食うか、食われるか

 糾弾でも嫌味でもないのだろう、鶴乃はからりと言う。鶴乃の言葉に目を見張るイサナに、雷太が言った。

「俺の父ちゃんも竜追いだったんだけどさ。狩りの時に食われちゃったんだよ」

 そういう仕事さ、と雷太は頓着もなく言い切った。鶴乃と同じように。

 父親が死んだ時、雷太はまだ今よりずっと小さかったし、鶴乃が『そういう仕事』と言い聞かせ育てたのだろう。

 竜追いは命知らずだ。その女房達は夫の生き様をよくわかっているし、子どもたちも理解をする。

 それでも禄一の女房子どもたちが泣いたのは、決して恥ずべきことではない。家族の瀬戸際のことなのだから。けれど立ち直りも早かった。泣いているだけでは、食べていけぬのだ。

「父ちゃんが竜に食われた狩場は、ここからうんと遠いところだったからさ。骨になってからヤツさんが持って帰って来てくれたってわけ」


「……べない」

 震えた声がした。小さな手で自分の着物をぎゅっと握りしめて、次には、はっきりと。

「竜は人間なんか食べない」

 自分より背の高い者たちを、睨みつけるように見上げる。

「竜が人間を襲うのは、縄張りに入ってくるから。人間たちの方から襲ってくるから。竜追いの人は、たくさん竜を殺す。竜だって人間のことは怖い」

「まあ、そりゃあ。竜追いが襲ってくるから、竜だってやり返してくるんだろうさ。お互いに食うか食われるかってことだろ」

「食わない!」

 頭を振って、足を踏み鳴らして、全身でイサナは否定した。

 雷太はあっけにとられている。

 イサナが他でもない、自分や同胞へ向けられた思い込みを正そうとしているのだなんて、わからないのだから。


「いいかげんにおし」

 鶴乃が雷太とイサナの間に割り入るようにして、土間に降りた。土間の隅にある甕から水をすくって、イサナに柄杓をよこす。

「お飲みよ。そんなに熱くなっちゃ、話にもならないでしょうに」

 イサナは手負いの獣のような目つきで柄杓を睨み、考え込むようにしてから顔を近づける。すんすんと鼻を鳴らして水の匂いを嗅いだ。たっぷりと時間をかけて、柄杓の中身が間違いなく水であることを確認してから、イサナはようやく口をつける。

 イサナは自分の口に入れるものは、しつこいくらいに確かめた。

 八神もそれを子犬か何かのようで可愛らしいと思ったこともあったが、今では人を信用しないその仕草が痛々しい。胸が詰まるような、腹の中身がせり上がって喉をふさぐような苦しさがあった。

 食べてしまったものは、取り返しがつかないから。

 

「確かに、竜は人間を食べやしないか」

「なんだよ。母ちゃんだって、父ちゃんは竜に食われたんだって言ったくせに」

「頭かじられてたんだって言うんじゃ、そりゃ食われたうちに入るよ、私らにしたらね。でも竜からしたら腹の足しにしようとして、父ちゃんを食ったわけじゃないんでしょうよ。竜が人間を食べないって言うのは、そういうことなんだろう」

 食うか、食われるか。

 戦って生き延びるか、死ぬか。腹におさめて血肉にするのか、ただの残骸にするのか。

 生きるにも食べるにも、多くの意味と違いを持つ。

 特に、異なる生き物同士なら。


「人間なんか食べたら穢れるって、父さんは言ってた」

「父ちゃんが死んじまったのは、どっちにしたっておんなじだ」

 二人同時に口にして。子どもたちはお互い顔を背けるように俯いた。

「……イサナ」

 小さな肩に手を伸ばす。八神の指先が届く前に、イサナは跳ねるようにして小屋を飛び出した。

「イサナ!」

 伸ばした手は届かない。その先に押し出すように、鶴乃が雷太の背を叩いた。

「雷太、追っかけて」

「なんで俺が」

「こんな知らない場所で、迷ったりしたらどうするるの。嫌がるなら連れて来なくていいから、とにかくどこか行っちゃわないように見張っといてちょうだい」

「もう!」

 豆粒が転がるように、勢いよく雷太は走って行った。


「あの子は、どういう子なの」

 子どもたちが飛び出していった戸口を見つめながら、鶴乃が問うた。

「父親が、竜に食われて」

 本当は本性を現したところを、竜追いたちが討ち取った。イサナの父親が人から竜に変わる姿を目にしたのは、八神だけで。イサナたちの正体を知らぬ者たちに説明をすることはできずに、竜に食われたことにしたのだ。

 竜は人間を腹の中におさめたりはしないから、だから人が襲われたとしても、大体死体は残る。もちろん竜に爪を立てられ牙で抉られ、その強靭な手足や尾で跳ねられようものなら体の損壊はほぼ免れない。それでも体のすべてが竜の腹の中で溶かされ糞になることはないから、人間の名残さえ跡形もなく消え失せることはまずなかった。

 だからイサナの父親のが何一つ残っていないことを、不審がる竜追いもいた。けれど仲間に大きな損害が出た混乱で、他人であったイサナの父親のことは後回しにされ、そのままうやむやになったのだ。

 仲間の骨なら、拾ってやる。

 八神もいくつの仲間の亡骸を、拾ったことか。

 命知らずどもでも、帰りたい場所があるならばと。

 そして獣にだって――そういう場所が、迎えてくれる者があったのだろうと、今は思う。

 

「他の身内もいないようだから。それで引き取った」

「弟子も取ったことがないような人が?」

 返す言葉もない。

 もしいつか、子どもを教えるようなことがあったら。そういうことを考えたことがないわけではなかった。雷太や禄一の子たちを構いながら、所帯を、子を持つことがあるんだろうかと――それはあまりに縁遠いことのような気はしたけど――想像したことがないでも。

 それでもイサナを連れ行く日々は、それまでの生き方を大きく変えるものだった。

「まあ、私がとやかく言うことでもないでしょうけど。ただ」

 戸口から八神へ、鶴乃は視線を送る。

「あの子は、私ら竜を食う人間とは、別のものを信じてるね」

 鶴乃は小さく息を吐いた。

「信じるものが違う人間と通じるのは、楽じゃないよ」

 鶴乃の言葉に滲むのは、おせっかいよりも純粋な気遣いのようだった。だから不快だとは思わなかったが。

 そんなことは、骨身に染みるほど知っている。

 

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