失ったものは
「おい」
飛び出していった少女は、難なく見つかった。
家の裏手が騒がしいから見に行ったら、少女は鶏に囲まれて動くに動けなくなっていた。
「なんだよ、鶏なんか怖いんか」
何にそんなに腹を立てたのかは知らないが、獣が吠えるように食って掛かってきた激しさはどこへやら。少女は家禽ごときにおろおろして、足止めを食っていた。
騒ぐ鶏を横目に鳥小屋――鶏は日中放してあるが、夜には寝床に入れる――に向かう。飼料箱から糠を掬い取ると、升に盛ったそれに気づいたのか、鶏は雷太の方へと向かってきた。
「鶏なんか、どこにでもいるだろ」
升の中身を地面を撒いたら、鶏たちは他は一切目に入らぬという勢いで糠をつつきまわした。ありついた餌を懸命にむさぼる様は、たくましく生きる力を感じて雷太は好ましく思う。
「私の住んでいた森には、いなかった」
少女――イサナだったか――は、いったいどういう出自の子どもなのだろう。
事情があって八神が連れているのだろうが、竜追い仲間の子か何かかと思っていた。竜追いは家族を残して命を落とすことなんてしょっちゅうだったから、仲間が残された子の面倒を見るなんてことはよくある話だ。その意思があれば、弟子にしてしまうことも多い。でなければ、定住している仲間かその家族に託すか。
八神が言う限り、イサナはそのどちらでもないようだった。
それどころか。
「お前、なに。竜追いになんか恨みでもあんの?」
雷太の問いに、イサナの顔が歪む。
怒りともつかないような、苦しみともつかないような。
「……怖い、し」
絞り出すようにイサナは言った。
「やっぱり、うらんでる」
「ヤツさんについてきてるくせに?」
雷太はかすかに湧き上がる怒りを感じた。
八神が竜追いを退くかもしれない、という話が伝わってきた。その原因が、この竜追いを恨んでいるのだという少女を連れていることにあるのなら。
「なんでお前に付き合って、ヤツさんが竜追いをやめなきゃなんないのさ」
なぜ子ども一人のために、八神がその生業と生き方を手放さなければならない。
「どうなんだよ!」
雷太の父親が誇ったものを、一生を賭けたものを恨まれなければならない!
思わず怒声を浴びせれば、イサナは目を細めた。
その目尻に滲むものを見た気がして、雷太は黙る。
「私もなくしたものが、あるから」
おあいこ、とつぶやいたイサナはけれど、強く頭を振った。
「どうしたらいいか、もうずっとわからないの」
わからない、と目を伏せたイサナの横顔。腹立ちは急速に萎んで、心地の悪さと沈黙だけが場に残った。黙って糠をついばむ鶏を眺めながら、痩せた一匹に目を止めて、あいつはもう卵を産まないかななどとぼんやり考える。
「あ」
餌を変えたら卵を産むだろうかと思ったところで、腰の袋を思い出した。帯から袋を外して、中身を鶏たちの頭上から降らせる。鶏たちが一斉に騒いで、後ずさったイサナの足元に、跳ねとんだ袋の中身がひとつ落ちた。
「みみず」
乾いた地面の上をうねうねと這っているそれを、イサナはしげしげと見つめていた。鶏は怖がっても、みみずは平気らしい。確かに鶏以上にどこにでもいるから、こちらは見慣れているのかもしれない。
「俺と母ちゃんは、地竜って呼ぶけど」
「ジリュウ?」
「地の竜な」
どうしてそんな呼び方をするのかは知らない。太い足と鋭い爪をもつ竜と、手足すら持たないみみずじゃ、似ても似つかないと雷太は思う。
「鳥に竜が食われるんだ」
へんなの、と囁いて、イサナはわずかに顔を緩めた。初めて顔つきが和んだような気がして、雷太は瞬く。
「鶏の餌にするためだけに、採ってくるわけじゃないけどな」
イサナの足元にいた地竜を摘んで、鶏の群れに放り投げる。最後のおこぼれを、鶏は先を争って狙った。
「そうなの?」
「ああ。今回は全部鶏に食わせたけど……あとは薬にするんだ」
「くすり」
「そう。地竜を煎じて飲むと、熱覚ましに良い。そのままでも良いし、うちは干して薬種としてとってある。丸ごと干しちゃえば良いんだけど、母ちゃんは地竜を切り開いて、中身を出してから干すことも出来るな」
自分の口がなめらかに回ることを、雷太は自覚する。
母の仕事のことならよく知っていた。父が身を捧げた竜追いの仕事と同じく、誇っている。
「俺の母ちゃんは薬師だからな」
雷太は胸を張った。
悪戯をして頭上に落とされた母の拳骨。そのまま呆れながらも頭を撫ぜる手のひらの、その指先にまとわりつく薬種の匂い。
母に染み付いた生き様の匂いだ。
「……竜薬」
イサナの口から出た言葉は、零れ落ちるようだった。
「竜薬? うちの母ちゃんは竜も薬にするぜ」
竜の体や骨は治癒効果の高い薬の材料となった。
鶴乃は薬師で、竜薬の調合にも長けていたから、竜追いは狩った竜を納めに来る。
母や自分は、巨大な獣を狩ることは出来ないけれど。糧として活かすことが出来た。
「飲んだ、わたし」
誇らしさに、雷太は気づかなかった。イサナの顔が青ざめていることに。
「ヤツさんにもらった? ヤツさんが使ってる竜薬は、母ちゃんが調合したもんだよ」
顔色を失ったイサナの膝から力が抜けて、ゆっくりとへたり込んでいく。体をぶるりと振るわせて、両腕で自分を抱きしめるように縮こまった。強く掴んで、着物の両袖が捲れる。むき出した両腕の肌は暑さにもかかわらず粟立って、ただならぬイサナの様子に雷太は慌てた。
「どうしたんだよ。気持ち悪いんか、腹でも痛いのか?」
粟立つ腕に、思わず触れる。
ふつふつとした腕が、波打ったように見えた。
指先に感じたその感触は、悪寒や興奮に走る震えとは明らかに違う。
例えるなら、皮の一枚下に小さな生き物が入り込んでいて、暴れているかのような荒々しさ。
見上げてきたイサナの目が、ぎらりと光った気がした。
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