信用を一気に地に突き落とし、冗談抜きで学園の存亡を脅かしたことだろう。


 それこそが、まさに河西の思い描いた最高で最悪な復讐のシナリオだったのだ。


「……胸クソわりぃ」


 竜之介が吐き捨てるように言う。この場にいる多くが同じように表情を歪めている。


目的が嘉神学園の不祥事による信頼失墜ということであれば、一般客が巻き込まれ、それによって出たであろう被害も些事に過ぎなかったのだろう。


加えて、出現した妖異はすぐに調伏されただろうが、それ自体もさしたる問題ではなかったということだ。


 ただ私怨のためだけに、どれだけの被害が出ようとも構いもしなかった。身勝手極まりない愚行である。


「あの……」


 おずおずと口を開いた梨々花が、担任に縋るような目を向けた。


「佳澄たちは、どうなっちゃうんですか?」

「……それは、今はなんとも言えない」


 降魔士へ引き渡すことになったのは、関係者として一連の事件の事情聴取はもちろんだが、被害者として禁厭を受けている可能性も考慮に入れた調査と鑑定、ケアを行うためでもあった。


「彼らは利用されていた。それらを考慮し、降魔士もそして嘉神学園も判断を下すつもりだ」

「そう、ですか……」


 そうこぼした梨々花の表情が影が差す。見るからに落ち込んでいるようだった。懇意にしていた友人が関与してしまっているのだから無理もない。


 鵜飼は一瞬だけ眉を下げたが、すぐに切り替えてぐるりと全体を見渡した。


「諸々のことは決まり次第連絡する。それまでは、この一件のことは口外しないよう頼む」


 降魔士の判断と学園側で話し合って出た結論を、ことの経緯を含めて降魔科への全体周知は必ず行うとのことだった。 


「ともあれ、犯人も無事に捕まり、学園は守られた」


 鵜飼が首を巡らせ、ひとりひとりの顔を見ながら続ける。


「みんな、本当にご苦労だった。きみらの働きがなければ、今日この日を無事に終えられることはなかっただろう」


 冗談抜きの真剣な言葉だ。鵜飼がふっと表情を和らげる。


「ひとまずあとのことはこちらに任せて、きみたち学生は今日の分まで、明日思う存分楽しむといい」


 そうして、鵜飼が一年生たちに視線を定めた。


「さ、一年生はもう戻っていいぞ。明日の準備もあるだろう」

「はい」


 梨々花と竜之介が席を立つ。その時、鵜飼がそっと玲子に目配せした。その意味をすぐに理解した玲子がすかさず口を開く。


如月きさらぎさん」


 ふいに呼びかけられ、梨々花たちとワンテンポ遅れて席を立ちかけていた響は、動きを止めて玲子を見た。


「小坂さんとの件でお聞きしたいことがあるので、残っていただけますか?」


 響の眉がぴくりと動く。その言葉に反応したもうひとり、梨々花が何を思ったのかはっとして慌てたように声を上げた。


「響のせいじゃ……!」

「わかっています」


 玲子は安心させるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「少し確認したいことがあるだけです。責めるつもりはありません」


 それを聞いてほっと安堵した梨々花は、響に視線を向けた。


「じゃあ、響。先に行ってるね」

「……。では、失礼します」


 一連を黙って見ていた竜之介が礼をして、くるりときびすを返した。その背を追うように、梨々花も生徒会室から退室していく。


 扉が閉まるのを確認した玲子が、再び腰を下ろした響へ視線を投じる。


「話は概ね楓から聞いているわ。災難だったわね、響」

「……いえ」


 響がふるふると首を振る。その表情に曇りがあるのを見て取り、玲子もそっと眉を下げた。


 いつもなら心底うんざりしたように本当ですよとでも言いそうなものだが、どうやら今回ばかりは違うらしい。


「不幸な事故ではあるけど……もう少し、言葉選びには注意したほうがいいかもしれないわね」

「…………はい」


 珍しくしおらしい。こんな響を見るのは初めてだ。


「小娘、本題に入れ」


 玲子がなんと声をかけたらいいものかと玲子が言葉を選びあぐねていた時、ふいに氷輪が口を挟んだ。


「確認したいことがあるというのはただの口実であろう。あの二人には聞かせられない話がある。違うか?」


 あの二人とは、梨々花と竜之介のことだ。玲子はひとつ瞬きをし、ふっと息を吐いた。


「お見通しでしたか」

「ふん、この我の目を誤魔化すことができると?」


 氷輪が偉そうに胸を逸らす。響のことは気にかかるが、氷輪が声を上げてくれて正直助かった。おかげでいくらか空気が変わり、響の気も逸れたようで、本題? と怪訝そうに首を傾げている。


 咄嗟に気の利いたことが言えなかった自分には少々情けない気持ちを抱くものの、とりあえず今は氷輪の言うとおり本題に入ろうと、玲子が話し始める。


「響、あなたに伝えておきたいことがいくつかあるの」


 言って、玲子がちらと鵜飼を見やった。


「鵜飼先生」


 ああと頷き、鵜飼が話の続きを継いだ。


「如月、廃工場での一件は覚えているか?」


 出し抜けにそんなことを聞かれ、響は目をぱちぱちと瞬かせると、戸惑いがちに首肯する。


「まぁ、そりゃ」


 忘れるはずもない。あの一件がきっかけで、響は今こうして降魔科に身を置くことになっているのだから。


 しかし、それがなんだと言うのだろう。今更蒸し返してくる意味がわからない。


 胡乱な表情の響に、鵜飼が続ける。


「あの場に、牛鬼ぎゅうきに襲われそうになっている降魔科生二名を見て、きみは助けに入ったわけだろう」


 これには、響はさすがに頷けなかった。自分が助けたいと思って駆けつけたわけではなく、氷輪に唆された結果に居合わせてしまっただけだ。


 そんなものは、助けに入ったとは言えないだろう。


 なんとも形容しがたい表情で黙りこくる響を見て、なんとなく心中を察した鵜飼だが、そこに触れることはしなかった。


「実はな、あの現場にはあるものが残されていたんだ」


 古河が見つけてくれてな、と鵜飼が視線を移すと楓がうむと頷いた。


「何かが書かれた焼き切れた紙片じゃった」

「はぁ……」


 響の相槌は気の抜けたものだ。話が見えていない主と違い、氷輪がいち早く察した。


「そういうことか」

「え、何? どういうこと?」


 氷輪は嘆息した。


「わからぬか。あの牛鬼は現場にいた降魔科生が召喚したもの、ということだと」

「…………は?」


 響はぽかんと口を開けた。氷輪の言っている意味がわからない。否、脳が理解することを拒んでいる。


 呆然と鵜飼を見やると、無情にも担任は首肯した。


「今回の一件に関わった降魔科生の中に、その時の女子生徒二名もいてな」


 鵜飼は彼女たちに詳しく話を聞いた。


 男と出会ったばかりの頃、女子生徒たちは好奇心でもらった符の効力を試してみたらしい。そして、召喚した妖異があまりにも巨大で醜悪な姿だったため、恐れを抱いてしまったのだと言う。


「なるほどな。水辺を住処とするはずの牛鬼があのような場所に出没するのはおかしいと思っていたが、召喚したのであればすべて説明がつく」


 納得している氷輪の横で、響は固まっていた。


「じゃ、じゃあ、なんで生徒会が……」


 逃れた二人の降魔科生は、その足で学園に戻って生徒会に報告している。普通は隠蔽するはずでは。


「ああ、それは僕も同じことを思った」


 鵜飼が追及し、彼女たちが話した内容はこうだ。


 まず、他人に現場を目撃されたことに怖気づいた。しかもそれが普通科の恰好をした嘉神生で、どういうわけか妖異の相手を買って出たため、さすがにまずいと思ったらしい。それで生徒会に救援を求めたのだと。


 そこまで聞いて、響ははくはくと口を動かした。


 では、何か。あの牛鬼は響が引きつけなくても、彼女たちを襲うことはなかったと。そういうことなのか。


 信じたくなかった。そんなのアリか。


 もし本当に襲われかけていたのだとしても、それは自業自得だったのだ。襲われてもいい理由にはならないだろうが、それはそれ。


 女子生徒から牛鬼の気を逸らすため、隠形おんぎょうを解き輝血かがちの身を晒すという危険まで冒したというのに。らしくないことをした自分の行動は一体。


 やや放心気味の響に、鵜飼が慰めるように言う。


「きみの行動が無駄だったわけではけっしてない。召喚した妖異を戻す方法については教えられていなかったらしく、遅かれ早かれ妖異は人を襲っていただろう」


 そう言われても、響は複雑な心境だ。あの一件は結果的に、自分で自分の首を絞めてしまったようなものだということになる。


 なんだそれ、あんまりじゃないか。このやり場のない気持ちを、一体どこへぶつければいいというのか。


 がくりと肩を落とす響を、暁鐘が心配そうに見やる。暁鐘は百鬼夜行ひゃっきやこう事件に居合わせていなかったため、話に入らず静観していたのだ。


「響、大丈夫か」

「……全然大丈夫じゃない」

「そう、だな。たしかに、響が身を賭して救った相手が妖異を召喚していた、などという事実、受け入れられるものではないな」


 暁鐘が親身になってくれているが、微妙に食い違っている。響がショックを受けているのは、女子生徒らが妖異など召喚したせいで自分が術者であることが露見してしまったことに対してだ。


 彼女らがそんなことをしなければ、今頃普通科で悠々自適な生活を続けられていたかもしれないというのに。


 はぁと深々と嘆息する響を、暁鐘がなんとか励まそうとしている。そんなふたりを横目で見つつ、氷輪が神妙な面持ちで考える。


 今回の一件は百鬼夜行事件と繋がっている。それはわかっていたが、よもや廃工場のあの時からすでに始まっていたとは。


 因果というものは、かくも恐ろしきものだ。


「そのようなことがあったにも関わらず、そやつらは懲りることなくくみし続けたのか」


 氷輪が嘲るように言うと、鵜飼は首を振った。


「いいえ。さすがの彼女らもその件で自分たちがしようとしていることを恐れ、一度は手を切ろうとしたそうなのです」


 そこで一旦言葉を切った鵜飼の言いたいことは、この場にいる全員が察した。


「例の禁厭のせい、ですね」


 代表するように玲子が言うと、鵜飼がそうだと首肯する。


 鵜飼は最初に話を聞いた時、彼女らは脅されていたのではないかと思った。手を切るならただでは済まない、などと脅され、そのせいで関与し続けざるを得なくなったのではないかと。


 しかし、そうではなかった。禁厭をかけられ、河西に二言三言言われただけで、彼女らは考えをあっさり変えられてしまっていたのだ。


 当時の彼女たちは心底恐怖しており、軽く錯乱状態であったため、自分たちが召喚したことは言い出せなかったのだそう。鵜飼も生徒会も現場へ駆けつけることを最優先事項とし、彼女たちには落ち着いてから話してもらおうと、詳細は後日訊くことにしたのだ。


 それがいけなかった。


 響のことが発覚したせいで、そちらに気を取られてしまったというのが一番大きい。それもあって彼女たちへの取り調べがつい後回しとなってしまった。数日後に改めて当時の状況を尋ねた時には、すでに彼女たちの意思は変えられていたのだ。


 彼女たちから聞いた話では、帰りがけに妖気を察知し、様子だけ見て学園に連絡を入れようとしたが、その前に妖異に見つかってしまった、とのことだった。


 明らかに事実と異なっている。多少の嘘には敏感な術者だが、誰ひとりとしてそれを見抜けなかった。禁厭の影響か、それとも別の何かの仕業か。確かなことは判然としないが、その話を真実として受け入れてしまった結果、彼女たちは河西に良いように操られ、与し続けることになったというわけだ。


「これは我々の失態でもあるわけか……」


 要一が唸る。もしその段階でおかしいことに気づけていれば、このような事態にはならなかったのだ。


 悔恨を滲ませる面々を見ながら、玲子がおもむろに口を開いた。


「――私たちが見抜けなかったものは、もうひとつあるの」

「なんだって?」


 聞き返す愛生に、玲子が厳かに告げる。


「結界の件よ」


 そうして、玲子が説明会のあとで判明した事実を語ると、メンバーの表情がみるみる変わっていった。


「そうか、内側から招く……!」

「ナルホド。だから、結界が壊されかけたんだね」


 片手で額を抑える楓と、険しい面持ちで呟く和希。悔しさの浮かぶ顔を見ながら、玲子が言葉を続けた。


「そう、これは巧妙に計画されたことだったの」


 息を呑む音がどこかからか聞こえた。四月から今日に至るまで、誰にも悟られることなく長期に渡り謀られた策略。嘉神学園がずっと狙われていたという事実と、幾重にも張り巡らされた陥穽かんせいに戦慄が走る。


 愛生が疑わしそうに鵜飼へ尋ねた。


「待ってくれ。ってことは、百鬼夜行の件も今回の件も、全部そいつがやったってことなのかよ?」

「今のところは、な」


 降魔科生にもその点についても訊いてはみたが、河西のほかには誰とも会わなかったらしい。本人からも協力者の影をちらつかせるような発言は一言もなかったとのことだ。


 禁厭が作用している可能性も否定できないが、本当に彼らは知らない様子だった。しかし、鵜飼はひとつ手がかりを掴んでいる。


 鵜飼は、それまで特に口も挟まずいつもの楽しそうな表情を崩すことのなかった満瑠みつるを一瞥した。


名倉なくら、河西は電話をしていたんだったな?」

「そー、何話してるかはわかんなかったけど、おにーさんがなーんか怒鳴ってた」


 その証言を聞き、鵜飼は軽く顎を引く。


「一連の件で使われたのは古式降魔術だ。河西がそれをどうやって会得するに至ったのか。その電話の相手が、協力者である可能性も十分にある」


 その辺も含めて取り調べが行われるはずだ。真相はその結果次第になる。そう、鵜飼は言った。


 協力者、と聞いて氷輪の耳がピクリと跳ねる。


 まだ何も確証は得られていないが、その河西という男が自力でこれまでの一件を行ったという線は限りなく薄いと思えた。元降魔科生ということは、彼も当然扱っていた術はカデイ式のはずで、聞く限り特に秀でた実力はないようだった。


 であれば、河西に一連の謀略を引き起こすに足るすべを与えた、協力者とも呼ぶべき存在はいるはずだ。


 妖異を召喚させる。これだけでも、並大抵の技量ではまず成せない業だ。それ以外にも、妖異を操り強化する術も持ち合わせているということは、相手は相当の古式降魔術――否、呪術の使い手だ。


 カデイ式が一般的となっているこの現代で、それほどの術を操れる術者が土御門以外にいるというのか。


 一連の話で氷輪の気にかかったのが、召喚した妖異を強化させるということ。この目で見たが、あれは強化もそうだが、暴走化とも言える。


 妖異を召喚する術具を作成できるようだが、その召喚できる範囲というのはどこまでなのだろう。


 もしや、その協力者というのは――異国の神獣を召喚することすらもやってのけるのだろうか。


 そこまで考えが及んで一瞬ののち、まさかな、と氷輪は自身の思考を打ち消した。


 暁鐘に呪詛じゅそを仕掛けた術者は、もういないはずだ。響が呪詛返しを行い、呪詛は間違いなく術者に返った。もし失敗に終わっていれば、再び暁鐘に返ったはず。暁鐘だけでなく、呪詛返しを行った響もただでは済まなかっただろう。


 だから、その協力者というのが暁鐘に呪詛をかけた術者である、と結びつけることは難しい。


 だが、それならそれで腑に落ちない部分もある。果たしてそれほどの古式術者が、これほどの短期間で集中的に何人も現れるものだろうか。


「…………」


 今の考えは氷輪の中に留めておく。すべては憶測で、現状判断材料が少なすぎる。この世の森羅万象の知識を司る神獣の矜持きょうじにかけて、ただの憶測を安易に口にすることは絶対にできない。


 確かなものと言えば、ひとつだけ。


 百目鬼どうめきに投げつけられた小袋から感じ取ったもの。


 一瞬。ほんの一瞬だけ、漂ったあの気配は――。


「――氷輪殿」


 ふいに呼ばれ、氷輪ははっと我に返った。思考に耽っていた氷輪から、ただならぬ気配を感じたのだろう。暁鐘が険しい表情でこちらを見ている。


 なんでもない、ではどうにも誤魔化されてくれそうもなかった。


 たとえ暁鐘相手でも、今の憶測を話す気はなかった。しかも、暁鐘相手に呪詛を仕掛けてきた術者のことなどもってのほかだ。


 暁鐘に気を遣っているわけではない。起伏の激しいこの同胞に下手な話などすれば、心中穏やかではなくなるだろうし、絶対に面倒なことになる。それが煩わしいだけだ。


 だから、唯一伝えられることだけ、共有することにする。


 なにせ、これは主に関わることなのだから。


 のちほど話す、と口の動きだけで伝えれば、暁鐘は黙って頷いてくれた。






 鵜飼と生徒会メンバーによる密談を終え、生徒会室をあとにした響は廊下を歩いていた。


 教室へと戻る道すがら、校舎の至る所から変わらない喧騒が聞こえてきた。学園祭二日目の裏で怒っていたことなど、ほとんどの生徒は知りもしない。


 学園祭は明日も開催される。何事もなく。


「…………」


 今日起こった出来事、そして明らかとなった事実は響の心を揺さぶった。わずかにいつもと雰囲気が違う主の様子に、二体の式神は当然気づいていたが触れることはしなかった。


 窓からは傾きつつあるものの、まだまだ沈まない日の光が廊下に差し込んでいる。皓々とした光は、まるで水面下の攻防戦の閉幕を祝福しているかのよう。


 その眩さから逃れるように、響は気持ち足早に歩を進める。夕日を浴びる少女の背には陰が落ちていた。

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