窺窬する謀略 ☆玖

   ▼   ▼



「どう、なってんだ……?」


 河西かさいは腕時計に目を落とす。時計の針は、十五時半を指している。


 右手に持っていた望遠鏡を覗き込み、少ししてまた時計を見た。この動作を、もう何回繰り返しただろうか。


 河西はまたも望遠鏡を目に当てた。その先に映っているのは、人々で賑わいを見せている学校の敷地内。


 外ではぞろぞろと多くの人が行き交い、校舎内にも楽しそうな人の姿が窓越しから窺えた。そこに異常事態が生じている様子など微塵もなく、平穏そのものだ。


 もうとっくに崩れ去っているはず光景が、今もなお続いている。


「クソが! なんで妖異が出て来ねぇんだよ!」

 

 河西はギリギリと手すりを握り込んで悪態をついた。


 ここは、小高い丘にある香弥こうや地域を一望できる公園。普段の休日ならば、けっして少なくはない人が訪れるスポットなのだが、今は河西以外の人影は一切ない。


 異様な静寂が漂う公園の周りには、うっすらと膜のようなものが見える。一般人には見えないこれは結界だ。河西が公園ぐるりと囲むように人払いの結界を張ったもので、一般人は近寄れないようになっていた。


 大願を果たした喜びの瞬間を誰にも邪魔されたくない――ただそれだけの理由で、河西はもらった古式術具で結界を張ったのだ。


 だが、その大願は果たされていない。タイムリミットを過ぎ、待てど暮らせど期待した変化は起こらない。自分が思い描いた光景になっていない。


「今度こそ、絶対上手くいくって話だったじゃねぇか!」


 河西は己の頭を掻きむしった。怒りで血走った目が不自然に動いている。


 十五時になったら学園内に埋め込まれた複数の呪具が発動し、妖異が何体も召喚されて学園祭をめちゃくちゃにする。そのはずだったのだ。


「あのガキども、まさか土壇場でビビッてなんかしやがったんじゃねぇだろうな……!」


 ギリリと歯を食いしばった河西が凄まじい人相を作る。


 三ヶ月だ。この計画は、三ヶ月かけて周到に準備してきたものだ。


 いや、準備の期間だけなら短いものだ。この積もりに積もった復讐心は五年もの間、自分の中でくすぶり続けていた。自分の力を奪った嘉神に復讐する。ただそれだけを考えて、退学させられてから五年もの月日を費やしてきたのだ。


 周囲の誰も彼もが自分を非難してきた。本来味方であるはずの家族などは、あろうことか病院に行くことを勧めてくる始末。


 そんな周囲の雑音が耳障りで、家を出て街を離れた。降魔術さえ使えれば、あんな奴らも一瞬で黙らせることができたのに。そう思うと、怨嗟の念はますます膨れるばかりだった。


 そんな折に出会ったのが、古式降魔術を操るあの男だった。


 思えば、ちょうどこの場所だった。今のように嘉神学園のある方向を睨み、嘉神をどうやったら地獄に叩き落せるかを考えていた時、ふいに声をかけられたのだ。


 近づいて来るや否や、悩みを聞かせてほしいと言った男を河西は当然不審に思い、追い払おうとした。しかし、男は引かずにとりあえず話してみろの一点張り。


 それを鬱陶しく思った河西は、自棄やけになって自分の思いを洗いざらいぶちまけた。話せば、どうせ俺を頭のおかしいやつ扱いして離れていくだろう、周りの奴らと同じように。いつもなら頭にきてしょうがないところだったが、この怪しさと胡散臭さしかない男を追い払えるなら、今回ばかりはそれでもいい。そう思っての行動だった。


 しかし、河西の話を聞いた男は離れていくどころか、なんと手を貸そうと申し出てきたのである。


 予想の斜め上を行く反応に、河西は唖然とした。自分の気持ちが否定されなかったのはこれが初めてだったのだ。


 だが、河西は手放しに喜ぶことなどしなかった。むしろ猜疑心さいぎしんが増す一方で、その男に少しばかりの恐怖すら抱いたほどだ。この数年周囲にお前がおかしいと責め立てられ、誰にも理解されなかった。そのせいで河西は他人を信じることを一切しなくなっていた。


 河西が信じていないことを悟ったのだろう男は、やおら自分の身分と目的を話し出した。


 男は降魔術の研究者で、古式降魔術を使って新しい術を生み出せないか研究している。開発した術の実験し、その結果がほしい。


 自分も河西と同様、人々の安寧を守るということにはさらさら興味がない。もし降魔士育成機関を相手に実験が行えるのであれば、実験対象としてこれ以上もない成果が得られる。だから、協力させてほしい――とのことだった。


 それを聞いても河西は首を縦に振らなかった。そこで、男は術を実際に披露した。そうして見せてもらった男の術は、ずいぶんと魅力的なものだった。妖異を召喚でき、操ることができる。妖異だけでなく、人の意識を多少操作できる禁厭まじないもあるというのだ。


 河西の心は大きく揺れた。これは使えるのではないか。この男と手を組めば、自分の復讐が果たせる、と。


 悩み始めた河西に、ダメ押しのように男が言った、もし自分と手を組むのなら降魔術を扱えるようにしてやる、という言葉が決め手となった。降魔術がまた使える、これ以上の魅力があるだろうか。


 そうして利害が一致のもと、河西と男はお互いの目的のために手を組むことになったのだ。


 男は名を名乗らず、『方士ほうし』と呼んでくれなどとのたまった。胡散臭さが増すばかりだったが、自分の計画のために利用しようと決めた。この際、呼び名などなんでもよかった。


 河西の思惑と男が操る古式降魔術とすり合わせて立てた計画は、学園内で妖異を召喚することだった。それも、降魔科生を利用して。


 計画の立案者は河西だ。報復のためにどうすれば一番ダメージを与えられるのかをずっと考え、シミュレーションしてきた。それが活きたのだ。


 河西は方士と出会う前、休日に香弥へ繰り出していた降魔科生の話をたまたま小耳に挟んだのだ。漏れ聞こえてきた会話の内容は嘉神への不満だった。今のクラスが自分たちの実力に見合っていない。もっと上に行ってもいいはずなのに、下位クラスに振り分けられているのはおかしいと息まいていた。


 もしこいつらをこちらの手駒にできれば、復讐に使えるのではないかとひそかに目をつけていたのだ。これを利用しない手はない。


 河西の立てた計画に、方士は異議を唱えることはなかったが、ただ実行する時期にだけ口出しをした。


 方士が提案してきたのは、実行するのは学園祭が開催される日にしよう、とのことだった。


 ふざけるなそんなに待てるかと抗議した青年に男がした説明は、あの嘉神学園を失墜させるとなるとかなり大がかりなことをする必要があるため、準備にも相応の時間を要する。しかし、その分多くの一般人が集まる学園祭でことを起こせば、嘉神を徹底的に叩きのめすことができるとのことだった。


 そう聞いて、確かにそれならば自分の希望どおりになると考え直し、河西は最終的にそれを呑んだのだ。


 それからは準備の日々だった。不満を持つ降魔科生にこっそり近づいて甘言を囁き、方士が特別な禁厭を施した術具を使いながら少年少女の心の隙に付け込んで。そうして、河西はついに降魔科生を引き込むことに成功した。


 着実に来るべき日に備えていたそんな折に、男が突然試してみたいことがあるから嘉神学園に奇襲をかけると言い出した。


 自分がやってきたことが無駄になるではないかと不満をあらわにすると、これが成功すれば嘉神の結界を破ることができると言われ、詳しい策略を聞いた河西は一転彼の案に賛同した。


 それが五月の百鬼夜行事件。引き入れた学生から聞き出した、降魔科生が演習で留守になる日を狙って実行に移されたものだった。


 だが、それは失敗に終わった。結界を弱めることには成功したが、あと少しのところで思わぬ邪魔が入ったのだ。


 結局あれがなぜ失敗したのか、河西は詳細を知らない。この件は方士が単独で執り行ったため、河西はほとんど手を出していないのだ。


 何が起こったのかと方士に聞いても、はっきりとした理由を言わなかった。ただ、常に顔色を変えることのない方士があの時だけは険しい表情をしていたため、本当に予想外の事態が起こったのだということだけはわかったので、なんとなく追及する気が失せてしまった。


 それから、男は学園祭が開催されるまで何回か実験を行っている。実験結果次第では、嘉神を貶めることができると言って。どんなものであれ、嘉神がひどい目にあうのは大歓迎と、河西はそれを受け入れた。


 しかし、結果はどれも惨敗。天災レベルの力を持つ雷獣も、呪いをかけた異国の神獣も、それらは嘉神の降魔科生の手によって調伏された。しかも、立て続けに事が収められてしまったせいで、世間から嘉神への注目が一気に上がってしまったのだ。


 これでは逆効果だと河西は怒り心頭だったが、方士は実験が失敗しているというのに平然としていた。こうなっても問題はない、それらをすべて帳消しにできるほどの計画なのだから、と。


 たしかに、降魔科生が学園に妖異を召喚し人々を襲わせるという現象は、誰がどう見ても失望するしかない。期待が上がった分だけ、落ちた時のダメージはもはや修復不可能なレベルだろう。


 そう自分に言い聞かせて煮えくり返りそうな気持をなんとか抑えつつ、河西は学園祭の計画を進めてきた。


 降魔科生を駒とするために道化を演じて。内通者としての降魔科生の数を増やし。学園祭中に事が起きるように仕向けて。


 そうして、ようやく今日この日を迎えた。夢にまで見た復讐までの日々が、今日この日をもって終わりを告げるのだと信じて疑わなかった。


 しかし、現実はどうだ。嘉神生と一般客が入り混じって大きな賑わいを見せている嘉神学園には、河西の思い描いた光景など微塵もない。


 出現した妖異が大衆の目に触れる。これが、今回の計画の最も重要な部分なのだ。だというのに、肝心の妖異出現が達成できていない。


 この計画では、召喚された妖異がやられてしまっても、それ自体は大した支障にならない。妖異がやられようがやられまいが、死傷者が出ようが出まいが、そんなことは別にどうだっていい。ただ、強固な結界に覆われた学園内で妖異が出現したということと、それを行ったのが嘉神の降魔科生であるという事実さえ周知されれば、それだけでよかったのだ。


 それなのに。


 河西は目を烈火のごとく怒らせた。とにかく、どういうことか問い質さなければ気が済まない。


 スマホを取り出し、ともすれば端末を破壊しそうなほどの勢いで操作して耳に当てる。数回目のコールが切れた途端、河西は相手がしゃべるのを待たずに怒鳴りつけた。


「おい! 呪具が発動しねぇぞ! どうなってんだ!? あのガキども、指示通り動かなかったのか!」

『いや、それはない。呪具が埋め込まれたことは感知している』

 

 出し抜けに唾を飛ばす勢いで畳みかけられても、電話口の相手である方士は至って冷静だった。それが河西の神経を逆撫でる。


「なら、あの呪具自体が不良品だったってことしか考えられねぇじゃねぇか! どうしてくれんだよ、俺の計画が全部パァになっちまっただろうが!!」


 癇癪かんしゃくを起したように喚くと、電話口からはぁと嘆息が聞こえた。


『――一番考えうる可能性に思い至らないとは、愚かだな』


 冷ややかな声音に、河西は一瞬だけ怯んだが、それを隠すように大声を出す。


「あ!? どういう意味だ!」

『呪具は発見され、取り除かれた――とだけ言っておこう』

「…………は?」


 取り除かれた? 呪具が? 


 発見された――とは、誰に?


「やっほ~、おにーさん」


その時、背後から声がかかった。


「……っ」


 河西は肩を跳ね上げ、がばっと振り返る。その先に、いつの間にかひとりの少年がいた。


「……あ? なんでここに……」


 ありえない。ここには人払いの結界が張ってある。だから、普通の人間は近寄ることすらできない。そのはずなのに、この少年は一体どうやって入り込んできたのだ。


 その少年の恰好は特徴的だった。真夏だというのに、コートのような上着を着ている。見ているこちらが暑くなりそうな服装だが、少年は汗ひとつかかずに涼やかな表情だ。


 少年の左側の腰にいた一振りの刀にぎょっとするも、そのコートのような上着の右上腕に、銀色に光るものを認めて大きく目を見開く。河西はそれをよく知っていた。あれは校章だ。


「嘉神の降魔科生……!?」


 少年はにこにこと笑いながら青年に話しかけた。


「ねね、おにーさん。こんなとこでさ、何してたの~?」

「な、なんでもいいだろ。てめえにゃ関係ねぇよ」

「そーんなこと言わないでさぁ――教えてよ、おにーさん」


 そう言って、少年の糸目がうっすらと開く。


 河西は身震いした。なんだ、この威圧感は。


 言霊ことだま、なのか。


 青年が硬直している間に、少年が彼の横に移動していた。


「へぇ、ここって学園が一望できるんだ~。知らなかったや」


 手すりに片腕を乗せ、もう片方の手で目の上にひさしを作って景色を眺める。


「なるほどねぇ。ここからなら、望遠鏡使えば学園内もくっきり見えちゃうわけだ?」


河西に視線を移した少年は相変わらず笑みを浮かべている。

 

「学園祭中で、今なら一般客も立ち入りオッケーなのに、なんでこんなとこで見てたの?」

「あ? べ、別になんでもいいだろうが!」

「もしかして覗き魔ってヤツ? キャーこわ~い」


 おちゃらけた言葉にカチンときて、河西は思わず声を荒げた。


「ちげぇよ! そんなちゃちなもんじゃねぇ! 俺は嘉神を……!」

「嘉神を?」


 少年の復唱に、河西ははっとして目を逸らした。


「な、なんでもねぇよ」

「え~いいじゃん。教えてよ、おにーさん。あ、名前で呼んだほうがもうちょっと仲良くなれるかな」


 そう言って少年は身体を起こし、青年に向き直った。


「ね、河西凌吾りょうごせーんぱい?」


 途端に、河西は愕然と目を見開いた。


「お、お前、一体なんなんだよ!?」

「オレ? オレは名倉なくら満瑠みつる。おにーさんは途中で退学しちゃってるけど、一応後輩ってことになるかなぁ?」


 自分の身元が、割れている。


 なぜ、どうして、どうやって。


 脳裏でぐるぐると疑問が渦巻くが、それらを押しのけてとある考えがふっと浮上した。


「――お前、ひとりか?」

「ん? そだよ~」


 河西の質問に、満瑠と名乗った少年がすんなり答える。嘘をついているようには見えない。河西も言霊を操る術者として、嘘ならなんとなくわかる。――だからこそ、周囲の気遣うような言葉の裏に隠されたものがわかってしまって不愉快だったのだが。


「ハ……」


 目の前の少年の恰好。これは生徒会の特注制服だ。ということは、彼は学園が大事にしている生徒会役員に相違ない。


 その生徒がやられたとあっては、学園の大きな損失に繋がるだろう。


「ギャハハハハッ!」


 もうなんだっていい。少年の口振りからして、自分が学園祭で行おうとしていたことはもうバレているのだろう。ここまで筒抜けならば、今更隠したところでただの悪あがきでしかない。


 もはやどうやって知ったのかなどはどうでもいい。呪具の発動が失敗に終わった今、ここで何かひとつでも嘉神に意趣返しをしなければ気が済まない。そのチャンスが目の前に降って湧いてきたのなら、それを逃す手はないだろう。


 自棄と怨嗟に捕らわれた河西の頭には、自分が先ほどまで通話をしていたことなどすっかり抜け落ちている。だから、気がつかなかった。通話がすでに切られていることに。


 壊れたように笑い出した青年を見て、満瑠は特に顔色を変えることなく首を傾げた。


「どーしたの? そんなにおもしろかった?」

「ああ、おもしれーよ。バカなヤツを目の当たりにして、これが笑わずにいられるかってんだ」


 河西は狂気をはらんだ笑みを浮かべながら後退し、満瑠と距離を取った。少年は特に何をするでもなく、河西をじっと見ている。


 首を突っ込んでこなければ、無事でいられたものを。こいつが全部悪いんだ。俺じゃない。

 

「召喚に応じ、ここに来たれ!」


 河西は手に取った符を掲げ、妖異を召喚した。


 出現した妖異は牛のような顔に、蜘蛛の身体を持っていた。牛鬼ぎゅうきだ。


 即座に小袋を取り出した河西は、牛鬼の口元目がけて投げつけた。破裂した袋から飛び出た液体が妖異の口内に入る。すると、妖気が急激に膨れ上がった。牛鬼がおぞましい咆哮をあげる。


「恨むなら、余計なことに首突っ込んだてめぇ自身と嘉神を恨むんだな!」


 顔を歪めてわらいながら、河西は満瑠を指さして叫んだ。


「牛鬼! そのガキがてめぇの獲物だ!」


 牛鬼が目玉をギョロリと動かし、満瑠を見た。強化された妖異は召喚主の指示など耳に入らなくなるが、河西は方士から魔除けのお守りを渡されているため、間違っても襲われることはない。だから、牛鬼はこの場で唯一標的となり得る人間に目を向けた。


 締まりなく開いかれた口端からよだれ垂らした牛鬼が、杭のような脚で満瑠を貫かんと襲いかかる。


 ふいに、妖異の動きが止まった。


「? おい、何して……」


河西は言葉を続けられなかった。


 怪訝に思った河西の目の前で、妖異が縦真っ二つに裂けたのだから。


「は?」


 河西はぽかんと口を開けた。理解がまるで追いつかない。


 一体、何が起こったのだ。


「――もー、いきなり出してくるから一撃でやっちゃったじゃ~ん。出すなら出すって合図してよ、せんぱーい」


 あーあ、もったいない。せっかく遊べそうだったのに。


 満瑠が残念そうに呟く。その片手には刀が握られ、峰部分を肩にかけていた。


 そこでようやく、妖異がこの少年によって両断されたのだと河西は理解した。ただし、理解するのと受け止めるのとでは意味が違う。


 この少年は、強化したこの妖異をたった一太刀で切り伏せたのだ。目にも止まらぬ速さで抜刀して、ただ斬った。それだけ。


 ありえない。しかし、そうでなければ目の前で起こったことの説明がつかない。


「ねぇ、先輩」


 ふいに呼びかけられ、河西はびくっと肩を動かす。


「もうないの? 今のやつ」


 刀の背でトントンと肩を叩きながら、どこか楽しそうな風情で満瑠が言葉を続ける。


「あるならさぁ、遠慮しないで全部出してよ。オレ待ってるから」

「ふ、ふざけやがって……! もう許さねぇ!!」


 余裕ぶった態度に、河西の頭にカッと血が上った。今のはまぐれだと、脳が安易な結論を下す。

 

「召喚に応じ、ここに来たれ!」


 複数枚取り出した呪符から一斉に妖異が出現する。召喚されたのは、牛鬼や百目鬼どうめきを筆頭とした計五体。その身からはすでに凄まじい妖気が放たれている。


「やれ、妖異ども! そのガキをぶっ殺せえ!!」


 とっておきの呪符だった。すでに強化されてある妖異が呼び出せる特殊な符で、温存しておきたがったがもうそんなことは言っていられない。


 目の前の降魔科生を始末する。河西の頭にはもうそれしかなかった。


「――あっはは」


 だというのに、少年は驚くでもおののくでもなく。


 ただただ、愉しそうに笑った。


「いいねいいね、そうこなくっちゃさぁ!!」


 満瑠は刀を構えて、自ら妖異たちに飛び込んでいった。


 そこからの光景は、あまりにも筆舌に尽くしがたいものだった。

 

 河西の目の前で繰り広げられたのは、殺戮さつりくの景色。しかし、その被害対象はひとりの少年ではなく――複数体の妖異のほうだった。


 強化された五体もの妖異を、少年が圧倒していた。


 振るった刀で妖異の腕を切り落とし、腹部を突き刺し、脚を切り刻み。その気になれば一太刀で首をねられるだろうに、あえてそうしていない。その様子はまるでいたぶっているかのよう。


 彼はただ笑っていた。その表情に残虐さはない。ともすれば、楽しいおもちゃで遊んでいるかのような純真ささえ感じ取れるような、そんな笑み。


 狂っている。


 河西の受けた印象はその一言に尽きた。


 見る限り、少年は術式を一切使っていない。霊刀に自身の霊力をまとわせて斬撃を放つことはあったが、刀一本のみで蹂躙じゅうりんしている。


 普通の刀では妖異に傷ひとつつけられない。ということは、あれは特殊な技巧をもって鍛えられた霊刀れいとうに他ならないだろう。


 だとしても、だ。


 いくら妖異に通用する武器を使っていたとして、天災級に匹敵するほど強化された妖異複数体を、術式も使わずにたった一人で相手取るなど到底不可能だ。


 不可能なはずなのだ。本来は。


 しかし、目の前で実際にそれが行われている。妖異が次々と細切れにされ、灰と化して消滅していく。いっそ面白いほどに。

 

 そして、はっと我に返った時には妖異は全滅していた。化け物の姿は影も形もなく、すべて調伏されていたのだ。


 その間、河西はただそれを呆然と見ていただけだった。逃げるだとか術を使って邪魔をするだとか、そういったことをする気も一切起こらず、その場に縫い留められたかのように動くことができなかったのだ。


「ふ~」


 そんな河西の目の前で、満瑠がひとつ息を吐き出した。見る限り、怪我ひとつ負っていないようでけろりとしている。凶悪な妖異が束になって襲いかかってきていたというのに、怪我どころか大して息も乱していない。


 血払いするかように刀をひゅんっとひと振りした満瑠が、河西のほうへ目を向ける。


「これで全部?」


 そこでようやく、呪縛が解けたかのように河西の身体が動く。ひぃっと情けない声が口からこぼれ出た。


「バ、バケモンが……っ」


 震え上がった河西はくるりと踵を返すと、脱兎のごとく逃げ出した。


「ありゃりゃ、行っちゃった」


 まろぶように去って行く後ろ姿を、満瑠は追うでもなくただ見送った。悠然と納刀すると携帯を取り出す。


「せんせー、終わったよ~」

『ご苦労だったな、名倉』


 電話口から返ってきたのは、Aクラス担任の声だった。


『どうだ、満足したか?』

「まーまーかなぁ。ちょーっと物足りないけど、久々にこんなに動いたしまぁいっか」


 そう答えると、さすがだなと漏れ出たような微かな苦笑が聞こえてきた。


「あのおにーさん、逃がしちゃってよかったんだよね?」

『ああ。次の手は打ってある。きみも早く戻ってくるように』

「ハーイ」


 通話を終えた満瑠は、日が傾きかけている大空に向けて手を振った。


「おーい」


 すると、頭上から大きな影が降りてくる。愛生あき獣式鬼じゅうしきとり】だ。満瑠はあの式鬼に乗ってここまで来て、待ってる間は上空で旋回してもらっていたのだ。


 ――名倉、きみにちょうどいい遊び相手がいるんだが、興味はあるか?


 そう連絡があったのは、つい数十分ほど前のこと。犯人の正体と居場所を突き止めた旨とともに、鵜飼はこう言った。


 相手の術者はおそらく妖異を召喚するすべを持っている。追い詰めれば高確率で使用してくるだろう。術者相手に無暗な攻撃は禁止だが、妖異ならいくらでも斬っていい。


 魅力的な誘いに、満瑠は嬉々としてここに来た。


 そうしたら案の定、相手の術者は妖異を出してくれた。それも予想以上に多く。


 ……けれど、足りない。


 この程度では、満たされない。身の内にくすぶるこの欲求が。


 それを昇華するために、満瑠は嘉神にいるのだ。


「あ、先輩、結界解いてかなかったじゃん」


 軽く伸びをしていた満瑠はふと気づき、辺りを覆う人払いの結界に視線を巡らせた。


「放っといたらあとで要ちゃんに怒られそーだし、一応斬っとこーっと」


 満瑠は右手で刀の柄を握ると、無造作に抜刀する。


 その瞬間に霊力の斬撃が走り、空間が割けた。切り口からボロボロと崩れ、やがて目に見えない障壁が消失する。


「学園祭も楽しくないわけじゃあないんだけどねぇ」


 再び納刀し、着陸した獣式鬼に乗り込みながら、満瑠は糸目をうっすらと開けた。覗いたその眼が怪しく光る。


「やっぱりオレは、妖異を斬ってる時が一番楽しいや――」



     ▼    ▼



 河西は全力で走っていた。なりふり構わず、まろぶようにひたすら足を動かし逃げる。


 聞いていない。嘉神学園に、あんな化け物がいるなんて。


「くそっ、ちくしょうっ、なんなんだよ……!」


 悪態をつきながら走り続けた河西だったがさすがに限界を覚え、足を止めて膝に手をついた。公園からひたすら走ってきて辿り着いたここは、街はずれの古民家が立ち並ぶ場所だった。閑散としていて、今のところ周りに人影はない。


 呼吸を荒げながら背後を顧みる。先ほどの少年の姿は見当たらない。どうやら上手く撒けたようだ。


 顎を伝う汗を乱暴に拭いながら、河西は手に持っていたスマホを操作して電話をかける。


 しかし、繋がらない。


「なんで出ねぇんだよ!」


 ここに来るまでに何回もかけているが、一向に出ないうえに折り返しも来ない。つい先ほどまで通話していたというのに。


 ……まさか。


「あのヤロォ、自分だけ逃げやがったのか……!」


 もうそうとしか考えられない。見捨てられたのだ、自分は。


 河西はスマホを地面に叩きつけた。画面が割れて転がっていったのも気にせず、地団太を踏む。


「クソッ、クソがっ!!」


 やっぱり信用するんじゃなかった。青年は右手を口元にやり、親指の爪を噛み締めた。


 あんな男の手助けなど必要ない。復讐は自分ひとりでやり遂げてみせる、どんな手を使ってでも。


「次こそ絶対に……」

「――残念だが、次はない」


 突然響いた声にはっと顔を上げると、目前の建物の陰からひとりの人間が姿を現した。


 三十代前後の若い男だ。浅黒い肌に、襟足を越える長めの茶髪。長身で、半袖の黒いワイシャツから覗く腕には無駄のない筋肉がついており、全身鍛え抜かれていることが容易に察せられた。


 そんな男が腕を組み、仁王立ちの体勢で河西の行く手に立ちふさがっている。


「な、なんだ、てめぇは!」

「俺か? 俺は今すぐに獲物にありつきたい猛獣……じゃない!」


 男はしゃべっている途中ではっとし、ぶんぶんと頭を振った。


「こんなときに邪魔してくんな!」


 いきなり下を向いて怒鳴った男は、コホンッと咳払いをして河西に視線を戻した。


「改めてだが、俺の名は宇留賀うるが汰一たいち。香弥市直属の降魔士だ」

「ご、降魔士……!?」


 愕然と目を見開く河西に、宇留賀と名乗った男が鋭い視線を向ける。


「河西凌吾だな。もうお前に逃げ道はない、観念して投降しろ。さもなくば、お前をあっつぅいお鍋でグツグツ煮て食ってやる……あーもう! うるさい!」


 ふいに男が頭を掻きむしり出す。


 己を降魔士と言った男の奇行に、河西は言い様のない違和感を覚えた。目の前の男は、先ほどから言葉の合間合間におかしなことを口走っている。


 なんなんだこの男は。本当に降魔士か。


 不審な目を向ける河西に、宇留賀と名乗った男は慌てて取り繕うように言った。


「とにかく! お前はもう逃げられない。潔く降伏することだ」

「ざ、ざけんな! 誰がてめぇみてぇな頭のおかしいやつの言うことを聞くってんだ!」

「ちくしょう! よく言われるが俺のせいじゃない! これには深い事情があるんだ!」

「ああ? なにわけわかんねぇこと言ってやがる!」


 この状況において、河西の言い分は何も間違っていない。事情の知らない第三者が見れば、降魔士を自称する男のほうがあきらかに不審者だと思うだろう。


『――タァイチィィィ……』


 突如、どこからか声が聞こえた。


 河西は驚いて辺りを見回すが、特に目に留まるようなものは何もない。だが、怪しい声は続く。


『おいらぁぁぁ…ハラがヘったよぉぉぉ……』

「黙れ! お前のせいで、また頭がおかしいやつだと思われただろうが! 人がしゃべってる時に被せてくるなと何度言えばわかるんだ!? つられるんだよ!」


 自称降魔士は地団太を踏みながら叫んでいる。まるで、そこにいる何かに攻撃しているかのように。


『ハラ…ヘったぁぁぁ……ナニかクわせろぉぉぉ……』

「ええい、俺の話を聞け! 口を開けば腹が減った何か食わせろしか言わないな! あいにく、お前に食わせるもんなんざこの場にない!」

『ウソだぁぁぁ……さっきから、こぉんなにウマそぉなニオいがしてるのにぃぃぃ……』


 どこからともなく聞こえる声は、どうやら目の前の男と会話しているようだ。


「お、おい! なんだこの声は!? てめぇ! さっきから何としゃべってやがる!」

『ンン……? ……ああ、ニオう…ニオうぞぉぉぉ……そいつから、ニオう……』


 ふいに、宇留賀の足元が揺らいだ。


 否、正確には影だ。揺らいだ宇留賀の影は徐々に盛り上がり、眼前に立ちはだかった。


『――おマエ、ウマそぉだなぁぁぁ……』


 その暗黒に金色の二つの丸が浮かび、ギラリと光る。


『おいら……もぉ――ガマン、できないぃぃぃ……!』

「あ、バカ! 勝手に出てくんじゃ……!」


 盛り上がった影がぶわりと広がり、咄嗟に動けない河西に襲いかかった。


 二つの金色の丸が半月を描く。


 まるで、にぃと嗤うように。


『いただきまぁぁぁす……!!』

「う、うわあああああ!」


 河西の悲鳴は、彼自身とともに闇の中へと飲み込まれていった。


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