窺窬する謀略 ☆肆

「は……」


 少しの間のあと、真っ先にそうこぼしたのは梨々花りりかだった。


「今、なんて……」


 しかし、梨々花の声など聞こえていないとばかりに、佳澄かすみが被せるようにゆらへと言い募る。


「退学しなよ」

「ちょ、ちょっと待ってよ! 佳澄、なんで? なんでそんなこと言うの……?」


 堪らずに割って入ると、そこでようやく佳澄が梨々花をちらと見やった。


「梨々花も知ってるでしょ、この子の態度」

「……っ、それは」


 梨々花は咄嗟に言葉に詰まる。佳澄が言いたいのは、降魔科における響の授業態度のことだとすぐにわかった。


「はっきり言ってあなた、目障りなの」


 響を見据える佳澄の目は冷ややかだ。


 矛先の響が反応するより先に、梨々花が取り繕うように言葉を紡ぐ。


「か、佳澄たちは誤解してるだけだって……。たしかに響はちょっとぶっきらぼうであんまり協調性ないし、ものすっごくめんどくさがりでノリもいいほうじゃなくて……って、あ、あれ?」


 散々な言い様に、響の頭上にいた氷輪が思わず笑いをこぼす。言われた当の本人は半眼だ。


 違う、こんなことを言いたいのではない。梨々花がぶんぶんとかぶりを振って改めて言い募る。


「でも、話せば普通なのよ? それに、響の実力だって本物だし……ほら、佳澄にも話したよね? 雷獣と遭遇した時、あたしたちと一緒に倒したって。響がいなかったらできなかったって」


 梨々花の言い分に、佳澄はふぅんと目を細めた。


「じゃあ、そのすごい如月さんが、術で梨々花を騙してるんだ」


 友人の言っている言葉の意味が、わからない。


 梨々花は愕然がくぜんとし、ふるふると首を振った。


「ど、うして、そうなるの……? そんな、わけ……」

「じゃあ弱みでも握られてるの? 生徒会の先輩たちみたいに――」

「佳澄!」


 聞くに堪えず、梨々花は思わず叫ぶ。


「……黙って聞いていれば、我が主に対し無礼なことばかりほざきおって」


 暁鐘あかねが物騒な目で佳澄を睨みつけている。氷輪は何も言わないが、その表情には険が宿っていた。さすがに言いがかりが過ぎる。


 梨々花が心配そうに友人を見つめた。


「佳澄、なんか変だよ……? 何か悩んでるの? なんでも話聞くから、だからちょっと落ち着いて……」

「悪いけど、今話があるのはこの人のほうだから」


 梨々花の取りなすような言葉を、佳澄はすげなく一蹴した。そうして、再び響に冷ややかな目を向ける。


「あなた、本当に降魔士になる気あるの?」


 怒気のこもった詰問に、響は嘆息して頭を掻いた。


「それ、そっちになんか関係ある?」

「なっ……!」


 目を吊り上げてキッと睨みつけてくる視線を、響は静かに受け止めた。


 響とて、降魔科に入りたかったわけではなかった。降魔士になる気などなく、今でも普通科に戻りたいと思っている。けれども、それはもうどうしたってかなわない。


 だからといって、退学するわけにもいかなかった。


 響が嘉神学園に入学したのは、あの結界があったから。自分の気配を断ってくれる結界の恩恵は計り知れない。あの結界の効力は本当にすさまじく、隠形おんぎょうの術をかけていなくても妖異の目につく心配がなかった。


 だから、響は降魔科にいたくはないという思いを抱きつつも、自主退学という選択肢をとらないのだ。


「てか、そんなこと言われる筋合いないんだけど」


 直截的ちょくせつてきな言い方に、ちょっと響、と梨々花が思わずたしなめる。相手の勝手な言い分に響がそう言いたくなる気持ちは痛いほどわかるが、この状況でわざわざ煽るような言い方をするのはよろしくない。


 怒りで肩を震わせていた佳澄だったが、すっと目の光を消した。


「…………そう」


 何の感情もこもっていない声で一言だけこぼし、佳澄はついと視線を左隣に移した。


「できればやりたくなかったんだけど、こうなったらもう仕方ない。だよね、まきな」

「そう、だね、佳澄ちゃん」


 どもりながらも頷いたまきなからは、いつもの気弱そうな雰囲気が感じられない。依然として響に険しい視線を向けている。


 ふいに、佳澄がスカートのポケットへと手をやった。


 そうして引き抜き自身の前に突き出したその手に、何かが挟まれているのを認める。


短冊のような長方形の紙だ。そこに、黒い文字のようなものが書かれているのが見えた気がした。


 それがなんなのかわかった瞬間、響は瞠目した。


「……!?」


 符は古式で扱う術具。響も術を発動させる際によく使っている。


 現代でほとんどの降魔士および降魔士候補の術者が使っているカデイ式では、符ではなく同様の効果を持つばんを使用する。それなのに、なぜそんなものが降魔科生の手にあるのか。


 ここにきて初めて動揺を見せた響に、佳澄はにやりと嫌な笑みを浮かべ、符を持った腕を天高く突き上げた。


「召喚に応じ、ここに来たれ!」


 言霊が放たれた直後、符がカッと光り、次いで禍々しい気配が辺りに満ち始めた。


 肌をピリピリと刺激し、すっと血の気が引いていくこの感覚。


 妖気に違いなかった。


「…………!」


 反射的に後退あとずさり、距離をとった響たちの前方に大きな影が出現する。


 優に五メートルはあろう巨体は人型。言うなれば筋骨隆々の大男といった風体で、頭髪と思しき部分は刃物のように尖っている。


 そして、その巨躯には腕と言わず腹と言わず、全身におびただしい数の目がびっしりと張りついていた。


 あまりにも醜悪なその見てくれに、梨々花が小さく悲鳴を上げ、響も表情を歪めて思わず一歩後ろに退く。


「うぇ……何あのきっしょいの……」


 心底嫌そうな風情の響の疑問に氷輪が答える。


「あれは百目鬼だな」

「ドウメキ?」


 首を傾げる響の頭上で氷輪が頷いた。


「さよう。百目の鬼と書いて、百目鬼。見た目どおりの名を持つ鬼の妖異だ」


 そこまで言って、氷輪は眉をひそめた。


 あの百目鬼は、佳澄が持っていた符によって召喚された。ということは、式神としているのか。


 そう一瞬考えた氷輪だったが、いやとその思考を打ち消した。


 百目鬼は知性も理性もないので、式神化することがほぼ不可能な妖異だ。式神は、術者と妖異との間に双方の同意があって成り立つもの。だというのに、意思疎通すらまともにできないであろう妖異を、どう使役化に置くというのか。


 仮に式神にできるのだとしても、だ。どう考えても佳澄たち程度の実力では成せるわけがない。


 それにあの符。カデイ式を操る術者はまず使うことのない古式の術具を持っていることが一番不可解だ。


 よもや、あの少女がこしらえたわけではあるまい。


 となると、考えられることはひとつ。


 あの符はどこかから入手したもの、ということだ。


「佳澄……それ、なに……どうして……」

「梨々花が悪いんだからね」


 疑問が多すぎて言いたいことがまとまらず、震える指先で召喚された妖異をさす梨々花に、佳澄は冷たく言い放った。


「巻き込むつもりはなかったけど、梨々花がそんな子と仲良くしてるから」


 そこまで言って、唐突に佳澄の表情がふっと和らいだ。


「でも、今ならまだ間に合う。私は別に梨々花と喧嘩したいわけじゃないもの」


 そうして、彼女はいざなうように友人へと片手を差し出した。


「ね、梨々花。言ってよ、やっぱりあたしはその子に騙されてた、って。それでこっちに来て? そしたら、助けてあげる」


 梨々花が咄嗟に響を見る。響は梨々花のほうを見なかった。


 ここで梨々花があちらに行ったとしても、響は彼女を恨みはしないだろう。まきなたちの狙いは自分。梨々花は巻き込まれただけだ。


 なら、彼女はこちらにいないほうがいい。


 だって、梨々花には関係のないことなのだから。


「――――そ」


 果たして、彼女の口から出た言葉は。


「そんなこと、できるわけないでしょ!?」


 聞き間違いかと、思った。


 響が思わず見やった梨々花は眉を怒らせ、佳澄に食ってかかった。


「あたしは騙されてなんかいない! 話して、一緒に行動して、響の力だってこの目でちゃんと見た。響は術で人を操るなんてことする子じゃないわ! これは紛れもないあたしの本心よ!」


 胸に手を当て、梨々花は力強い言霊ことだまを放つ。


「響はあたしの友達。友達を裏切るなんて、できるわけない!」


 響は目を瞠った。そして、軽く顔を伏せる。バカだ、と声には出さずに動いた口の端がかすかに上がっていた。


 梨々花の言葉に一瞬驚いた佳澄だったが、その表情が再び冷ややかさを帯びる。


「私も友達じゃん。その子よりも付き合い長いでしょ? なのに、私よりそっちの味方するわけ?」


 梨々花は一瞬苦しそうに表情を歪めたが、佳澄にキッと鋭い視線を向けた。


「佳澄も大事な友達よ、当たり前じゃない! だから止めるの! こんなの絶対間違ってる!」


 梨々花がそう言い切ると、佳澄は一度うつむいた。


「キレイごとばっかり。……ねぇ、梨々花。前々から思ってたんだけどさ」


 そして、上げられた面は憎悪に染まっていた。梨々花は思わず息を呑む。


「梨々花のそういう誰にでもいい顔してるとこ、ほんっとに大っ嫌い!」


 癇癪かんしゃくを起したように叫んだ佳澄は、自らが召喚した妖異に視線を移した。


「行け!」


 その言葉に従うように、それまで微動だにしなかった百目鬼が動き出す。


 響と梨々花に向かって。


「百目鬼とやらがどの程度のものかは知らぬが、この私が蹴散らしてくれる。響に指一本触れさせやしない」


 響を守るように前に出た暁鐘の身体が、淡く光りを放ち始める。本性に戻ろうとしているのだ。


「ちょ、暁鐘、待って……」


 制止しかけた響に耳がカサリ、という微かな音を捉えた。それは、片方の手に提げていたビニール袋が立てた音だった。


 この中には、先ほど買ったクラスの出し物で使う備品が入っている。


「――氷輪」


 逡巡した響は氷輪を呼び、小さくささやいた。


 簡素だが、それですべてを承知した氷輪が暁鐘に視線を投げた。


「暁鐘、ともに来い!」


 そうして響の頭上から飛び降りた氷輪は、響の手から買い出しの袋を受け取り、首にかけてから器用に背に乗せて走り出す。


「氷輪殿!?」


 一瞬響のほうを見た暁鐘だが、氷輪を追いかける。


 氷輪が動きを止めたのは、響たちからそれなりに離れたところにある物陰だった。


「氷輪殿、一体何を……」


 暁鐘は早く響のもとに戻りたくて堪らないようだ。ちらちらとそちらの方角を気にしている同胞に、氷輪が厳かに告げた。


「暁鐘、汝は学園へ向かい、この荷を響のクラスへと届けよ」

「な……っ」


 一瞬絶句したあと、暁鐘は火がついたように声を荒げた。


「何を言っているのだ! そのような些事さじ、今はどうでもいいだろう! 危機に瀕した主に加勢することが、我ら式神の役目ではないのか!」


 氷輪はひたと暁鐘を見据える。


「その些事が、響たちにとっては大事だいじ。それを、響が汝に託したのだ」


 暁鐘がふっと息を詰める。それを氷輪は静かに見つめた。


 ――暁鐘にこの荷物届けるように言って


 あの時、響が氷輪に言った言葉だ。氷輪は正しくその意味を汲み取った。


「汝は疾風はやてのごとく飛翔できるうえ、人身をも取れる」


 荷物を届けるうえで、これ以上の適役は暁鐘を差し置いて他にいない。


「よいか、これは汝にしかできぬこと。主の意志を無下にすることは許されぬ」


 そこまで言って、ふいに氷輪が不敵に笑った。


「それとも、響があの程度の妖異ごときに後れを取るとでも?」


 暁鐘は首を振った。響は、自分にかけられた呪詛じゅそを取り払うということを成し遂げた術者だ。その力を疑うわけがない。


 ゆえに、これ以上の心配は、逆に主を侮辱することになる。


「……承知した。それが響の意志ならば、式神たる私はそれに従うまで」


 暁鐘がきびすを返しかけた時、氷輪がああそれと、と付け加えた。


「この件を幸徳井こうとくいの小娘どもに伝えよ。……何やら、嫌な予感がするのだ」


 氷輪の険しい表情を見て取り、心得たと頷いた暁鐘の身体が光り出す。


 そして、一瞬のちに巨体が顕現けんげんした。


 身体は鹿のままだが、頭部は猛禽もうきんのそれへと変化していた。背ではなく、腰のあたりに大きな翼がある。


 蛇のような尾と、額にいただく強靭な一本角、鋭いくちばしは、濡れたような艶を持つ黒。それ以外は全身、金に近い黄褐色おうかっしょくの毛に包まれている。


 飛廉として本性に姿を変えた暁鐘は、受け取った袋を額の角に引っかけると、氷輪へ視線を投げる。


『氷輪殿、響を頼むぞ』

「誰にものを申しておる」


 ぴしりと尻尾を振る氷輪に頷き、暁鐘は大きな翼をばさりと広げて羽ばたいた。


 そして、ほぼ同時に宙に浮いたその姿が消える。神獣の苛烈な霊気は、見鬼けんきの者に察知されるため、それを回避するために隠形おんぎょうしたのだ。


 同胞の気配が瞬く間に遠ざかっていくのを見届け、氷輪はさてと身を翻し、響のもとへ向かった。






「カン!」


 振りかぶられた巨腕を障壁で防ぎつつ、響は式神たちが離れたのを確認した。佳澄たちは、荷物など眼中に入っていないだろう。特に怪しまれずに済んだはずだ。


 氷輪はともかく、暁鐘をここで使うわけにはいかなかった。


 本当なら暁鐘の力を借りたいところだったのだが、風伯ふうはくの力は強大すぎる。あの力と一度対峙したからこそ、それが身に染みてわかっている。


今回は場所が悪かった。密集はしていないとはいえ民家が立ち並ぶような場所で、暁鐘が力を揮えば周囲に余計な被害が及ぶかもしれない。


 いくらものぐさとは言っても、さすがにそこまでは響の望むところではなかった。


 なるべく穏便に済ませられるなら、それに越したことはない。だから、暁鐘に手出しさせないようにしておきたかったのだ。


 百目鬼が次々と攻撃を繰り出す。拳を作った腕を振り回し、踏み潰さんと飛び上がる


 それをバックステップで避けたり、障壁で防いだりしながら響と梨々花は反撃のチャンスを窺っていた。


 どうやらこの妖異は、近距離での攻撃手段しかないらしい。攻撃自体は単調だし、動きもそこまで早くはない。当たれば間違いなくただでは済まないが。


 見た目のわりに大したことなさはなさそうではあるが、その見た目が問題だ。おびただしい数の目がギョロギョロとまばらに動いているのが、不気味で大変気持ちが悪い。こんなものを視界にずっと入れていたら、気が狂ってしまいそうだ。


「響、いつものやつお願い!」


 百目鬼の隙をついて梨々花から指示が出される。抽象的な内容だが、響は瞬時に理解した。


「ノウマク・サマンダ・バザラダン・カン!」


 響が束縛の術をかけると、百目鬼が硬直する。そこに梨々花の攻撃が加わった。


電一閃いなずまいっせん!」


 電撃が百目鬼の腿を貫いた。巨体がかくりと地面に膝をつく。


 間髪入れず、響が攻撃を畳みかける。


「バン・ウン・タラク・キリク・アク――ウン!」


 刀印で空に五芒星ごぼうせいを描き、その中央へ点を打つように切っ先を突きつける。


 凄まじい霊力の波動が放たれ、それをもろに浴びた百目鬼が灰となって消え失せた。


「……へぇ、実力があるって、本当だったんだ」


 佳澄がそっと目を細める。感心するような口ぶりとは裏腹に、その表情は冷めきっている。


 自分が召喚した妖異がやられたというのに、佳澄たちはあまり動じていないようだった。


「佳澄、もうやめて! 響の力、見たでしょ!? もういいじゃない!」


 しかし、佳澄はゆっくりと首を振った。


「いいわけないでしょ。むしろ、今のでもっとそいつが嫌いになった」

「な、なんで……」

「だってそうでしょ? 本当の実力を隠して、それで周囲を見下してあざわらってるわけじゃん。ほんと、ふざけてる……っ」


 そう言って、佳澄が響へ指を突きつけた。


「私はもう、そいつが消えてくれなきゃ気が済まない」


彼女の目はもはや狂気をはらんでいる。もう何を言っても無駄。そう悟らざるを得ないほどに。


「なんで……なんでよっ、佳澄!」


 梨々花が半ば悲鳴のように声を張り上げるが、佳澄にはもう答える気がないようだ。というより、聞こえていない様子だった。


 一体何が、彼女をそこまで駆り立てるのだろう。異常とも言える執念。まるで、何かに取り憑かれているかのようだ。


「響」


 その時、響の足元から声が聞こえた。氷輪だ。


「暁鐘、行ってくれたんだ」

「ああ。我に感謝せよ」

「はいはい、どーもね」


 氷輪が眉をひそめた。響の適当な返事に対してではない。氷輪の視線は、響ではなく正面を向いている。


「先の百目鬼は調伏ちょうぶくしたようだが、状況は芳しくないようだな」

「……うん」


 響たちの視線の先に梨々花と佳澄がいる。と、梨々花の目が佳澄から逸らされた。


「小坂さん!」


 ふいに呼ばれ、まきなの肩がびくっと跳ねる。


「佳澄を止めて! こんなこともうやめようよ!」


 佳澄が話を聞いてくれないとわかった梨々花は、まきなのほうから説得を試みた。


 しかし、まきなはふるふると首を横に振る。


「……っ、どうして!」

「…………らない」

「え?」

「わからない、あなたたちには……才能のある人間に、何もない人間の気持ちなんて、わかりっこない!」


 そう叫んだまきなの目が揺れる。


 これだけだった。自分にはこれしかなかった。なんの取柄もない自分に残された、たったひとつの希望。


 常人にはない能力。同じ力を持つ嘉神の降魔科生たちと比べると程度の低いものではあったが、それでも自分もいつかは、と夢見て自分なりに日々精進していた。


 そんな時だった、響が転科してきたのは。


 突然転科してきたかと思いきや、Aクラスに配属されて、しかも今では見ない古式降魔術の使い手で、生徒会にも目をかけられていて。


 どんなにすごい人なのだろうと、最初は期待していた。寮で同じ部屋になると知った時は、不安に思いながらも好奇心もあった。色々と話を聞いて、それで自分も頑張ろうと思っていたのだ。


 響が降魔科寮に移ってきて数日経った頃、自分も響みたいになれるかと聞いてみたことがある。


 そうして、返ってきたのはたった一言。


 ――無理でしょ。わたしたちは違うんだから


 その瞬間、まきなの中で何かがひび割れた。それは、自分のすべてを否定する言葉だった。


 自分でもわかっていたつもりだった。自分の実力では、Aクラスには遠く及ばないことは。それでも、このまま頑張り続けていれば、もしかしたら、と夢ぐらいは見てもいいではないか。


 それなのに、それを真っ向から否定された。


 目の前が一気に真っ暗になって悲嘆に暮れていた時に、響に流れた悪評を耳にした。


 授業態度は悪く、術の腕も全然大したことがない。周囲に関心を寄せないその姿は、見下しているかのよう。


 そんな人間が、どうして降魔科にいるのか。それも自分よりも上のクラスにどうしているのか。


 生徒会も教師も、そんな響に対して何も言わないという。媚を売ったからAクラスに入れた、という噂は本当だったのか。


 何もかも意味がわからなくて、信じられなくなって。


 そうして、いつしか響のすべてが許せなくなっていた。


「無理なんかじゃ、ない。わ、私だって、私だって……っ」


 うわ言のようにぶつぶつと呟きながら、まきなが符を取り出し、それを頭上に翳した。


「召喚に応じ、ここに来たれ!」


 泣き叫ぶかのような勧請に応じ、再び百目鬼が召喚される。


「また!?」


 梨々花が愕然と目を見開く。一体いくつ持っているのだろう。


しかし、先ほどと同じならば、そこまで驚異ではない。また同じように調伏するだけだ。


 百目鬼が身構える響と梨々花ににじり寄ってきていた、その時。


「てるくん、つーかまえたっ」

「あーもうちょっとで逃げ切れたのに!」

「たっちゃん足はやーい!」


 建物の陰から、複数の小さな影が飛び出してきた。


 小学校低学年くらいの子どもが三人。この辺りに住んでいるのだろう。どうやら、遊んでいてここまで来てしまったようだ。


 ひとしきり騒いでいた子どもたちは、そのうち響たちの存在に気づき、目を丸くした。


「おねーちゃんたち、なにしてるのー?」

「わかった、けんかだ!」

「いーけないんだ! けんかしちゃダメって、先生いってたもん」


 再び騒ぎ始めた子どもたちは、すぐそばに人を食う化け物がいることなど知りもしない。


 そんな子どもたちのほうへ、ギョロリと百目鬼の全身の目が一斉に向く。


「え……」


 闖入者ちんにゅうしゃの登場に、まきなが焦った顔をする。完全に予想外の出来事に動揺する彼女の一歩前に佳澄が出た。


「……ちょうどいい」


 佳澄がちらとまきなを顧みる。


「まきな、私たちの力を見せる時よ」

「……! う、うん」


 佳澄が再びポケットから何かを取り出すと、それを妖異に投げつけた。


 手のひらに収まるぐらいの小さな袋のようなもので、一直線に飛んでいき、妖異の口元に命中した。


 瞬間袋が破れ、中身が飛び散る。赤い液体らしきものが、妖異の口に付着した。あの様子だと、おそらく口の中にまで入っただろう。


 喉が動き嚥下えんかした途端、百目鬼がぴたりと動きを止めた。


 それを見て、佳澄がほくそ笑む。


「これで、私たちでもあの妖異を倒せる!」

「や、やろう、佳澄ちゃん……!」


 響と氷輪は怪訝そうに眉を寄せた。


 自分たちで召喚した妖異を倒すとは、一体どういうことだ。これは響を追い詰めるために仕掛けたことではなかったのか。


 梨々花も一瞬戸惑ったが、そんなことよりも子どもたちを避難させることが第一優先だ。


「妖異がいるの! 早く逃げて!」


 梨々花が子どもたちに向けて叫ぶ。


 しかし、彼らはぽかんとしている。百目鬼は不可視で、見鬼けんきの才を持つ者の目にしか映らない。しかも相手は年端も行かない子ども。理解が追いついていないのだ。


「安心して、妖異は私たちが倒すから! 行くよ、まきな!」

「うん!」


 佳澄がそう言って、百目鬼に向けて術を放つ。


「風刃!」

「水弾!」


 同時に放ったまきなの術も合わさり、動かない妖異に激突した。


「これで……、……っ」


 喜びかけた佳澄とまきなの表情が固まる。


 術は確かに命中した。しかし、妖異は相変わらずその場に佇んでいる。傷を負った様子はなく、佳澄たちの攻撃など一切効いていない。


「あ、あれ……?」

「なんで……これで調伏できるって……」


 二人は動揺していた。これは、彼女らにとっても予想外のことだったらしい。響としては、あんな術で倒せるわけないだろ、と思ってはいた。さすがに、それが彼女たちにもわからないはずがない。


 それなのに、調伏できることを確信していたようだった。


ひとつ思い当たったのは、術をかける直前に投げつけたあの小袋。あれに何か仕掛けがあったのだろうか。


 そんなことを考えていた矢先に、妖異が突如吠えた。


 すると妖気がみるみる膨れ上がっていき、そして爆発した。


 おぞましい気の波動を浴び、その場にいた全員が総毛立つ。


 そんな響たちの目の前で、百目鬼の全身が赤黒い炎に包まれ出した。元から十分巨体と言えた身体がさらに一回りほど大きくなり、放つ妖気も最初とは比べ物にならないほど禍々しさを増している。


「…………!」


 響は思わず息を呑んだ。


 この感覚――知っている。


 あの時も、たしかこんなことがあった。


「――同じ、だな」


 氷輪も同じことを思ったらしい。鋭い視線で妖異を睨めつけている。


 去る五月に嘉神学園を襲った百鬼夜行事件。


 妖異の群れ、その中の一体の妖気が突如膨れ上がったかと思いきや、それが巨大な牛鬼となったのだ。


「なに、これ……」


 変異した強烈な妖気を放つ百目鬼におののき、佳澄とまきなは一歩足を退いた。


「な、なんで、聞いてない……こんなの……」

「う、うそだよ……こんな、はずじゃ……」


 青ざめた表情で身体を震わす二人は、先ほどの勢いを完全に失っている。


 そんな彼女たちとは違い、響と梨々花は身構えた。


響はともかく、梨々花にも恐怖心があったが、それよりも使命感のほうが勝っていた。


以前の自分だったら、きっと怖気付いていた。雷獣戦の前の自分だったら。


それに、響も一緒にいる。だから大丈夫だ。そう、梨々花は己を奮い立たせる。


 今この場には自分たちしかいない。ならば、自分たちがどうにかしなければ。


 梨々花が妖異から気を逸らさないまま隣を一瞥する。


「響、いける?」

「まぁ……」


 面倒そうに頭を掻いた響の目は真剣さを帯びている。戦闘の意志を認めた梨々花は、ひとつ頷いて変貌を遂げた妖異に視線を戻した。


 どうするかと思考を巡らせていると、ふいに百目鬼の全身の目がギョロリと一斉に動き、ある方向へ向いた。


 その視線の先には、子どもたちがいる。


 まさか、あの子らを狙っているのか。


 百目鬼が一歩踏み出す。


 まきなたちも妖異の狙いに気づいたらしい。


「だ、だめ……止まって!」


 相当勇気を振り絞ったのだろう。依然青い顔のまま制止しかけたまきなを、百目鬼のいくつもの目が睨んだ。


 凄まじい眼光を受けたまきなはヒッと息を呑んだ。声が喉の奥に貼りつき、膝をガクガクと震わせ、その場に縫い留められたかのように動けなくなる。


 召喚主の命令を聞いていない。先ほどとは違い、今は完全に制御不能となっているようだ。


 狙われている子どもたちは依然として妖異は見えていないが、禍々しさをより濃くした妖気に襲われ、完全に血の気が引いた顔をしている。


 ここにきてようやく何かがおかしいことに気づいたようだが、その場にへたり込んでしまった。あの様子では、とても動けそうにない。


 響は苦々しい表情を作った。


 まずい。妖気は人にとっては毒だ。妖気は陰気。陰気は人の気力や活力を奪う。そして最終的には命をも奪い去る。


 それがたとえ術者であっても例外ではない。現に、響も指先が冷たくなっている。先ほどまで感じていた暑さが消え失せ、どころか寒気がしているほどだ。


 それでも術者には、備わっている霊力のおかげでまだ耐えられる。が、そんな術者とは違って一般人には耐性がないので、その影響をもろに受けてしまう。


 早急に妖異を調伏するか、子どもたちを妖気の届かないところまで避難させなければ彼らの命に関わる。


 しかも、百目鬼は子どもたちを狙っている。妖異の手にかかってもアウトだ。


 梨々花もそれに気づき、響に視線を投げた。


「響!」


 こくりと頷き、響は刀印を組んだ。


「ノウマク・サマンダ・バザラダン・センダマカロシャダ・ソワタヤ・ウン・タラタ・カン・マン!」


 一息で唱えた術が炸裂する。かかれば四肢を束縛する金縛り術だ。


 術を受けて一瞬硬直した百目鬼だが、すぐに妖気を爆発させてその拘束を振りほどいた。


「きゃあ!」


 響が術をかけた隙に子どもたちに向かって駆け出していた梨々花が、爆発した妖気の余波を食らって吹き飛ばされた。


「小娘!」

「へ、平気!」


 氷輪に応じてすぐさま立ち上がった梨々花の横で、響が表情を歪めた。


「くそ、ダメか……!」


 変貌した百目鬼があの時の牛鬼と同じレベルなら、慈救呪だけではどうにもならない。それはわかってはいるが、完全な束縛術をかけている間に妖異は子どもに手をかけるだろう。


 ならばここは、攻撃あるのみ。


「オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン!」


 符を抜きざま、真言を唱える。


「慈愛深き光明よ、導となりて我が道を照らし出せ! 急々如律令きゅうきゅうじょりつりょう!」


 気合もろとも、符を投げ放つ。


 天空から光が降り注ぎ、百目鬼はそれを一身に浴びた。


 光が消えた時、響は瞠目して息を呑んだ。


 術を食らった妖異はシュウシュウとくすぶるような音を立てて、全身から白い蒸気を上げている。


 それなのに、百目鬼は平然とその場に佇み、再び子どもたちに向かって歩き出した。


 今の術で調伏できないどころか、足止めにすらなっていない。


 ひと思いに子どもたちに襲いかからないのは、いくら術を仕掛けようとも効きはしないとでも思っているからだろうか。


 響は唇を噛んだ。まさか傷ひとつ負わせられないとは思ってもみなかった。白い蒸気はすぐさま赤黒い炎に呑み込まれ、もはや元通りとなっている。


 今ので通用しないとなるとさらに威力のある術を放つしかないが、それでは間に合わない。さらに長い呪文と複雑な所作が必要となってくるからだ。こういった部分が、古式が廃れてしまった大きな要因である。


 しかし、自分にはこれしかない。カデイ式を使えない輝血の自分に、他の手立てはないのだ。


 ならば、どうするか。


 ――ひとつだけ、響の脳裏に閃く。


「――――」


 自分が、隠形を解けばいい。


 そうすれば、百目鬼は響に狙いを移すだろう。輝血しか目に入らないはずだ。牛鬼の時のように。


 しかし、そんなことをすれば自分が輝血だと梨々花にばれてしまう。


 自分を友達だと言った、あの強引でおせっかいなクラスメートに。


 別に、それ自体はどうだっていいはずだ。周囲にどう思われたところでなんともない。


 輝血と露見すれば、おそらく自分の今後の自由がなくなる。それだけが嫌なはずだ。


 そうだ、輝血だからとどうこう思われても別にいい。現に、佳澄やまきなに知られることを考えても、特に何も思わないのだから。


 なのに。そのはずなのに。


 梨々花に知られることを考えると、ちりっと胸のあたりに小さくも鋭い痛みが走る。


「……っ」


 もしかして、自分は。


 怖いのか。梨々花に知られることが。――自分を見る目が、変わってしまうことが。


「ダメ!」


 悲鳴にも近い叫びが聞こえ、響ははっと我に返った。


 見れば、妖異が子どもたちにかなり迫っていた。もう腕を伸ばせば余裕で届く。


 これは、どうあっても術は間に合わない。


 響は首を振る。もうやるしかない。


 意を決した響が隠形を解こうとした――刹那。


 百目鬼の足元に突如何かが飛来した。その物体が地面に当たった瞬間、もうもうと煙が噴き出し、妖異を覆い尽くした。


「な、なに!?」


 突然の事態に、響も梨々花も咄嗟に動けない。


 視界の先は、まるで朝霧のような煙に包まれている。


 何がどうなったのだ。百目鬼は。子どもたちは。


 と、その煙から弾丸のように飛び出してくるものがあった。


 三つの小さな影。


 それらは、響たちの目の前までやって来た。


「――ふぅ、間一髪じゃったな」


 小柄で愛らしい見た目に反して古風なしゃべり方。忍者を彷彿とさせる特注の制服姿。


 梨々花は目を潤ませて、その現れた人物の名を呼んだ。


古河こが先輩……!」



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