小学生の頃の思い出
幽八花あかね
焼き鳥
もう何年も前のことになる。私の通っていた小学校では、一羽のウサギと二羽のニワトリを飼っていた。中庭に飼育小屋があって、クラスの係には飼育委員なんかもあったりした。
中学でも高校でも動物は飼っていなかったから、いま思うと不思議な感じだ。あれは何の目的で飼われていたのだろう。子どもに生命の大切さを教えるため、とか言ったところだろうか。
そういった教育のために動物を飼育させていたのだとしたら、生命の大切さを学べなかった私は、劣等生だったのだろうなと思う。私は動物を愛することもできなかった。
飼育小屋の臭いは苦手だったし、当時は小児ぜん息を患っていたことも原因なのかもしれない。鳥の羽根はぜん息に悪いと言われていたからか、ニワトリには特に近づきたくなかった。
ある日のこと、ウサギが死んだ。たしか、自ら壁に激突して死んだのだったと思う。薄情者と言われることが多い私でも、これについては可哀想だなぁと思った記憶がある。バカなウサギだなぁとも、たぶん思っていたけれど。
昼休みに放送が流れて、みんなで黙祷することになった。私は黙祷の意義なんてさっぱりわからなかったけど、みんながしているのですることにした。
目を瞑って、しっかりと黙祷した。そのあとの休み時間は、ひとりで本を読んでいた。
「なんで泣いてないの?」
クラスメイトが私の席の近くに来て、意味がわからない質問をしてきた。逆に聞きたい。なぜ私が泣く必要があるの?
「うさぎさんが死んじゃったのに、泣かないなんてひどい! こんなときに本を読んでるなんて最低!」
めそめそと泣いていた彼女は、私にそんな言葉を吐き捨てて去っていった。やっぱり意味がわからなかった。
動物が死んだら、泣かないといけないのだろうか。黙祷は終えたのに、そのあとも悲しまなくてはならないのだろうか。そもそも悲しくないのだが、それはおかしいことなのだろうか。酷いことなのだろうか。
私は黙々と本を読み続ける。学校から帰宅したあと、あることを思いついて、雑貨屋さんに行ってみた。
* * *
「昨日はひどい態度をとってごめん。お詫びにあげる」
翌日。私はあの泣き虫な女の子に、プレゼントをあげた。白いふわふわが飾りについたストラップだ。
「わぁっ! かわいい……けど、なにこれ?」
「号泣するくらい、ウサギが好きだったんでしょ? だから、ウサギの毛のストラップをあげる」
「え。これ……うさぎさんで、できてるの?」
「そうだよ。死んだあとでも毛皮とかを加工すると、無駄死ににならなくていいよね。あ、これは学校のウサギではないけど――」
「最っ低!!」
かわいいと言って笑顔を浮かべていた女の子は、ストラップを私に投げつけた。ウサギでできているのに、死体の一部なら投げ捨てても構わないってことなのだろうか。よくわからない。
「この人でなし! うさぎさんじゃなくてアンタが死ねばよかったのに!」
残念ながら、私は壁に激突して死ぬようなバカじゃない。私は返却されたストラップを持って自分のロッカーに行って、自分のランドセルにつけた。ランドセルの赤色に、ふわふわの白色がよく映えていた。
* * *
ある日のこと、ニワトリが死んだ。二羽の名前はフライドとチキンだったけど、先に死んだのはチキンだったはず。死んだウサギの名前は覚えていない。
チキンが死んだときは、黙祷の時間はとられなかった。先生から「チキンが死にました」というお話があっただけで、死因はたしか狭い穴に落ちてなんとかかんとか。
ウサギの死を悲しんだ女の子も、チキンが死んだときは泣かなかった。他のクラスメイトを見ても、誰も泣いていなかった。
「穴に落ちて死ぬとか、チキンってバカじゃん」
――壁にぶつかって死ぬウサギのほうがバカじゃん。
「チキンって、誰かが食べたのかな〜?」
――ウサギの毛はダメなのに、チキンを食べることは考えられるんだ。
何が違うのかよくわからない。ウサギとニワトリの何が違うのか、わからない。
放課後。私は焼き鳥屋さんに行った。持っていたお小遣いの7割を使ってたくさん買って、焼き鳥のパックを抱えて公園に向かった。
公園には、同じ小学校の子がたくさんいる。チキンが死んだお話を聞いた子がたくさんいる。
私は、ベンチに座って焼き鳥を食べはじめた。塩とタレのどっちもあるけど、まずはあっさりしている塩のほうから。むしゃむしゃむしゃ。美味しい。鶏肉うめえ。
「なあ、なに食べてるんだ?」
「やきとり」
「ひとくちちょーだい」
「いいよ」
今で言う陽キャのクラスメイトの男子が、私にそう言ってきた。便乗してきた彼のお友だちにも焼き鳥をあげた。みんな、うまいうまいって食べていた。
「ねえ、聞いてもいい?」
「なんだ?」
「チキンが死んだ話を聞いたあとに焼き鳥食べてる私のこと、人でなしって思う?」
「いや? 別に。鶏肉なんて普通にいつも食べてるじゃん」
「……だよねー」
私はつくねをパクリと食べる。鶏肉うめえ。
クラスの男子たちとバイバイして、私は焼き鳥のゴミを抱えて帰宅する。
串をポキポキと折って、紙に包んで、危なくないようにしてからさようなら。
どうしてウサギが死んだら悲しむのに、ニワトリが死んでも悲しまないのだろう。
動物を愛せない私は、他の子たちが彼らをどのように見ていたかを考える。
うさぎさんは、可愛い。ニワトリは、可愛いなんて言われない。小学生だった私に考えついた一番の差は、可愛いか可愛くないかということだった。
学校でだってそうだ。可愛さでいろんなことが決まる。たくさんの人と仲良くなれるか、クラスにすんなり馴染めるか。
可愛いうさぎさんの死を悲しんだあの女の子は、私よりも可愛かった。動物の死を悲しめない、人でなしでひどくて最低な私よりも、あの子のほうがいつでもいい子なんだ。
私は可愛くないので、きっと死んでも悲しまれない。そう初めて思ったのは、このニワトリの死が原因だった。
――ああ、私の考えは正解だった。
高校の教室に入ると、空気はいつもと同じだった。主人をなくしたひとつの席には、先生が用意してくれたのだろう花が置かれている。
机はいつもどおりに汚れていて、過去に書かれた罵詈雑言の痕跡があった。みんなが卒業アルバムに寄せ書きをしていく中、私はあの女の子のアルバムをちらりと見やる。なんというグッドタイミングなのか、彼女はちょうど私の顔写真を塗りつぶしているところだった。
死人に口なし。死人に居場所なし。思春期になってから肌荒れが酷くなり、醜くなり、前よりもっと嫌われるようになった私は、自然といじめられっ子になっていた。中学も高校も散々だった。
性格も良くないし、容姿も良くないし、頭も良くないし、まあ、たぶん仕方ないことだったのだろう。
高校には頑張って通ってたんだけど、受験のストレスで鬱になっていたのか、第一志望が不合格だったのがよっぽどショックだったのか、卒業を目前にした3月のはじめに、ぷっつりと糸が切れてしまった。
動物が死んでも悲しめなかった私は、自分が死んでも悲しくなかった。だって私は可愛くないから、死んでも誰にも悲しまれない。
ちなみに私が自殺の前日に食べたのも、お父さんが買ってきてくれた焼き鳥だった。鶏肉は最後まで美味しかった。
小学生の頃の思い出 幽八花あかね @yuyake-akane
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