喫茶グレイビーへようこそ series 7

あん彩句

KAC20227 [ 第7回 お題:出会いと別れ ]


 この店で占うと、全てがうまくいくらしい。店の名前は、喫茶グレイビー。オレはそこで働いている。仕事は掃除、パシリに賄い係。


 店の賄いを作るようになって、気になったことがある。だから、あやさんに聞いてみた。綾さんは鮮やかなブルーの髪で、女のくせに目付きと口がとにかく悪くて、日常の大半をキレて過ごすような人だ。


「喫茶グレイビーって、グレイビーソースのグレイビーですか?」


「んなわけねぇだろ、こっちだよ」


 綾さんはそう言って、骨折してホルダーで吊っている方の手の親指と人差し指を使って丸を作り、手のひらを上へ向けた。浮腫んでムチムチの指がそんな下品な形を作ると余計にいやらしかった。


「ボロ儲け」


「……へぇ」



 こんな喫茶店でぼろ儲けなんてできるはずがない。それどころか客もろくに来ないのに、オーナーのトムさんはオレを雇うと勝手に決めた。別に拉致られているわけではない。いくら腕が極太でも、トムさんはそんな人じゃない。

 トムさんは本業を別に持っている。誘拐と公文書偽造、それが本業らしいけど、今のところオレにそんな物騒な話は回ってこない。



「さあ、上客が来るぞ」


 いつになくご機嫌で綾さんが言った。


「ヘマすんなよ、あくた


 それなら休暇を出したほうがいいだろう、なんてことはもちろん言えないので素直にハイと頷く。綾さんはオレの返事を全く信用しないまま、占い師のハルマキさんの座る奥のテーブルへ着いた。


「やっぱり盛り塩がいいかしらね」


 ハルマキさんが、テーブルの上に分厚いくたびれた本を重ねながら綾さんに聞く。綾さんは適当に頷きながら頬杖をついた。


「あたし、有金を剥がしてやるこの一時がたまらなく好き」


 まったく、本当にいい性格してるよ、綾さんは。



 その上客とやらはそれから数時間後にやって来た。綾さんが腹を空かして絶好調にご機嫌斜めの時だ。


 どんな輩が来るのかとハラハラしたけど、扉を開けたのはごく普通の同年代の女の子だった。

 化粧っ気のない顔に少し明るくした髪を適当に束ね、細身のジーンズになんでもないチュニック、コートは脇に抱えていた。


「占いってやってますか」


 その人の質問に、綾さんはちらりと目をやって奥へ行けと合図する。オレにヘマするなと言っておいてこの対応。客もイラッとして睨んでいる。

 おお、っとオレは思う——直感だ。少し地味っぽいしまともそうにしてるけどオレと同系統なクズかな、と。


 楽して金が欲しい。みんなにチヤホヤされたい。誰よりも優位に立ちたい。願望は山ほどある。

 でも、ここで働き出してペシャンコにされた。今では年下の女にアゴでこき使われる日々だ。札をちらつかせて見下されたこともある。そしてちゃんと同じ時間に起きて仕事をしている——実を言うと、毎日が楽しいとすら思う。



 にっこりとしてハルマキさんが女性を迎え入れた。ハルマキさんは、フリフリひらひらなワンピースを着て、爪はこれでもかとド派手な色で塗りたくられていた。濃いめの化粧、高そうなストールを巻いたハルマキさんはいつにもまして胡散臭さ抜群だ。


「ご相談料はこのようになります」


 そう言って差し出したのは、ラミネートされた料金表。カウンターの中からはわからなかったけれど、割高なのはハルマキさんの前に座る女性の表情でよくわかった。


「どちらで占いますか?」


 疑いながらも料金表の真ん中あたりを指でさす。ハルマキさんはにっこりして紙の束を女性の前へ置いた。


「ご氏名とご住所、生年月日をこちらへ」


 女性は言われた通り、そこに用意されていたボールペンで紙の上へ書いた。ハルマキさんはそれを見て頷き、書いた紙を折りたたんで女性へ差し出した。


「個人情報ですのでお持ち帰りください。あたくしにはもう十分です」


 いや、オレには違和感だらけだ——今までのハルマキさんの占いで名前を書けと言われた人はいない。ましてハルマキさんが自分を『あたくし』だって、さ。


 じっと観察してたら綾さんに睨まれたので慌てて自分の仕事に戻った。今日の昼メシはビビンバだ。綾さんに言われた時は困惑したけど、動画で調べたら意外と簡単にできる。



 女性の相談事は漠然としたものだった。幸せになりたい、幸せになるにはどうしたらいいか、たったそれだけ。

 それに対してハルマキさんのアドバイスはひどい。玄関に盛り塩を置けとか、墓参りに行けとか、心が前向きになるためにこれを持ち歩けと小さな石の入った巾着を渡した。


 どうしたんだ、と思う。いつものハルマキさんならもっとズバズバ言っている。案の定、ハルマキさんが「時間です」と言った時、女性は少し不服そうだった。


 女性が金を払い立ち上がった。見上げたハルマキさんがにっこりと微笑み、女性を見上げるようにして黄色と金色のラメの2色が塗られた爪を向ける。


「それから貴方、もう一度病院へ行かれたらいかが? 堕胎の処理が上手くいっていません。体調不良はそれが原因よ」


 その最後の一言は抜群の効果をもたらした。女性は急に顔を明るくしてハルマキさんを熱っぽく見つめたのだ。オレは人が何かにどっぷりハマる瞬間を目撃したんだと思う。



 女性はありがとうございましたと、頭を下げてそう言って帰って行った。扉が閉まってしばらくは動かなかったけれど、最初に綾さんが立ち上がり、女性の座っていた場所に腰を下ろした。


 ハルマキさんは数枚重ねていた紙、女性が名前なんかを書いた紙の下にあったやつを一番下の紙だけ残してクルクル丸めて束にして輪ゴムで留めて綾さんに差し出した。

 ボールペンはその最後の紙の上にストールではさんで持ち上げて置き、それもまた包んで綾さんの前に置く。


 綾さんは無表情で紙の包みと丸めたのを掴み、店を出て行った。ハルマキさんも自分の荷物をまとめると、出て行こうとする。途中で止まったのは、オレを振り返ったからだ。


「少ししたら戻るわ。お腹が空いちゃったもの」



 女性はそれから短期間で何度もハルマキさんを訪ねて来た。友達も連れて来た。腰まである髪に総メッシュのド派手な友達で、その時は女性も派手な化粧で際どい服にコートを着込んでいた。

 そうして女性は、すっかりハルマキさんの占いにのめり込んでいた。滞在時間も長く、料金も嵩んでいく。


 タロットカードを混ぜるハルマキさんに、女性があれこれと身の上を語る。母親を見限った父親、弟ばかり可愛がる母親、母親にべったりな弟、クズみたいな男ばかりに騙される自分。

 幸せな結婚を夢見たのに、最初の男は仕事ばかりで自分を見向きもしなくなった。次の男は嫌なやつだった、その次もろくでなしで息子を可愛がってくれなかった。そのせいで虐待だと勘違いされて、児童相談所に下の子を連れて行かれてしまった。


 たしかに不幸話かもしれないけれど、同情はできなかった。私はこんなに不幸、周りが足を引っ張って私を不幸にする、と不満ばかりが口を出る。自分のことは棚に上げて。



 そして今日もまたやって来た。


「一緒に暮らし始めてから、彼との関係がギクシャクしてるのね?」


 カードを並べて裏返しながらハルマキさんが言う。女性は驚いた顔をして、前のめりに頷いた。


「やっぱり子供がいると難しいのかなぁ。でもうちの子ちゃんとしてるから、自分のことは自分でやるし。小学5年生だもん、できるよね。みんな子供を甘やかせすぎなんだよ。ミキともそう言ってて——ミキってこの前一緒に来た子です」


 女性はどんどん饒舌になる。放っておけば1人で話している。ハルマキさんはその大半を無視しているのに、女性の方は気がつかなかった。それにきっと、自分がどれだけこの短期間で金を使ったかも、気づいていない。


 ハルマキさんがめくったカードをトントンと1枚ずつ指で叩いた。


「貴方がするべきことは三つ。掃除、仕事——」


「私、うつ病で働けなくて」


 にっこりしたハルマキさんはそれを聞き流した。


「自分を守る嘘を捨てなさい。さもなくば、大切なが貴方から逃げ出しますよ」


 淡々とハルマキさんが続ける。


「——さあ、貴方が思い浮かべたのはどちらのかしらね。息子さんは、弟を羨ましいと思い始めているようですが」


「は?」


「そもそも貴方、鬱病になったと感じるほどの意欲なんて、最初から持ち合わせていないでしょう?」


 それからオレは、恐ろしい場面を目撃した。信者のようだった女性の豹変、綾さんよりも酷い暴言を喚き散らしながら、女性は店を出て行った。机の上にあったはずのタロットカードは床に散乱していた。



 オレの仕事は掃除だ。


 だから、床に散らばったタロットカードを拾い集める。オレはずっと胸糞が悪いままだった。あの女が店に来るようになってから、ずっとだ。



「占った瞬間から、それはもうすでに過去のものなの」


 顔を上げると、いつものハルマキさんとはほど遠い冷酷な目がオレを眺めていて、背筋がぞっとした。


「その瞬間をどうするかで、予言は覆せる。彼女はせっせと私の言う通りにして小さな変化を実感したはずよ。準備運動は完璧、私の占いの正確さも思い知っている。でも、全てを駄目にする甘ったれた自分との決別はできなかった。ここへ来たのは最大のチャンスだったのに」


 オレはハルマキさんと目が合うと、頷いた。頷いたけど、なんだか胸糞が悪いままだ。理由はわからないし、説明はできないけれど、初めて自分がクズだってことが恥ずかしいと思った。あんなやつと同類か、と。


「オレは……オレは、大丈夫ですか」


「大丈夫だろ」


 そう答えたのは、綾さんだった。


「大丈夫か心配なら、大丈夫だ。そんなことより仕事だ。芥、夜は焼き鳥を食いに行く。運転手、しっかり働けよ」


 自分がまともだとは思わない。今だって楽して金が欲しいと思っている。でも仕事するのも悪くない、女にアゴでこき使われるのも慣れたことだし。


「ハイ」


 オレは綾さんにちゃんと返事をしてカードをまとめた。そしてハルマキさんに手渡す。まあ、クズはクズなりにみっともなく生きてやるさ、と思いながら。




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