もうひとつの盟約 ☆壱


「では、次はこのアンケートを各学年に届けるようお願いします。三船みふねさんは三年生へ」

「はい!」

たかむらくんは二年生」

「はい」

如月きさらぎさんは一年生」

「……はぁ」


 三者三様の返答の声が上がり、各々行動に移る。


 覇気はきのない動きで最後に生徒会室を出た如月ゆらは、両手に抱えた大量のプリント用紙に視線を落とし、億劫おっくうそうなため息を深々と吐いた。


「きびきび動け」


 足取り重く廊下を歩く響の頭上から、ふいに声が聞こえた。


「重いんだってのー」

「だらしのない。あの小僧どもに後れを取るぞ」

「いや別に勝負とかしてないから……」

「この程度のことでそのような為体ていたらくとは情けない。だいたいなんじは――」


 滔々とうとうと語られるダメ出しに、響の表情がどんどん死んでいく。


「おい、聞いておるのか」

「……あーもう、うるっさい」


 我慢の限界に達した響はぶんぶんと頭を振った。


「ぬおっ!?」


 響の頭上から何かが落ちる。


 危なげなく着地したそれは、明るい灰白色の毛並みをした生物だった。


「ぶ、無礼者! 何をするか!」

「いや、だいたい人が重い物抱えて歩いてるってのに、なに当たり前のように人の上乗っかって楽してるわけ? 氷輪ひのわもちょっとは手伝えし」


 響は抗議の声を上げる足元の生物を睥睨へいげいする。狛犬こまいぬのような外見で、瞳は金色。額と身体の両脇に赤い筋のような文様が入っている。


 響が氷輪と呼んだその異形は、ふんと鼻を鳴らした。


戯言ざれごとを。この我がそのような雑事ざつじにかかずらうなどあり得ぬ」

「これが式神しきがみの言うことなんかなー……」

「式神である前に、我は偉大なる白澤はくたくであるのだぞ。その我がなぜそのようなことをせねばならぬのだ」


 むんと胸を張るその愛らしい仕草からは想像もできないだろうが、氷輪はその正体を白澤という。人語を解し、この世の森羅万象に通ずる知識を持つ神獣だ。


 そんな神獣に対し、ほんと使えねー……などと思いながら、響はプリントの山を落とさないように慎重に抱え直した。


「はーあ。にしたって、人遣い荒すぎでしょ。なんでこんな面倒なことしなきゃなんないんだ……」

「文句を垂れるな。これは罰なのだぞ」

「自分も一枚噛んでるくせに他人事ひとごとなのほんと腹立つな」


 響は本日何度目かわからないため息を吐き出す。そんなあるじを、氷輪が嫌そうな目で見た。


「響よ、そう幾度もため息なぞ吐くでないわ。この気候の上、さらに気が滅入めいるではないか」

「知らないっての」


 投げやりに答え、響は窓の外へ目を向けた。


 窓には無数の水滴がつき、ガラスをうように伝っている。さらにその向こう側の空には暗い雨雲が垂れ込め、ざぁざぁと音を立てて雨を降らせていた。


 六月も半ば。数日前から梅雨がシーズン入りを果たし、ここ最近は天気がすこぶる悪い。灰色の雲が常に空を覆っており、時折ときおり思い出したかのように少し晴れ間が覗いたかと思いきや、それも束の間、空いた隙間を埋めるように雲が覆ってまた雨を降らせる。そんな空模様の変化は、さながら赤子の機嫌のようだ。


 多少は下がっているとはいえ、ほぼ夏ともいえる気温の上に、連日の雨で湿度が上がっているため、じめじめと蒸し暑い。言いようのない不快感がのしかかり、気が塞ぎがちとなる。


 毎年のことではあるのだが、これがこの先もしばらく続くというのだから勘弁してほしいところだ。


 こんな天候が、普段から何事にもやる気のない響をさらにダメにしていた。


「その用紙は、学園祭に必要なのであろう」


 響と並んでてとてと歩きながら、氷輪が抱えられたプリントに目をやった。響が気のない返事をする。


「みたいだねー」

「たしか、学園祭の最中に行う学校説明会とやらで使用するのだったな」

「へぇ、そうなんだ」

「なぜ、汝が知らぬのだ……」

「だって関係ないし」

「生徒会の出し物ではなかったのか?」

「そうだよ。だから関係ないんじゃんか」


 氷輪は呆れたようにため息を吐いた。


「汝のその無関心とものぐさは相も変らぬな」

「だってほんとのことじゃん。こっちは生徒会役員でもないのに、なんか雑用を押しつけられてるだけだもん」


 あまりの言い草に氷輪はさらに呆れ、やれやれと首を振った。


「罰則だと、あの小娘は言っておったろう。先日の雷獣らいじゅう調伏ちょうぶくの件に対する、な」

「てか、そもそも妖異を倒したのに、なんでこんな目に合ってるのかがわからない。それも、別にやりたくてやったわけじゃないのに」

「人間の事情など、我の知ったことではないわ」


 すっぱりと切り捨て、氷輪は片目をすがめつつ響を見上げた。


「それに、まったくの無関係というわけでもあるまい。汝はこの嘉神かがみ学園の降魔科生ごうまかせいであるのだからな」


 意味ありげな視線に、響は眉をひそめる。


 妖異が日本全国各地で出没する現代。人々の生活をおびやかす存在である異形の化け物と戦うのが、特殊な術を扱う降魔士ごうましの役目だった。


 響は、そんな降魔士育成機関としての顔を持つ私立嘉神学園高等学園降魔科の一年生である。


 嘉神学園に所属する降魔科生は、立派な降魔士となるべく日々熱心に勉学に取り組み、自己鍛錬に励んでいる。


 みなが切磋琢磨せっさたくまし、己を高め合っているというのに、ここにそんな枠からはみ出た者がひとり。


「いや関係ないって。文化祭は一般教室でなんかやる感じで、特別教室は特になんもしないんだから」


 言って、響は肩を落とした。


「はーあ、いいように使われまくるし、ほんといいことない……」

「降魔科生にとって生徒会の手伝いとは、名誉なことではないのか」

「他の人たちはそうかもしんないねー、知らんけど」


 降魔科生だというのに、どこまでも他人事な響だ。


 降魔科は午前と午後で授業を受ける教室が違う。というのも、午前と午後で授業内容が大きく変わるからだ。


 午前中の一限から四限にかけては、国語や数学といったごく一般の教科の履修りしゅうで、午後の五、六限は降魔科専門の内容を取り扱う授業が行われるのだ。


 しかも、午前の一般授業は学年ごと、午後の特別授業は学年混合のクラス分けとなる。


 特別授業は生徒の実力ごとにクラスが振り分けられ、上からA、B、C、Dの四つのランクがある。


 その中で一番高いレベルの実力を持つ生徒たちが集まるAクラスに、響は所属しているのだった。


 そして、そのAクラスの中でもさらに実力が上の生徒だけで結成されているのが〝生徒会〟である。


 響は生徒会のメンバーではない。けれど、雑用係として先日から生徒会の仕事の手伝いを命じられ、何かとこき使われていた。


 これには深い事情があり、響としては不可抗力で巻き込まれただけだと思っているので、この現状は不服極まりない処遇であった。


 しかし文句を言えるような立場ではないし、言ったところで聞いてはもらえないだろう。何よりめんどくさい。


 極度のめんどくさがりである響は、雑用はめんどくさいが、現状を打破するために異議を申し立てるのはさらにめんどくさいと思っている。


 なので、仕事を押しつけられるたびにげんなりしながらも、仕方なしにこなしている。


 とはいえ、仕事内容も今回のように生徒会発行のプリントを各教室へ運搬うんぱんするといったような、さして難しい内容ではないものばかりなので実際大変というほど大変ではない。それに、雑用を命じられているのは響ひとりだけではなく、他に二人いる。


 ともあれ、こうして響はすべての授業を終えた放課後は、生徒会から命じられた雑務をこなすべく、校内を駆けずり回る日々を送っているのだった。






「あ、やっと来た。響ってば、おっそーい」

「一年の教室が一番近いってのに、なんでそんな時間かかってんだよ」


 すべて配り終えた響が生徒会室に戻ると、他学年を回っていた男女二人の生徒がすでに帰ってきていた。


「まさかサボってたわけじゃねぇだろうな」


 そう言って胡乱うろんげに睨んできたのは片方の男子生徒、篁竜之介りゅうのすけだ。


 髪は少し長めで、ほんのり青みがかっている暗い色だ。若干顔にかかった前髪の隙間から覗く目は鋭い。平均より少し高いぐらいの身長のわりに、身体は制服の上からでもわかるほど細身で引き締まっている。


「別に……ほら、走ると危ないじゃん、雨降ってるし」

「ここから一年の教室行くまでに外なんか通らないでしょ……」


 響が面倒そうにうそぶくと、もう片方の女子生徒、三船梨々花りりかが呆れ顔でつっこんだ。


 通常はぱっちりとしたやや吊り気味の目で、しゃべり方もハキハキしているため勝気な印象だ。明るい髪は肩より少し長く、毛先をゆるく巻いている。右耳にかけた髪を、数本のヘアピンで留めていた。身長は響よりわずかに高いぐらいである。


「そこの式神さんも、ちゃんと見ててあげてよね」

「娘、口の利き方に気をつけよ。我を誰と心得る」

「響の式神ってことしか知らないわよ。正体教えてくれないんだもん」

「ふん、その程度も察せられぬようでは、降魔士になぞ到底なれぬわ」

「な、なぁんですってぇ~?」

「チッ、騒がしいぞ。ここをどこだと思ってんだ」


 竜之介の言葉に、まなじりを吊り上げていた梨々花が慌てて口をつぐむ。


 すると、高笑いが室内に響いた。


「いや~、ここもにぎやかになったもんだな」


 生徒会室中央に置かれた高級そうな長机、その端に座っていた吾妻あがつま愛生あきが頬杖をつき、かけていたワインレッドフレームの眼鏡越しに楽しそうな表情で響たちを見ていた。


 小麦色の健康的な肌色に、後ろでアップにした髪はかなり明るい色をした女子生徒だ。


 それだけでもかなり目を引く見た目だが、それをさらに強めているのが、身にまとっている特徴的な制服である。


 彼女は袖口が少し広くなっているクリーム色のブレザーを着ており、豊満な胸元には大きめの赤いネクタイを締めていた。机の影に隠れた足元には、ルーズソックスを履いている。


「す、すみません」


 梨々花が肩を縮こませると、愛生が闊達かったつに笑いながらひらひらと手を振った。


「いんや、怒ってるわけじゃあないさ。そのまんまの意味だよ。なぁ、会長?」


 愛生の目が長机の上座、出入口の対面側に座り、書類に目を通していた女子生徒に向けられた。


 呼びかけにそっと頭を上げた際に揺れ動いた髪は長く、癖ひとつないつやめく黒色。正面に向けられた顔は凛々りりしく、見る者が思わず息を呑むほど端正たんせいな面立ちをしている。


 幸徳井こうとくい玲子れいこ


 彼女は嘉神学園降魔科トップの実力を誇り、生徒会長を務めている人物であった。


 生徒会は、降魔科生の中でも抜きんでた才能と実力を持つ者のみが集まるエリート集団だ。


 その証のひとつとして、特注の制服の着用が認められている。一般の降魔科生は、黒色のブレザーに、濃紺を基調としたスカートおよびズボンの着用が原則義務付けられていた。


 とはいえ、ブレザー着用は冬場の話であり、夏服の現在は少し厚手で特殊な形状の半袖ワイシャツ姿だ。


 もっとも、響だけはそのワイシャツの上にクリーム色のベストを着ており、黒のスラックスを履いてはいるが。一応規定はあるものの、普通科と降魔科が一目で確認できるようであれば、ある程度そこから外れていても黙認されていたりする。


 生徒会は、季節関係なく一貫してその特注制服姿のままである。今の時期一見暑そうだが、なんでも、デザインだけでなく寒暖を感じさせない特殊な作りになっているのだそう。


 嘉神学園は普通科と降魔科で制服のデザインが違う。ただデザインが違うというだけでなく、降魔科の制服は防具代わりになるためかなり頑丈な生地が使われており、ちょっとやそっとのことでは破れないようになっている。対妖異戦に向けてのものだ。


 それが元々の降魔科専用制服だが、生徒会はその上に季節気候に左右されないものも付与されているのだという。


 それだけ、生徒会の実力が確かなものだということを物語っている。だから、降魔科生の大半は、そんな生徒会入りを目指しているのだ。


 とはいえ、生徒会の特注制服と一般の降魔科制服の共通点として、どちらにも右腕の肩付近に金属製の厚い校章が取り付けられている。


 これは、降魔科生にはなくてはならないものだった。


 玲子はふっと短く息を吐くと、三人の一年生の顔を見て口を開く。


「みなさん、お疲れ様でした。本日の業務は以上です。明日もよろしくお願いします」

「はい!」


 元気よく返事をする梨々花。その横で竜之介も真剣な面持ちで頷いていた。そこには響のように、はぁ、いつまでこんなことが続くんだ……とうんざりする様子は見受けられない。


 罰則だというのに、よくそんなやる気満々でできるなと響は思った。もちろん、羨望せんぼうではなく呆れの気持ちである。


 そう、梨々花と竜之介の二人も、響と同様罰則として生徒会の手伝いをしていた。


 事の発端はといえば、先日、響たちは学園にほど近いところにある街に出現した妖異と偶然出くわし、戦闘へと相成あいなった。そして、雷雲とともに現れ雷を操る天災レベルの強敵である雷獣を、三人で協力して辛くも撃破したのだ。


 しかし、これは規則違反であった。天候や自然を操り広範囲かつ強力な攻撃を仕掛けてくる妖異との戦闘は、一介の降魔科生には禁止されている。勝算が極めて低く、自殺行為に等しいからだ。


 だから、いくらその雷獣を調伏したとはいっても、規則違反は規則違反。ほんの少しの賛辞とともに罰則を与えられ、響たち三人はしばらくの間生徒会の雑務をするよう言い渡されたのだった。


 来月に学園祭を控えているため、生徒会はこの時期忙しい。


 学園祭に向けて色々と動き出し始めているせいか、校内もどこか浮ついた雰囲気が流れている。学園祭は学生にとっての一大イベントだ。そうなるのも無理からぬ話である。


 梅雨が明ける頃には出し物などの大まかなことが決まり、本格的な準備が始動するだろう。


 学園祭を主体で動かすのは生徒会ではなく、この時期にだけ発足される学園祭実行委員会だ。


 なのでいつもより生徒会への負担は少ないが、それでも無関係ではない。生徒会は生徒会でやることがある。


 そのための準備も兼ねて、響たちは仕事を割り当てられているのだった。


 玲子からの言葉を受け、あーやっと終わった、さっさと帰ろ、ときびすを返しかけた響に梨々花が近寄る。


「響、一緒にかーえろっ」

「えー……」

「ちょっと、なんでそんな嫌そうな顔するわけ? 帰るとこ同じなんだから別にいいじゃない」

「そういう問題じゃ……」

「では、お先に失礼します」

「あ、竜、ひとりで先に行くことないでしょー? っと、私たちもこれで失礼します」


 さっさと出て行った竜之介を追い、響の腕を掴んで半ば引きずるようにして、梨々花も一礼してから生徒会室を後にした。


「ほんっと賑やかなもんだ」


 下級生たちを見送り、愛生がからからと楽しそうに笑う。


 そこで愛生は視線を滑らせると、仕事を再開させた玲子の表情を見てふっと笑った。


「よかったな」

「何がかしら」

「響のことさ。なかなか上手くやってるみたいじゃねーか」


 玲子は一瞬動きを止めた。が、すぐに再開させると、紙束に目を通しながら言う。


「そうね。三船さんたちとは、そうかもしれないわね」


 含みのある言い方だ。愛生が苦笑する。


「ま、そのうちなんとかなるって。あいつはスゲー力持ってんだから。もうちっと時間が経ちゃ、みんな認めるさ」

「……そうね」


 それもそうだが、玲子の思うところは別にあった。


「あなたたちとも、仲が良いみたいだものね」


 言ってから、玲子はしまったと思った。少し嫌な言い方だっただろうかと愛生の様子をちらと窺うが、彼女は特に気にした素振りを見せなかった。


「んー? そうかぁ? 別に悪くはねーけど、言うほどかぁ?」


 愛生は小首を傾げたが、玲子には十分仲がいいように見えた。


 だって、親しげに名前を呼び合うくらいだもの。


 思わず口からこぼれそうになったその言葉を、すんでのところで飲み込む。何を言いかけたのだ、自分は。これではまるで小さな子どもではないか。


 軽く自己嫌悪を抱く玲子に気づいた様子もなく、愛生がさらに続ける。


「ま、あいつあんま人に懐かなさそーじゃん? 拾ってきた子犬みたいに警戒心があるっつーか」


 響の場合、どうやって人に踏み込んだらいいのかわからない、というのもあるだろう。


 彼女の境遇や生い立ちを考えれば、さもありなんとは思うのだが。


「けど、だからなのか、逆になーんか構いたくなっちまうんだよな」


 それはわかる気がする玲子だ。危なっかしいというか、なんだか放っておけないと思わせるものが響にはある。


「こんな風に他の連中も思ってくれりゃあ楽だったんだが、ま、んなこと言ってたってしょーがねえ。そこは、これからの響に期待ってことで」


 愛生の快活な言い様にふっと微笑んだ玲子だったが、すぐにその表情に影が落ちる。


 玲子が懸念しているのは、響のことだけではなかった。というより、響のことは以前ほど心配はしなくなった。


 目先の問題は七月半ば、夏休み直前に行われる学園祭のこと。しかし、これについても今のところ順調にことが進んでいるので、現時点でのさしたる懸念もない。


 ――問題は、それ以外のもうひとつ。


 正直、玲子の思考はそちらのほうでいっぱいになりつつある。


「コガっちが今、調査してんだろ?」


 愛生の的を射た言葉に、玲子はひとつ瞬きをした。


「……そんなに顔に出ていたかしら」

「あんた、自分で思ってる以上にわかりやすいからな?」


 玲子はふうっと息を吐くと、頭を振った。


「だめね。今は学園祭のことに集中しないといけないのに」

「んな気張らんでもいいのに。学園祭の主体は普通科生だし、実行委員のほうが動くわけだろ? アタシら降魔科生だって一般教室で出し物やるってだけだしな」

「それでも、生徒会は無関係ではないわ。生徒会でやるべきことがあるし、手助けしないと」

「かーっ、相変わらず真面目だねえ、うちの生徒会長様は」


 茶化すように言ってから、愛生は少しだけ表情を引き締めた。


「ま、とりあえず続報を待とうぜ。それでどうするかは、そのとき決めりゃあいい」

「ええ」


 話が途切れたところで、別件で留守にしていた他の役員たちが戻ってき出した。


 それぞれ状況報告を聞いて進捗しんちょく整理しながらも、玲子の脳裏の片隅にはいまだ燻っているものがある。


 数日前に同期がもたらした言葉は、普段冷静な玲子を動揺させるのに十分な内容だったのだ。


 ――先の百鬼夜行ひゃっきやこうの件、どうやら何者かの意思が働いておるようなんじゃ


 五月の半ばに嘉神学園に突如押し寄せた数多の妖異たち。嘉神学園百鬼夜行襲撃事件と呼ばれている一件だ。


 降魔科生が授業の一環として外部に実習で出払っている時に、それは起きた。


 唯一学園に残っていた玲子と、その当時は普通科生であった如月響が協力してどうにか最悪の事態を免れたのだ。


 玲子としては、この事件は響の活躍のおかげで解決に導かれたと思っている。そして、これがきっかけで、普通科生だった響が降魔科へ転科することになったのだ。


 それはともかく、この事件は一ヶ月経った現在でも多くの謎が残されたままとなっていた。


 基本的に夜を活動領域とする妖異がなぜ夕方とはいえ、まだ日が沈み切っていない時間帯に現れ、何百匹もの群れを成して嘉神学園を襲撃したのか。


 そして、よりにもよって降魔科生が学園を出払っている最中という狙いすましたかのようなタイミングだったのも引っかかる。


 降魔士側も引き続き調査にあたっており、これまで数回調査の経過報告をされているが、結局いまだに原因は不明のままだった。


 そこで、諜報ちょうほうに特化した仲間が独自で調査を行ったところ、ついにその手がかりとなるようなものをもたらしてくれたのだ。


 それが、とある紙片だった。


 これは嘉神学園に一番近い地区、香弥こうや市のはずれにある廃工場内で発見したものだという。


 この廃工場には以前牛鬼ぎゅうきが出没しており、響が術者であることが判明したのもこの時だ。


 牛鬼は水辺に多く出没する妖異なのだが、この時はどういうわけか水辺もない屋内にいた。


 そして、百鬼夜行事件でもまた、牛鬼が出現した。


 そこに結び付けた楓が廃工場に赴き、そして見つけたのがその紙片というわけだ。


 端がやぶれ、土埃で汚れた紙片には、うっすらと文字のような図形のようなものが描かれていた。まるで薄めすぎた墨で書かれたかのように滲み切っていて判然としなかったのだが。


 それ以上のことはわからないまま。


 しかし、ひとつわかったのは、これが人工物であるということ。


 もしかしたら牛鬼と何か関係しているのかもしれない。そう考えると、廃工場の件も、百鬼夜行事件も、誰かの手によって仕組まれたものなのではないか。


 空恐ろしいことだが、ここに何者かの思惑が介在しているのであれば、辻褄つじつま自体は合う。


 しかし、どうやって? あれほどの妖異を操るすべなど本当にあるのか。


 それに、相手の目的は? なぜ嘉神学園を狙ったのか。


 疑問は尽きない。それ以上のことは目下、調査中だ。発見した紙片は降魔士へ提出し、調べてもらうことになった。楓も引き続き探りを入れてくれている。


 今は続報を待つしかない。その間、自分たちは自分たちのできることをやらねば。


 玲子は気持ちを無理やり切り替えると、仕事に集中し始めるのだった。


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