焼き鳥は10000点オールですが何か? 

兵藤晴佳

焼き鳥は10000点オールですが何か?

「焼き鳥は10000点オールね」

 麻雀で半荘チャン終わって1回も和了あがれないことを「焼き鳥」という。

 語源はよく分からない。

 跳び上がれない鳥は焼き鳥になるしかないからとか、鶏が揚がらなければ焼くしかないからとかいろいろな説があるが、そんなのはどうでもいい。

 僕は仕方なく、他の3人に10000点ずつ、占めて30000点分の点棒を払うとハコを頭にかぶった。

「もうやめとけ」

 誰かが言ったが、俺は聞かなかった。

「もう半荘!」

「もう金もねえだろ」

 牌をじゃらじゃらかき混ぜながら、他の誰かが言った。

 俺は鼻息も荒く答えた。

「今度は勝つ!」

「分かんねえかな、今日のお前はついてねえ」

 また誰かが言ったが、俺は場末の雀荘の卓から離れようとはしなかった。

 もう、口を開く者はいなかった。

 店のマスターは、部屋の隅で居眠りをしている。

 俺は牌を並べようと、卓の真ん中に手を伸ばす。

 だが、ツキのない俺には次の半荘もなかった。

 その場にいるはずもない4人目の誰かに、後ろから思いっきり横頭を張り飛ばされたからだ。


 気が付くと、俺は店の窓際にある、ワニ革に似せたビニールの破れた古いソファに横たわっていた。

 慌てて跳ね起きて叫んだのは、このひと言だった。

「俺の負けは?」

 点5、つまり1点あたり50円で打っていたから、15万円。

 その場でポンと払える額じゃない。

 勝って取り返さなくてはならなかったのだ。

 返事はなかった。

 代わりに胸ぐら掴まれて身体ごと持ち上げられ、往復ビンタを食らわされる。

「まだそんなことを言っとるのか!」

 目の前には、ギョロリとした目を暗闇の中にもぎらつかせて、もの凄い形相で俺を睨みつけるオッサンがいた。

 その恐ろしい目には、何だか見覚えがある。

 たしかにオッサンだけど、僕の伯父さんや叔父さんの誰でもない。

 俺は麻雀にはまってから、親類縁者の誰からも縁を切られてしまっていた。

「小父さん?」

「久しぶりだな」

 懐かしい声だったが、俺は悪さをして叱られた子どものようにしょげかえっていた。


 実際、恐ろしい小父さんだった。

 俺も子どものころからいっぱしの悪ガキだったが、何かやらかすたびに、どこからともなく現れては俺の頭を張り飛ばしていたのが、この小父さんだった。

 だが、優しいところもあった。

 ときどき、その空き地に俺たち子どもを集めては、手品を見せてくれたりもしたのだ。

 指の間を行ったり来たりしては現れ消える、不思議なビー玉のことは、今でも鮮やかに覚えている。

 その小父さんが、呆れたように俺をたしなめる。

「成長せんな、お前は……田舎のオヤジさんやオフクロさんに心配ばっかりかけて」

 返す言葉もない。

 田舎が嫌で都会に出てきたが、悪い仲間に引っかかって身を持ち崩し、その日暮らしのバイトみたいなことをして食いつなぐ毎日だ。

 それで麻雀にはまって勝ったり負けたりしているうちに、俺は親戚一同から爪はじきにされていたのだった。

 それは、大いに反省する。

 だが、それでも俺がようやく口にしたのは、やっぱりこのひと言だった。

「で、俺の負けは?」

「バカモン!」

 昔の雷が、十何年かぶりで俺の頭の上に降ってきた。

 脳天に命中した拳が、目から火花を散らす。

 再び気が付いたときには、もう、薄暗い雀荘の中に小父さんの姿はなかった。

 そこで、店の隅で居眠りをしていたはずのマスターが、寝ぼけ眼で教えてくれた。

「いやあ、鮮やかだったねえ……君の代わりに卓を囲んだあの小父さん、最初は負けに負け続けた。ところが親が回ってきたと思ったら、ぱたんと牌を倒してね。天和テンホーってやつさ。知りあいみたいだけど、どこかのプロかい?」

 そこで俺が聞いたのは同じことだった。

「俺の負けは?」

 俺に紙コップのコーヒーを勧めながら、マスターは答えた。

「ないよ……親の和了あがりの12000点が三倍満で36000点だったから」

 小父さんが負けた分を足して、差し引きゼロになったらしい。


 借金はしなくても済んだが、すっからかんになった俺は、またその日暮らしのバイトみたいなことを続けて食いつないでいた。

 これから先、何をしたいということもない。

 そのうちまた、バクチの虫が騒ぎ出して、俺はまた、あの雀荘にいた。

「はい、また焼き鳥。10000点オールね」

 俺は目の前が真っ暗になった。

 最初は5点で打っていたが、焼き鳥が続いて、俺は負けを取り返そうとして焦った。

半荘ごとにレートを倍にしていけば、負けは雪ダルマ式に膨れ上がる。

 計算すると、借りは200万円近くになっていた。

今の俺には、とても払える額じゃない。

 気が付くと、雀荘には誰もいなかった。

 いや、いる。

 居眠りしているマスターと……そして小父さんだ。

「バカモノが……呆れてものも言えん」

 俺は子どものように泣きじゃくりながらそのタバコ臭い身体にすがりついた。

 小父さんは、低い声で言った。

「お前の下宿を教えろ。力を貸してやる」

 

 後で尋ねてくるのだろうと思って四畳半のアパートに帰ってみると、小父さんはもう、そこにいた。

「どうやって……」

 唖然とする俺には答えずに、小父さんは尋ねた。

「博奕をやめるな?」

 俺が一も二もなく頷いたのは、借金を肩代わりしてもらえるのではないかと思ったからだ。

 だが、小父さんは指の間から、あのビー玉を取り出しただけだった。

 俺がその場にがっくりと膝を突くと、小父さんはつかつかと歩み寄ってくる。

 胸ぐらを掴まれたときには、また張り倒されるのではないかと思って身体がすくんだ。

 だが、ビー玉を持つ手は横っ面ではなく、俺の額に押し当てられる。

「鏡を見てみろ」

 ろくに掃除してない洗面所に行ってみて、俺は悲鳴を上げた。

「何じゃこりゃああああ!」

 

 次の日の朝、俺は額に「必勝」の鉢巻きを締めて雀荘にいた。

 卓を囲む遊び仲間は一夜にして借金取りとなり、俺を身ぐるみ剥ごうと目をぎらつかせている。 

 俺は無言で、卓の真ん中からひとつひとつ牌を引き寄せては積み上げる。

 やがてサイコロが振られ、一番高い目を出した俺が親になった。

 牌を引いて、捨てる。

 それが何周かしたところで、俺は静かに告げた。

「ロン!」

 大した役じゃない。いちばん安い平和ピンフだ。

 これで焼き鳥はなくなったが、他の3人はにやりと笑った。

無理はない。

 後でちょっと高い役を和了あがれば、俺からはいくらでもむしり取れる。

 だが、今日の俺はいつもとは違った。

「ロン! タンヤオ断么九!」

「ロン! 一盃口イーペーコー!」

 和了あがる役がひとつずつ高くなっていく。 

 次第に、目の前の顔という顔に狼狽の色が浮かんでいった。

 俺はさらに和了あがり続ける。

 なぜ、ここまで勝ち続けることができるのか。

 それは、あのビー玉のおかげだった。

 「必勝」の鉢巻きの下では、これが額に埋め込まれている。

 夕べ、悲鳴を上げた俺に小父さんは言ったものだ。

「そいつは、お前の目になってくれる」

 試しに小父さんとサシで麻雀を打ってみると、最初に牌を積むときから、その裏の字や模様が分かるのだ。

 対戦相手がポンやチーで牌を哭きさえしなければ、思いのままの順番で自分の手を積み込むことだってできる。

 だが、小父さんは言った。


 ……いきなり大きく勝つと、相手が構えてしまう。まずは、小さな手から油断を誘うんだ。


 その狙い通り、俺を舐めてかかっていた相手が気が付いたときには、俺が親のまま、和了あがる手は役満に近づいていた。

 卓上の牌の山が、どれだけ崩されただろうか。

 役満をひとつ和了あがれば、200万円ちょっとの負けは取り返せそうだった。

 そして。

「ロン! 国士無双こくしむそう!」

 ひとりが言った。

「もうやめておこう」

 俺もそう思った。

 小父さんに、こう言われたのを思い出したのだ。


 ……勝ちには、終わりがある。負けがあるから、勝ちがあるんだ。負けがなくなったら、勝ちもなくなるぞ。

 

 だが、最後のひとりは言った。

「今日のこいつはツイてる。勝ち負けなんかどうでもいい、見てみようじゃないか、最後の役満まで」

 俺も、そう思った。

 この勢いを、捨てる手はない。

 もう半荘。

 だが、次に役満を《あが》ったのは俺じゃなかった。

「ロン! 四暗刻スーアンコー!」

「ロン! 大四喜ダイスーシー!」

「ロン! 字一色ツーイッソー!」

 そして、最後の役満が和了あがった。

「ロン! 九蓮宝燈チューレンパオトー!」

 そして僕はまた、半荘が終わったところで一度も和了あがれないでいた。

「はい、焼き鳥は10000点オールね」

 そのときだった。

 頭の上に雷が落ちて、目の前が真っ暗になったのは……。

 気が付くと、俺はまた、あの敗れたソファの上に横たわっていた。

 そこで心配そうに見下ろしているマスターに尋ねたのは、あの一言だった。

「俺の負けは……」

 代わりにマスターが語って聞かせてくれたのは、こんな話だった。

 

 俺を張り倒した小父さんは、借金取りたちに麻雀ではなく、サイコロの丁半バクチを挑んだらしい。

 コーヒー一杯を飲み干したあとの紙コップにサイコロを二つ入れて、こう言ったのだという。

「勝負は、このカップの中で決まる。いいな?」 

 そう言うなり、卓の上にカップを伏せたが、借金取りたちは目配せしあって含み笑いをした。

 サイコロは、1が2つのピンゾロで卓の上に転がっていたのだ。

 それでも小父さんは言った。

「さあ、張れ! 半に200万!」

 借金取りたちも笑いながら、丁に200万ずつ張った。

 小父さんはカップを取る。

「勝負!」

 すると、そこには別のサイコロが2つ、4と5を見せて転がっていた。

 唖然とする借金取りに、小父さんは言った。

「勝負は、このカップの中で決まるんだったな?」


 俺が大負けした分を借金取りたちから巻き上げた小父さんは、その札束を高々と放り上げて怒鳴ったのだという。

「バカモノどもが ! 残らず拾ってさっさと失せろ!」

 ただし、借金はきっちり残っていた。

 もとの15万円が。

 それを地道に倹約してバイトして返すと、借金取りたちはもう現れることはなかった。

 俺を助けてくれたのは、子どもの頃に見た、ビー玉を操る手品の技だったのだろう。

 だが、あのビー玉が俺の額に収まることはおろか、それきり小父さんが姿を見せることもなかったのだった。

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焼き鳥は10000点オールですが何か?  兵藤晴佳 @hyoudo

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