3.もうひとつの盟約
もうひとつの盟約 序
それは鳥のような頭部に角を頂き、鹿のような身体で
また、風を自在に操るという力を持つため、風の神〝
この飛廉は、紀元前二十六世紀頃、今でいう中国を統治した
改心し黄帝について善行を働いたことにより、やがて飛廉は民衆から信仰されるようになっていったという――。
△ △
飛廉は木々が
否、〝道〟ではない。道とは、人がなんの障害もなく安全に通れるところを道というのであって、異形の
飛廉の
それほどの
木々が避けているのだ。実際に樹木が動いているわけではない。それでも、飛廉が通ろうとしているところを邪魔しないよう、木々が道を開けている。その表現が一番適切だろう。
不思議としかいいようがないこの現象は、ここが飛廉の住まう
ふいにざわざわと木立が揺れた。
『……む?』
飛廉は頭をもたげ、上空を見上げた。
おかしい。風伯であるこの自分が起こさぬ限り、ここに風が吹くことなどあり得ない。そのはずなのに、今風が吹いた。
なんだか妙な胸騒ぎがする。
一度、上空から様子を見てみるか。
そう思い、顔を戻した飛廉は、目の前が真っ暗であることに気がついた。
『な、なんだこれは……』
見渡せば、先ほどの風景はいずこかに消え失せ、辺り一面を漆黒の闇が支配していた。
どういうことだ。自分は今の今まで山の中にいたはずなのに。いつの間にこんなところに。どこだここは。
『この……!』
翼を広げ、風を巻き起こす。四方八方に飛ばしたが、それが闇を払うことはなかった。
どこまでも続く闇。一筋の光すらも差さない、深い闇。
飛廉は妖であり、長命の神獣だ。暗闇など怖くはない。
しかし、今まで体感したことのないこの事態には、
一刻も早くこの闇から抜け出して、何が起こっているのかを突き止めなければ。
こうなったら一度飛んで――。
『……!?』
なぜなら身体が動かなかったからだ。それだけでなく、声を発することもできなかった。
気づけば、身体の自由が何もかも利かなくなっていたのだ。
飛廉はこのいまだかつてない異常事態に、わけもわからずただただ
そのとき、ふっとそばに気配が生じた。
何者だ。
気配の
身体の自由が一切利かない飛廉に唯一できることは、神経を研ぎ澄ませることだけ。
気配の主が、
お前が、この状況を作り出したのか。一体何をした。目的は。
湯水のように溢れてくる疑問が喉の奥で絡まる。声が発せられないのがひどくもどかしい。
睨みつけることはおろか、歯ぎしりすらもできない。
「―――――……」
ふいに、呪文のようなものが聞こえた。すると、それまで微動だにできなかったのに、飛廉の口が勝手に開いていくではないか。
なんだ。何をする気だ。
戸惑う飛廉の開いた口の中に、何かが流し込まれる感覚がした。
なんだこれは、何をする、やめろ……!
ドロドロといたそれは、とてつもない味がした。言葉に言い表しがたい、ひどい味。
しかし動けぬ身では吐き出すこともできないまま、その流し込まれたものがゆっくりと喉を通っていく。
どくんと、鼓動が跳ねる。
直後、強烈な苦痛が飛廉を襲った。
あまりにも凄まじい衝撃に飛廉は堪らずくずおれ、その場でのたうち回る。
そう、くずおれ、のたうち回った。
飛廉は身体の自由を取り戻していたのだ。いつの間にか。
しかし、そんなことは今の飛廉には考えが及ばない。他のことを考える余裕など一切ないほどの痛苦が身体中を駆け回っているのだ。
『がぁあああああ…………っ!』
苦しい。痛い。熱い。
すべての痛苦が一斉に襲いかかってくるようだ。身体中を掻きむしりたくなるような衝動に駆られる。飛廉の足先が
喉が張り裂けそうなほどの
どれほどそうしていただろうか。
飛廉の中で荒れ狂っていた
しかし、それで終わりではなかった。
『―――――……っ』
次に飛廉を襲ったのは。
喉がひどく乾き、腹がひどく減っている。
ああ、どうにかなってしまいそうだ。
なんでもいい。なんでもいいから口の中に入れたい。喉を潤わせたい。腹を満たしたい。
…………え
そのとき、声がした。
……食ら、え……
おぞましい声が、
……人間を、食らえ……!
言葉が耳の奥で反響し、飛廉の意思を侵食していく。
食らう。人間を。
無意識にその言葉を自分も繰り返していた。思考がどんどん
――飛廉
闇に染まる寸前、飛廉の脳裏に過った言葉と顔。
――飛廉。……を……なさい
大切なお方との
絶対に、忘れてはいけないものなのに。
それなのに。
どんな約束だったのか、誰と結んだものだったのか――思い出せない。
言葉の大事な部分が欠け、浮かび上がった顔は
思い出さなければ。でなければ、自分は――。
けれども、なけなしの意志の上に猛烈な飢餓が覆いかぶさり、飛廉の思考を奪う。
……食らえ……人間を、食らえ……!
この飢餓を満たす、ただそれだけしか考えられなくなる。
一瞬差しかけた光は、しかし飛廉の意識とともに、深く
△ △
※正確には、琢鹿の琢の
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