サユリちゃんとアケミちゃん

葉月りり

第1話

 娘がまだ小さかった頃の話です。我が家は私の両親と私達夫婦と娘の5人家族でした。


 うちの道路を挟んだ向かいは、そこそこの広さの広場になっておりました。その広場は地主さんの好意で町会に無料で貸しだされたものです。普段は子供達の遊び場でしたが、町会や老人会の行事のためのものでした。


 広場の南側は桜の森、西側はやはり地主さんから借りた畑があり、老人会園芸部と札を立て、有志が野菜などを作っていました。

東側は何軒か平屋の貸家が並んでいて、その一軒に一人暮らしのおじいさんが住んでいました。家は小さかったのですが、庭があって、おじいさんは鶏を2羽、飼っていました。


 鶏はほぼ放し飼いで広場と貸家の境の垣根を難なく超えて、よく広場の雑草を啄んでいました。その鶏には2羽とも雄鶏なのにサユリちゃんとアケミちゃんと名前がついていて、近所の子供達もそう呼んで、時々野菜クズなどをあげて可愛がっていました。うちの娘も広場に2羽をみつけると、パンの切れ端などを持って「サユリちゃーん、アケミちゃーん」と広場に出て行っていました。


 そんなある日、サユリちゃんとアケミちゃんの飼い主が近所に知らせることもなく、引っ越して行ってしまったのです。サユリちゃんとアケミちゃんを残して。


 サユリちゃんとアケミちゃんは飼い主がいなくなっても、貸家の庭と広場を行き来して、近所のみんなからエサをもらい、雑草を啄み、時々子供達を追いかけたりして、なんら変わりなく生きていました。



 秋、老人会の花見の会に次ぐ大きい行事、菊見の会が開かれます。菊栽培を趣味にしている方々が広場に自慢の作品を持ち寄り、菊を見ながら一杯やると言う催しです。肴は近所のスーパーに頼んだお弁当と、園芸部の作った野菜のたっぷり入った豚汁。


 うちの父は今年から老人会に入会したのですが、入会早々役員に指名されてしまいました。「入会したら即役員、動ける奴が動くこと」それが老人会のモットーらしいです。父は朝早くから広場に長テーブルとパイプ椅子を並べ、菊の会の人たちが鉢を並べるのを手伝います。女性達は広場の一角に七輪を並べて炭をおこして豚汁作りです。私も娘を幼稚園バスに乗せたあと、お芋を剥くのを手伝ったりしました。その日、母は病院の予約が入っていて参加できなかったので、私が代わりに出てきたのです。


 菊の鉢が運び込まれる中、老人会の会長が広場の隅をゆっくり歩いているサユリちゃんとアケミちゃんを見て言いました。


「今年は焼き鳥も添えようか」


「え、サユリちゃんとアケミちゃんか?」


「誰に飼われてるわけじゃないし、そのうち野良犬にでもやられちまうだろ」


「ああ、そうかもな」


うちの父は一瞬「うちの孫が…」と、言いかけたけど、まだ入会したばかりの新参者、口をつぐんでしまいました。


「じゃ、行くぞ」


「おー」


話がまとまったらさすが戦中派、仕事が早い。


「おい、お湯沸かせ! 誰か串、買ってこい」


父は「ウチにあるから持ってくる」と家へ入ってしまいました。私は「あ、逃げたな」と思いました。


会長と副会長は


「サユリちゃーん、アケミちゃーん」


と、猫撫で声で近づくとパッと捕まえて、あっという間に血を抜き、湯に浸け羽をむしり…手際の良いことこの上なく、まるで夢を見ているようでした。父がやっと串を持って戻ってきたのは、サユリちゃんとアケミちゃんが鶏肉になってからでした。


 女性陣もすごい手練れです。難なく関節を切り骨から肉を外していきます。

 そうこうしているうちに、幼稚園バスが広場の角に帰ってきました。「あ、今日は午前保育の日だった」私は急いでバスの所に行って他のお母さん達に混ざりました。


 バスから降りた子供達は広場の菊を見て歓声をあげて走っていきます。その中の1人がキョロキョロ広場を見渡して、貸家の庭ものぞいて、


「あれ? サユリちゃんとアケミちゃんがいない」


と、気付きました。うちの娘は調理コーナーにいたおじいちゃんの所に来て、

「サユリちゃんとアケミちゃんは?」

と聞きました。他の子達も集まってきました。老人会長が


「ほれ、それがそうだ」


と、まな板の上の鶏肉を指差しました。私は「なんてことを言うの」と焦りました。が、いつものサユリちゃんとアケミちゃんと、肉屋でよく見る光景とが結びつかないのか、子供達はキョトンとしています。そのうち年長組の子が地面に鶏の羽が落ちているのに気がついて、


「サユリちゃんとアケミちゃん、死んじゃったの?」


と、言い出しました。


ー死んじゃったー


その言葉に反応した子供達は一瞬で顔を曇らせ、女の子達は泣き出してしまいました。お母さん達はあわてて自分の子供に駆け寄りますが、おじいさん達には何も言えません。おばあさん達は子供達のことなど構わず黙々と手を動かしています。


「急がないともう集合時間になるよ」


と言いながら串に肉を刺しては七輪に置かれた網に乗せていきます。辺りに肉の焼けるいい匂いが漂ってきました。

 お母さん達は子供の手を取ってさっさと帰ろうとしますが、午前保育でお昼ご飯前の子供達は涙を流しながらも七輪の方を見ています。おばあさん達は8割がた焼けたものをお砂糖と味醂と醤油を混ぜただけのタレに浸けてまた網の上に乗せます。炭の上に落ちたタレが煙と共に上り、誰もが生唾を飲み込む香りです。


「ほら、お前らも食ってみろ」


会長が焼きあがったものを皿に乗せて持ってきました。


娘は

「これ、サユリちゃんとアケミちゃん?」

と聞きました。

私は娘を膝に乗せて、一か八か、

「そうだよ。サユリちゃんとアケミちゃん、お腹に入れてあげる?」

と、聞いてみました。

娘は涙を流しながらも串を手にとります。


「サユリちゃんとアケミちゃん、お腹に入れてあげる」


と、小さく一口齧りました。そしてゆっくり咀嚼すると、


「おかあさん、サユリちゃんとアケミちゃん、おいしいねぇ」


二口目は大きい口を開けてパクリ。他の子供達も「おいしい、おいしい」と食べていて、七輪の前のおばあさん達は肩を揺らしてクスクス笑っています。娘はほっぺに涙の跡をつけたまま笑顔になっています。そんな娘の様子は、現金と言ってしまえばそうなんですが、見栄も衒いもない純粋さに感動のようなものを感じて、今度は私が泣きそうになりました。


 それから娘の焼き鳥の基準はサユリちゃんとアケミちゃんになりました。子供達から野菜クズやパン、時にはピーナッツや大豆をもらって、広場を自由に歩き回っていた鶏です。その味に勝る鶏はなかなかないでしょう。時々うちでも鶏を焼いたり、焼き鳥屋さんから買ってきたりしますが、娘は


「うーん、おいしいけど、サユリちゃんとアケミちゃんほどじゃないな」


と、厳しい判定をします。


 その娘が、この間20歳の誕生日を迎えました。今日は仲良しグループが全員20歳になったからと、みんなで初めての居酒屋さん体験に出かけていきました。“鳥男爵”だか、“鳥大臣”だったか、忘れましたが、焼き鳥が自慢の居酒屋さんだそうです。

さて、娘の評価はどうでしょう。



おわり

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

サユリちゃんとアケミちゃん 葉月りり @tennenkobo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説