星廻る輩 ☆参

 予鈴後のため、廊下に生徒の影はない。横切る教室の引き戸の向こうからは微かにざわめきを感じる。みな、きちんと教室の自分の机に着席しているようだ。


 窓から差す光を浴びる廊下を歩きながら、ゆらは少し前にある背中を眺めた。


 四十代と思しき中肉中背の男性教諭で、全体的に暗い雰囲気をまとっており、表情にも影がある。


 彼は響が一から四限の一般授業を受ける間にいる教室のクラス担任で、秋山あきやまとだけ名乗った。下の名前はわからない。そんな彼について、響は新たな教室へ向かっていた。


 昨日の引っ越し作業から一夜明けて、本日から六月。


 響の格好も、ブレザーからクリーム色のベスト、その下は降魔科用の少し変わったデザインの半袖ワイシャツと、夏服へ衣替えをしていた。半袖にはブレザーと同様、右肩辺りに金属製プレートの校章がついている。


 こちらも、用意してもらった降魔科専用の防具を兼ねた制服だ。


 そして今日から響は降魔科生となる。朝方職員室を訪れ、一般授業の担任へ挨拶をしに行き、その流れでこうして教室へと向かっている。


 いくらか言葉を交わしたが、秋山はAクラス担任の鵜飼と違ってあまり覇気はきがない。特別フレンドリーというわけでもなく、今もこうして無言で歩いている。響も別に話がしたいわけではないので、変に話しかけられるよりはかえってありがたいことではあるのだが。


「いよいよだな。人間はこのような場面の際、初めでしくじると後が大変と聞く。ぬかるでないぞ」


 肩にかけた鞄の上に載っている氷輪ひのわがそんなことを言ってきた。


 秋山は反応しない。霊力を抑え込んだ氷輪の存在を認識できていないのだ。


「…………」


 余計な知識まであるな、と苦々しい顔をしつつ、響はそっと憂鬱ゆううつな息を吐くのだった。


 そして、目的地につく。昨日も訪れた『1―2』の教室だ。


 担任はちらと響を見てから、やはり親切な言葉をかけることなく、入るよとだけ一言言ってガラリと戸を開ける。


 すたすたと入っていく教師に続き、響も教室へ足を踏み入れた。






「はーあ……」


 深々と疲れたような息を吐き、響はのそのそと緩慢かんまんな動作で、購買で買った昼食用の総菜パンを手に取った。


「なんだ、重苦しいため息なぞ吐きおって。飯がまずくなるだろう」

「いやだってめっちゃ疲れたし……」


 氷輪は響の傍らでクロワッサンにありついている。


 本妖ほんにんは優雅に食べているつもりなのだろうが、けっこうな勢いでばくばくと食べている。十メートルほど離れたところから見れば、もしかしたら気品を感じるかもしれない。知らないが。


「情けない。これ以後、Aクラスでも同様のことがあるのだぞ」

「あーもうほんとにダルすぎる……帰りたい」


 再び嘆息たんそくし、響は包装を開けたパンに口をつける。


 ふいに氷輪がピクリと耳を動かし、顔を上げた。その様子に気づいた響が追った視線の先に人影が入り込んだ。


「……会長さん?」


 目を瞬かせる響のほうに、生徒会長が歩み寄ってきた。


「やっぱり、ここにいたのね」


 教室にいなかったからもしかしてと思って、と言う玲子に、響は特に動じることなくパンを口に運びながら訊ねる。


「なんか用ですか?」

「用、というほどのことではないけれど……、少し様子を見に、ね」

「こやつがまた何かよからぬことをしておらぬか、と?」

「いえ、そういうわけでは」


 氷輪の発言に、玲子が苦笑して首を振る。


「新しい教室でどうしているか、と思いまして」


 でも、と玲子は響へ視線を移した。


「どうしてまたこんなところで昼食を取っているの?」


 ここは校舎裏。嘉神学園の辺境とも言え、人がめったに立ち寄らない場所だ。以前玲子が響に会いに来たときも、今同様にここで響はひとり――否、式神とともに昼食を食べていた。


 玲子の疑問に、響が渋面を作ってぼそぼそと言う。


「……それはまぁ、避難というか、なんというか」

「避難?」


 煮え切らない返答に玲子が首を傾げる。しかし、響はぶすっとした表情のまま、もそもそとパンを食べているだけで何も言わない。


 そこで氷輪が代わりに答えた。


 いわく。響は質問攻めに合い、何かと話しかけてこようとする新しいクラスメート達が煩わしくなり、隠形おんぎょうの術をかけてこのいつもの場所まで来た、とのこと。


「……えーと」


 それはまぁなんというか、なんとも言えないというか。玲子は困ったように眉尻を下げた。


 やはり転科生は珍しいのだ。それも普通科から降魔科へ移って来たのだから。


 降魔科から普通科への転科は実はよくある。様々な理由で志半ばで挫折ざせつし、降魔士志願を諦める者も少なくはない。人間の道理が通じない妖異を相手にするのだ、無理もないことだった。


 しかしその逆、つまり普通科から降魔科への転科は、過去にもほとんど事例がない。しかもそれがAクラスともなればなおさらだ。異例中の異例の事態に、その関心たるや尋常なものではないだろう。


 実際、響が教壇で挨拶し、ホームルームが終わった途端、クラス中の生徒に取り囲まれた。騒ぎを聞きつけた他クラスからも物見遊山ものみゆさんのごとく、人が集まったくらいだ。


 気分はさながら動物園の動物。クラスメートは珍獣を目の当たりにしたかのようだった。


 そして取り囲まれた響は、四方八方から言葉を浴びせかけられた。


 色んな質問が飛び交う中、ひと際多かったのは、どうして普通科にいたのかという旨の内容だった。


 その質問に対して、響の持つ答えはただひとつ。


 降魔士になりたいわけではなかったから、だ。


 響が降魔術を身につけたのは、ひとえに自分の身を守るため。


 輝血かがちという忌々いまいましい障りのせいで、常に妖異がこの身を狙ってくる。そんな有象無象の妖異から自分を守るためだけに、響は降魔術を行使していた。誰かを守るだとか、そんな意志はない。自分の身を犠牲にしてでも、妖異から市井しせいの人々を守る役職である降魔士とは真逆なのだ。


 しかし、だからといってそれをそのまま言うわけにはいかない。生徒会から輝血であることは内密にと言い渡されていたのもあるが、そうでなくとも響に自身が輝血であることを公言する気はさらさらなかった。


 周囲に輝血と知られると面倒なのだ、色々と。それは身をもってよく知っている。


 学園内で響が輝血であることを知っているのは、生徒会メンバーとAクラス担任の鵜飼だけだと、玲子から聞いている。


 そんなわけで全部を正直に話せない響は、それを抜きにした返答を考えるのが億劫おっくうだったので、まぁとかちょっととか答えになっていない返事で適当に流しているうちに一時限目を迎え、一旦中断となった。


 そのころにはもう我慢の限界に達していた響は、授業が終わると即座に隠形し、クラスメートたちの目を盗んで教室から逃亡。そして次の授業が始まる直前に教室に滑り込んで授業を受ける。


 それを四限まで繰り返し、今に至るというわけだ。


 こんな状態では、教室で昼食なんてとてもじゃないが食べていられない。だから響は昼休みに入ってから、高校入学当初からの憩いの場所であるここに避難してきたのであった。


 友達を作るだとか、そんなことは響の頭には最初からなかった。


 響は頭を抱える。目立つことがなによりも嫌いな響にとって、人目につくこの状況は地獄以外のなにものでもない。それがこのあとの特別授業クラスでもあるのかと思うと、本当にうんざりする。


 こうなるだろうことはなんとなくわかっていたが、やはり響に耐えられるようなものではなかった。


 いつになく沈鬱ちんうつな様子の響に、玲子は心配そうに顔をゆがめた。


「Aクラスには私がいるし、楓たちもいる。だから一般クラスよりはマシだと思うわ……きっと」


 きっとという言葉に、響がため息を吐く。玲子はやや慌てたように付け足した。


「できる限り、助力はするつもりだから」

「……お気遣いどーもでーす」


 響が棒読みで返す。


 と、好物を食べ終えた氷輪がふいに顔を上げた。


「随分と協力的なのだな」

「我々生徒会が転科を促したのですから、このくらいは当然です」

「ほう?」


 氷輪がすっと目を細める。


「たしかに転科を促したのは汝らだが、あくまで提案であったろう。そうするしか道がなかったのは響のほうだ。だと言うのに、汝がそこまでする必要があるのか?」


 玲子がぱちくりと瞬きをした。


 生徒たちをまとめる立場の生徒会としてサポートすること以外に何かあるだろうか、と考え込む玲子の様子に、これは特に意図があってのものではないことを氷輪は悟る。


 何か妙なくわだてがあるのではないかと勘繰っていた氷輪は己の杞憂きゆうに息を吐き、尻尾を振った。


「まぁよい。汝らの力添えがあれば、これの調子も多少はよくなるというものだ」


 そう言いつつ、くいっと顎で響を示す。横柄だが、式神として主を心配しているのだろうか。


 言葉にせずとも玲子の表情でそれを見て取った氷輪は、不機嫌そうに尻尾をぴしりとひと振りする。


「ふん、いつまでも不景気にされていては我の気も滅入る。そのような思いは御免だというだけのことよ」

「悪かったですね、不景気なツラで」


 それまで黙っていた響が、ジトッと氷輪を睨みつける。


 苦笑した玲子はふと気づく。いい時間だし、自分もそろそろ戻らなければ。


「私は行くわね。またあとで、……如月さん」


 響の中で、ん? と何かが引っかかった。


 今、名前を呼ぶ前に変な間がなかったか。というか、何かを言いかけて一度口を閉じ、言おうとしていたものとは違う言葉を発したような。


 きびすを返して去っていく玲子の背が、心なしか陰りを帯びているような気がする。


 響は小首を傾げながらもまぁいいやと深く考えず、食事を再開するのだった。






「授業を始める前に、このAクラスで一緒に学ぶことになった新しい仲間を紹介する。如月響さんだ」


 鵜飼がそう言って、響が軽く頭を下げる。


 案の定、午前中と同じようにクラス中の視線が響へと集中している。一般クラスは四十人近くいたのに、このAクラスは三十人いるかいないかだ。


 特別クラスはAが一クラス、Bが二クラス、CとDは三クラスずつと、クラスによって教室の数が違う。


 その一クラスしかないAクラスが通常の一クラス分の人数に達していない。これが実力の現状を如実に物語っている。それだけ、優秀な生徒を絞っているのだ。


 そんなAクラスの中でも、さらに飛びぬけて優秀な生徒が六人いる。その六人で構成されているのが嘉神学園降魔科『生徒会』である。


 自分好みにカスタマイズされた特注制服を身にまとい、学園運営の一端を担うのと全校生徒の統括を行うのがこの生徒会である。


 響はなんとはなしに目だけを動かして教室中を見回す。学年別に色の違うネクタイが散見される。本当に学年バラバラなのだ。


 生徒たちの顔を見たところで、響に思うところはない。一般教室で同じクラスになった生徒もいるかもしれないが、響は誰ひとりとして顔も名前も覚えていない。まずもって覚えようとしていなかった。


 しかし、その中でいくつか見知った顔がある。生徒会メンバーだ。


 目についたのは、ひらひらと手を振っている満瑠みつるだ。相変わらずの糸目に笑みをたたえた表情で、頬杖をついて面白そうに響を見ている。愛生あきもウインクしながら、こちらに向けてぐっと親指を突き立てていた。


 他メンバーは二人と違ってアクションこそ起こさないが、静かに響を見守っている。


 ふと視線を移した先に玲子がいた。背筋をしゃんと伸ばして姿勢よく座っている彼女は、目が合うと軽く顎を引いた。それに一度瞬きをすることで応じ、響は視線を戻す。


 教室の雰囲気は、一般教室と少しだけ違った。生徒会以外の生徒が、微かに気を張っているように見える。


 降魔科の最優秀クラスであるこのAクラスの人数が増えるということは、ライバルが増えるということも同然。


 そんなところに得体のしれない人間が、入学からではなく中途半端な時期に入り込んできたのだ。どことなく、警戒するような色が見て取れた。


「はい、如月からも一言」


 鵜飼に促される。面倒だなーと漏れそうになるため息を響はぐっと堪えた。


「如月響です。えー……よろしくお願いします」


 午前の一般クラスのときとほぼ変わらない端的な挨拶をする。


 室内の空気はあまり変わらない。大半が神妙な面持ちで響を見ている。


「如月は元々降魔科生になる素質はあったんだが、親御さんと折り合いがつかず、降魔科ではなく普通科にいた。そのあとなんとか説得して了承を得られたので、途中から降魔科に転科することになったんだ」


 これは事前に示し合わせていた嘘だ。こういうことにしておいたほうが一番穏便に済むとのこと。一般教室では、秋山がその辺の説明をわざとか単に忘れてただけなのかしなかったため、質問攻めに合うはめになったのだが。


「それじゃ、あそこの空いている席について――もらう前に」


 言葉を区切り、鵜飼がぐるりと教室を見回すと、にこりと笑ってこう言い放った。


「せっかく新しい仲間も増えたんだ。授業変更して、これから実技をやろうか」


 クラス中がどよめく。いつもなら今日この時間の授業は座学だ。術や妖異への対処法などについて学ぶ時間のはずである。


 ざわつく生徒たちにお構いなく、鵜飼がぱんぱんと手を叩く。


「全員、体育館へ移動してくれ」






 Aクラス一同が移動したのは降魔科専用の修練場。降魔科生が術を扱う実技授業で使われる場所だった。


 体育館ほどの広さで、フロアに床はなく剥き出しの地面となっている。高い天井と地面の中間辺りに、二階部分のギャラリーが場内をぐるりと巡っていた。


「さて、それじゃあ、さっそくやるか」


 固まって集まった生徒たちから五メートルほど離れた場所に、的が置かれている。響の腰あたりぐらいの大きさで、おそらく妖異を模しているのであろう形をしているところ以外は、特に変わったところのないただの木製の的だ。


「あれに術を当ててもらおうと思うんだが」


 そう言って、鵜飼は玲子に目を向けた。


「まずは幸徳井、見本を見せてやってくれ」

「はい」


 指名されてすっと前に進み出た玲子は、背筋のぴんと伸びた美しい姿勢で立ち、標的に向けて右腕を伸ばす。


藍火らんか


 言霊が紡がれると、玲子の右肩の校章が淡く光り、掲げた手のひらから火の玉が出現した。


 その火の玉は、赤々と燃え盛る炎ではない。静かにおこる神秘的な青色をしている。


 それもただの青ではなく、暗めでやや緑がかっているようにも見えるため、藍といったほうが正しい。


 ゆえに、あおい火だ。


 どこからかほぅとため息がこぼれる音が聞こえた。あの藍に魅入みいられた者の感嘆だ。


「――爆散」


 そして玲子が右手をすっと薙ぎ払うと、藍色の火球は千々に拡散し、いくつもの弾丸となって一斉に的へと襲いかかった。


 弾丸に貫かれ、的は火の手を上げながら燃える。やがて火は消え、跡には灰すらも残っていない。すべてを燃やし尽くしたのだ。


「相変わらず会長の術はすごいな……」

「あんなに綺麗な藍の火なのに、威力も抜群だもんね……」

「『藍焔あいえん名華めいか』の名にふさわしいな」


 クラス中から絶賛の声が上がり、畏敬いけいのこもった視線が生徒会長に向けられた。


 通常、降魔術による火は赤色だ。けれども、玲子が生み出した火はその通常から外れた藍色をしている。それがまた、玲子の存在を引き立たせていた。


 世にも珍しい色彩の火を自在に操り、実力も折紙つきの玲子は『藍焔の名華』という異名を持つほど、すで降魔士界にその名を馳せているのだ。


「見事だ、幸徳井」


 鵜飼の褒め言葉にも特に顔色を変えることなく黙礼し、玲子は静かに下がった。


「じゃあ次は――」


 生徒たちを見回していた鵜飼の目が響に止まった。


「如月、きみがやってみなさい」

「え」


 響は眉をしかめた。鵜飼の視線が外れないのを見て取り、しぶしぶ前に出る。


「今、幸徳井がやってみせたように、あの的を術で壊すんだ」

「はぁ……」


 クラス中の視線が自分に集中しているのがわかる。どれほどの実力なのかと見定めようとする目だ。それがなんとも居心地が悪い。


 さっさと終わらせようと、響は右手の人差し指と中指を立てて刀印を作り、口元へあてた。そしてすっと息を吸い込んで詠唱えいしょうする。


「オン・キリキリ・バザラ・ウン・ハッタ!」


 言下に、刀印の切っ先を的へと向ける。


 すると霊力の波動がほとばしり、的に命中。木端微塵こっぱみじんに消し飛ばした。


 鵜飼がほうと目を細める中、生徒たちからどよめきが上がる。


「え、今の術なに……!?」

「なんか呪文みたいなので術を発動したぞ?」


 それまで値踏みするかのように見ていた生徒たちが一様に驚嘆した表情で息を呑んでいる中、平然としているのは生徒会のメンバーだけだ。


「っへー、あれが古式か。やるじゃん」


 玲子の傍らで愛生が感心したような声を上げる。


「僕も初めて見たよ」

「話には聞いていたけど、おもしろい術だね~」


 和希と満留も興味深そうに各々反応する。生徒会の中でも、響の術をまともに見たことがあるのは玲子、楓、要一の三人だけだ。


 響が使う術は、現代では特殊だ。今やほとんど使われなくなった術式なのである。


 動揺が広がるクラスで、ふいにひとりの生徒が声を上げた。


「先生! い、今のはなんですか!?」

「あれは古式降魔術。カデイ式ができる前に一般的に使われていた術式だ」


 古式降魔術は、その昔は陰陽術おんみょうじゅつと呼ばれていたものだ。


 降魔士の前身は陰陽師。陰陽道に則って暦の作成や吉凶の占いなどをしていた官職のひとつであった。


 そんな陰陽師が、ときには呪術を用いて妖異を退治する役割をも担うこともあった。そのときに使われていた呪術が陰陽術なのである。


 明治初期の改革によって陰陽師が廃されたあと、妖異退治専門の業種として設立されたのが降魔士なのだった。


 陰陽術、正確には陰陽術調伏法は神仏へ請願せいがんすることによって借り受けた聖なる力を使って、悪しきものを退ける呪術。一部とはいえ神仏の力であるため、その威力は絶大。妖異を調伏するにあたって必要不可欠な呪術、それが今は古式降魔術と呼ばれている術式であった。


 しかし、現在使われているものは、『カデイ式降魔術』という術式だ。


 カデイ式は陰陽師が廃される直前に提唱されたもので、予め術式が組まれた術具に霊力を注げば術が発動できるものだった。


 降魔科生の制服に取り付けられているプレート状の校章。あれは『適霊機てきれいき』と呼ばれるもので、霊力を術者に最適化するよう調整し、記憶された術式を速やかに術へと置換し発動してくれる補助具である。カデイ式を操る術者には必須のアイテムで、これがないと術が発動できない。


 神仏に力を請うために正しい所作と長い口上を必要とすることが多い古式に比べ、カデイ式は術具に霊力を注ぎ、一言始動語を唱えればいいだけ。術を発動させるのに必要な霊力の消費量も、古式より格段に少ない。


 古式の術発動のために神仏の力を借りるにあたって行う口上や所作は、一種の儀式だ。その儀式の手順を間違えると、術が正常に発動されず、最悪の場合自身に返ってくる危険性があった。


 その点、カデイ式はそんな儀式を必要としないため、よほど間違った使い方でもしない限りはリスクがほとんどない。


 全体的な術の威力こそ古式のほうがやや上回ってはいるものの、降魔士が昔より増え、基本複数人で妖異調伏にあたる今となってはその辺りの支障がたいしてない。


 実用性、利便性、安全性などが格段に上がったカデイ式が普及してからはほとんどの降魔士がこれを使っており、降魔士養成機関でも現在教えられているのはカデイ式降魔術である。


 そういった経緯で、名前に『古式』とあるように元陰陽術は古い術式にあたり、現在はほとんど使われていないのだった。


 教師の説明を受け、また別の生徒が声を上げた。


「そ、そんな術式使っていいんですか」

「使われなくなったというだけで、別に禁止されているわけじゃないからな。そこは問題ないさ」


 その言葉を聞いて、クラスの響へ向ける眼差しに驚異が滲む。――良くも悪くも。


「……あの、もういいですか」


 周囲の視線にいい加減居心地が悪くなってきたため、響が鵜飼に目を向ける。


「ああ。如月、ありがとう」


 教師が頷いた瞬間、響はそそくさと戻り、生徒たちの後方へ行った。しかし、移動した先でも周りから目線を向けられるため、あまり状況は変わらなかった。


 注目されることをいとう響は、たとえその視線が敬意に満ちたものであってもいい気分になるということがない。渋い顔でそっと嘆息した。


 鵜飼がクラスを見回しながら言う。


「如月が今やって見せたように、昔の術者たちはみな古式を使っていた。いい勉強になっただろう」


 響の術を目の当たりにし、鵜飼の説明を聞いて、これはとんでもないライバルが増えたぞと、生徒たちの間に緊張感が走ったのがわかった。


 よしよし、と鵜飼は内心ほくそ笑む。これで生徒たちの気がほどよく引き締まっただろう。


 降魔科でトップレベルの成績を持つ生徒が集まるAクラスにとって、響の存在はいい火付け役になる。自分たちが今まで見たことがない術式を目の当たりにして、より一層自己研鑽けんさんに励むことだろう。


 お互いに高め合える仲間ができることはいいことだ。生徒たちにとっても、降魔士界にとっても。


 鵜飼は満足げに授業を再開させるのだった。






 そうして、響が降魔科に転科してから一週間が経った。


 いにしえの術式を使う響は一目置かれる存在となった――などということはなく。


 それどころか、爪弾つまはじきにされていた。

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