窺窬する謀略 ☆拾壱【完】

「よし、これで全部剥がせたぞ」

「あーあ、これで本当に終わっちゃったな」

「ね、あっという間だった」


 がやがやと校内が騒がしい。しかしその楽しげな雰囲気の中に、わずかな寂寥が混じっている。過ぎ去ってしまった非日常へ想いを馳せる生徒も少なくはない。


 教室では装飾を外し、体育館等の施設では搬入していた大量のパイプ椅子を元に戻し、設置されていたステージの解体が進みゆく。


 現在、嘉神学園では、三日に渡って開かれた学生の祭典の後片付けが行われている真っ最中である。


 学園祭一般公開二日目、通算三日目が昨日のこと。後夜祭も一般公開が終了した後に行われ、嘉神生たちは学園祭の成功を祝った。そうして嘉神学園の学園祭は全工程を滞りなく終え、大盛況のうちに幕を下ろすことになったのだった。


 そして今日は、全校生徒総出での後片付けが割り当てられている。作業をする嘉神生には楽しかったこの数日を惜しむ雰囲気はありつつも、それと同時にどこか浮かれた空気が漂い始めていた。


 それもそうだ。なにせ学園祭の終わりは学期末を意味し、数日後には夏休みに入るのだから。


 午前中に片付けが終わると、お昼を挟んでホームルームがあった。普通科はそれで終了になるのだが、降魔科はホームルーム後に特別授業が実施されることになっていた。


 普通科生を心底羨みながらやっとのことで特別授業を終えたゆらが、さっさと寮に帰ろうとして梨々花りりかに捕まっていた時に、玲子れいこから声がかかった。


「二人に、お話があります。生徒会室へ来てください」






「…………」

「…………」


 学園に併設されている降魔科寮。時刻は二十一時を少し過ぎた頃。


 響に割り当てられている部屋には、響と、もうひとり来訪者がいた。


 寮は二人部屋で、中央に置かれた二段ベッドを挟んでそれぞれのプライベートスペースとして区切られている。


 響のスペースの反対側は綺麗に片付けられ、もぬけの殻になっていた。そこを使っていた生徒はもういない。


 まっさらになったスペースをぼんやりと見ながら、響は放課後に玲子から聞かされた話を思い返した。


 話の大筋は、今回の件に関与した降魔科生は一部が学園に残り、あとはみな自主退学という形になったということだった。


 本来であれば、問答無用で強制退学となるほどの事態だ。しかし、今回に関しては異例の措置が取られることとなった。というのも、降魔士が行った鑑定により、降魔科生たちには古式呪術である禁厭まじないをかけられていたことが正式に発覚したからだった。


 鵜飼うかいの推測どおり、彼らにかけられた禁厭は催眠効果のあるもので、理性や認識を阻害するような術だったとのこと。


 幸いというべきか、禁厭は特に尾を引いたり副作用があるようなものではなく、解呪されていることが確認された。


 取り調べを受けた生徒たちは、みな己の行いを悔いるような態度を見せていたという。彼らが話した内容は鵜飼が聞いた時と変わりなく、捕まった河西から聞き出した話と齟齬がないことも確認できたため、取り調べ自体は昨日一日でほとんど終わった。


 そして嘉神学園側は、丸一日協議した結果、関与した生徒たちが禁厭で操られて主犯者に唆されていたこと、そして反省の態度を考慮し、彼らへの対処として強制退学の処罰は下さず、学園に残ることを認めた。


 ただし、全員Dクラスから一からやり直し。さらに、一年間は昇格試験の受験資格はなしという条件付きで。いくら禁厭をかけられていたからとはいえ、彼らに心の隙が無ければ防げたはずのものであった、というのが学園側の最終的な見解だった。


 なかなかに厳しい条件ではあったが、数人の生徒はそれを受け入れた。心を入れ替えて、きちんと自己研鑽に励むことを誓ったという。


 しかし、それ以外の生徒はみな退学を申し出た。


 条件が気に食わなかったのではない。己の行動が許せず、もう降魔士になる資格がないと自ら判断した。もしくは、降魔士になるという意志を消失してしまったのだ。だから、自主退学として学園を去る決断をしたのである。


 学園に残った生徒もまた地獄だ。悔い改める意志があるとはいえ、後ろ指を指されることは免れないのだから。


 そして、自主退学を申し出た生徒の中には、まきなと佳澄も含まれていた。


 まきなが今回の件に関与することになったのは、ちょうど響との会話で苦しんでいた時に勧誘され、まんまと乗ってしまったからだった。


 そして、佳澄かすみ。関与していた降魔科生の中で、唯一Bクラスと高いクラスに所属していた彼女が加担したのは、ひとえに友人を傷つけた響が許せなかったため。


 佳澄は元から響のことが気に食わなかった。自分が手を伸ばしたいところにいるにも関わらず、それを蔑ろにするような授業態度を取り続ける転科生に嫌悪感を抱いていたのだ。


 そんな折に友人が傷つけられたことを知り、堪忍袋の緒が切れた。響が放った言葉は、佳澄自身も否定されたような気持ちにもなったというのもある。だから彼女は、響を学園から排除することを主目的として、関与するに至ったとのことだった。


 話を聞き終えて響が寮に戻ってきたころには、朝まではそのままだったまきなの私物がすべて片付けられていた。響が学園にいる間に行われたのだろう。おそらく、佳澄と同室だった梨々花のほうも同じだったに違いない。


 響はすっと視線を移した。その先で来訪者――三船みふね梨々花が、響のスペースでベッドの枠に背をつけ身体を丸めていた。


 ここに来てからずっとそうだ。夕食と入浴を終えた後、特に何をするでもなくぼーっとしていた時に突如梨々花が訪問してきたかと思いきや、一言も発さずこうして黙り込んでいる。


 一緒に帰寮したのだが、その道中もあの梨々花がほとんど話さなかった。彼女の今までに見たことがないほど悄然とした様子を見て、さすがの響も文句を言う気が失せてしまった。


 梨々花がなぜこうなっているかは、一応察しがついている。しかし、それについてかける言葉を響は思いつかない。


「――――」


 いや、言葉をかける資格などないのだ、自分には。


 部屋に静寂だけが漂っている。氷輪ひのわ暁鐘あかねは今この場にいない。梨々花が訪ねて来た途端、氷輪が暁鐘を連れてどこかへ行ってしまったのだ。


 どのくらいの時間が経っただろう。


 ふいに、梨々花がぽつりと呟いた。


「……あたし、最低だ」


 寮が同室になって意気投合し、親友とも呼べる仲になったのに、何もしてやれなかった。


 玲子から事情を聴くなかで、佳澄の苦悩を知った。


 彼女の様子がおかしいことには気がついていた。それなのに、生徒会の仕事だったり学園祭のクラスの準備だったりと忙しさを言い訳に、後回しにしてしまった。


 こんなの、友達失格だ。


 あの日。子どもたちを病院に送り届け、事情の説明などをひととおり済ませて学園に戻り、修練場に彼女たちを連れて行く間に、梨々花は佳澄に謝ろうとした。話を聞いてあげられなくてごめん、と。


 しかし、察した佳澄が梨々花が何か言うのを遮ってきた。


 ――謝らないで。私も、謝らないから


 それが、佳澄との最後のやり取りだった。


 別れも言わずに、言えずに、それきり。彼女は学園を去ってしまった。


「どうすればよかったんだろ……」


 佳澄たちと対峙したあの時の光景が脳裏によみがえる。


 彼女のあれほどに歪んだ表情を見たことがない。あんな表情が人間にはできるのかと衝撃を受けたほどだ。


 しかし、響を裏切って佳澄たちの側につくという選択は考えられなかった。そんなのは絶対間違っていると、今でもその気持ちは揺るがない。


 けれども、梨々花は自責の念が拭えなかった。後回しになどせずに、もっとちゃんと話を聞いてあげていたら。話し合えていれば。


 こんなもの、エゴでしかないということはわかっている。話を聞いていたところで、結局この結末を変えることはできなかったかもしれない。


 それでも、何かできたはずだった。なのに、何もしなかった。


 その事実に、梨々花は打ちのめされた。


 今更だ。何を思ったところで、すべてがもう手遅れなのだ。


 梨々花はふっと自嘲気味に笑った。


「……こういうとこが、いい子ちゃんぶってるんだろうな」


 もちろん、梨々花自身にそんなつもりはまったくない。なるべくみんなと仲良く楽しくしたい。それは紛れもない本心だ。


 自分も楽しくて、みんなも楽しければいい。それだけなのだ。何かいけないだろうか。


 けれども、それが佳澄には気に食わなかったのだろう。それに気づきもせず、自分はへらへらとしていた。傍から見れば、苛立ちを覚えても仕方のないことだと思う。


「ずっと無理させちゃってたんだ……佳澄は私のこと、嫌いだったのに」


 震える声で呟かれた言葉に、それまで黙って聞いていた響がぽつりとこぼす。


「……それは、違うんじゃない」

「え?」


 泣きそうに潤んだ目で見上げてくる梨々花に、響はためらいながらも思ったことを話す。


 佳澄は、梨々花が自分を責めることを知っていた。だから、謝まられることを拒み、自分もあえて謝らなかったのではないだろうか。


 彼女が自身を責めることのないように。すべては佳澄自身が悪いのだから、怒りは自分だけに向くように。


 佳澄はきっと、あの時点ですでに退学を決意していたのだろう。だから、もうどうにもならないことだと思い、ああいう形で梨々花との関係を断ったのではないか。


 少なくとも、梨々花と喧嘩をしたくないとは言っていたあれは事実だろう。本当に嫌っていたのならば、問答無用で響と一緒くたに妖異をけしかけていたはず。


 友人の心が傷つけられたことを、我がことのように怒れる彼女のことだ。きっと梨々花のことも、結果的に相対することになってしまったが少なからず想っていたのではないだろうか。誰に対しても薄情な自分とは違って。


「って。……まぁ、勝手に思っただけだけど」


 梨々花が大きく目を見開いている。


「だから……梨々花は、悪くないと思う。たぶん」


 少なくとも、自分は梨々花に救われた。


 友達だと言ってくれたことが、きっと嬉しかったのだと思う。


 なんだかムズムズするから、きちんと認めることに少しの抵抗はあるけれど。


「……っ」


 響の言葉を聞いて、梨々花の瞳から雫がこぼれ落ちた。


 そうだった。佳澄はそういう子だ。


 つり目のせいか少しキツめの印象を与えがちだが、話すと全然そんなことはなくて、寮が同室ということもあってすぐに意気投合し仲良くなった。


 佳澄は大切な人を守りたくて、降魔士になることを決意したのだと聞いた。その時の会話で、今はBクラスだけどもっと腕を磨いてAクラスに昇格して、いつか絶対に梨々花と肩を並べて戦うんだと笑って言ってくれた。それが嬉しくて、待ってると自分も笑って返したのだ。


 正義感が強くて、人一倍思いやりのある子だった。それを、自分が一番わかっていたはずなのに。


 みるみる涙が溢れ出て、梨々花は嗚咽を押し殺して泣き出す。


 それがどういった意味の涙なのか、響には正確に推し量ることができなかった。


 ――私も友達じゃん。その子よりも付き合い長いでしょ?


 ふと佳澄の言葉が脳裏を過った。ああ、本当にそのとおりだ。彼女のほうがよほど梨々花のことをわかっている。自分は梨々花がここまで落ち込むことなどまったく予想していなかった。


 ……もし。


 もしも、自分も親しくしていた相手と決別してしまったら。


 その時は、果たしてこんな風に泣くことができるだろうか。


「…………」


 答えを見いだせないまま、響は泣き続ける梨々花をただ黙って見ていることしかできなかった。






「……ありがと、響。なんか少しだけ楽になった」


 しばらくして落ち着いた梨々花が、顔を上げて目尻を拭いながら響に向けて微笑んでみせた。目元は赤く、泣き笑いのような表情ではあったが。


 その途端、響は激しい自己嫌悪に陥った。


 佳澄の件は、梨々花のせいではないと響は思っている。


 そう、梨々花が悪いのではない。元はといえば、響がまきなへ放った言葉が事の発端だ。


 ――無理でしょ。わたしたちは違うんだから


 その言葉がまきなを苦しめた。佳澄もまた、傷ついた友人を想って行動したにすぎない。


 だから、責められるべきは自分。そんな意図はなかったとはいえ、誤解させるような言い方だと気づかず、言霊を軽んじた自分のせいだ。


 それなのに、礼など言われる筋合いはない。そんな自分が、何を偉そうにものを言っているのか。


 今度は響が自嘲気味に笑う番だった。


 楓には、響だけのせいではないと言われた。まきな自身の問題もあり、様々な要因が重なってしまったせいでこうなったのだと。


 けれども、結果的に彼女を退学へと追い込んでしまった。それは紛れもない事実。


 降魔士になりたかった者が退学し、降魔士になるつもりがない者が学園に残った。


 なんという皮肉だろうか。


 本当にいなくなるべきは、自分なのに。


 じくじくと胸の奥に生じた痛みを、響は無視した。痛いと言う資格などない。これは自分が負うべき罰だ。


「……って、やば、もうこんな時間!」


 ふと気づけば消灯時間十分前だった。そろそろ自室に戻らなければ怒られてしまう。


 慌てて立ち上がった梨々花は、いくらか普段の調子を取り戻したようだった。


「急に押しかけちゃってホントにごめん! 色々ありがとね! おやすみ、響」


 ん、と小さく頷く響に手を振って別れる。


 自室へ戻る道すがら、梨々花は未だ濡れている目元に手をやった。


 恥ずかしいところを見られてしまった。でも、気分はだいぶ晴れたように思う。


 ――だから……梨々花は、悪くないと思う。たぶん


 そう言ってもらえたのが、沈んでいた梨々花の心を軽くした。まさか、響に励まされるだなんて思わなかった。


 なんだ、響も優しい言葉かけられるんじゃない。


 普段がああだから誤解されるのだと思うが、やはりなんだかんだ言っていい子なのだ。


 ふふっと笑った梨々花は、そこではたと気づいた。


「あれ? もしかして名前、初めて呼ばれたんじゃ……?」






 梨々花が帰ったあと、それを見計らったかのように氷輪と暁鐘が戻ってきた。


「話はできたのか」

「話っていうか……んー、まぁ……?」


 よくわからない。あれでよかったのか。


 響が煮え切らない返事をするが、氷輪はそうかとだけ言って特に追及しなかった。


「てか、ふたりはどこ行ってたわけ?」

「ふん、汝には関係のないことだ」

「あ、そー……」


 まぁいいや、と響はあっさり引き下がる。例のごとく興味がないので、それ以上の言及はしないだけだ。


「はーあ、ねんむ……」


 なんだかどっと疲れてしまった。学園祭期間中、連日バタバタしていたのが大きな要因だろう。


 しかし、それも今日でいったん落ち着いた。今後は生徒会の雑務もない。ようやく平穏な日々が戻ってくる。


 それになんといっても、今週末には終業式があり、そのあとに待っているのは夏休みだ。


 これで少しは休めるだろう。


 響が伸びをして椅子から立ち上がった時、暁鐘は机の引き出しに何か挟まっていることに気がついた。


「響、引き出しから何か出ているぞ」

「え?」


 言われて、響はそちらを見やった。


 手に取ってみると、それは折りたたまれた用紙だった。そこに『如月きさらぎさんへ』と書いてあるのを認める。


「これって……」

「手紙のようだな」


 読んでみよ、と促してくる氷輪に、響は目を通した。


『誤解してごめんなさい。それから、色々なこと全部、本当にごめんなさい。妖異と戦っている姿を見て、私なんかよりも如月さんのほうがずっと降魔士に向いていると思いました。如月さんが立派な降魔士になれることを祈っています。直接言う時間がなさそうなので、こういう形で言い残していくことをどうか許してください』


 急いで書いたのだろう、文字が走り気味だ。書かれた紙も、なんの飾り気もない破ったノートの一ページだった。


差出人の名前は無い。しかし、文章の内容から誰が書いたものなのかは容易に検討がついた。


「…………なんだよ、これ」


 響の顔が苦しそうに歪む。


 謝られることなんかひとつもない。それに、こんなことを言われても困る。


「響、手紙にはなんと?」


 尋ねてくる暁鐘に、響はただ黙ってその紙片を差し出した。暁鐘と、そして氷輪もそれを覗き見る。


「……ふむ」

「さすがは我が主。期待をかけられているな」


 そこではない。


 と、思ったが氷輪はつっこまなかった。


「……勝手に、期待なんかしないでよ」


 持つ手に力がこもり、紙片にしわを作る。


 なんと言われても、自分の意志に揺らぎはない。


降魔士になんか、ならない。


 何かを振り払うように頭を振った響を、氷輪は黙って見つめていた。






 そのあと、響はほとんどしゃべらず、ベッドに上がって横になった。基本的に寝つきがいい響は、ものの数分で寝息を立て始めた。


 梨々花となんの話をしたかは知らないが、響が珍しく傷心しているようだった。そこにあの置き手紙と来て、よほど精神的に摩耗したのだろう。


 主が寝入ったのを横目に、暁鐘が氷輪に視線を送る。


「氷輪殿、本当に響に言わずともよいのか?」

「……よい。今はまだ、な」


 ふたりで出ていったあと、氷輪はあの場で感じたことを暁鐘に話した。そして、これは響にはまだ言うなと口止めしたのだ。


 ――あの小袋の中身から微かに漂った気配が、輝血かがちのそれと酷似していたことを。



   ▼   ▼



「ご苦労だったな、汰一たいち

『まったくだ。出向から帰ってきて早々人遣いが荒いったらないぜ』


 久々の非番だったってのに、と電話越しにぶつぶつと文句を垂れられる。


 苦笑した鵜飼だったが、ふと思いつき芝居がかった口調で言った。


「そうだな、ご多忙であらせられる超一流降魔士殿に頼むことではなかったな」

『なんか言葉にトゲを感じるんだが? 冗談だって、お前のおかげで降魔士は暇人の集まりからゴロツキぐらいには昇進……くそ、黙ってろ!』

「にゃん吉は相変わらずのようだな」


 旧友のおかしなしゃべり方に動じる様子もなく、鵜飼はくすりと笑った。


「彼のおかげで、無事犯人確保できたんだろう? かれてるわりには上手くやってるみたいじゃないか。もういっそ式神にしたらどうだ?」

『おい、けん、事実を捻じ曲げんな。このバカ猫のせいで、俺は危うく処罰を受けるとこだったって言っただろ!』


 それは確かに聞いた。宇留賀うるがいわくの『バカ猫』が彼の制止も聞かず、河西が持っていた呪具をすべて食べてしまったらしい。


 犯行の手口に使われた物品は、捜査においてかなり重要なものだ。それを紛失させてしまったとあっては、ただでは済まない。


 鵜飼が念のために手元に残しておいた呪具を降魔士に渡していなければ、たとえ宇留賀といえど少なくとも減給は免れなかっただろう。


 挙句、吐き出された河西は気絶してしまい、連行するのに手間取ったとも聞いていた。散々な目に合っている旧友をさすがに不憫に思う鵜飼だ。


『それとだな、冗談でも式神だけはない、絶対に! 誰がこんなタダ飯食らいのクソバカ猫と……あ? お前とさっさと離れたい? ……って、それはこっちのセリフだ――――!』


 宇留賀がひとりでぎゃあぎゃあ騒いでいるようにしか聞こえないが、その応酬にはきちんと相手がいることを鵜飼は知っている。


『あ、コイツ、寝やがった! くそっ、覚えてろよ……離れられたらお前なんか真っ先に調伏してやるからな……』


 ぜぇはぁと荒い息を吐いて、旧友が捨て台詞を吐く。その間、鵜飼はおもしろそうにそのやり取りを黙って聞いていた。


『とにかく、嘉神学園の協力のおかげで大事件を防ぐことができた。降魔士として、協力に心から感謝する』


 息を整えた宇留賀が改まって謝意を示した。真面目ぶった口調に鵜飼はふっと口元に笑みを浮かべる。


「役に立てたなら何よりだ。それで、本題はなんだ? それだけじゃないんだろう?」


 礼を述べるためだけに、彼がわざわざ電話をかけて来たとは思えなかった。であれば、他に何か伝えたいことがあるはず。その確信が鵜飼にはあった。


『――そのことなんだが』


 唐突に電話口の声のトーンが変わった。鵜飼の表情も真剣さを帯びる。


『今主犯に取り調べを行っているんだが、その供述がどうにも要領を得なくてな』


 河西への取り調べの際、犯行の動機や手法などを事細かに訊いたが、言っていることあやふやなのだという。


「どういうことだ?」

『容疑自体は認めてる。やったことに関して否認したことは一度もない。だが、その内容がな……』


 聴取の際、河西は特に抵抗することなく従順に答える姿勢を見せた。どうやら捕獲時の恐怖が後を引いていたらしい。立ち会った宇留賀の姿を見て、表情に怯えを滲ませていたのがその証拠だ。


 しかし、問題はその内容だ。犯行動機についてまでは順調に話していたのだが、手法の話に入ると途端にそれが変わった。


 尋問していくうちに、河西はどこかぼんやりとし出し、首を傾げながら語った内容はこうだ。


 ――俺を貶めやがった嘉神に復讐しようとして、俺は……どうしたんだ? ……ああ、そうだ、呪具を見つけた……? そう見つけたんだ、たぶん。んで、そいつと降魔科のガキどもを利用する手筈を整えて……あ? ガキどもにまじない? そんなもん知ら……ん? いや、俺がそれもやったのか……? 


 そんな彼の供述には違和感しかなかった。誰が聞いても不自然な内容で、ここに来て無駄な抵抗を始めたのかと思ったのだが、どうもそういうわけではないらしい。


 ひとまず尋問を続け、百鬼夜行事件に関しても追及したが、自分がやったような気がするなどと曖昧なことを述べる。協力者の有無を訊いても、河西はやはりどこかぼんやりとした様子で、そんな人物はいない、すべて自分でやったはずだと言うのだ。


『嘘発見器も導入したんだが、反応が出なかった。降魔士数人で聞いていても、でたらめを言って誤魔化そうとしているようには見られなくてな』


 降魔士は言霊ことだまを操るがゆえに、一般人よりも相手の嘘を見抜けやすい。その降魔士が数人がかりで聞いても、河西の供述に嘘はなさそうだという結論に至った。


 河西の供述内容は明らかに真実ではない。ふざけているのかと思うような内容なのに、彼に嘘をついている様子はなかった。彼自身が、それを本当のことだと信じて疑っていないのだ。


 まるで、肝心の記憶が雑に書き換えられているかのようだった。


『兼、お前はどう思う』


 そう振られ、鵜飼は唸るように苦々しく言う。


「――禁厭か」

『ああ、おそらくな』


 河西は記憶が操作されている。それも、降魔科生たちよりもかなり強力な禁厭がかけられていたようだ。


 降魔士側もそれに気づいて鑑定を行ったが、もはやどうこうできるような状態ではなくなっていたのだと宇留賀は言った。


 今も聴取段階は続いており、時間を置くなどさまざまな手段を取っているが、彼の供述は何ひとつ変わっていない。となると、河西の記憶は永遠に失われてしまったと考えるのが妥当だ。


 降魔科生を利用して復讐に走った河西もまた、利用されて使い捨ての駒にされたということだった。


『この件、どうもこれでおしまい――ってわけには、いかないようだ』

「……ああ」


 河西を裏で操っていた相手は、おそらく古式呪術の扱いに相当長けている者だろう。カデイ式が主流となっているこの現代で、それほどの古式の使い手がいるとは。しかも、悪事に手を染めているとは考えるだけでゾッとする。  


『……なぁ、兼』


 鵜飼が眉間にしわを寄せて考え込んでいると、ふいに宇留賀から声がかかった。


『やっぱり戻って来ないか? お前の抜けた穴は、あまりにもでかい』


 そう続けられた旧友であり元同僚の言葉に、鵜飼は苦笑した。


「致命的な欠陥を持つ僕に、降魔士でいる資格はない。知っているだろう?」

『資格がない、ってことはないだろ。たしかに、全盛期のような活躍は難しいかもしれない。でも、お前ぐらいの実力があれば、前線に出なくたって……』

「今の僕は降魔科のいち教師。生徒を放り出していくことなんてできない」

『だが……!』

「汰一」


 遮るように名を強く呼ぶと、電話の向こう側で息を呑む気配がした。


「僕は一切後悔していない。それに、これはもう僕の夢でもあるんだ」

『…………』


 宇留賀は黙ったが、電話越しに不満そうな気配ひしひしと伝わってくる。


 相手の意志は尊重したいが、自分の願望は捨てきれていない。そういう時、彼は決まって黙り込むのだ。


 お互いに道が分かれても昔と変わらない旧友に、鵜飼は目を細めて話し出した。


「優秀な降魔士候補生がすくすくと育っている。僕よりもずっと優秀な生徒たちだ。油断していると余裕で追い越されるぞ、汰一」

『……それは、負けるわけにはいかねぇな』


 しばらくの間のあと、微かに笑いながらそう紡いだ宇留賀がそれ以上言及してくることはなかった。


『しっかし、兼の教え子か。そういや、玲子ちゃん以外は会ったことないな』

「会えるさ。そのうちな」


 そんな雑談を二言三言交わしたあと、何かわかり次第互いに連絡することを約束して通話を終えた。


 スマホをしまい、鵜飼はふぅっと重苦しい息を吐く。宇留賀から聞いた話はさすがに予想外のことだった。


 河西に協力者の存在。それについてはほとんど確信を持っており、河西への尋問である程度は明らかになるものだと思っていた。


 しかし、尻尾を掴むことすらできなずにいるとは。思えば、あれほどの古式を操る者だ。そう易々と身元が割れるなど、考えが甘すぎたかもしれない。


 百鬼夜行を皮切りとして、嘉神学園を狙った一連の謀略は阻止された。しかし、不穏な影はまだ息をひそめている。協力者の正体がつまびらかにならない限り、事件はまだ完全解決とはいかない。


 協力者の正体、そしてその目的が一体何なのか。まるで見当がつかない。


 それに古式術者という単語で、頭に浮かんだものがもうひとつあった。


 玲子からの報告にあった、土御門つちみかど深晴みはるが接触してきた件。今回の騒動で、彼女の一言がなければ犯人の居所はわからなかっただろう。犯人確保に至ったのは間違いなく彼女のおかげだ。


 だが、何を考えてのことなのかさっぱりわからない。自分の弟子が世話になってるから協力した――とは、どうにも思えなった。


 なにしろ、現れたのが狙ったようなタイミングなのだ。響からそういう人だと少しだけ聞いてはいるが、もしかしたら何らかの関係があるのではないか。考えたくはないが、そんな疑いすら抱いてしまう。


 鵜飼は疲れたように頭を振り、眉間を摘まむ。頭を悩ませるようなことが山積みだ。


 今回の一件や百鬼夜行はもちろん、先月の羅刹事件も古式術者が絡んでいるという話だ。こう考えると、響が降魔科に来てから古式降魔術絡みの出来事が増えたような気がする。


 これも、輝血の因果なのか。


 一瞬そう考えて、いや、と鵜飼は頭を振った。たとえ何かあるのだとしても、それを輝血のせいにするのはよくない。


 輝血は関係なくとも、まだまだ気の抜けない状況が続きそうだった。


 再び重い息を吐き出した鵜飼が顎を撫でていると、脳裏にとある顔が思い浮かんだ。


「――きみだったら、この状況でも楽しんでいたんだろうな」


 懐かしむように呟くと、浮かんだ顔がにかっと笑った。


 ――だーいじょうぶ! なんとかなるって!


「……なんとかするんだよ――僕らで」


 脳裏に響いたお決まりのセリフに、お決まりの返しをぽつりと呟く。


 すると、少しだけだが気が晴れてきた。


 こういうときに決まって思い浮かぶセリフに、毎度元気づけられてばかりだ。


 そう、自分がすべきことはただひとつ。


「僕は教師として、自分ができることをするよ」


 誰にともなくそうこぼし、自身の意志を固めた鵜飼の口元には、微かな笑みが浮かんでいた。



   △  △



「――馬鹿な男だ」


 元から期待などは一切していない。青年の計画が成功しようが失敗しようが、どうでもよかった。


むしろ、これでもうあんな妄言に付き合わなくて済むと思うと清々しささえ覚える。


 自身を賢いと思い込んでいる人間ほど愚かなものはない。こちらを利用しようとしていたようだが、くだらない復讐心に身を焦がしたせいで、自分のほうが利用されていたことに微塵も気づいていなかった。


本当にどうしようもなく愚かなやつだった。だが、あんなぼんくらでも、それなりに自分の実験の役に立った。そこだけは感謝してやろう。


 ついと視線を向ければ、視界の片隅で小さく震える影がある。自分を見るその表情は怯え、恐怖に彩られていた。


 それを無表情で見ながら考える。


 さて、次はどんな実験をしようか。





 この、輝血の血を使って――。




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