星廻る輩 ☆弐

「お、来た来た」


 ゆらが生徒会室を訪れると、真っ先に声をかけられた。


 目を向けた先には、かなり明るい色をした髪を後ろでアップにした、ワインレッドフレームの眼鏡をかけた女子生徒がいた。


 制服も特殊で、袖口が少し広くなっているクリーム色のブレザーを着ており、豊満な胸元には大きめの赤いネクタイを締め、ルーズソックスを履いている。


 そんな全体的に派手めな格好の女子生徒、吾妻あがつま愛生あきがよっと片手を上げた。


「そんなとこに突っ立てないで、入って来いよ」


 手招きされ、出入り口にいた響は中に入った。


 その両腕には、普通科教室のロッカーや机の中に置いていた教科書類が抱えられており、足元には氷輪がいた。


「や、響ちゃん。おっはよー」

「おはようと言うには遅い時間帯な気もするがな」

「もー、要ちゃんってばカタいな~」


 そんな会話を交わしたのは二人の男子生徒だ。


 ひとりは、糸目の男子生徒、名倉なくら満瑠みつる。開いているのか閉じているのかわからないほどの細い目が特徴的で、その表情は常に笑みを浮かべているかのようだ。


 上着は、裾に白い波のような模様が入ったコート風。座席の横に、机に立てかけてある刀の柄がちらりと見えている。彼の愛刀だ。


 そして、もうひとりが不破ふわ要一よういち。髪は短く借り上げられており、チャイナ服のような詰襟つめえりのブレザーをかっちり着ている。両手に少しごつい指ぬきグローブをはめた、生真面目そうな風貌ふうぼうのこの男子生徒は、生徒会の副会長を務める。 



 引き戸を閉めた響は、きょろきょろと周りを見回した。


「会長さんは?」

「玲子は、今ちょうど出払っておっての」


 そう答えた楓が、すっと響に近寄っていく。


「案内はわしがすることになっておるんじゃ。それでもよかろう?」

「まぁ、それは」


 響としては別になんでもいいのでこくりと頷く。


「あ、コガっち、ちょっと待ってくれ。そしたら、アタシも行くわ」


 そう言って愛生が立ち上がり、響たちのほうに寄ってきた。


「それは構わんが、わしひとりでも事足りることじゃぞ?」

「自販機に用があるんだよ。途中まで一緒に行ったっていいだろ?」


 愛生が響を見て、にっと笑った。


「それに、後輩と親睦を深めときたいし」


 なっと気安く肩を叩かれるが、響はいや別に……と身じろぎしてその手を振りほどく。


 そんな下級生の態度にも特に気分を害することなく、なんだつれないなと愛生は闊達かったつに笑い飛ばした。


「そんじゃ、アタシちょっくら行ってくっから。ピース、あとは頼んだぞー」


 愛生がはすにそう投げかけた相手のは、ブロンズヘアの男子生徒だった。


 彼は平良たいら・F・和希かずき。名前と髪色からわかる通り、ハーフだ。


 着用している制服は上も下も白。ブレザーにはところどころ金の装飾があしらわれており、右肩にだけ小さな赤いマントがついている。まるで貴公子きこうしのごとくきらびやかな格好であった。


 和希は呆れたような表情で愛生を見た。


「ラブ、さてはサボる気だね?」

「人聞きの悪いこと言うなよ。気分転換ぐらいいいだろー? あんたにもなんか買ってきてやるからさ」


 そう言ってひらひらと手を振りながら、愛生はさっさと部屋から出ていく。


 さて、ラブとピースと呼び合っているこの二人。和希は、苗字の〝平〟と名前の〝和〟を合わせて〝平和〟となることからピース、愛生はその名前に入っている〝愛〟からラブ、二人合わせて『ラブ&ピース』と呼ばれ、ゴールデンコンビとして降魔科で名を馳せ、親しまれていた。


 玲子、楓、要一、満瑠、愛生、和希。


 この六人の二年生が現嘉神学園トップクラスの実力を持ち、生徒会を担っている降魔科生である。


 まったく、と軽くため息をこぼし、楓は響を見た。


「わしらも行くとするかの」


 促され、一緒に生徒会室を出ようとすると、声が飛んできた。


「いってらっしゃーい」


 いつものように微笑を浮かべつつ、満瑠が手をひらひら振っている。それに軽く顎を引く程度の会釈えしゃくをして、響たちは廊下を歩き始めた。


「制服、さっそく着替えたようじゃな」


 楓の視線は、響のブレザーに向けられていた。


「見たところサイズはぴったりのようじゃが、どうじゃ、着心地のほうは」

「まぁ悪くないですね。特に問題もないですし。ただ……」


 楓は首を傾げた。


「うん? 何か問題があったのか?」

「これ……」


 響が右肩の校章を示すと、楓はああと合点のいった顔をした。


「安心せい、それはただの飾りじゃ。わしらのものとは違い、なんの機能も持っておらんよ」


 それを聞いて、響は安堵あんどの息を吐いた。


「そうですか。ならいいです」

「他にも不備があるようならば、早めに言うんじゃぞ」


 はいと頷くと、それまで黙っていた愛生が口を開いた。


「ってか、お前さん、下はそれでいいのか?」


 愛生の視線は響のスラックスに向いている。


「あーまぁ、こっちのほうが動きやすいんで」


 制服を新調する際にスカートも用意できると言われたが、響はそれを固辞こじした。スカートはどうにも苦手なのだ。


 嘉神学園の制服は原則が定められてはいるが、普通科と降魔科さえ一目でわかるようになっていれば、ある程度の着崩しは黙認される。だから、響がスラックスを履いていても問題はないのだ。


 そんな話をしながら進んでいると、ふいに脇に階段が現れ、その下に設置された自販機が目に入った。


 愛生は気づいていないのか、呑気のんきに鼻歌を口ずさんだまま通り過ぎようとする。その背に、響は話しかけた。


「あの、えー……吾妻先輩? 自販機、そこにありますけど」

「んー?」


 呼び止められて響の指さす方向を見た愛生だが、足を止めることなく手をひらひらと振った。


「ああ、帰りに寄ってくから今はいいわ~」


 そんな愛生へ楓がジト目を向けた。


「おぬし、サボりたかっただけではないか?」

「バレたか」


 悪びれる様子もなく軽快に笑う愛生に、楓はやれやれと首を振った。


「ピースに怒られるぞ」

「だーいじょうぶだって。あとでちゃんと買うからさ」


 そういう問題ではないのだが……ともの言いたげな楓をまぁいいじゃねーかとなだめていた愛生は、ふいに響に顔を向けた。


「あ、それとさ、アタシのことはラブでいいぞ。そっちのほうが呼ばれ慣れてるし、愛着があるんだ」

「はぁ」

「ほれ、試しに呼んでみそ」

「え」


 適当に答えて流そうとしたのだが、期待のこもった目でじーっと見られている。一向に逸らす気配がなく、このままではいつまでもこうしていそうだ。


 響はため息を吐くと、仕方なくその要望に答えた。


「……じゃあ、ラブ、先輩」


 ぎこちないものだったが、愛生はよしよしと満足そうに頷いた。


「そんじゃ、アタシも響って呼ぶからな」

「ふむ、ならばわしもそれに便乗させてもらおうかの。わしのことも楓で構わんぞ、響」


 響ははぁといつもの気のない返事をしたが、内心ではむず痒さのようなものを感じていた。下の名前を呼ばれるなど、ここ最近では両親を除けば氷輪とあともうひとりぐらいしかいなかったからだ。


「着いたぞ。おぬしの一般授業教室はここじゃ」


 しばらくして三人がたどり着いたのはとある教室の前。引き戸の上に取り付けられたプレートには『1―2』とあった。


 嘉神学園の授業は一日に六時限まである。そのうち、一から四時限は国語や数学などのごく一般的な授業が行われる。


 そして、五、六時限。ここでは降魔科専門の特別授業を取り扱う。その内容は、降魔に関する専門的な知識の学習および実技演習。それらを履修して、降魔科生たちは降魔士になるべく研鑽けんさんを積むのである。


 ここがまた、嘉神学園は持つ独特の風変わりな教育方針であるところだ。


 降魔科のクラスはAからDまであり、学年関係なく生徒の実力でクラスが振り分けられている。Aから順に実力が下になっていき、Dが最低ランクのクラスだ。


 そして、一番レベルが高いAクラスの中でもさらに抜きんでた才能を持つ生徒が、生徒会役員に選ばれる。


 ここからわかるように、降魔科は完全に実力主義なのである。


 しかし、一般授業はさすがにそうはいかないので、これは学年ごとの履修りしゅうとなる。


 つまり、四時限までは学年ごとのクラスで授業を受け、五と六時限は教室を移動し、自分の実力に応じた学年混合の降魔科クラスで授業を受けるということだ。


 響が案内されたところは、その四時限までを受けるための一般教室。普段はこの教室を使うことのほうが多く長いため、教科書や体操着等の荷物はここのロッカーに置いておくこととなっている。


 教室の対面側の廊下の壁に、ひとつひとつがほぼ正方形のロッカーがずらりと並んでいる。壁の下半分を埋めつくしており、残りの上半分には窓ガラスがあり、昼間の廊下を明るく照らしていた。


「おぬしのロッカーはここじゃな」


 楓が示したのは、一番端かつ一番下のロッカーだった。転科してきたのだから、末尾なのは妥当な位置であろう。


 響はロッカーを開け、抱えていた教科書類を詰め込んだ。先ほどの大荷物に比べればたいした重さではなかったが、それでもずっと抱えていると負担はかかるもの。身体が軽さを取り戻し、響はふぅっと一息ついた。


「あの、ありがとうございました」


 ぺこりと頭を下げる響に、愛生が胸を張った。


「なぁに、いいってことよ」

「おぬしはただついてきただけじゃろうが」

「まーまー、そう固いこと言うなって」


 呆れる楓とそれを軽く受け流す愛生のやり取りを見つつ、響は所在なさげに立っていた。


 ええと、もうこれ帰っていいかな? 帰っていいよね、用事は済んだんだし、今日は朝から荷物運び三昧でもう疲れたし、ぶっちゃけもう動きたくない。うん帰ろうそうしよう。


 そう考えた響がじゃあ自分はこれで、ときびすを返しかけた矢先。


「荷物は運び終えたようね」


 背後から声がかかった。


 振り返ると、こちらに向かってくる玲子の姿が見えた。


「お、会長じゃーん。おつおつ~」

「そっちも用が済んだようじゃな」


 二人の労いの言葉に、玲子がええと頷く。


 玲子が加わったことにより、この場に生徒会の女子陣が勢揃いした。普通の降魔科生であれば圧巻されてその場にいるのもはばかられる状況であるのだが、あいにくと響にはそういった感性がないので、普通にその場に混じっている。かなり浮いてはいるが。


「如月さん、これを」


 そうして、玲子が腕に抱えていた数冊の書籍を渡してきた。


「これは……?」

「降魔科の特別授業用の教科書よ」


 真っ先に目についたのは、表紙に『降魔ノ書』とだけ書かれたシンプルな装丁のもの。おそらく教科書だ。これをメインに使っていくのだろう。


 その次に『あやかしノ書』と書かれた降魔ノ書より一回り小さい冊子。これはいわゆる妖異図鑑だろう。妖異の生態やらなんやらが書いてあるに違いない。そして、他数冊も特別授業に必要と思しき書籍だった。


 教科書だらけでうへーと思った響だったが、とりあえずどうもと受け取ってロッカーに突っ込んだ。


「それと、もうひとつ」


 はい、と次に手渡されたものは学生証だった。自分の顔写真と名前、属する学校名等いくつか個人情報が記載されている。


 響はすでに持っていたが、ひとつだけ違う箇所があり、普通科が降魔科へ変更されている。新しく発行されたもののようだった。


「それは降魔術使用許可証にもなっているわ。常に持ち歩いて、失くすことのないようにね」


 頷き、響はスラックスの後ろポケットから生徒手帳を取り出す。そこに学生証が収納できるようになっており、持っていたものと取り換えた。


 古い学生証は学校に返却しないといけないとのことで渡すと、玲子がではと話を切り替えた。


「如月さん、ちょっとついてきてもらえるかしら」

「え」


 よし今度こそ帰るぞ、と帰る気満々だった響は、ふいにそんなことを言われて目を瞬いた。


「ちょうどいいから今のうちに、Aクラス担当の先生に紹介と挨拶を、と思って」

「…………」


 うえー、めんどくさ……。


 ――とでも思っているのだろうなと、足元から響の顔を仰ぎ見た氷輪ひのわはそう思った。実際まさにその通りだった。


 そしてそれは玲子の目から見ても明らかで、彼女は微苦笑を浮かべる。


「明日だと授業もあるし、あまり時間がとれないの。朝早くに学校に来られるのなら話は別だけれど」

「……今、行きます」


 朝が超絶苦手な響はその一言で観念せざるをえなかった。


 それに頷いて、玲子は楓と愛生に顔を向ける。


「じゃあ、私たちはこれで職員室に向かうわ。あなたたちは先に戻っていて」

「うむ。では響、またの」

「んじゃな~、響」


 手を振って去っていく二人の背を見送り、視線を移した響は玲子がぴたりと動きを止めていることに気がついた。


「会長さん?」


 いぶかりの声に、玲子ははっと我に返った様子で首を振った。


「い、いえ、なんでもないわ。私たちも行きましょうか」


 そして歩き出す。なぜか若干上擦ったような声音に感じたが、気のせいだろうか。


 そんなことを思いつつも、響は玲子についていく。


「あの」


 しばらく無言で歩いていた玲子が、ふいに口を開いた。歩調が緩まったので、自然と響が玲子と並ぶ形になる。


「はい?」

「さっきのは……」

「さっきの?」


 なんのことやらわからず首を傾げる響を、玲子がしばし無言で見つめる。もの言いたげな顔をして開きかけた口を、しかしぐっと結んで彼女は首を振った。


「……いえ、なんでもないわ」


 それきりまた黙ってしまった。眉間みけんにしわを寄せ、何やら難しい顔をしている。


 そんな生徒会長の挙動に、響の頭には疑問符が増えるだけだ。怒っているわけではない、というのだけはなんとなくわかるが、それ以上のことはまったくわからない。


 響はついと視線を足元へ落とす。それに気づいた氷輪は、四足歩行しながら肩をすくめるというとても器用な芸当をしてみせた。どうやっているんだ、それは。


 と、思考が逸れそうになったが、結局玲子がどうしてこうなったのかはわからない。わからないものをいつまでも考えていても仕方がない。それにめんどくさい。


 まぁいいや、と響は気にすることをやめ、淡々と歩を進める。そんなことより早く用を済ませて帰りたい。


「そういえば」


 唐突に氷輪が声を上げた。響と玲子が同時にそちらへ顔を向ける。


「もう少し行った先に降魔科専用の購買とやらがあったな」


 氷輪がついと玲子へ視線を送る。


「小娘、これから響にも必要となってくるやもしれぬ」


 そこで言葉を区切ったが、式神の言いたいことを汲み取った玲子は頷いた。


「そうですね。少し、説明をしましょうか」


 ちなみに、氷輪がそんなことを知っていたのは、響が授業を受けている間中校内をふらりと歩き回っていたからだ。


 氷輪は基本的に霊力を極限まで抑えている。なので、例え強い見鬼の持ち主であっても、よほどのことがない限りはその存在を察知されることがない。


 そういうわけで、氷輪は普通科だけではなく降魔科にまで自由に出入りし、誰にも見つかることなく暇を潰していたのである。


 式神とはいえ、降魔科のある学園内を妖異が自由に闊歩かっぽするのはどうなのか、とさしもの響も思わないでもなかったが、例によってまぁいいやと放置していた。


 そうして、一行はとある教室の前にたどり着いた。


 その教室のプレートには『降魔科購買部』とあり、引き戸が開いた状態となっていた。


「ここが、降魔科専用の購買よ。普通科にも購買はあったと思うけど、ここは降魔科の特別授業で使う術具も売られているの」


 中に入ると、色んな商品が置かれた棚がいくつか並んでいた。入り口付近には、ノートやシャーペンなど授業で必要な消耗品などが置かれている。これは普通科の購買でも同じだった。


 少し奥へ行くと、品揃えがまたがらりと変わっている。そこには妖異調伏ちょうぶくに必要な術具がずらりと並んでいたのだ。


 術具だけでなく、降魔科生用のブレザーやワイシャツなどの制服まである。


 それらをしげしげと見ていた響は思った。


 制服はともかく、術具をここで買うことはないな、と。


「ここで降魔科専用のものを買うときは、会計で学生証を必ず提示しないといけないから、そこだけ注意してね」


 普通科生など降魔の資格を持たない者へ、誤って術具が流用されるのを防ぐためだろう。科で制服が違うのだからぱっと見でわかりそうなものだが、降魔科の制服を入手した普通科生が紛れ込む可能性がないとも限らない。となると、身分証明ができる学生証が確実性が高いため、トラブルを防ぐために学生証の提示が必要なのだという。


 説明を受けつつひと通り見て回ると、響たちは購買を後にした。


 再び廊下を進んでいくと、やがて突き当りに差しかかり、そこに目的地が見えた。ようやく職員室に到着したのだ。


「先生には、話を通してあるわ。式神のことや、あなたののこと」


 引き戸の前でそう言った玲子に、響はそうですかとだけ返す。


「失礼します」


 ガラリと戸を開け、玲子と響が中へ入る。


 職員室は出入り口から見て、手前と奥で二分割に仕切られている。手前が普通科、奥が降魔科の配置だ。職員室自体は共用だが、一応科で分けられているのだった。


 玲子が奥のほうへ歩を進めていくのに、響もついていく。


 普通科側には誰もいなかった。部活練習はあちこちで行われているため、教師が誰も来ていないということはないだろう。ちょうど出払っているらしい。


 科を分ける仕切りは左横が三分の一ほど空いており、そこから降魔科側へ入っていくと、ひとりだけ机に向かっている後ろ姿が見えた。


「Aクラス二年、幸徳井玲子です。転科生をお連れしました、鵜飼うかい先生」


 玲子の呼びかけに、その人物が座っていた椅子ごと身体をくるりとこちらへ向けた。


 わりと若い男性で、三十代前半ぐらいだろうか。焦茶の短髪で、優男風の面差し。これと言って目立った特徴がなく、正直どこにでもいそうな風貌ふうぼうだった。


 一般授業は普通科も降魔科も内容が同じなため、教師も科に問わず自身の担当教科を受け持つ。つまり、降魔科教諭は普通科科目も兼任するのである。


 響は見たことがない教師だった。もっとも、響の場合は見かけたというレベルではほとんど記憶に残らないので、正確にはどの教科の担当でもなかったというべきだろう。


「やあ、お疲れ様」

「先生もお疲れ様です。お忙しいところ申し訳ありません」

「なぁに、構わないさ。ちょうど休憩していたところだ」


 と、玲子と言葉を交わしていた教師の目が、その隣の響へと移る。


「きみが如月響さんだね」


 男性教師は穏やかな表情を浮かべた。


「初めまして、僕は鵜飼うかい兼人けんと。Aクラスを受け持っているんだ。これからよろしく」


 響は無言で会釈した。そんな響の頭に跳躍ちょうやくした氷輪が乗っかる。氷輪は驚くほど軽い、というかほとんど重さを感じないので、首や肩が凝るといったようなことはない。


「へぇ、本当に白澤はくたくを式神にしているのか」


 鵜飼が軽く目を見張って、氷輪をまじまじと見ている。


 この教師には氷輪が。優秀な生徒が集まるAクラスを受け持つというだけあり、この教師も相当の見鬼けんきのようだ。


 鵜飼はすっと立ち上がると、うやうやしくこうべを垂れた。


「失礼いたしました、白澤様。お初にお目にかかります」

「ほう、汝はわきまえておるようだな」


 居丈高な態度の氷輪に、なにを偉そうに、と半眼になる響だ。

 氷輪は鵜飼をじっくりと見ると、ついと目をすがめた。


「ふむ――それなりに力を持っておるようだ」

「めっそうもない。私など、まだまだ若輩の身。単なる実力だけで言えば、こちらの幸徳井のほうが上です」


 その発言に玲子は目を見張り、担任へ言い募った。


「鵜飼先生、そのようなことは……私はまだまだ未熟で――」

「またまた、未来の最高峰降魔士がご謙遜けんそんを」

「せ、先生」


 少し焦ったような声だった。常に落ち着いて凛とした態度を崩さない玲子のそんな姿を、響はもの珍しげに見ていた。


 氷輪は尻尾をひとつ振る。


「謙遜は汝もであろう。己が力をひけらかすやからよりは上と見る」


 傲岸ごうがんな発言に、玲子をなだめていた鵜飼は苦笑する。


「手厳しいご意見で」

「褒めておるのだがな」

「ありがたきお言葉」


 何やら意気投合したような空気だ。響はちらっと己の式神が乗っている頭上へ視線を向けた。


 氷輪は白澤という大妖たいようゆえに、誰に対しても居丈高な態度を崩さない。周囲を見下している、とはまた少し違うが、良くも悪くも人間など取るに足らないと思っている節はある。


 その氷輪がここまで言ってのけたのだ。これほど珍しいことはそうない。


 響にはよくわからないが、この鵜飼兼人という人物は相当の腕の持ち主であるようだった。


「汝にならば、この青二才あおにさいを任せられよう。しかと鍛えてやるがよい」


 氷輪が尻尾でぺしぺしと響を叩く。それがわずらわしく、響は頭に手をやり氷輪の首根っこをむんずと掴むと、ぺいっとその辺に適当に放り捨てた。


 空中でくるりと一回転して危なげなく着地した氷輪が、響へ抗議の声を上げる。


「な、何をするか、無礼者!」

「鬱陶しいわ、いちいち叩くなっての」

「我は汝の保護者として一言言い添えてやったのだぞ! 感謝こそされこのような無礼極まりない扱いを受けるいわれはない!」

「なぁにが保護者だ、式神のくせに。てか頼んでないし」


 降魔科転科生とその式神である白澤の言い合いが繰り広げられる。


 目を瞬かせてそれを見ている鵜飼のそばで、玲子がまた始まった、と額に手を当てた。


 しばらくひとりと一体の応酬おうしゅうは続けられたが、見かねた玲子が咳払いをしたことでやっと収まりがついた。


 気を取り直して、鵜飼は響に話を振る。


「如月さん、きみの事情は聞いているよ。――大変だね」


 そのに含まれているものを察し、響は少し目を逸らしながら答える。


「……まぁ」


 返答ともつかないそのごく短い言葉の中に含まれているものを、鵜飼のほうもまたきちんと見出す。


「僕はきみを歓迎するよ。Aクラスにとっても、いい刺激になりそうだ」


 担当教師に目を向けられ、玲子はこくりと頷いて返す。


「けれど、どんな事情があろうとAクラスに入る以上、甘やかしてばかりではいられない。そこだけは、覚悟しておいてほしい」


 真剣味を帯びた語調だ。一応殊勝しゅしょうな面持ちで聞いてはいるものの、内心ではめんどくせーと思い、響はやや遠い目をした。


 そこで鵜飼は表情を緩める。


「急な転科で、最初はわからないことだらけだろう。なんでも聞きなさい。僕でもいいが、幸徳井を始めとした生徒会のほうが生徒同士で気兼ねなく話せるんじゃないかな」


 さてと、と鵜飼は椅子へ腰を下ろした。


「朝から寮の引っ越しもあったそうじゃないか。今日はもう帰って休むといい。明日から、またよろしく頼むよ」

「……よろしく、お願いします」


 色々と不本意な展開ではあるものの、最低限言っておかなければならないだろうと響は頭を下げた。ここら辺は意外と律儀りちぎなところがある響の性状だ。


 それに頷き、鵜飼は氷輪へ一礼した。それを尻尾一振りで返し、氷輪がすたすたとドアへ向かっていった。


「それでは、失礼します」


 玲子と響も職員室をあとにしようとしかけたとき。


「幸徳井」


 呼び止められ、玲子が顔を向けると鵜飼がじっとこちらを見ていた。その目に含まれた色に何かを感じ取り、玲子は軽く頷くと傍らの下級生に目を向ける。


「如月さん、私はまだ先生とお話があるからここに残るわ。朝から慌ただしくてごめんなさい」

「いえ、別に……」


 玲子はふっと微笑んだ。


「今日は本当にお疲れ様。また明日」


 響は軽く目を瞬かせると、どうもと一言頭を下げて背を向けた。


 引き戸の開閉音で一年の転科生が部屋を出ていったことを確認すると、鵜飼は少し意外そうな顔で玲子を見た。


「きみはずいぶんとあの子を気にかけているんだな」


 玲子は生真面目で常にきりっとしており、自分にも他人にも厳しい。こんなに柔らかな表情をすることなどめったにない。


 鵜飼の言葉に、玲子は困ったように眉根を寄せた。


「そう、ですね……なんだか危なっかしくて、放っておけない、というか」

「放っておけない、ね」


 だから、きみがそんな風になっているんだな。


 続く言葉を口には出さず、切り替えるように鵜飼はふーっと息を吐いた。


「いやー、それにしても話には聞いていたが色々とすごい子だな」


 椅子の背にもたれて伸びをしながら、誰にともなく独りちる。


「あの白澤にあそこまで気安くできるとは。あれも輝血かがちゆえ、か?」


 響は白澤をペット、もしくは悪友とじゃれるかのような接し方をしていた。


 白澤のほうも、あんな粗雑そざつな扱いをされながらも彼女から離れる気はないようだし、それどころかかなり実力を買っているようだった。


 式神契約は、術者と妖異双方の同意がなければ成り立たない関係だ。どちらか一方が望んでも、もう片方が承諾しないとなりえない。


 鵜飼の呟きに、玲子は微妙な表情を浮かべた。


「それは……どうでしょうか」


 あれはただ単に響の性格の問題のような気がする。以前生徒会室へ呼び出したときも、一切臆することなく平然と嘘八百を並べ立てていたほどだ。


 加えて、周囲への関心が希薄なため、良くも悪くも怖気おじけづくことがないからだと思われる。それはそれで、大物と捉えられなくもないがはたして。


「気安さはともかく、輝血でなければ白澤を使役しえき下に置くことはとてもできないだろう」


 話を聞く限り、響は常に白澤と行動をともにしているらしいが、本来ならあれほどの式神をずっとそばに置いておくことなど到底できない。


 高位の霊的存在が常にそばにあるというのは、実は人にとってあまりよくないことなのだ。それがたとえ術者であっても。


 強い力が近くにあれば、意識していなくても人は否応なく緊張感を強いられ身が委縮いしゅくし、じわじわと気力が削がれていく。結果それが体力をも削ることとなり、人の生命力を奪うことにも繋がる。


 さらに、そんな存在を使役にするということは、それと繋がりを持つことになる。繋がりを持つ、それすなわち術者が式神の力を一身に受け止めるということと同義だ。


 人が作り出し、組み込まれたプログラミング通りの動作のみ実行する自意識のない存在たる『式鬼しき』ならばいざ知らず、妖異や神などの意思を持つ霊的存在を使役とする『式神』では、主である術者が消費する霊力の量もまったく違う。


 あの白澤は、普段は本来の力を極限まで抑えているようだが、それでも常にそばに置いておくことは困難を極めるはずだ。プロの降魔士でも厳しいだろう。よしんば使役化できたとしても必要なときに召喚し、それ以外はどこか別の場所にいてもらわなければ確実に身が持たないぐらいだ。


 だというのに術者とはいえ、十代の一学生である響がそれを可能にしているのは、彼女の障り――〝輝血〟によるところが大きいのは間違いない。


 生来霊力がずば抜けて高い人間のことを指す輝血。単に見鬼の才を持ち、術を扱える人間よりも、遥かに純度が高く膨大な量の霊力をその身に宿している。


 そんな輝血であるならば、白澤ほどの大妖を式神としてそばに置いておくことは、理論上は可能だ。いくら霊力を消費しても、術者がそれによって精神を蝕まれるということはないからだ。


 輝血は特別だ。その数、日本全国で百人もいないとされるほど非常に稀有けうな存在である。


 しかし、それゆえに輝血は妖異から常にその身を狙われることになる。霊力が高い人間は、妖異にとってこれ以上ない極上の餌。喰らえば、とてつもない力を手に入れることができるのだ。


 輝血は霊力が高いというところ以外は普通の人間と何ひとつ変わらない。ゆえに人間からはそうとはわからない。けれど、妖異には一瞬で見分けられ、まるで吸い寄せられるかのように輝血へ集まる。


 そのせいで、普通は輝血として生れ落ちると、降魔士の庇護下に置かれながら息をひそめて一生を過ごさなければならなくなる。降魔士側も妖異が輝血を食らって力を得てしまうと非常に厄介なため、それも職務の一環として正式にあるほど。


 霊力を膨大に持つのならば、術者にしてしまえばいいのではないか。そういう考えも昔は確かにあったが、術者となった輝血はみな例外なく妖異に喰われ、その結果惨事を引き起こした。それを経て、輝血を術者にするのは危険とし、保護するかたちとなっている。


 だから、輝血は膨大な霊力を持っていても術者にはなりえない――はずなのだ、本来であれば。


 しかし、そんな常識はあっさりとくつがえされた。


 如月響。


 輝血という数奇すうきな運命を背負った少女は、堂々と日常を過ごしている。己が身を守るすべを身に着け、誰に守られることもなく妖異に立ち向かっていた。


「森羅万象の知識を持つ神獣白澤に目をかけられ、いにしえの降魔術を操る輝血の術者、か。いやはや、そんなとんでもない生徒をまさか僕が受け持つことになるとはなぁ」


 玲子は目元を曇らせ、すっと頭を下げた。


「勝手にことを進めてしまい、本当に申し訳ありません」


 響は普通科の生徒であり降魔の資格を持たないのにもかかわらず、無許可で術を使っていた。その事実が発覚したのは、つい二週間ほど前。


 降魔の資格を持たずして術を行使することは禁止されている。無用なトラブルや犯罪を防止するためだ。


 もっとも、そうしなければならなかったのは、響の障りにも起因しているのだが。


 とはいえ、当時はそんな理由があったとは露とも知らなかった生徒会が響の処遇をどうするか決めあぐねていたところに、嘉神学園に妖異の大群が襲撃するという事件が起こった。


 降魔科の特別授業の一環である実習のため、玲子以外の実力者を含めた降魔科生がちょうど出払っており万事休すの状況だったところ、響の活躍によってこれを撃退へと導いたのだ。


「いや、いいさ。きみの判断は正しい。彼女を放っておくわけにはいかないし、かといって処罰のために上へやるのもかわいそうだ。こうするのが一番収まりがいいというのは、僕にも異論はないからね」


 事件後に、玲子は響に違法行為を行ったとして捕まるか、降魔科へ転科するかの二択を迫った。その結果、今に至っているのである。


「僕に務まるかわからないが、まぁ精一杯やってみるさ」


 そう言っているわりには、表情はどこか楽しげだった。


「鵜飼先生にしか、彼女は扱えないと思います」

「お、幸徳井にそう言ってもらえると自信がつくなぁ」


 鵜飼はおどけたように返したが、玲子は至って真剣だ。


 たしかにAクラスには将来有望な降魔士の卵たちがいる。そんな優秀なクラスをこの鵜飼兼人が受け持っているが、これはなにも今年に限った話ではない。ここ数年、鵜飼はAクラスを担当しており、これまで卒業させた生徒の中で何人かは今も最前線で活躍しているのだ。


 この事実が、一見温厚そうな優男風の鵜飼の実力を物語っている。


 玲子はこの教師に、偉大な父に次いで強い尊敬の念を抱いていた。


「幸徳井、きみたち生徒会も色々と大変だと思うが、よろしく頼むよ」


 労いつつも期待をかけてくる鵜飼に、玲子ははいと頷くのだった。

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