窺窬する謀略 ☆参

 一週間はあっという間に過ぎ、とうとう学園祭当日を迎えた。今日から、嘉神学園の学園祭がスタートする。


 嘉神学園の学園祭は、計三日間行われる。


 一日目は、学内生徒だけの催しだ。普通科降魔科関係なく全校生徒が体育館に集められ、普通科の各クラスや有志の生徒でステージ発表が行われる。内容は劇だったり、ダンスだったり、合唱だったりと多岐に渡る。この日は、降魔科生は観客として普通科生のステージを見て楽しむのだ。


 二日目と三日目が一般開放の日だ。休日にあてられているため、一般客が学園に来訪する。生徒による屋台が出展されたり、展示だったりを見て楽しんでもらうのだ。こちらが本番といっても差し支えないだろう。


 一日目は午後までステージ発表が開催され、それが終わってからの残りの時間は、一般開放のための最終準備にあてられることになっていた。


「ね、ね、さっきのあれ、すごくなかった!?」

「はぁ」

「あたしたちも何かやりたかったわよね~」

「いや別にやりたくないけど……てか待って、なんでいんの?」

「もう、ゆらってばいっつもそれ言うじゃん。いいでしょー別に」


 普通科生によるステージの第一部が終了し、今は休憩時間だ。


 生徒たちは手洗いに行ったり、楽な体勢をとって周囲と話したりと、第二部が始まるまで各々自由にしている。


 特にすることもなくその場に座ってぼーっとしていた響のもとに、いつの間にやら梨々花りりかが来ていた。


 クラスごと名簿順で並んでいるため、響は比較的前方で、梨々花は後ろのほうにいるはずだ。その梨々花がなぜか響の真横に腰を落としている。


「周りの子たちがまだ戻ってこなくて暇してんの。少し付き合ってよ」


 勝手な言い分に響は嘆息する。梨々花の弾丸トークは、第二部が始まるまで続けられた。






「机の配置はこうで……装飾はこんな感じ……」


 梨々花ともう数人を中心にクラスが動き、教室が様変わりしていく。


 ステージ発表を終え、各々クラスに戻った生徒たちは準備の真っ最中だった。


 響たちのクラスである『1―2』は、隣の『1―1』と合同で軽食店を開くことになっている。二クラスで協力し合いながら、準備を進めているのだ。


 いくつもの机を合わせて飲食スペースをいくつも作り、教室内を折紙や画用紙等で装飾し、徐々にそれらしくなっていく。


 降魔科生の厳しい準備時間を考えれば、頑張ったほうだろう。それなりに凝ったものができている。二クラス合同というのも大きいかもしれない。


 響はこれだけ人数がいればひとりくらいいなくたっていいでしょ、と隠形おんぎょうしてこっそり抜け出そうと思っていたのだが、真っ先に梨々花に目をつけられてしまい、その機会を失ってしまった。


 その結果あれこれと出された指示どおりに動かされ、響はうんざりしていた。生徒会でもこき使われ、ここでも同じように使われている。解せない。


 そうして時が過ぎ、最終調整が完了した。あとは本番を迎えるだけだ。


「みんな、おつかれ~。明日から二日間がんばろー!」

「おー!」


 梨々花の号令にクラスが沸き立つ。それを、後ろの端のほうで響は黙って見ていた。






 帰りがけ、響は再び梨々花に捉まり、歩を並べて校内を歩いていた。


「……あー、疲れた」


 気だるそうに息を吐く響に、梨々花が少し呆れた顔をする。


「もー響ってば、本番は明日からなのに今からそんなんでどうすんのよー」

「誰のせいだと思ってんの……」


 恨みがましいジト目で響が見やると、梨々花が苦笑した。


「ごめんごめん。でも、響は絶対抜け出そうとするから、その前に色々指示出すのがいいって聞いたから」

「は? 誰に?」

「あなたの偉そうな式神さんに」


 いつの間にそんな話をしていたのか。響はじろっと頭上の氷輪ひのわを睨みつけた。氷輪は鼻を鳴らす。


「貧弱ななんじに、少しでも体力をつけさせようという慈悲深き我の配慮だ。ありがたく思うがいい」

「小さな親切大きなお世話って言葉知ってる?」

「なっ、我の心遣いを大きなお世話とは何事か!」


 また始まった。


 もうこの光景にもすっかり慣れた梨々花は、はいはいそこまでーと割って入る。


「でも、響もクラスの一員なんだからこのぐらいやってもらわなきゃ」


 梨々花の言い分はごもっともだ。返す言葉もなく、響は黙り込んだ。


 まさか、自分がこういう学校行事にここまで関わることになるとは思わなかった。


 小、中学生の時の行事ごとは、ただひたすら息を殺すように己の気配を消して、空気に溶け込むようにしていた。時には、休んだりして乗り越えていたぐらいだ。


 自分は他の人とは違うから。自分のこの〝さわり〟のせいで、万一何か起こってしまったら。


 楽しんでいる人たちの表情が自分のせいで曇ってしまうのを見るのが、もう嫌だったのだ。


 だから。


 輝血かがちということをほとんど気にすることなく学校行事に参加するのは、これが初めてだった。


 ふと周りを見回す。校舎にはまだ生徒が残っている。出し物の最終チェックに時間がかかっているクラスだろうか。


 みなああだこうだ言い合いながら、楽しそうに動き回っている。その光景が、なんだかキラキラと輝いているように見えて。


 そういえば、周囲にちゃんと焦点を当てたのも、これが初めてのような気がする。


 これまで自分のことに必死で、周りを見る余裕などなかった。


 そうして、いつしか興味を持つことすらしなくなったのだ。


「響」


 ふいに呼ばれ、ちらとそちらに目を向ける。にかっと無邪気に笑った梨々花がこう言った。


「学園祭、楽しもうね!」


 響は軽く目を瞠った。


 梨々花は響が輝血だということを知らない。響がこれまでどんな思いで日々を過ごしてきたかなどわからない。


 そのはずなのに、なんだか見透かしたかのような言葉だった。


 偶然だろう。深い意味などはなく、梨々花はなんの気なしに言っただけだ。


 でも、どうしてだろう。


 どうして、こんな許されたかのような気持ちになるのだろう。



   ▼  ▼



『――これより、一般開放を始めます』


 校内アナウンスが嘉神学園全体に響き渡ると、正門から一般客が続々と入り始める。世間一般的には休日のため、老若男女問わず様々な人がいた。


 学園祭二日目のスタートだ。


 一般客のほかに、手が空いている普通科生や降魔科生が所属する科に関係なく、各々好きなクラスの出し物を体験しに行っている。


 そして、ほとんどの嘉神生は、ワイシャツの代わりに学園祭Tシャツを着ている。学園祭の期間中にだけ許された格好だ。それが余計に普段との違いを醸し出しているためか、生徒たちの高揚もひとしおだ。


 嘉神生と一般客で校内が賑わい出す中、降魔科一年生の合同軽食店にも人が入り始めていた。


「……以上でよろしいですか? 少々お待ちください!」


 フロア担当が注文を聞き、隣の教室にいる調理担当に伝えに行く。


 この合同軽食店は、1組の教室が調理を行ういわゆる厨房で、2組の教室が客席という形で分けられていた。


「オレンジジュースとアイスラテ、それとパンケーキを二つお願い!」

「はーい!」


 オーダーを聞いて、調理班が調理に取りかかる。学園祭Tシャツの上にエプロンと三角巾を着けた響も、そこに混じって役割をこなしていた。


 これまで、降魔科生のほとんどが響を敬遠していた。しかし、それが最近では少しだけ、本当に少しだけ丸くなった。


 原因は、梨々花の存在が大きい。響に対して唯一気兼ねなく話しかけることのできる梨々花が、響をこき使っているのを生徒たちはずっと目にしていた。


 しかも、響は嫌々ながらもそれをちゃんとやっている。響としてはやらないとあとがまた面倒だと思っているだけなのだが、そんな響の姿を見て、実はそこまで嫌な奴ではないのではないか、と降魔科生の心が揺れ始めているのだ。


 積極的に話しかけるようなことこそまだないが、あからさまに煙たがるような態度が軟化しつつある。


 そもそも、一番響を嫌悪しているのは一部を除いたAクラスの降魔科生だ。他のクラスの生徒は響の受講態度を直に見たわけではなく、そういう話を聞いただけにすぎない。


 噂というのは得てして尾ひれがつくもの。直接見聞きしていない者は想像で補うしかなく、その想像が伝え聞いた者からはあたかも真実かのように捉える傾向が強い。


 それが人を介していくうちに、どんどん根も葉もないものまで付随ふずいしてくる。気がついたら噂の元となったものとは遠くかけ離れてしまっていた、なんてことも少なくはない。


 特に、人間は負の方面に関する印象が強く残りがちだ。一度悪い印象を持ってしまったら、どうしてもそれが脳裏にちらついてしまうため、なかなか評価が覆らない。


 誰とも懇意にしようとしない本人にも当然問題はあるが、直接関わった者が少ないせいで響の為人ひととなりを知る者もなく、周囲は噂をただ鵜呑うのみにしてしまっていた。


 だから、ほとんど関わったことのない生徒も、実際に本人を見て印象が変化していっているのだ。


「BLTサンドってまだできてないよね?」

「そこの机に置いた」

「あ、あれ? おにぎりセットって何番テーブルだっけ?」

「それは三番。ウーロン茶と一緒のオーダーでしょ」


 響は自分の分担をきちんと遂行しているだけでなく、驚いたことに意外と手際がよかった。手間取ることなく、順序通りに進めている。それだけでなく、フォローを入れてくれる時もあった。


 簡素でややぶっきらぼうではあるものの、受け答えもきちんとしている。梨々花がああ見えて話せば普通と言っていたが、どうやらそれは本当らしい。


 当たり前のことが、噂のせいで見えなくなっていた。そのことに、この響の姿を見た生徒たちが若干己を恥じた。


 そうなると、周囲の生徒もそれに焚きつけられてやる気を出している。無論いい意味で、だ。


 最初はこっちのやる気が削がれるのではないかと、調理担当に振り分けられた生徒たちがしていた危惧きぐは、逆に士気を高める結果となっていた。






「…………しんど」


 脱いだ三角巾を片手に、響は椅子の背もたれに腕を乗せてぐったりしていた。その足元には主が働いている間、離れたところで控えていた式神二体がいる。


「響、見事な働きだったぞ」

「日頃からこのぐらいのやる気を出せればよいのだがな」


 時刻は十三時になろうとしていた。立派なお昼時といえる時間帯である。


 十時からスタートした一般開放から三時間が経過した。降魔科一年の二クラス合同軽食店は開始早々からけっこう繁盛していた。


 ほとんど暇を持て余すことなく、お昼時となってからはさらに客が増え、忙しなく動いていたらいつの間にか三時間も経っていた、といった具合だ。


「前半組のみんな、お疲れさま! や~、予想以上に忙しかったね」


 厨房の教室。そこに集まった生徒たちに梨々花が労いの声をかけると、各所から疲労の滲む声が上がる。だが、自分たちの出し物が盛況であることに満足しているようで、その表情は明るい。


 これで前半組の番が終了となり、後半組へ交代となる。前半が十時から十三時、後半が十三時から一般開放終了の十六時までの三時間ずつのシフト制となっていた。


 前半組の生徒たちが続々と繰り出していく。お目当ての出店や出し物を見に行くのだろう。


「響もお疲れ~」


 後半組への軽い引継ぎを終えた梨々花が、隅のほうで椅子に腰かけて脱力していた響のもとに寄り、その背をぽんと叩いた。


「もームリ……動けない……」


 消え入りそうな声でそう言った響の腹から、ぐうと微かな音が響いた。梨々花がくすりと笑う。


「お腹すいてるでしょ? ほら、どっか食べ行こ」

「…………」


 あまり動き回りたくはないが、空腹には勝てない。


 ぐいぐい腕を引っ張ってくる梨々花をわずらわしく思いつつ、仕方なしに響は腰を上げた。


 そうして教室を出ようとした時、教室の隅がざわついていることに気がついた。


「どうしたの?」


 響の腕を掴んだままの梨々花がすかさず尋ねに行くと、数人の固まりの中からひとりの生徒が困ったように眉根を寄せた。


「それが、お皿とコップが足りなくなりそうで……」

「えっ、ウソ!?」


 梨々花が慌てて在庫を確認する。たしかに午前中から予想以上に盛況だったが、前半だけで足りなくなるほどの客入りではなかったし、数も十分に用意していたはずだ。


「ほんとだ、足りない……」

「わりぃ、俺のせいだ。俺が数を見間違えちまったから……」


 備品の準備を任されていた男子が、眉尻を落として申し訳なさそうにしている。話を聞くに、買い出しに行く際、必要な物とその個数を書いたメモを読み間違えてしまったとのことだった。


 梨々花はしまったなと額を軽く叩いた。自分も確認するつもりでいたが、各方面へのヘルプで思ったよりも忙しくなり、結果そこにまで手が回らなくなってしまったのだ。


「前半の客入りが続くと考えると……もって一時間ぐらいかぁ」


 少し考えた梨々花は、ひとつ頷いて自身の胸に手を当てた。


「わかった、あたしたちが買ってくる」

「え、ほんと? でも……いいの?」

「緊急事態だし仕方ないよ。それに、最終確認しなかったあたしにも責任あるから」

「ありがとう、本当に助かる!」

「三船、ごめんな……頼むわ」


 後半組が口々に感謝を述べるのを、梨々花はいいってと軽く手を振る。


「でもギリギリになりそうだから、他のところで分けてもらえないか聞いてみてくれる?」

「わかった、なんとかしてみる」


 指示を出し、他に足りないものはないかを確認した梨々花は、それまで黙っていた響に向き直った。


「ってことで、行くわよ、響」

「…………ん?」


 気のせいだろうか。今、自分の名前が呼ばれたような。


「えっと、誰が買い出し行くって?」

「あたしと響に決まってるじゃない」


 気のせいではなかった。


「いやいやいやいや、なんでわたしまで……」


 響が抗議するも、梨々花は一歩も引かない。


「だって、ほかに連れてける人いないんだもん。前半組のみんなはもう行っちゃったし。ていうか、クラスの一大事なんだから、響も協力して当然でしょ。ほら、さっさと動く!」

「うええ……」


 響は悲痛な声を上げながら、梨々花に引きずられていく。それを若干哀れに思う後半組の生徒たちだった。






「――――」


 教室の隅。


 一連を陰から見ていた人影が二つ。


 二人は頷き合うと、今出て行った女子生徒たちを追うように教室を離れた。



   ▼   ▼



 重い足取りで歩きながら、響はたこ焼きをもそもそと食べている。


 響の腹があまりに切ない音を立てていたので、見かねた梨々花が道すがら外の出店で買ってやったのだ。


「もーいい加減機嫌直してよ。そのたこ焼きに免じて! ね、お願い!」


 自分もちゃっかり頬張りつつ、梨々花が片手を顔の前に立てた。


「……はぁ」


 響は諦めの息を吐く。いつも思うが本当に強引だ。


 でも、なんだか慣れ始めている自分がいるような気がして怖い。気のせい気のせいと言い聞かせるようにして、響は最後のたこ焼きを口に放り込んだ。


 とりあえず一時凌ぎとはいえ、空腹は満たされた。味も悪くない。出店で食べ物を買うなんて、いつ振りだろうか。


「てか、あっつー……」


 響は襟元を掴んでパタパタと仰いだ。


 梅雨が明けてから一気に気温が上昇した。日差しも厳しく、すっかり夏の気候である。


 響たちは、学園を出る前に学園祭Tシャツから降魔科の制服に着替えている。降魔科生は校外に出る際は必ず制服を着ることが義務づけられているのだ。


 それがたとえ学園祭中でも関係ない。結界で守られている学園とは違い、校外ではいつ妖異と遭遇するかわからないからだ。


 霊力が高い人間は、普通の人間よりも妖異に狙われやすい傾向にある。霊力を持つ人間を取り入れれば、妖異の力が格段に上がるからだ。


 そして、そんな一般の降魔科生よりも遥かに妖異を呼び寄せる輝血である響は、結界から出る間際に隠形の術を自身に施していた。


 梨々花はもう慣れたものなので何も言わない。輝血のことを知らない梨々花は、響が視線恐怖症だと誤解しているのだった。


「もう夏だもんね。晴れてよかったけど」


 梨々花も額に滲んだ汗を拭う。教室は冷房が効いていたからさほど暑さは感じなかったが、教室外に出ると現実の気温が一気に襲いかかってくる。


 Tシャツから夏服にきっちり着替えた梨々花とはまだいい。問題は響だ。


 響は横着してTシャツの上にワイシャツを羽織り、それに加えていつものくせでうっかりベストまで着用してしまった。いくら疲労と空腹で頭が回っていなかったとはいえ、こんな気候で三枚も着込むのは馬鹿以外の何ものでもない。


 ましてや、この時間帯は一日の内で一番気温が高くなる頃合いだ。あまりの暑さに、響の普段からない気力がさらにどん底へと落ちている。


 若干ふらふらし始めた響に、頭上の氷輪が苦言を呈す。


「しゃきっと歩かんか、軟弱者。我が落ちるであろう」

「知らんわ……」


 氷輪や暁鐘のような人外の存在は、寒暖差をほとんど感じないらしい。羨ましい限りだ。


 首元に汗が伝っている響を、梨々花が呆れ顔で見る。


「だからちゃんと着替えなよって言ったのに……。せめて、そのベスト脱いだら?」

「…………」


 もっともな意見に、響は少し考え。


「……荷物になるから、ヤダ」

「そこまで!?」

「ふん、愚か者め」


梨々花に信じられないような目を向けられようと、氷輪に小馬鹿にされようと、響は頑なだった。


 となると、暑さは当然変わらないわけで。こんなことなら横着するのではなかったと、響は自分のものぐさ精神を少し恨んだ。


「ちょっと、響、本気なの!? そんなんじゃ熱中症になって倒れちゃうってば!」

「む、それはいけない」


 焦りの滲んだ梨々花の言葉に、響の顔の高さで浮遊していた暁鐘が反応した。


「これならどうだ」


 そう言って、響の背後に回った暁鐘が風を起こす。その風がちょうど響と梨々花の首元に当たった。


「あー涼し~……」


 気の抜けた声を出す響の頭上で、甘やかしおってと氷輪がブツブツ苦言を垂れている。


「え、何この風!? 子鹿さんがやったの?」


 一瞬何が起こったのかわからず、びっくりして首に手をやった梨々花が後ろに行った暁鐘を顧みた。


「そうだ」


 梨々花はぱちぱちと瞬きをした。こんな風を操るなんて、本当にどんな妖異なのだろう。梨々花の疑問はますます増えるばかりだ。


「ていうか、あたしまでいいの?」


 ふいに尋ねられ、響はえっと言葉に詰まった。なんでそれをこっちに聞いてくるんだ。暁鐘がやったことなのに。


「い、いんじゃない……?」


 いまいち煮え切らない返答だが、梨々花は嬉しそうに笑った。


「ありがと、響。子鹿さんも」

「礼には及ばない」


 暁鐘が優しく微笑む。その表情にはどこか慈愛が滲んでいた。


 飛廉ひれんは中国で信仰される風の神。故郷でも、人間たちのために時折こういったことをしていた。


 暁鐘としては風だけではなく、本性に戻って翼でひさしを作ってやりたいところだったが、ギリギリで思い止まった。


 梨々花にも風を与えたのは、暁鐘が梨々花を好ましく思っているからだった。響を嫌悪している降魔科生と違って主の力を正統に評価し、親しげに接しているのが好印象なのだ。


「おかげで元気出てきたわ。ぱっと行ってぱっと買って、出し物回ろーね」


 元気づけるためか、梨々花が明るく声をかけてくる。


 正直、響は出し物に興味がない。動き回るのも疲れるし、これで戻ったらどこかの空き教室で適当に過ごそうかと考えていたのだが。


「てか、他に回る人いるんじゃないの?」


 梨々花はクラスメートはもちろんクラス外の生徒とも普通に話しているし、親しくしているはず。すでにそういう約束をしている人間がいても不思議ではないというか、それが普通だ。ならば、別に自分を誘う必要がないのではないか。


「んーん、別に約束はしてないかなー」


 しかし、以外にも梨々花は首を振った。


「あ、佳澄かすみには声かけたけど、なんか都合が合わないからってフラれちゃったし」


 少し残念そうにしていた梨々花だが、すぐに切り替えて言葉を続けた。


「あたしが忙しくしてたのもあったし、タイミング合う子と適当に回ろっかな~ぐらいにしか考えてなかった」

「ふーん」

「だから、響と回ろーって思って」


 何がだからなのか。


 いまいちよくわからないが、ここで何を言ったとしても、梨々花は強引に響を連れ回しそうだ。


 響はひとつ息を吐いて、あっそとだけ返した。


 いつものように拒むような言葉のひとつも出てこなかったのは、疲れと暑さのせいだろう、きっと。






 香弥こうや市街に着き、近場の量販店で無事に備品を買った響たちは、来た道を戻り始めていた。


「さーて、戻ったらどこ回ろっかな~」


 道すがら、梨々花がパンフレットを広げて眺め始めた。そこには学校の見取り図が載っており、どこのクラスで何をやっているかが詳細に書かれている。


「ね、響はどこ行きたい?」


 尋ねられた響は、視界に入ったパンフレットをちらと一瞥する。


「別にどこでも……」


 梨々花のパンフレットはけっこう読み込まれているのか、ところどころ線がついていたり皺がついていたりしていた。配布物なので響も一応同じものを持っているが、ろくに開いていない。ゆえに何があるのかほとんど知らず、どこか適当な出店で昼食を買うぐらいのことしか考えていなかったのだ。


「これで一時間は潰れちゃったから、そんなに回れないかな~。明日もあるとはいえ、外せないところは絶対行っときたいし……」


 ブツブツと呟きながら、梨々花が真剣に悩み始めた。


「転ぶぞ、小娘」

「だーいじょうぶ。心配ありがとね、仔犬さん」

「心配なぞしておらぬわ」


 不満そうに鼻を鳴らす氷輪に構わず、梨々花は響に声をかける。


「響はどういうのが好き?」

「……さぁ」


 響にはわからない。


 だって、こういったものをきちんと体験したことがないから。だから、想像がつかないのだ。


「自分の好きなとこ行けばいいじゃん」

「あのねぇ、あたしだけ楽しんだって意味ないでしょー? 響も楽しまなくっちゃ」


 響は頭をかりかりと掻いた。なんだか調子が狂う。


「じゃあ、色々読み上げてくから、いいなって思ったやつ教えて。なんでもいいからっ」


 ウキウキした様子でああだこうだと話す梨々花によくしゃべるなーと思いつつも、響は一応耳を傾けていた。


 ――あたしだけ楽しんだって意味ないでしょー? 響も楽しまなくっちゃ


 さっき、梨々花はそう言った。


 そういうもの、なのか。


 なんだか少しだけ、ほんの少しだけ興味が出てきたような気がしなくもない。


 そんな二人の少女たちを暁鐘は優しい目で見守り、氷輪は特に関心のない素振りながらも聞き耳を立てていた。


 そうこうしているうちに香弥の繁華街を抜け、住宅地を通り過ぎた。


 民家もまばらになり始め、もう少し行くと嘉神学園に通じる緩やかな坂となる。


この辺りは、いつもなら人通りが少ない。この先は嘉神学園しかなく、よほどのことがなければ関係者以外は立ち入らない。


しかし、今その嘉神学園は絶賛学園祭中。来訪するため、あるいはその帰りで一般客がぞろぞろと行き交っている。


学園への道は一本しかないため、必然人が集中する。学園を出る時もそうだったが、かなり人が多く進みが遅くなっている。


「うわ、なんか行きよりも人増えてない?」


あの中に入らなきゃいけないのか…と響がげんなりしていると、梨々花がふいに立ち止まった。


「響、こっち」


そう言って脇に逸れた梨々花に怪訝に思いながら響もついて行く。少しして民家を折れると、打って変わって人影がめっきりなくなった。日頃から人通りが少ないのだろう。


「こっちほうにね、嘉神に通じる道があるの」


本当はあんまり良くないんだけどね、と梨々花がいたずらっぽく舌を出す。


このまま行くと茂みに突き当たり、その中にひっそりとある小道が学園へと続いているのだという。


「へぇ……」


そんな道があったのか。知らなかった。


「いわゆる秘密の抜け道ってやつね。前に佳澄と見つけたんだ~」


その道を行くと、正門から少し離れた場所に出るらしい。そこなら見咎められる可能性も少ないそうだ。


「一応急いでるから、使えるものは使わなきゃね」


梨々花がにっと笑う。そうして、少し進んだ時だった。


「──やっぱり、こっちに来ると思った」


 一件の民家の陰から、ふいに人が姿を現したのは。


「え」


 梨々花がぱちぱちと目を瞬かせた。


「佳澄?」


 目の前に現れたのは、梨々花の友人である佳澄だった。そして、その横にはまきながいる。


「こんなところでどうしたの? あ、佳澄たちも何か買い出しとか?」


 尋ねると、佳澄は黙って首を横に振った。


「えっと……」


 梨々花は困惑して言葉を詰めた。


 佳澄たちは梨々花と響の前方に立っている。こちらを黙然と見つめたまま、そこから動こうとしない。

まるで、進路を塞ぐかのように。


 なんだか変だ。


 ただならぬものを感じた氷輪の目が鋭く細められ、暁鐘も警戒心をあらわにして身構えた。


 そんな佳澄とまきなの視線が響へ集中する。


「き、如月さん」


 口を開いたまきなのその目に、暗い何かが宿っている。


「私たちはあなたに用があるの」


 言葉を続けた佳澄の目にも同様のものがあった。


 友人と同級生の不穏な雰囲気に困惑している梨々花の横で、響は静かに二人を見返した。


「なに」


 一切の動揺を見せず、言葉の続きを促す。その淡々とした態度が気にいらなかったのか、二人の表情が険しさを増した。


 まきなが一歩進み出る。


 そして、何かを決意するようにひとつ息を吐き、こう言い放った。


「か、嘉神学園を――退学、して」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る