もうひとつの盟約 ☆捌

 ――天高く、炎が渦巻く。


 それは、激しく燃え盛る赤ではなく。


 静かに、けれど他の何よりも熱くおこる神秘的な藍色をしていた。


 轟々ごうごうと音を立てて眼前で渦巻くあおい炎の柱に、ゆらは一体何が起こったのかわからないまま、束の間にただ魅せられた。


 そんな響がはたと我に返ったのは、こちらに接近してくる影に気づいた時だ。


 それは禍々まがまがしい瘴気しょうきに包まれた飛廉ひれんではなく、正反対の真っ白く大きな鳥だった。


 氷輪ひのわよりは小さいが、それでも現存する鳥類にここまで大きな鳥はいない。人ひとり余裕で乗せられるぐらいの大きさだ。


 現に、その背の上に人影がある。レインコートのフードを被っていて顔がよく見えない。けれど、それでもあれが誰なのかはわかる。


 この炎の召喚主。世にも珍しい藍い火の術式を操るのは、響の知る中でひとりしかいない。


 鳥に乗った人物は被っていたフードを取る。そうして現れた顔は、やはりよく見知った人物だった。


「会長、さん……」


 幸徳井こうとくい玲子れいこ。『藍焔あいえん名華めいか』の異名を持つ嘉神学園降魔科主席の実力者の顔を見て、響は自然安堵し、ふっと少しだけ身体の力を抜いた。


「間に合ったようね。……如月きさらぎさん、怪我はない?」

「はいまぁ、なんとか」


 そこで響は状況を理解する。障壁が破られた瞬間、噴き出した炎の柱が響たちを襲いかけた風の刃を丸ごと呑み込んだのだ。だから、響たちは今無事でいられている。


『間一髪であったが助かったぞ、小娘』


 氷輪が珍しく礼を言うと、玲子はいえと首を振る。


『しかし、よくここがわかったな』

「優秀な仲間のおかげです」


 玲子は自身が乗る式鬼の背に視線を落とした。


 響が〝羅刹らせつ〟に襲われたという話を聞いた時、玲子は冗談抜きで血の気が引いた。伝令で回ってきた愛生あきの報告から、ひとまず響が無事であることを知るまでは生きた心地がしなかったぐらいだ。


 そうして、愛生の情報を頼りに降魔士とともに妖異を追っていた玲子のもとに、獣式鬼の鼠が来た。その鼠を介して伝えられた内容を聞き、それからほどなくして飛来した、これまた愛生の式鬼の大鳥に乗って、響たちのところに駆けつけたのだった。


 同じ班の降魔士たちには、空から索敵すると言ってきた。降魔科生とはいえ、実力が知れ渡っている幸徳井家の息女に、やたらと意見が言える降魔士はそういない。


 申し訳なさを抱きつつも、それを逆手にとって玲子は強引に抜け出してきたのだった。


 氷輪はすっと目を細める。ちょうどいいところに来た。


『小娘、手を貸せ。あれを鎮めるために』

「鎮める……と言うと?」


 玲子が怪訝けげんそうに首を傾げるのも無理はない。状況がまったく掴めていないのだから。


『手短に言うぞ。あれ――〝羅刹〟の正体は飛廉だ』

「飛廉、というと……」


 しばし思考を巡らせていた玲子は、やがて思い至って瞠目どうもくする。


「まさか、あの風伯ふうはくの、ですか?」

『ほう、やはり知っておったか。勤勉なことよ』


 信じられないという面持ちだった玲子が、よくよく目を凝らしてじっと瘴気の塊を視る。


 うっすらとだが、輪郭がわかった。その姿は、以前文献で見た飛廉の特徴とたしかに一致している。


「ですが、飛廉は中国にいるはずでは……」


 己とまったく同じことを言う玲子に、氷輪は重々しく頷く。


『経緯はわからぬがあやつはこの地に降り立ち、そして何者かに呪詛をかけられた。それゆえ、此度こたびの事件を引き起こしておるようなのだ』

「な……っ」


 さしものことに絶句する玲子に構わず、氷輪は続けた。


『これから響が、あやつにかかった呪詛じゅそを返す。そのために小娘、なんじの力が必要だ』

「如月さんが呪詛を返す準備をしている間、私が相手をして少しでも弱らせる、ということでしょうか」


 さすがの理解力の高さだ。話が早くて助かる。


『どうだ、頼めるか』


 その言葉に、玲子は迷いのない目ではっきりと頷いた。


「この一件を終息できるのであれば、私にできることはなんでもやりましょう」

『よい心がけだ』


 満足げに口端を吊り上げた氷輪は、飛廉に目を向けた。


『あやつは響の輝血かがちに気づいておるようでな。呪詛によって極度の飢餓きが状態にあるのも相まって、早々に逃げ帰る、などということはなかろう』


 その言葉に、玲子の目元が曇った。


「ごめんなさい、如月さん。結局、あなたを危険にさらしてしまったわね……」


 想定はしていたはずだった。輝血である響がこういった場面でどうなるのかを。だからこうならないようにと、色々と考えていたはずなのに。


 考えが甘すぎた。


「別に……。ていうか、まぁ、助けてもらいましたし……」


 響はごにょごにょと言ったあと、ぽつりと呟いた。


「それにどっちにしろ、わたしはあの飛廉ってやつと、会わなきゃいけなかったみたいなんで」

「? それはどういう……」


 そのとき、おぞましい妖気が肌を突き刺した。脅威が近づいてくる気配がする。


『詳細はやつを鎮めてからだ』

「……そうですね、わかりました」


 玲子は表情を引き締めて神経を研ぎ澄ますと、迫りくる飛廉に向けて右腕を突き出すようにして掲げた。


双炎蛇そうえんだ召喚!」


 言霊ことだまに呼応し、右腕の肩に装着された校章が光をまとって薄く輝く。すると、藍い炎が勢いよく噴出した。


 長く伸びた炎が二手に分かれ、先が丸みを帯びて蛇の頭を形作る。召喚された二体の藍炎の大蛇が大きくうねりながら、飛廉に向かってまっすぐ飛んでいく。


 炎蛇が締めつけるように絡みつくと、飛廉は咆哮を上げて身をよじった。


『食ラウ……人間ヲ……血肉ヲ……ッ』


 うわ言のように呟いた飛廉の妖力が爆発する。その凄まじい勢いに、炎蛇が弾き飛ばされた。


 さすが飛廉、この程度の術ではいくらもダメージも与えられないか。


 玲子は下方を見た。平時であればきれいな夜景が望めるのであろうが、今はどこの民家もほとんど明かりを消しているため暗い。


 けれども、街頭や信号機の明かりは変わらず点いているので、それから把握するにもう市街の端まで来ているようだった。


 もう少し引きつければ、民家がほとんどない田畑の広がる地に入るはずだ。そこならば、障害物もないし、こちらとしても気兼ねなく戦いに集中できる。


 そう考えた矢先、下方から何かが飛んできて、それが飛廉に命中した。不意を突かれ、さしもの飛廉も一瞬バランスを崩す。


 これは降魔術だ。どうやら降魔士たちが、飛廉を視認できるところまで来たらしい。


 次々と発動される術を避けながら忌々いまいましげに地上を睨んだ飛廉は、バサリと羽撃き、次いで鳴き声を轟かせた。


 キャラララララララララッッッ!!


 ビリビリと大気が震撼しんかんし、まるで荒立った湖面のように空間が大きく波打つ。堪らず響と玲子は耳を塞いだ。


 あまりにもおぞましいその大音声に総毛立ち、ざっと血の気が引く。


 叫んだ飛廉の妖気が急速に膨れ上がる。そして爆発した妖気が作り出したものは――巨大な竜巻だった。


 それも、ひとつではない。複数だ。


 半径数キロメートルにも及ぶ巨大な風の柱がいくつも横並びに生じている。天まで伸び、雲を突き破ったそれはまるで壁のようだった。


 風の勢いで雲が流され、響たちのいる空間だけ晴れ間が覗く。実に数日ぶりに、数多の星とぽっかりと浮かぶ月が姿を現した。


 しかし、そんなものに感動している状況ではなく、そんな余裕もない。


 竜巻の奔流ほんりゅうは響たちをも襲った。響は氷輪にしがみつき、氷輪もなんとか耐え抜いたが、玲子のほうはそうもいかなかった。


「……っ」


 玲子の乗っていた式鬼が大きくバランスを崩したのだ。玲子はそのまま振り落とされ、大鳥は奔流に呑まれていずこかに吹き飛ばされてしまった。


「……! 氷輪!」


 響が咄嗟に叫ぶと、氷輪は落下していく玲子を追いかけた。


「会長さん!」


 響が懸命に腕を伸ばすと、その手を玲子がしっかりと掴み取る。


「ぐ……ぅ……っ」


 しかし、響にはそこから人ひとりを引き上げられるほどの腕力はなかった。片方の手を氷輪の角に絡みつかせるようにして握り、玲子の手を離さないようにするのが精いっぱいだ。


 こんな状態では、飛廉の攻撃に対抗できない。それに宙にいるのは不利でしかなかった。


 瞬時にそう判断した氷輪が高度を落とし始める。


『一旦地上に降りるぞ』


 竜巻の影響が少ない地点を目指しながら下降し、氷輪たちは地に降り立った。民家や樹木といった障害物のない、開けた土地だ。田園地帯の一角だろう。


「ありがとう。助かったわ」


 地に足をついた玲子は、繋いだ手のまま響が氷輪の背から降りるのを手伝いそう言った。


「あ、や、別に……」


 すっと手を離し、響は一歩引いた。礼を言われてから自分の行動に気づいてびっくりしている。なぜか咄嗟に身体が動いてしまった。まぁあの状況で見捨てるわけにもいかないし……。


 などと誰にともなく言い訳めいたことを並べていた響は、気を紛らわせるように竜巻のほうへ目を向けた。


 地上から天に向けて渦巻く巨大な竜巻。あんなものに巻き込まれていたら、きっと命はなかった。


 自分たちは、分断されたのだ。飛廉が巻き起こした竜巻が隔壁となり、降魔士たちの邪魔が入らぬようにと。


 これでは、降魔士たちがこちらに辿り着くのは困難を極めるだろう。妖気で作り出したあの竜巻は、うなりを上げて天を衝いたまま一向に消える気配がない。合流は絶望的だ。


 これが、風伯とうたわれる飛廉の力。風の神の名を冠すものの通力は、やはり常軌じょうきいっしている。


 こんな甚大な力を持つ相手と、自分たち二人だけで相対せねばならないのか。


 響同様、竜巻の壁を見ていた玲子の頬を冷汗が伝う。が、すぐに頭を振って気を引き締め直した。呑まれるな。あれをどうにかするために、自分は今ここにいる。


 玲子はひとつだけ安心した。よかった、ここが人里離れたところで。田畑や自然への被害は免れないが、人が巻き込まれるよりはマシだ。


 降魔士は、人々を妖異の脅威から守るための存在なのだから。


『おい! 大丈夫か!?』


 ふいに肩口から声が聞こえた。それは、ずっとそこにいた愛生の干支獣式鬼【子】から発せられたものだ。


「! 愛生?」


『酉井がさっきのでけっこうなダメージ受けて戻ってきちまったもんだから、焦ったんだが』


 無事で何よりだ、と鼠を通して聞こえた声音には、ホッと安堵するような色が滲んでいた。


「私たちは大丈夫。そちらの状況は?」

『街にあの竜巻の被害が出ないようになんとか食い止めてる。だから、それで手いっぱいになっちまっててな……』


 苦々しげに区切られた言葉の先は容易に察せられる。そんな状態だから、こちらに応援に向かうことができない、と言いたいのだろう。


 先ほどの会話を、この鼠を通して愛生はすべて聞いていた。だから、状況は掴めている。その上で、こう言っているのだ。


 それはすでに覚悟の上なので、玲子は一切の動揺もなく指示を出す。


「こちらはなんとかするわ。愛生たちは降魔士をサポートすることを最優先。とにかく市街を守ることに専念して」

『……大丈夫なのか?』


 案じるような声音に、玲子は芯の通った声で返した。


「一筋縄ではいかないでしょうね」


 それでも。


「私はやらなければいけない。それに、私はひとりじゃないわ。如月さんも一緒にいるもの」

『そうか……。わかった』


 愛生は言及せず、ただそれだけ返した。その声音には信頼がこもっている。


『そうなると、子本ねもとも邪魔になっちまうな。戻しても平気か?』

「ええ。そっちは頼むわね」

『ああ。こっちのことは任せとけ。――ちゃんと帰ってこいよ』


 そう言い終えると、鼠はすっと消失した。主のもとへと帰ったのだ。


 頼もしい仲間の存在に、玲子はほっと安堵する。これであちらのことは一切気にせず、こちらに集中できる。


 その時、氷輪がふっと宙に浮いた。


『飛廉相手に、我にこれ以上できることはない。あとのことは汝らが対処せよ』

「氷輪は?」

『高みの見物を――と言いたいところだが、先ほどから雑魚どもの気配がしていたのでな。この我が手ずから、それらが近づかぬようにはしてやろう』


 せいぜい死なぬよう頑張ることだ、と付け加え、氷輪は離れて行った。


 言い残す言葉がそれかよ、と響は思わず眉をしかめたが、正直氷輪の行動はありがたかった。


 この場面で他の妖異に構っていられる余裕はない。氷輪は戦えずとも威嚇いかくはできるので、その辺の妖程度ならば氷輪の霊気に怖気づいて近寄ってこれないだろう。


 飛廉が召喚した竜巻が雲を蹴散らしたおかげで雨はやんでいる。玲子は着ていた雨具を脱ぎ捨て、隣にいる響に視線をやった。


「如月さん、やれる?」

「まぁ……やるしかないんで」


 相変わらず、いまひとつやる気の感じられない後ろ向きな返答。しかし、それがなにより彼女らしいと思ってしまう。


 これが他の降魔科生相手だったら、思わず叱っていたかもしれない。その言い方は全体の士気を下げるだとか、もっと気を引き締めなさいだとか。


 けれど、響はこれでいいのだ。これが何事にも面倒がる彼女なりの、やる気の現れなのだとわかるから。


 なぜかわからないが、玲子はそう思ってしまう。


 響の返答に玲子は頷き、視線を上げて敵影を探す。すると、上空でこちらに向かってくる存在をみとめた。


 響たちの頭上数十メートルほどのところまで近づき、ホバリングするかのように宙で停止した飛廉が、妖力を膨らませ風を放つ。


 襲い来る爆風に、二人が咄嗟に放った護符ごふばんが障壁を織りなすも、すべてを防ぎきることはできず、鋭い風の刃が身を切っていく。あちこちに鋭い痛みが走り、切り傷が刻まれたのがわかった。


「くっ……」


 風伯の名を冠する飛廉ほどの相手にいつもの調子で術を出していては、かすり傷ひとつつけることはできないだろう。


 この状況を覆すには、普段を上回る、より強力な術が必要となる。


 だから玲子は、〝リミッター〟を外した。


「――燃ゆる火は、やがてほむらへ」


 掲げた右腕、その肩にある校章が強く輝き出す。常の術発動の際は淡くぼんやりとした光を放つのだが、今はその比ではないほど一等星のごとき眩い光が辺りを照らす。


「藍焔」


 玲子の頭上に巨大な藍い火球が出現した。ぼうぼうと音を立てて燃える炎は、激しく揺らめいている。


「爆散!」


 言葉が放たれた瞬間、火球が千々に弾け飛んだ。


 それは手のひらサイズの火の玉を無数に生み出し、一斉に中空の飛廉へと向かっていく。


 飛廉に着弾した火の玉は、そのまま爆発した。小規模だが全身を覆うように爆発が次々と起こっていくため、ダメージが蓄積されていく。


 これには飛廉も堪らずその場を離脱しようとするが、それを火の玉が追尾する。


 しかし、そこは飛廉。風伯の本領を発揮し、一気に火の玉と距離を取ると、爆風を引き起こした。火は風に弾き飛ばされその場で破裂し消失する。


 それに動じることもなく、玲子は続けざまに術を繰り出した。


「藍焔――炎々羽えんえんば!」


 藍い炎の羽が、空を舞う。飛廉に降り注いだそれが触れた箇所に炎が灯り、その身を焼き焦がしていく。飛廉の絶叫がとどろいた。


 異国の風伯をあれほどまでに苦しめる、そのあまりにも凄まじい攻勢に、響は思わず目をみはった。


 今まで見たことのある術とは、明らかに質も威力も違う。まだこんな力を隠し持っていたのか。


 これが真の意味での『藍焔の名華』。


 玲子は飛廉から目を逸らさないまま、脳裏で策を巡らせていた。


 リミッターを解除すると、術の威力は一気に跳ね上がる。ただし、通常の術よりひとつの術に対して霊力を倍ほど消費してしまうため、霊力の枯渇もその分当然早まる。長時間使い続けることができないのが難点だ。


 しかも、これは自身の霊力が八割以上残った状態でないとできないものだ。なので、中途半端に戦闘を繰り広げたあとでの制限解除は不可で、やるなら早々に切り替えねばならないといった条件付きだった。


 だからもう全霊を出し切る。そうでもしなければ、あの飛廉の隙を作ることは不可能だ。ここは力技で押し切るしかない。


 藍い炎に身を焼かれ、飛廉が踊るように宙でもがいている。玲子の術がかなり利いているようだ。


 この調子ならもう少し弱らせれば、呪詛返しの術が通るようになるだろう。


 そう思った響は、畳みかけるように呪文の詠唱を始めた。


「バン・ウン・タラク・キリク・アク! ウン!」


 手刀で宙に五芒星ごぼうせいを描き、その中心に点を打つように切り込んだ。五芒星から霊力の波動が放たれ、飛廉に向かって炸裂さくれつする。


 それをもろに食らった飛廉が雄叫びを上げ、狂風を巻き起こす。玲子と響の攻撃が吹き飛ばされた。


 妖気を含んだ風が荒れ狂う。響と玲子は体勢を低くし、風が当たる面積を極限まで減らして、飛ばされないようになんとか堪える。


 今の術の連鎖でかなりダメージを受けているはずなのに、まだこれほどの力が使えるのか。やはりそう簡単に事は進まないようだ。


 やがて風が弱まったのを感じ、すぐさま身を起こす。そして次の術を発動しようとした――その時。


「え――」


 眼前に、瘴気の塊がいた。


 いつの間にか迫っていた飛廉の、くわりと開かれた口の奥に広がる底なしの闇を見て、響は息を呑んだ。


「……ッ、響!」


 悲鳴にも似た声が聞こえた。これは玲子の声だ。


 全力で身体をよじった響を、衝撃が襲う。



   ▼    ▼



「結界展開、完了!」

「くっ、これ全部は防ぎきれないぞ……!」

「そこを堪えるのが我々の責務だろう!」


 風のうなりに負けないよう、あちこちで怒号が飛び交う。降魔士たちは結界を張り、突如出現した複数の竜巻からの被害をなんとか食い止めていた。


 まるで台風が訪れたかのようなものすごい暴風が辺りに吹き荒れている。巻き上げられた砂埃が空気中に漂い、視界が若干けぶっているかのようにぼやける。


 電柱が倒れ、近隣住宅の瓦が何ヵ所も吹き飛んだが、それでもどうにか家屋すべてが倒壊しないように防いでいる。


 妖異を追ってきた降魔士たちは 残してきた者たちも全員呼び出し、降魔士は援護に、降魔科生は近隣住民への避難誘導に配備した。


 一班リーダーにして今作戦の総指揮官を請け負う降魔士が、結界を張りながら逆巻く風の壁を半ば呆然と見上げた。


「これを、あの妖異がやったのか……」


 数々の市町村に現れては人を食い殺し、家屋倒壊など大きな被害を与えて去り、一切の足取りを掴ませなかった標的。


 そして、いまだにその正体は掴めていない。一体どんな妖異なのだ。間違いなく、天災級の妖異よりもさらにその上を行くほどの絶大な力を持っている。


 圧倒的すぎるこの力は、まるで。


 輝血を食らったかのような――。


「……っ」


 そこまで考えて、ぞっと全身の毛がよだった。もしそうだったとしたら、そんな相手、ここにいる術者全員でかかっても到底太刀打ちできない。


 だというのに、その妖異と今この隔壁の向こう側で、降魔科生二名が交戦しているという。


 ひとりは幸徳井家嫡子にして次期当主候補として名高く、世にも珍しい藍い火の術式を操る、まだ十代の学生ながらに『藍焔の名華』の肩書を持つ女学生。降魔士界でこの名を知らない者はいないほど、出自も実力も知れ渡っている。


 もうひとりは、先の雷獣事件で活躍したという、このカデイ式の行使が一般的となっている現代において、古式降魔術を操ると噂の謎多き一年生。実力のほどはまだ目の当たりにしていないので、正直未知数だ。


 その一年生はともかく、いくら比類ない実力を持つ玲子がいたとしても、こんな竜巻を起こす妖異を相手にできるとは思えなかった。


「せめて、この竜巻が消えてくれれば……!」


 そうすれば、応援に駆けつけることができる。


 けれども、竜巻は一向に消える気配を見せない。どうにか鎮めようといくつか術を試みたが、どれも通用せず、竜巻の勢いが衰えることはなかった。


 この状況で手をこまねくことしかできないことが堪らなく悔しい。当初の作戦は崩れ、降魔士である自分がこんなところにいて、降魔科生が何十人も人を食い殺している化け物と交戦している。


 こんなこと、あっていいはずがないのに。


 歯噛みしていた降魔士視界の端に、ふと影が映り込んだ。何か大きな塊が、風に飛ばされて宙を舞っている。よく見ると木片だった。それも、けっこうな大きさだ。成人男性ぐらいはあるだろうか。


 何気なくその木片の軌道を追った先に、数十メートル離れたところで結界を張っている二人の降魔士の姿が。


「……!」


 まずい、木片の軌道は結界外だ。このままではあの木片が降魔士たちに直撃する。しかし、彼らは気づいていない。


「よけろ!」


 声を張り上げるが、彼らは気がつかない。竜巻から生じる轟音のせいで声が届かないのだ。


 もう十秒ほどで木片が落下するところまで来ている。こうなったら、術であれを破壊するしか――そう思って腕を掲げようとした矢先。


「――地隆ちりゅう!」


 突如、二人の降魔士の背後でアスファルトが盛り上がった。めくれ上がったアスファルトが盾となり、飛来した木片を弾き飛ばす。


「大丈夫ですか!」


 そう声をかけたのは、要一だ。


「い、一体、何が……?」


 状況がわからず目を白黒させている降魔士たちに要一が木片のことを伝えると、彼らはぎょっと目を見開いた。


「ぜ、全然気づかなかった……」

「バカ、礼が先だろ。ありがとう、助かった」


 頭を下げてくる降魔士たちにいえと首を振った要一の耳に、おちゃらけた調子の声が届く。


「あーあ、このアスファルト、もう元に戻せないんじゃないの~? 弁償案件だぁ」


 悠然とした足取りで近寄ってきながら茶々を入れてくる満瑠を、要一はキッと睨む。


「うるさい、お前も少しは働け」

「え~ムリだよ~。だってオレ、そーゆー術使えないもーん」

「この……っ」

「オレは斬ることしかできないし、したくなーい」


 場にそぐわないことしか言わない満瑠に要一が怒鳴りかけたとき、いつの間にかそばまで来ていた楓が口を挟んだ。


「そんなおぬしに朗報じゃ。この妖気の残滓ざんしに誘われたらしい妖異どもがあちらに確認できたぞ」

「えー、でもどうせ雑魚でしょお?」


 オレ、あの妖異とやりたかったのにな~と唇を尖らせてねている満瑠を黙殺し、要一は楓に視線を向けた。


「古河、名倉とともに妖異を掃討しに向かってくれ」

「心得た」

「もー要ちゃんってば強引だなぁ~。けどまぁ、暇潰しにはなるかぁ」


 そんじゃね~と、緊張感の欠片もない調子で満瑠が楓とともに離れて行った。


「まったく……」


 疲れたように息を吐いた要一は気を取り直し、そっと口を開いた。


「聞こえるか、平良」

『ばっちり聞こえているよ、ヨーイチ』


 肩に乗っていた白い鼠から、少し離れた場所にいる同期からの返答がくる。


「支援、頼む」

『任せたまえ』


 キザったらしい言葉のあとに、ふいにどこかから旋律が鳴り響いた。激しいメロディーだ。まるで背中を押してくれるかのような、力強い響きを感じる。


 すると、身体の奥底からふつふつと力がみなぎってきた。要一はふっと短く息を吐き、拳を振り上げる。


磐聳ばんしょう――!」


 叫びながら、拳を思い切り真下に地面に叩きつけた。その衝撃が一直線上に走っていく。すると、ゴゴゴゴゴ……ッッ! と轟音を響き渡らせながら衝撃が走ったところから天に向けて、数十メートルほどの高さの土の壁が現出した。


 次々と乱立していく壁は、妖異が巻き起こした竜巻ひとつ分ほどの範囲にまで及んだ。目の前にそびえる壁のおかげで、それまで吹き荒れていた風を感じなくなり、呼吸がしやすくなる。


 なおも鳴り止まない旋律は風に乗って広く行き届き、他の降魔士にも力を与え、結界の範囲と強度を増していった。各所からどよめきが上がる。


 土行どぎょうの適性を持つ要一は、拳にはめたグローブ型の術具を用いて、広範囲かつ強力な土行術式を駆使する。中でも、鉄壁とも言える防御系の術を得意としていた。


 とはいえ、常の要一ならばさすがにここまでの術は使えない。では、どうしてこれほどまでに桁違いな術が発動できたのか。その要因はこの旋律にある。


 辺り一帯に鳴り響くこの旋律の発生源は、和希だ。


 彼は『鳴弦めいげん』という術具を用い、音に霊力を乗せて様々な効果を生み出すという特殊な術式を使う。


 鳴弦を扱う術者はそこまで珍しくはないが、一般的に鳴弦とは弓の弦を弾くことで妖異を祓う術法のことを指す。


 しかし、和希が扱うのは弦が数本あり、楽器のハーブに酷似した形状をしている。この鳴弦は妖異を祓うだけでなく、味方には術の威力が増すようにしたり、敵には力が弱まるようにするなど、奏でる旋律によって異なる効能を対象に与えることができるのだ。


それから、鳴弦は言霊ではなく、霊力が込められた音──音霊おとだまをもって術を発動する。


 非常に珍しい術式かつ操るのが至難の業なのだが、和希はそれを使いこなしていた。彼もまた、類いまれな才能を持っているのだった。


 一連の光景を見ていた指揮官が知らず吐息をこぼす。


「とんでもないな……」


 嘉神学園降魔科生の中で屈指の実力を持つ生徒会。彼らの活躍ぶりには驚愕を禁じ得ない。


 藍い火行の使い手である玲子を筆頭に、音霊を操る鳴弦奏者、式鬼操術使いがいるほか、忍術と降魔術を組み合わせるという珍しい術を使う者や、術者の中では異例の、術式はほとんど使わず霊刀一本のみで天災級の妖異を何体も切り伏せてきた者もいるという。


 個々人のレベルが非常に高い。近年稀に見るほどの粒ぞろい。これほどまでの実力者たちが同時期に現れるなど、何かの奇跡としか思えない。将来有望でなんと頼もしいことか。


 その時、分断された向こうと連絡を取っていたらしい式鬼操術に長けた降魔科生が戻ってきた。


「あちらと連絡は取れたのか?」

「ハイ。とりあえず、あっちはあっちでなんとかするそうで」

「なんとかって……」


 けろりとした返答に違和感を感じ、指揮官は愛生に尋ねた。


「心配じゃないのか?」

「え? あー」


 まぁまったく心配してないわけではない。けれど。


「あいつらなら大丈夫ッスよ」


 愛生がにっと笑った。


「なんせ、うちの生徒会長と期待の一年、なんでね」


 その表情も声も真剣そのもの。二人の無事を、信じて疑っていないという感じだ。どこからその自信が来るのかはわからない。


 しかし、学生に後れを取るわけにはいかない。プロの矜持きょうじを見せなければ。


 指揮官は無線に向かって、号令を発した。


「降魔士総員 なんとしてもこれ以上の被害を出させるな!」




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