飛べない鳥

棚霧書生

第1話

 天使の嗚咽が今日も聞こえてくる。

「ごめんなさい……許してください……ッギャ!?」

 “俺たち”のオーナーが天使の腹を蹴り上げる。天使は蹴られた勢いで背中から倒れ、土煙を上げながら地面の上を転がっていく。天使の背中から生えている綺麗な真っ白い羽に土がつき、何枚かが抜け落ちる。

「僕はトリちゃんに謝ってほしいわけではないのですよ」

 オーナーがマイク乗りがいいと評判のテノールで、天使を詰める。

「ご、ごめんなさ……ヒィ!」

 オーナーが腰元にいつも装備している猛獣用の鞭で、いまだ倒れ伏している天使の顔近くの地面をピシャンと一振りやった。

「トリちゃんは頭まで鳥なの? 謝らなくていいと僕は言いましたよ」

「うっ、あっ、あ……」

 天使が意味のない音を壊れたレコードみたいに発する。オーナーは心底疲れたようにため息をつく。次の瞬間にはあっさりと踵を返して後ろで待機していた俺の方に歩み寄ってくる。

「ヤンダタ、次のステージでもトリちゃんは使えないようです。ヤンダタには最近、出突っ張りで申し訳ありませんが、いつでも出演できるよう体調をととのえておいてください」

「もちろんです。オーナー」

 オーナーは俺にだけ聞こえるように「飴役は任せます」と言うと、ひらひらと軽く手を振って、仮設ステージをあとにした。

「大丈夫か?」

 俺は人を慰めた経験はほとんどない。倒れている天使の前に屈んだはいいが、言葉が続かない。

「うっ……僕は役立たずだ……」

「そんなことはない、アトリィ。……今は上手くいっていないが、練習すればきっと“飛べる”」

 天使はヒト属の突然変異体だと俺は聞いている。名前はアトリィ。美しい容貌と白鳥のような翼を持っている。だが、その見た目の物珍しさと神秘性ゆえ、アトリィは自身の出身国の王族にペットとして最近まで飼われていたらしい。そう、最近までは。

「ご主人様だって、僕を捨てた、要らないからだ……!」

 俺はなぜアトリィがここ、セトゥーサーカス団に引き取られたのか、その訳は知らない。アトリィを飼っていたやつがアトリィに飽きて売り飛ばしたのか、それとももっと別の理由があるのか……。きっとオーナーは事情を知っているのだろうけど、ただの平団員である俺には関係のない話だ。

「うっ……ううぅ……」

 しかし、泣いている団員仲間を放置するわけにはいかない。オーナーには“飴役”をしろと先ほど依頼されたばかりでもあるので、なんとか優しく接したいのたが。

「俺たちセトゥーサーカス団はアトリィを必要としている。だから……」

「だから、なに?」

 アトリィはキッと眉尻をつり上げて俺を睨んだ。そんなに前のご主人様とやらが好きだったんだろうか。俺が考えていたアトリィを元気づけるための言葉は頭から吹っ飛んでしまっている。

「今は“飛ぶ”練習をしよう」

 アトリィは翼はあっても飛べない。だけど、もしも飛べるようになればサーカスの華になれる。セトゥーサーカス団に居続けるためにはなにかができないといけない。それは派手であればあるほど評価される、芸を身に着けている者ほどここでは重宝されるのだ。

「アトリィ自身のためだ」

 俺は本当にそう思っているのに、

「……無理だよ」

 アトリィは後ろ向きだった。


 セトゥーが新しい団員を連れてきた。オレはそいつが背中に邪魔な羽をくっつけてるだけの見かけ倒し野郎だってことにすぐに気づいた。サーカス団員として全然使えないボンクラ。オーナーのセトゥーが決めたことだから我慢しているだけで、オレは今すぐにでもあいつをこのサーカス団から追い出してやりたかった。

 朝方、オレは今日のショーが始まる前に緊張をほぐすため、テント裏に広がる林に足を踏み入れていた。そして、運の悪いことにオレの嫌いな半鳥人が先客としてそこにいた。オレは顔を合わせたくなくて、とっさに木の陰に身を潜める。

「あははっ、そうなの? 街ではそんなことがあるんだ」

 一体誰と話しているのか。半鳥人はサーカス団員の中で浮いている。ちゃんと構ってやっているのはヤンダタくらいのばずだが。ヤンダタの姿は見えない。

 チュンッチチチ……

 半鳥人の指には小さな鳥がとまっていた。鳥と喋っているとでもいうのか。半鳥人の頭がおかしいのか、本当に鳥と喋れるのか、どちらにしても気に食わない。

 半鳥人が鳥と会話できるという話は誰からも聞いていない。あんな芸当、他の奴らにはできない。サーカスで使えるかもしれないのに。なぜあいつは自己申告してこないのか。セトゥーの好意でここに所属してるだけの無駄飯食らいのくせに!

 オレは怒りに背を押され、半鳥人の前に飛び出していた。

「ペグくん……?」

 半鳥人がオレを見た途端に怯えた目をする。失礼な奴め。

「ハァ? ペグ“さん”だろ? 俺が年下だからって、ナメてんのか、あぁ!?」

 最近のオレの日課は半鳥人を教育することになりつつある。毎日毎日、半鳥人は懲りずに今みたいな頭の悪い行動や発言をするから、先輩であるオレが仕方なく指導をしてやっている。

「やだッ、やめて!」

 オレに髪を掴まれて、ビクビクしてる半鳥人はやめてと言うくせにろくな抵抗をしてこない。ただ泣くだけ。赤ん坊でもできる。

「なァんで、お前みたいな役立たずがここに来ることになったのか教えてやろうか?」

 オレは半鳥人がなにを恐れているか、セトゥーから聞いて知っていた。だから、半鳥人を叩きのめす言葉を的確に選んでやる。

「ご主人様に捨てられたんだよ! お前なんか用済みだって、ゴミみたいにポイってな!!」

 半鳥人が両手で耳を塞いで、ボロボロ泣き続ける。

「ペグッ! なにをしている!」

 オレは半鳥人を教育することに集中しすぎていて、背後から近づいてくるヤンダタに気づかなかった。ヤンダタはオレの首根っこを掴んで、半鳥人から引き離す。

「チッ、面白くねェ」

 どうにかして半鳥人を追い出せないものか。オレは考えに考えた。


 僕は高い場所に登って、下に落ちる。僕の体を受けとめたマットがバンッ! と大きく鳴る。登る、落ちる、バンッ。これの繰り返し。なにか意味があるとは思えない。

「飛べないよ……」

 僕はマットにうつ伏せで寝転ぶ。長く使い込まれているからかマットからはすえた臭いがして、なんだか涙が出てきた。柔らかなベッドと清潔なシーツが恋しい。ご主人様が僕のために用意してくれたあのベッドで、なにも考えずにフワフワの毛布に包まりたい。

 うつ伏せのまま羽をパタパタさせる。僕の羽は動かせはする。だけど、飛ぶためのものじゃない。ご主人様に愛されるためのものだ。だから、だから……

「こんなところ……」

 僕はつぶやいてしまってからハッとした。僕はなんて性格が悪いんだろう。なんにもできない僕を置いてくれている場所なのに。

 僕が自己嫌悪に苛まれているとトタトタトタと誰かがこちらに走ってくる足音がした。

「おーい、アトリィ!」

 僕はその声にビクッとしてしまう。この声はあの子だ。僕を心底嫌っているはずのペグくん。だけど、今日は雰囲気が随分と違っている。

「ペグさん……」

 僕はサッと立ち上がって、ペグくんと相対する。

「やめてくれよペグ“さん”なんて! ペグでいいって」

「え……」

 なんのつもりだろう。“くん”付けで呼んだら、この間は怒っていたのに。もしかして、ここで僕が素直にペグくんを呼び捨てにしたり、“くん”付けに戻したりしたら社交辞令がわかってないと詰るつもりなんじゃないか?

「そんな身構えないで……ってオレが言っても信用ないよなァ。オレさ、あのあと結構反省したんだ」

 ペグくんがゆっくりと僕に近づく。どうしよう、体が逃げたがっている。

「オレが悪かったと思ってる。だから、アトリィに謝罪させてほしい」

 ごめんなさい、とペグくんは頭を下げる。僕は許したくなかった。だけど、それは心が狭いんじゃないかとも思った。せっかくペグくんの方から歩み寄ってきてくれたのだから僕も応えるべきなんじゃないか?

「わかった……」

 結局僕にはそう言うのが精一杯だった。しかし、ペグくんにとってはそれで十分だったらしい。ペグくんはパッととびきりの笑顔を見せ、僕の手を取るとこう言った。

「こっちへ来てくれ。新愛の証にオレの手料理を食べてほしいんだ」

 外に連れ出された僕はてっきりみんなが食事の際に使っているテントにでも行くのかと思った。だけど、その予想は違ったようで、ペグくんはズンズンと林の中に進んでいく。ペグくんに掴まれた手がちょっと痛くて、振り払いたかったけれど僕はそうしなかった。

「アトリィは俺の料理を見たら、きっと驚くぞ!」

 ペグくんはにこにこして切り株の上に準備されていたなにかを手に取る。それには覆いがかけられていて、僕にはまだなんの料理なのか見当もつかない。

「ジャジャーン!」

 ペグくんが安っぽい掛け声とともに覆いを外す。現れたのは串に刺さった小さい肉の欠片。

「なにこれ?」

 新愛の証の手料理にしては、かなり貧相なそれに僕は首を傾げる。

「昔、お客さんに教えてもらったンだ。東の方にある島国の料理で“焼き鳥”っていうンだぜ?」

 ペグくんは僕の手に串を握らせる。僕は自分の心臓が妙に脈打つのを感じていた。理解したくない、いくらなんでもありえないと脳の動きが麻痺していく。

「そういえば、お前って鳥は食うの? あ、共食いになっちまうから、もしかして食べられねェか? フフフフ!」

「なにを笑ってるの?」

「さすがの鳥頭でも、お友達は食べないンだなァ?」

「黙れよ」

「肉って焼いたら結構縮むよなァ。焼き鳥を作るなら小鳥じゃダメだ。次はもっとデカい奴でやンねェと。例えば人間サイズの鳥とかなァ?」

「黙れったら!」

 僕は衝動に任せて、焼き鳥の串をペグの首目掛けて振り下ろす。ペグは喉に串が刺さったまま暴れたので、僕は両手で力一杯に彼の首を押さえつけていた。僕は無我夢中で何がなんだかわからなくなっていく。僕が正気に戻ったときペグは死んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

飛べない鳥 棚霧書生 @katagiri_8

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説